書籍館存続が危ぶまれた最大の原因は、その設置場所が官庁、学校の集中する絶好の立地条件にあったにもかかわらず閲覧者が少なかったということである。表13-18・19でもわかるように、開館当初こそ入館者は増加傾向にあるようであるが、開館1周年を過ぎる頃から減少が著しい。22年度予算では、入館者を1日平均20人として1年の開館日数280日と見積もっていたので、年間の入館者は5600人ということになる。ところが実際に22年度を見ると281日とほぼ予定通り開館しているのに、入館者は274人にしかなっていない。しかも、この中には入館料が無料の資格をもった特許閲覧人(学校教員、新聞記者、翻訳者、図書寄贈者)も含まれているのである。その当時の函館区は、水道敷設という大事業に取り組んでいて財政困難な状態にあった。そのため、利用者が少ない上に経費のかかる書籍館経営は次第に重荷になっていったものと思われる。
表13-18 函館書籍館閲覧調査表
明治22年~「書籍館関係書類」より作成 …は不明 表13-19 函館書籍館特許閲覧調査表
明治22年~「書箱館関係書類」より作成 明治22年11月~23年10月までは史料を欠く ところで、書籍館初年度の予算では262円22銭を区費から支出することになっていた。その予算案を審議した区会では、書籍館の創始に係わる場合なので経費の多寡を断定できず、およそこの位なら足りるであろうという概算であるから次年度以降に増減を計ることとし、また、書籍館は「区費ヲ投シ知識ヲ買フ所ト思ハサルヘカラス、府県ノ書籍館モ皆然ラサルニアラスヤ」という意見も出されていた(自明治20年至明治22年「臨時区会議事録」)。しかし、翌22年度の予算では書籍館費301円6銭の原案に対して区会で審議の結果、図書費、人件費、修繕費などを合わせて118円とし、閲覧者が少ないのを理由にその管理を隣接地の町会所に委嘱することに全員賛成してしまい、書籍館費は大幅に減額されてしまったのである(明治21年11月開会「通常函館区会議事録」)。 こうして明治22年4月1日より書籍館の事務取扱は町会所に正式に委嘱されたのであるが、その後1年を経て今度は函館教育協会へ書籍館の管理を委ねることになり、補助金として区費より年額60円が函館教育協会へ支給されることになった。ところが、その補助金も次第に減額されて25年には年額22円となり、赤字経営の状態にあった函館教育協会としては書籍館管理が負担になってきた。そこで、函館教育協会では補助金の増額が望めないなら書籍館経営を続けていくことはできない旨を函館区へ申し出たが、函館区でも補助金増額の目途が立たないまま書籍館廃止の方向へと進んでいった。 |