栄光のジャージを夢見てツールVを目指す中学3年・篠原輝利選手 得意の逃げで本場フランスで1勝
日本人初のツール・ド・フランス総合優勝-。この大きな目標を掲げ、世界最高峰の自転車ロードレースを目指す中学生が茨城県茨城町にいる。競技を始めてまだ2年半足らずの篠原輝利(きり)選手(14)だ。3月には初めてフランスに渡り、レースに出場、3戦1勝の結果を残した。帰国後も「日本の自転車競技をもっと盛り上げたい」と練習に励んでいる。(産経新聞水戸支局・鴨川一也)
「逃げ切ってレースに勝ったときは最高に気持ちいい」
日焼けした顔にはあどけなさが残るが、競技について語る表情は自信たっぷりだ。「逃げ」とはスタート直後から、全力で飛び出して先頭に立つことで、注目も集まるが、レース途中で後続の集団に追いつかれてしまうことも多い。だが、これが篠原選手が得意としているレース展開だ。
篠原選手は今春、フランスで「ミニム」と呼ばれる13、14歳が出るレース3戦に出場し、得意の“逃げ”で、うち1戦で優勝した。「子供のレースでも観戦するファンが多くて、熱量が違う。走っていても気持ちよかった」と本場でのレースを振り返る。
平日は涸沼や愛宕山(笠間市)などで練習する。休日には父親の浩一さん(46)が運転する車に自転車を載せ、国内大会を転戦している。浩一さんは結果や内容には口を挟まず、「やるからには中途半端で終わってほしくない」とサポートに徹している。
篠原選手が自転車にのめり込んだのは、小学6年の秋。浩一さんと訪れた自転車店で、店の奥に眠っていた中古のロードバイクを購入したのがきっかけだった。
ロードバイクに乗ると、すぐにとりこになった。「速くて、子供でも遠くに行けるのが楽しかった」という。間もなく大会にも出場するようになり、優勝を重ねた。埼玉県内で行われた大会では当時中学2年ながら、特例で高校生の部にも出場。1周目から飛び出して逃げ切りに成功し、表彰台の中央に立った。
歴史あるツール・ド・フランスは3週間で約3500kmを走破する過酷なレース。期間中には約1千万人の観戦者が訪れる世界規模のイベントだ。映像を見た篠原選手は「世界のレースはこんなにすごいのか」と驚き、自然と目標になった。
中学卒業後は、フランスの大会に出た方がチャンスがあるため、渡仏する計画だ。県外の強豪校からの誘いもあるが、あくまでもツール・ド・フランスを見据えている。
「日本にも欧州のような競技を楽しめる環境をつくりたい。そのためにも勝ち続けたい」と意気込む篠原選手。ツール・ド・フランスの優勝者のみが着られる栄光のジャージー「マイヨ・ジョーヌ」を夢見て、今日もペダルをこいでいる。
平成15年4月、茨城町生まれ。小学6年の秋から競技を始め、今年3月から自転車チーム「ボンシャンス」に所属。現在、茨城町立明光中に通う中学3年生。身長170cm、体重59kg。
(産経ニュースより)