はてな匿名ダイアリー >
古代においてなぜひょろい知性派が幅を利かせることができたか?
ギークとナードの構図のように暴力が知性を馬鹿にし得たのではないのか。と、ごはん中に考えていた。
思えばソクラテスとプラトンにおいても頭でっかちじゃ舐められるから格闘技やっとけと述べていたし、
三国時代の関羽は文武両道だった。ということは平和な時代を経て知だけ残った、ということなのか。
逆に言えばゲリラなどが多発する地域において、武も知も兼ね備えないやつはカモられる。
平和のお陰で知が武に蹂躙される可能性は恐ろしく低くなり、そのせいで武の有効性は地に落ちたとする。
つまりその場合、社会体制ではなく文化的な起点から両側面は勃興と衰退を繰り返してる?
ツイートシェア
Permalink | トラックバック(2) | 20:45
古代ローマの元老院なんかいけ好かない知的なヒョロガリの集まりだったと思うし、奈良、平安時代の日本の支配層のお公家様たちも歌とか読んでばっかりだったようだし、暴力は一時...
剣術や馬術、弓術を本格的に修める公家もいたからヒョロガリばかりではないよ ここからは想像だが、たぶんそういう公家の方がモテたんじゃないかな
スキピオ「おい」 カエサル「いま」 ポンペイウス「なんつった?」