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まちかです!よろしくおねがいします。

烏丸まちかと申します。20代です。思ったことを発信していきます。

文章を書く欲求が止まらない。わたしどうかしてきたかもしれない

こんばんは。まちかと申します。よろしくお願いします。

 

なんと言えばいいのだろうか。

今、わたしの中で何かがおきているのは間違い無いのだけど、その何かが何であるかは全く見当がつかない。

生存のための欲求なのか、より高次の欲求なのか。

こう言う時ってさ。だいたい何か大きな成長をしようとしている気がするけど、そう言うこともなさそうな感じは理解できる。わたしはその辺の理解力が高いの。うん。きっと。

人の活動の全てに経済的な意味を求めるのはとってもナンセンスだと思う。時には無関係に暴れてみたくもなる。

 

文章を書くこと

ふと考える。

2000年前。

アレクサンドリアに図書館があった頃。

世界中には1日にどれだけの文章が生まれていたのだろか。今の日本列島に住む人たちは文字を持たず、南米ではおそらく数字や簡単な合図を表す縄状文字が使われてただけだった。

文章を書いていたのは世界でも一部の人たちだけ。

でも今。

この瞬間にもたくさんの文章が生まれているはずだと思う。毎日何ページのウェブサイトが作られて、どれだけの文章が世に生まれているのか。考えると怖い。

文章を書くと言うことは、相対的な価値が下がってきているのは間違い無いのだけど、それだけでははかれない、人類の営みの中に自分の痕跡を残すことに意味を見いだすこともできるのだと思う。

 

記憶から消えてしまっても

自分のひいおじいちゃんまでは何をしていたのか知っている。だけどひいおじいちゃんのお父さんやお母さんがどう言う人だったのかは全く知らない。いや。名前すら知らない。わたしにつながる人なのに。

人の記憶、記憶というよりも人の痕跡。

人の痕跡はいつかは消えてしまう。

よっぽどの偉人でなければ、4世代後にはほとんど忘れ去られていると思う。

いつかは絶対やってくる、自分と会ったことのない人しかいない世界。

そういう世界が怖いわけではないけれども、少し悲しくなるの。

なんだかそういうとっても気の遠くなるような世界を見据えて文章を書いているのかもしれない。記憶から消えても、わたしの書いた文章は、本の数ページとして、インターネットの小さなビットの集まりとして、ずっと残るはずだから。

普通なら消えてしまう痕跡を文章として残す。

そういうことをやっているのかもしれない。

 

ただ目が冴えていただけ。寝る口実が欲しかった。なんでもよかった。

ごめんなさい。

最近遅くまで引越しの準備をしてたから、寝るタイミングがわからなくなってました。

なんか眠くなるまでの時間稼ぎに文章を書いていました。お付き合いさせた方ごめんなさい。

まさに「むしゃくしゃしていた」の境地ですにゃ。

 

深夜に書いたラブレターはだいたい気合が入りすぎていますが、時にロマンティックでもあります。

この文章がロマンティックかどうかは知りませんが、このブログは基本的に見直しとか修正とかせずに一発書きで記事を公開しているので、そのままにします。

 

これが意外とね。自分の記事を後から読みなして、いろいろ勉強になるの。

 

そして過去の自分との対話が意外といい暇つぶしになったりするの。

 

今日はその未来の自分が暇つぶしするネタを用意する。そんな時間だったの。ずっと先の未来への小さな投資。

うん。

文章を書くための悪く無い理由も見つけた。

 

 

ありがとうございました。まちかでした。