文責:ディレクター吉村陽夫(あきお)
「ながさき原爆記録全集」16~29回
(米国戦略爆撃調査団編長崎撮影部分)の総集編
(米国戦略爆撃調査団編長崎撮影部分)の総集編
58分カラー・ステレオ
2017年 第54回ギャラクシー賞報道活動部門 優秀賞受賞作品
(NHKをはじめ全国の民放各社をおさえての受賞でした!ケーブルテレビの快挙!)
2017年 第54回ギャラクシー賞報道活動部門 優秀賞受賞作品
(NHKをはじめ全国の民放各社をおさえての受賞でした!ケーブルテレビの快挙!)
※ネット版のため全BGMをフリー楽曲に差し替えています
「ながさき原爆記録全集」1~14回(海兵隊フィルム編)の総集編
28分カラー・ステレオ
2016年 第53回ギャラクシー賞報道活動部門 奨励賞受賞作品
※ネット版のため全BGMをフリー楽曲に差し替えています
●長崎のケーブルテレビ 長崎ケーブルメディアで被爆70年企画として一昨年の2015年11月から、定期的に放送。長崎原爆カラーフィルムを全カットを紹介する番組です。28分。2017年5月現在、最新作第三十二回を放送。2分の番外編がふたつあります。上記の総集編58分は第三十回と第三十一回を合体させたものです。
●今年2017年4月からは地上波NBC長崎放送でも「なんでんカフェmorning」(月~木朝9時57分)のいちコーナーとして時々放送しています。
●基礎知識として・・・
長崎原爆カラーフィルムは2種類存在します。
●「海兵隊フィルム」(1945年9月23日~11月10日)約5時間。被爆後もっとも早く長崎の爆心地をカラーで撮影したフィルム。その名の通り長崎に上陸した米海兵隊が撮影。被爆地以外、長崎市中心部や郊外の風景も撮影している。
●「米国戦略爆撃調査団フィルム」(1945年11月5日~1946年2月・4月)長崎部分のみで約6時間半。米大統領令でアメリカ側が日本全国の爆撃の影響を撮影したもの。長崎から撮影を開始している。被爆地は非常に丹念に撮影している。撮影スタッフに映画関係者が多数いるためか、明らかに「演出の画(ヤラセ?)」が散見され、当時の生活や風俗を正確に表しているかは疑問が残る。
●この2つが今のところカラーで被爆後の長崎を確認できる映像の全てです。
もちろん米国がこれ以上の映像を隠している可能性はあるのですが、現在のところはこれだけです。
●この2種類のカラーフィルムは原爆に関するテレビドキュメンタリーや特集などで部分的に数秒~数十秒使用されることはあっても、これを「全て」公開しようとする放送局、メディアはありませんでした。ネット上でも数分しかアップされていません。(しかもネット上など、その解説にかなり間違いが多い)
●「ながさき原爆記録全集」は、この「海兵隊フィルム」「米国戦略爆撃調査団フィルム」の全てのカットを解説付きで番組化する(した)ものです。
●第1回~第15回で「海兵隊フィルム」全5時間の全カットを解説付きで紹介。第16回~32回で「米国戦略爆撃調査団フィルム」は現在あと11%のところまで紹介済。あと数回で完了予定です。
この番組を観れば基本的な長崎被爆の状況は分かります。
●解説はピースバトン・ナガサキの松田斉(まつだせい)さん。とにかく詳しい。「ここは浜口町のローソン」など長崎市民には異常にわかりやすいところが素晴らしいです。
そして、その詳しい説明をできるだけ分かりやすく番組化しています。
●「ながさき原爆記録全集」の第1回から第15回までの「海兵隊フィルム編」は2016年(2015年度)第53回ギャラクシー賞報道活動部門で奨励賞を受賞。
●第16回~30回までの「米国戦略爆撃調査団フィルム編」は2017年(2016年度)第54回ギャラクシー賞報道活動部門で優秀賞を受賞しています(NHKや地上波局をおさえての受賞はケーブルテレビの快挙です!)。ホント凄いことなんです!
●この「ながさき原爆記録全集」はケーブルテレビでしかできないことを数多く実行しています。
●ここで地上波放送の基本的なことを・・・
地上波では番組の放送は1回です。どんなに頑張っても再放送をして合計、僅か2回。まあ、賞をとったらあと1回できるかどうか・・・。地上波は基本的に、「番組は使い捨て」なのです。あとはアーカイブに入って懐かしのなんたら・・を待つだけ・・・。最近はネットに乗せて見せる手法もありますが(それは、なかなかいい手だけど)、それも、番組が分かっている狙った人しか見ることはできないのです。
●さて・・・
その点この「ながさき原爆記録全集」は長崎ケーブルメディア(エリアは長崎市内)で現在、週に3回の再放送と最新版1回の、週に4回固定位置の時間で定期的に放送されています。放送は1回きりではないのです。最新作以外は1から順に再放送され続けています。
毎年、年末には紅白の真裏で0時まで6時間集中放送したり、もう何回やるんだってぐらい放送していますw。
※ちなみに最新作は毎週日曜の夜8時から放送中。つまりNHK大河の真裏ですww
●さらに、この番組の大きな特徴ですが、
その再放送が新しい情報が入る度に過去放送の内容を随時修正、更新しているというところにあります。
視聴者からの情報で新たに判明した地名や地域は放送後でもどんどん新たなものに差し替えています。
松田斉さんの解説があとで間違っていることが、視聴者からの情報で判明すると、もちろん即修正。
昨年11月に城山小学校や一本柱鳥居など記念物から国指定史跡にランクアップしています。このように長期間放送することで、変更になったテロップも差し替えています。
さらに、放送後に新たな写真や資料が見つかるとそれらを加えて再編集。初回放送より2回目以降の再放送の方が充実した内容になってたりします。
●このように、一度作ったものを、ただ再放送しているのではなく、新たなものにどんどん作り変えて「ながさき原爆記録全集」全体を完璧なものに仕上げているのです。
こんなことは、地上波やBSや、オンデマンドではできないのではないでしょうか。
完成したパッケージを後から複数回イジるのはこの業界ではありえないし、そもそも複数回放送できないですから。
ちなみに第1回はもう6回以上修正をしています。
しかしケーブル局でも、こんなことしているのは私ぐらいですがww。
●もちろん何回観ても飽きないような演出・編集も必要です。私が言うのもなんですが、この番組は異常に手を入れています。たった20秒作るのに6時間以上かかって番組30分が1か月かけても完成しなかったことさえあります(第18回)。人知れず見どころ満載とだけ言っておきましょうww。
※モーショントラッキングのソフトが買えなくて全部手動で動かしているという訳だったりもしますがww
●長崎原爆がテーマで長崎市がエリアのケーブルテレビで、ずっと定刻の放送を複数回続ける・・・。これはどんな放送局も地上波もBSもCSもオンデマンドもネットの世界も、真似ができないことです。
長崎のケーブルテレビ(長崎ケーブルメディア)の長崎市内の世帯普及率は約50%だそうです。下手な地上波よりも視聴率はいいはずです。推測ですがw。
●なので反響もすごくいいのです。確かに地上波よりも反応はすごく遅いのですがw、なんといっても質がよいのです。
この反響の「質」は、結果、ケーブルテレビでギャラクシー賞優秀賞受賞という快挙が証明していると思います。
以下は、その質に関するの主な内容です。
◆第17回・第21回 フィルムに映る本人の被爆証言
◆第22回 フィルムの撮影現場を見た証言と不明地点判明
◆第25回 フィルムに父親を発見
◆第26回 父親が造った船を発見・不明地点判明
◆第27回 被爆3世による内容の再検証と修正
◆第28回 この番組がきっかけで70年ぶりの再会を果たす
◆第29回 番組を観て原爆体験を話す決意をした被爆者
第16回以降はできるだけ視聴者からの反響を組み込み、被爆の実態を立体的に構成しています。
●関連性は分からないですが、昨年から今年の長崎で開催された原爆写真展の観覧人数が急に増えているそうです(原因不明)。推測でしかないですが、おそらく「ながさき原爆記録全集」の影響だと勝手に信じています。
●余談ですが、ケーブルテレビは地上波テレビの劣化型(放送エリアが狭いという意味で)と思っている人も多いと思うのですが、実は、ケーブルテレビは限定地域を掘り起こす点では、他のどんなメディアも敵わない、かなり優れたメディアなのです。もっとケーブルテレビの優位点を利用した番組を作っていかないといけませんね、みなさん。
もちろんこの番組は沢山の方々のおかげて成立しています。
●「海兵隊フィルム」…「平和博物館を創る会」の羽仁進代表理事。約20年前、会が入手した「海兵隊フイルム」5時間全てを放送するという、(私が発案した突飛なw)企画内容に賛同、快諾をしていただきました。これが全ての始まりでした。
●「米戦略爆撃調査団フィルム」…「長崎平和文化研究所」の長崎総合科学大学名誉教授 大矢正人先生。米公文書館から直接入手した映像を大矢先生の研究協力という形で放送できるように尽力していただきました。ハイビジョンでプリントされた高画質映像は圧巻です。
●番組制作に関しては「長崎ケーブルメディア」の大野陽一郎さん。ケーブルテレビという限られた(と思われがちな)メディアの中でこの番組制作にGOサインを出していただきました。ここまで自由に製作できたのも大野さんのおかげです。感謝しています。
●解説のピースバトン・ナガサキ松田斉さん。長崎平和推進協会写真資料調査部会に所属。松田さんの信じられない程詳しい解説がなければこの番組の形はありませんでした。
●他にもたくさんの方のおかげで現在も放送され続けています。(2017年6月現在、最新作第32回を放送)
●この番組を作ったディレクターは吉村陽夫(あきお)。
元KBC九州朝日放送のディレクターで在籍29年間のうちトータル20年くらいはほぼ「ドォーモ」(若者向け深夜情報バラエティ月~木週帯1H番組)を担当。(1999年頃からはチーフディレクター、2006年はプロデューサー)。
「コンバット満の見えない生活」で2006年ギャラクシー賞テレビ部門奨励賞受賞。KBC社賞授賞。同年民間放送連盟賞は1票差で九州地区2位(泣)でしたw。
2007のサワダデス(福岡ローカルの朝ワイド番組)のプロデューサーw。
なお、2017年現在は母親の介護などで長崎に引っこみ、長崎ケーブルメディアあたりで地味に暮らしていました。が、ケーブルテレビでギャラクシー賞優秀賞受賞ということで、いまだけちょっと目立っていますww。
2017年6月1日ギャラクシー賞贈賞式
●ちなみに「ドォーモ」内で1996年4月から毎月1回放送していたコーナー「長崎・昭和20年・原爆フィルム」で「海兵隊フィルム」5時間は紹介しましたが、2年で打ち切りになりました(福岡の民放バラエティ番組で原爆企画を毎月2年も続けたこと自体はスゴイことですが)。この悔しい気持ちが長崎のケーブルテレビでの「ながさき原爆記録全集」の原動力になっているのは間違いありません。
●ここからは番組内容を詳しくお伝えします。
以下、文字だけ見ても内容が分からない人は多いと思いますがこの番組全体が俯瞰できる唯一の資料です。
この番組を観れば長崎原爆カラーフィルム合計11時間半の全容(全カット)が分かります。
以下関係者用番組紹介文書をコピペしますw
●タイトル「ながさき原爆記録全集」
●各28分
●1~15回 「海兵隊フィルム」5時間を全て紹介《完了》
●16回~ 「米戦略爆撃調査団フィルム長崎編」6時間半を全て紹介と
視聴者番組リアクションによる構成 (放送継続中)
内 容
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初回放送日
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第一回
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長崎市の破壊風景1(被爆後最も早い映像9月23日)
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2015.11.01
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第二回
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破壊風景2(爆心地近辺など9月の映像)
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2015.11.03
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第三回
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生活風景(被爆直後の長崎くんち/勝山小など)
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2015.11.15
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第四回
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移動(ドリー)映像1(南下西側 大橋~浦上駅)
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2015.11.22
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第五回
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移動映像2(南下2~銭座町/北上 駅前~浜口)
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2015.11.29
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第六回
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移動映像3(北上2爆心地~大橋)+破壊風景3
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2015.12.06
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第七回
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空撮+破壊風景4(駅前など)
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2015.12.13
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第八回
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米軍長崎入港(9月23日)+降伏調印式(同日)
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2015.12.20
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第九回
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長崎近郊の生活風景(大村、網場、雲仙など)
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2016.01.17
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第十回
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破壊風景5(長崎俯瞰映像解説・古賀小ほか)
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2016.01.24
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第十一回
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長崎市の生活+県外風景(大牟田・熊本健軍)
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2016.01.31
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第十二回
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破壊風景6(香焼・神島・特攻兵器コウリュウ等)
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2016.02.07
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第十三回
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破壊風景7(長崎駅前・爆心地付近)
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2016.02.14
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第十四回
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破壊風景8(宝町戸町)+近郊の風景(大村飛行場)
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2016.02.21
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第十五回
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「海兵隊フィルム」1回~14回 総集編
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2016.02.28
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第十六回
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長崎市の破壊風景1(調査団編で最も早い映像11月)
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2016.03.24
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第十七回
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人体被害+谷口稜曄(すみてる)さん証言
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2016.05.01
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第十八回
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空撮1(北上編)
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2016.05.22
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第十九回
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人々の生活+破壊風景(11月)2
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2016.06.19
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第二十回
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空撮2(南下編)
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2016.07.31
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第二十一回
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フィルムに映る谷口朝子さん+深堀好敏さん証言
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2016.08.21
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第二十二回
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弓井先生と紙芝居+古賀国民学校の検証
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2016.09.25
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第二十三回
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移動映像+破壊風景
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2016.10.16
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第二十四回
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人々の生活(浜屋・好文堂)+破壊風景
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2016.11.13
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第二十五回
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父親が映る映像証言(松田医師)+永井隆博士映像
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2016.12.11
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第二十六回
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破壊風景+父親の船が映る証言(西田さん)+町田さん証言
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2017.01.22
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第二十七回
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破壊風景+視聴者(岩﨑さん)による松島上陸風景の検証
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2017.02.05
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第二十八回
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70年ぶりの再会+三菱兵器大橋・医科大学の破壊風景
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2017.02.19
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第二十九回
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爆心1キロで被爆 瀧野佐和子さんの証言
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2017.02.12
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第三十回
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16回~25回 総集編
※58分の16回~29回総集編もあります 3月31日放送 |
2017.02.26
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第三十一回
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25回~29回 総集編
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2017.03.02
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第三十二回
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浦上天主堂 淵神社 瓊浦中学・現西高 爆心地 破壊風景
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2017.05.21
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以下放送継続中
※この他番、番組のメイキングや補足説明をその該当回の直後に(CM枠の2分を潰して)毎回放送しています。これも地上波では不可能なケーブルテレビならではの編成です。
メイキング
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19回21回の空撮地図を作った学生特集(2分)
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2016.08
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プラスα
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27回岩﨑さんの松島解説に対する補足説明(2分)
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2017.01
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●海兵隊フィルムと戦略爆撃調査団フィルムについて
●第1回~第15回「海兵隊フィルム」(計約5時間・全1,121カット)
長崎原爆投下後45日最も早く被爆地を撮影したカラーフィルム。9月23日の海兵隊上陸からおよそ2ヶ月間(11月10日まで)被爆地を中心に長崎市の風景を米軍のカメラマンが撮影。当時非常に高価なカラーフィルムを使用し、被爆地の映像を多数残している。もちろんこの頃、日本側の記録にカラー映像はないため非常に貴重な映像である。
また、このフィルムは被爆地ばかりではなく降伏調印や郊外の人々の生活風景など原爆の物理的被害以外の多岐にわたる映像を収録しているのも特徴。
このフィルムは1994年に市民団体が日本に紹介するが、その後20年以上その一部、数秒をテレビ番組などで使用する以外は、ほとんどその全貌を紹介することはなかった。もちろんネットでも見ることはできない影像である。
この番組前半の15回で「海兵隊フィルム」 5時間 全1,121カットを完全紹介。(※第15回は総集編)
●第16回~「米国戦略爆撃団フィルム」(長崎編計約6時間半)
これは米国側が終戦後日本の爆撃被害を調査するために撮影したカラーフィルム。11月5日に長崎をスタート、5月までに東京、広島も含め日本の主要都市を多数撮影している。このフィルムの長崎部分のほとんど(長崎部分計6時間半)をシリーズ後半(第十六回~)で紹介する。
海兵隊フィルムとちょうど入れ替わりのように、被爆3ヶ月後の11月5日から翌年1月の末まで長崎を撮影。空撮の映像など一部は4月の映像もある。
分析のための映像なので破壊風景は同じところを何度も丹念に撮影しているという特徴がある。撮影もハリウッドの専門家が行うなど映像自体は極めて繊細で美しい。渡米してハリウッド映画を学んだ日本人カメラマン、三村明もこの映像の一部を撮影しているということも判明している。
さらに今回入手した映像は米国立公文書館のマスターフィルムから直接ハイビジョンでデータ化したもので(さらに調整し高画質化)、おそらく現在国内最高画質の原爆映像である。
○このフィルムの特徴としては人体の影響を撮影していることもあげられる。番組では効果(ソフトフォーカス)をかけて紹介するが、撮影された本人、被爆者谷口稜曄(すみてる)さんの映像は本人の被爆証言と共にそのまま放送する(第17回)。全カット放送済み
○爆撃被害調査のためのフィルムであるが市民の生活風景の映像も存在する。ただし室内で大掛かりな照明を組んで撮影する(第22回)など、撮影者の演出が明らかであるものが多く、必ずしも当時の生活を正確に表しているものではない。
○これら米国戦略爆撃調査団フィルムもまた専門家の間では有名なものだが1970年代に初めて雑誌等で紹介された後は、部分的にテレビの使用はあっても、一般にほとんど見る事ができない映像である。
またネット上では、わずか数分しかアップされていないので全貌を見ることはできない。
長崎のケーブルテレビで放送する意義
○1回しか放送できない地上波に対し、ケーブルテレビの強みを生かし2016年3月からは約月1~2回の新作を含めた毎週4回の再放送を放送中。
○番組を観た視聴者からの反響が徐々に増えています。例えば・・・
父親がフィルムに映っている(第25回)、
父親が造った船が映っている(第26回)、
映っている造船所で父が通訳をしていた(第26回)
第10回の不明映像が「古賀国民学校」だと地元住民からの連絡で判明(第22回)。
第6回で「神の島」と紹介した映像を視聴者が「松島」と訂正し再検証(第27回)
この番組で70年ぶりの再会をする(第28回)
この番組を観て被爆証言をすることにした被爆者(第29回)
このほかにも匿名希望の視聴者情報で場所が明らかになったものもある。
・・・このように「米国戦略爆撃調査団フィルム」を紹介する第16回以降は、フィルムの紹介だけにとどまらず、第1回から観ている視聴者からの反響を組み入れて、過去放送したカラー映像を使用した、より分かりやすい立体的な構成にしている。
○ケーブルテレビでは複数回再放送するため、新たな情報が入り次第過去放送分は再編集して訂正、再放送も常に最新版として放送。番組全体が古くならないような構成にしている。(第1回はすでに6回以上内容を更新している)
制作・著作 長崎ケーブルメディア
P大野陽一郎
C 森山太郎
C 森山太郎
D吉村陽夫(あきお)
●もっと詳しい内容
○2種類しかない長崎の原爆カラーフィルム「海兵隊フィルム」(紹介済)と「米国戦略爆撃調査団フィルム」の全カットを紹介しているので、現在、番組全体が貴重な資料となっています。
ちなみにフィルム全てを詳細に解説する資料自体、この番組以外存在しません。
○以下は番組で紹介した主な内容です。風景はこれ以外にも紹介しています。
(下線部は注目点 →は詳しく解説する該当回)
主な内容
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備考
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第一回
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長崎市の風景(もっとも古い映像)
長崎駅前 八千代町 永井博士ではない映像→25回 宝町 茂里町交差点 浦上駅より 松山町交差点 爆心地 浦上天主堂方面 刑務所から西町方面 西側ロング 三菱兵器大橋工場 浜口町山里町より 防火壁 鎮西 被爆地蔵
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海兵隊フィルム
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第二回
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長崎市の風景
松山町 刑務所付近 爆心地付近 浦上天主堂 浦上駅車列 兵器大橋工場 大橋ガスタンク 山里小 大橋車庫 医科大学 浜口町 兵器茂里町工場
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海兵隊フィルム
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第三回
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長崎市の風景
岡町や刑務所付近 松山町付近 兵器大橋工場 浦上川河川敷 58日後の長崎くんち 勝山小学校 小榊高射砲陣地 宝町八千代町
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海兵隊フィルム
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第四回
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移動映像南下編(長崎市西側)①
若葉町付近 照圓寺 大橋ガスタンク 大橋 大橋車庫 駒場町工場街跡 下平作江さん宅 日本映画社撮影 城山小 鎮西 防火壁 岩川町 浦上駅仮駅舎
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海兵隊フィルム
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第五回
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移動映像南下編②
茂里町交差点 製鋼所 兵器茂里町工場 俘虜収容所
移動映像北上編(長崎市東側)①
八千代町 御船蔵町 銭座町 御船川 井樋ノ口派出所 三菱病院浦上分院 山王神社鳥居クスノキ 三菱工業青年学校 警防団消防車 医科大学附属医院
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海兵隊フィルム
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第六回
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移動映像北上編②
菅原耐子さんがいた防空壕 下の川橋 爆心地付近 松山郵便ポスト 内田伯さん宅 黒川幸子さん宅 松山町防空壕 岡町防空壕 刑務所正門 大橋 宮永家 白山墓地 三菱造船第三機械工場
市内風景
長大正門付近 川南工業香焼島ドック 兵器大橋工場
長崎駅大黒町 筑後町付近 神ノ島ではなく松島→27回
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海兵隊フィルム
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第七回
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空撮映像
香焼島 小菅町 大波止付近 県庁付近 出島付近 三菱製鋼 兵器茂里町工場付近 浦上川河口 大波止 常盤町付近 丸山付近 立神 八千代町ガスタンク 茂里町
不明の農村空撮(諫早市)→27回 有喜小 公会堂付近 五島町 飽の浦 占勝閣(世界遺産) 西泊 向島 稲佐山東側斜面 稲佐町 水の浦
市内風景
本蓮寺 小川恵純さん 晧台寺 兵器大橋工場 神ノ島武装解除 長崎税関 常盤町 出師橋 現・浜町観光通
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海兵隊フィルム
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第八回
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海兵隊長崎入港 降伏調印
入港前の船上 入港シーン 船からみた風景 艦船多数 大波止桟橋米軍上陸 汽車 五島町 大波止近辺 降伏調印 岡田寿吉長崎市長 木下和蔵情報主任
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海兵隊フィルム
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第九回
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長崎市郊外の風景 諫早 雲仙
諫早小野飛行場 九三式複葉機赤とんぼ ゼノ修道士 旧日見トンネル 網場方面堺町宿町付近 新戸町付近の俘虜収容所 市役所通り 本河内水源地 千々石湾雲仙市愛野町 雲仙市小浜町富津漁港 一部古賀小学校の二宮像→22回 雲仙新湯全景
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海兵隊フィルム
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第十回
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長崎市の風景 古賀小学校
市内西側の山腹から長崎市原爆焼失地域のPAN 銭座町目覚町岩川町付近 大橋町北消防署付近 三菱造船第三機械工場 地図を示す 八千代町宝町付近 平和公園より西側PAN 八千代町 銭座町聖徳寺から 旧古賀小学校→22回
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海兵隊フィルム
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第十一回
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長崎市+市外映像(大村 大牟田?熊本健軍)
製鋼所 出島町長崎民友新聞社 銅座町浜の町 大波止桟橋
旭町桟橋丸尾町 長崎警察署江戸町県庁坂 オランダ坂 東山手町 土井の首PBY墜落哨戒機 工員さん列 大橋工場長大 製鋼所茂里町 玉江橋出島町 元船町樺島町 長崎税関出島町新知町 大村飛行場 熊本健軍飛行場 キ67飛龍 三菱楽団? 大牟田港? 熊本 国立療養所菊池恵楓園 三菱熊本航空機製作所
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海兵隊フィルム
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第十二回
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長崎市の風景 潜水艦
医科大学附属医院 三菱工業青年学校門 浜口町付近
旧日見トンネル 川南工業香焼造船所 造船所立神向島飽浦付近 造船所太田尾工場 特殊潜水艦「蛟龍」
火葬される日本人
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海兵隊フィルム
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第十三回
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長崎市の風景
金比羅山より長崎港 若葉町住吉方面 勝山町寺町方面 大波止長崎駅前方面 浜口町 大波止五島町 県庁坂付近 出島電停付近玉江橋 浦上駅大学病院前 浦上駅旧電車路線付近 小ヶ倉新戸町 造船所カンチレバークレーン(世界遺産)より 稲佐発電所 中町教会筑後町 長崎市役所 爆心地付近 現平和公園 御大典紀念碑 松山町防空壕群 松山町岡町 三菱球場駒場町 松山町付近 茂里町 NCC付近 小菅修船場(世界遺産)→18回、26回
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海兵隊フィルム
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第十四回
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長崎市の風景
長崎医科大学附属医院坂本町 三菱工業青年学校 八千代町近辺 飽の浦工場 水の浦 戸町トンネル小菅町 南山手から出島岸壁 元船町五島町大波止付近 茂里町付近汽車 神の島上陸 大村焼かれる戦闘機
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海兵隊フィルム
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第十五回
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第1回~14回の総集編
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第十六回
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爆心地近辺
銭座小救護所→25回 簗橋城山町 現・平和公園浦上刑務支所 駒場町 船型試験場 純心女学校 浦上天主堂ドーム 兵器大橋工場 浦上天主堂付近 盲唖学校 常清女学校 市立商業学校アリーナかぶとがに 城山市営住宅 城山小
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戦略爆撃調査団フィルム
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第十七回
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人体映像全カット 谷口稜曄(すみてる)さん証言
故山口仙二さん 故片岡ツヨさん
谷口稜曄さんの大村海軍病院での治療 現在の体
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戦略爆撃調査団フィルム
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第十八回
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空撮映像全カット① 北上編
小菅修船場 海兵隊宿舎→8回 日日新聞社→11回
弓井先生の防空壕→22回 駒場町米簡易飛行場
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戦略爆撃調査団フィルム
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第十九回
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長崎市破壊風景と人々の生活
浦上第一病院付近本原 銭座小 聖徳寺付近 浜口町岩川町
日見トンネル付近 網場町 小ヶ倉2丁目→26回 蚊焼町岳路→26回 大橋ガスタンク 浦上刑務支所平和公園 三菱兵器大橋工場 松山町電停 燃える電車大橋車庫
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十回
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空撮映像全カット② 南下編
崩れた浦上天主堂 大橋 変色した稲佐山 簡易飛行場 茂里町付近→29回 長崎駅付近 東山手 谷口稜曄さんが被爆した住吉町 浜町近辺
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十一回
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映像に映る本人と証言
谷口朝子さん74歳当時4歳 姉妹と映る
深堀好敏さんの被爆証言
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十二回
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古賀小学校の映像証言
長崎師範学校の弓井一子先生と紙芝居 三菱兵器大橋工場
峰唯信さん89歳の古賀小学校証言
当麻照重さん85歳米軍の撮影を見た証言
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戦略爆撃調査団+海兵隊フィルム
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第二十三回
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移動映像全23カット
三菱兵器大橋工場内移動 井樋の口交番 浦上駅の書き換えられた看板 ココウォーク~浜口町付近 復元映像松山町踏切付近 復元大橋付近
長崎市内破壊風景
三菱兵器大橋工場 城山小簗橋付近 常盤町 浦上刑務支所
城山小 旧浦上街道を歩く人
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十四回
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米演出によるプロパガンダ映像
母子の室内風景 製鋼所 煙突が壊された訳 竹の久保付近
長崎医科大 松ヶ枝桟橋
浜屋または岡政デパート 好文堂書店の奇妙な演出
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十五回
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私の父が映っていた
松田官子さん84歳当時12歳 銭座小救護所で映る父、長崎市立病院医師 松田久吉さんと対面 被爆証言
長崎市内破壊風景
竹の久保付近の破壊映像 市立商業学校 浦上天主堂付近
永井隆博士が映る貴重な映像
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十六回
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長崎市内破壊風景
爆心地付近川口町 船型試験場 三菱兵器大橋工場 悟真寺
第三工場貯木場 鎮西中学現活水中高 現淵中から見た風景
瓊浦中現長崎西高 医科大学 浦上川沿い 剥げた塗装八千代町ガスタンク
父が造った船を発見
西口公章さん69歳父親が造った船の映像を第8回で発見。
入港時の艦船の説明
16回の映像の場所特定小ヶ倉と岳路
香焼造船所で父が通訳をしていた
町田貴彦さん78歳の香焼造船所に関する思い出
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戦略爆撃調査団+海兵隊フィルム
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第二十七回
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長崎市破壊風景
長崎市立病院(伝染病院) 八千代町斜面風景 御船蔵町付近
稲佐小から見た風景 長崎医科大学附属医院内
視聴者からの情報で第7回の風景の特定諫早市
視聴者による映像再検証
岩﨑理浩さん33歳による検証
第6回神の島→西海市松島
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戦略爆撃調査団+海兵隊フィルム
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第二十八回
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70年ぶりの再会
25回の松田官子さん84歳が70年ぶりに亡くなった親友の姉安日涼子さん87歳と再会する 安日さんの被爆証言
長崎市の破壊風景
三菱大橋工場のカット紹介終了 医科大学と附属医院
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戦略爆撃調査団フィルム
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第二十九回
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この番組を観て証言をすることにした
爆心1キロで被爆 当時19歳の瀧野佐和子さん91歳の証言 実際に被爆した現地を訪れる
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戦略爆撃調査団フィルム
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第三十回
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第16回~25回 総集編 (※30回+31回の58分バージョンあり)
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第三十一回
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第25回~29回 総集編
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第三十二回
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長崎市の破壊風景
浦上天主堂 浜口町防火壁 淵神社 淵国民学校付近 瓊浦中学・現西高 長崎市役所屋上より 筑後町 現・桜町付近 中町教会 出島付近 県庁付近 爆心地 |
戦略爆撃調査団フィルム
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