思膏会は規則の改正を行い、会員の募集にあたっては初期の共覧組織を維持すると共に、さらに次の2点を会の目標に加えた(明治16年「取裁録」道文蔵)。
というように、仮書籍縦覧所から一歩進んだ書籍館設立の意向を明確化した。また明治15年に開拓使が廃止され函館県となったので、開拓使の会計整理委員へ「備書籍ノ内稍不用ニ属スルモノ」を思齊会へ下什されるよう請願し、48部1999冊の書籍が寄託されている(前掲書)。この時期、思齊会の所蔵図書は購入したもの11部133冊、篤志家より寄付されたもの178部、新聞雑誌類若干、寄託を請願されて受領したもの153部であった。その当時、どのような本が出版され読まれていたのかを具体的に示すため、思齊会所蔵の書名と書籍の所有者(寄付、寄託者)を明治16年の「取裁録」より転載すると表13-17のようになる。 表13-17 思齋会蔵書一覧
明治16年「取裁録」より作成 また、明治16年5月14日の「函館新聞」には、「同会は年一年に盛大に赴くハ喜ぶべく、其勢ひでは終にハ書籍館を設立するに至るハ遠きにあらざるべし」とか、同月16日には「同会は会員次第に増加し、此程裁判所青木馬屋原犬塚中村等の諸君にも入会され(中略)其他市中にも続々申込多く、誠に隆盛に赴くよし喜ぶべき事といふべし」などと報道され、いわゆる知識階級が思齊会に寄せる関心の高さをうかがうことができる。しかし、会の経営は苦しく思齊会幹事村尾元長から函館県庁学務課へ出された報告書によれば、明治16年10月現在の会員が175名いるので会費は17円50銭収入できるはずであるが、滞納者がいて1か月平均6、7円しか集金できず書籍購入も容易ではないと訴えている。そこで、函館県では思齊会が有益な施設であるのに資金不足のためにその効果を充分に挙げることができないと考え、教育補助費の中から300円を下付してその活動を援助することになった(前掲「取裁録」)。 このように、会員、書籍の増加に伴い縦覧所も狭くなったため、同年12月の臨時区会において、書籍館建設のため天神町70番地にある共有地の一部を10年間は無借地料で貸与されるようにと、思齊会幹事村尾元長より請願書が提出された。明治16年「通常区会并臨時会議案其佗綴込」によれば、区長代理の林悦郎は「該会ノ義ハ素ヨリ自己ノ利ヲ射ルモノニアラスシテ、其目的トスル処偏ニ社会有用ノ書籍ヲ蒐集シ以テ公衆ノ便益ヲ謀ラントスルニ在リ、就テハ右願出ノ如ク聞届ケ差支有之間敷」と思齊会を支持する意見を示した。ところが、林宇三郎、石田啓蔵両議員からその土地はすでに借受人が決まっている場所であるとの反対意見が出され、審議の結果、思齊会に対しても、「其目的ハ嘉尚スヘキモ、今更解約セシメ無借地料ヲ以テ思齊会ニ貸与スルハ、其処置宜シキヲ得タルモノニ非ス」(明治16年「区会関係書類」)として廃案になってしまった。その後、17年には書籍縦覧所を元町72番地にある旧小林重吉別荘へ移転し、事務だけは当分の間、幹事の自宅で取り扱うことになった。 |