◆LOGAN/ローガン 鑑賞◆
2017年公開
上映時間:137分
オススメ:★★★★★
・監督:ジェームズ・マンゴールド
代表作:「コップランド」(1998年)、近年だと『ウルヴァリン:SAMURAI』(2013年)
・脚本:マイケル・グリーン『エイリアン・コヴェナント』『ブレードランナー2049』
スコット・フランク『マイノリティ・リポート』(2002年)
★出演者★
パトリック・スチュワート
ダフネ・キーン
スティーブン・マーチャント
ボイド・ホルブルック
リチャード・E・グラント
他
◆summary◆
さすがに注目されていただけあって、公開前だというのに
結構な情報量で作品についての言及があった本作。
(お幸せな試写会組の方などもいらっしゃいますから)
ワタクシとしては未鑑賞の映画については可能な限り公式サイトや特集記事やスタッフなどのインタビュー記事だけを見て作品に臨むのが好きなので、毎度いろいろな方のレビューを見たい衝動を必死に抑えています。
本作については劇場に運ぶ直前に見た出演者のインタビュー記事が『LOGAN/ローガン』を理解するのにドンピシャにハマったのと、ワタクシが個人的に刷り込まれている
ある宿命的な(笑)ものの見方(偏見、偏愛)が鑑賞直後から頭を巡っております。
これからようやくいろいろな方のレビューを見させてもらいます。
おそらく読ませていただくほどに、ワタクシの宿命的(笑)な理解の偏りを感じることだと思います(後述)
本作を理解するのにワタクシはこの作品を参考に致しました。
クリント・イーストウッド監督主演『許されざる者』(1992年)です。
ヒュー・ジャックマンの本作のビジュアルが恐ろしいくらい『許されざる者』のクリント・イーストウッドとダブりました。
解説にネタバレに繋がるものがありますが、もうウィキペディアにすらストーリーの核心が書かれている状況で・・・・(2017/6/1現在)
ですのでワタクシとしては、詳細には触れない形で作品を通して見えてきたものを書かせてもらおうと思います。
◆comment◆
え?X-MENがロードムービー?
と、簡単に思ったワタクシは
このお話をキチンと解っていなかったのです。
すごくいいんですよ!!
繰り返します!!
すごくいいんですよ!!!
素敵な映画なんです!!!!
でも・・・・
さぁて困ったぞ・・・・というのが、劇場から外へ出たときの印象でした。
うんうん悩んでしまったんですよ、実は。
ストーリの奥に一体何があるのか??と。
前述しましたが『許されざる者』からヒントを得て、ワタクシなりにこのお話を消化できたのではないかと考えます。
『許されざる者』については、こちらの記事に掲載されていたヒュー・ジャックマンのコメントのお陰でたどり着くことができました。
http://screenrant.com/if-x-men-were-in-mcu-hugh-jackman-would-keep-playing-wolverine/(英文)
https://oriver.style/cinema/wolverine-professor-x-come-back/
(↑↑ORIVERcinemaより:記事を書かれたTakatoshi Inagaki様、本当にありがとうございました。)
※映画に出てきたのは違う話やんけと既に本編をご覧になってからこちらに来て頂いた方、すみません。
そちらについてはあとで書きますから。
長いので珍しく区切ります。
本作のあらすじなどは公式サイトや他の方のレビューに譲ります。
①はじめに
まずひとつ、映画をまだご覧になっていない方にご案内です。これまでの「X-MEN」のノリで観てしまうとガッカリされますよ、きっと。
それにスーパーヒーロー万歳の「アベンジャーズ」とも、個人的には最高の「デッドプール」なんかとも同じ感覚ではこの作品は観られません。
DC作品になりますが「ダークナイト」とも「バットマンVSスーパーマン」ですら、この際違うと言ってしまいます。
ダークという形容詞では本作は捉えられません。
『LOGAN/ローガン』は『かつてヒーローだった』ひとりの男による血生臭く、無骨で、不器用な生き様を描いた作品です。
そしてヒーローですら所詮は虚構に過ぎないと『本作』のウルヴァリンの姿を通して痛烈に表現しています。
それでも、それでも、紡がれるもの、受け継がれていくものを護ろうとする
『ひとつの時代の生き残りたち』の葛藤と決別がテーマです。
②『LOGAN/ローガン』を堪能するために
ヒュー・ジャックマンがインタビューで答えた『許されざる者』への言及。お陰でなるほどと腑に落ちました。
『許されざる者』MovieWalker様の記事。
http://movie.walkerplus.com/mv10321/
ちなみに予告編(英語版です)
『LOGAN/ローガン』の根源的な部分は、確かに『許されざる者』を通して紐解いていけそうです。
<『許されざる者』ストーリー>
主人公のビルはかつて冷酷な無法者でした。しかし最後に人殺しをしたのは11年前であり、現在は幼い子どもと貧しい生活をしています。
体力もないし、勘も衰えている、今では馬にも満足に乗れない(この辺は劇中何度も転ぶシーンが象徴しています)、そして全盛期には何の苦もなく扱えたであろう射撃の腕もかなり鈍くなっている(庭での射撃シーンはある意味胸が苦しくなります)
「名を馳せた無法者」の力を借りようと、賞金首を追うためビルを誘いに来た若い甥っ子であるキッドから、過去について言及された際に感じる苦い思い。
この辺、劇中にローガンが『ウルヴァリン』の過去について触れられたりコミックにされている自分の虚構を苦々しく感じているところと共通しています。
それでもビルは「子供の将来のためお金が必要なため」モーガン・フリーマン演じるかつての相棒ネッド・ローガン(奇しくもローガン!!)とともに、娼婦をナイフで傷つけたふたりの賞金首を追うことにします。
ビルとしてみれば、今の自分を知っているかつての相棒と組むことで、自分の弱点をカバーしたかったのでしょう。
ただし相棒のネッド・ローガンも、今でも腕には自信があると言っていたものの、いざ賞金首を奇襲した際には抵抗を止めた人間にトドメをさすことを躊躇い、震えてしまいました。
ビルもネッドも殺した相手に魘されるなど自分の無法者としての血、つまり過去によって深く傷ついているのでした。ただし後悔をしているというより、どうしようもないものだと受け入れて戦っているのです。
その苦しむ様はものすごく哀しくし、愁しい。
最初の賞金首を仕留めたのは粋がって殺しを自慢していた(5人殺したと言っていた)甥っ子ではなく、ビルでした。
居た堪れなくなったネッドは途中でパーティを抜けることにします。
しかし運悪く捕らわれてしまうネッド。
彼はジーン・ハックマン演じる(ものすごく好演)保安官らによって激しい拷問を受けてしまいます。
その間にビルと甥っ子は二人目の賞金首を殺害し、逃走することに成功します。
じつは甥っ子にとってそれは『初めての殺人』でした。
期せずしてネッドは同じ日に保安官達に撲殺され、遺体は無残にも酒場の入り口に晒されてしまいます。
ビルが今の苦しみを内包したまま過去の血を取り戻し、単身保安官達と対峙するきっかけは「許されざる時」を共有した相棒の無残な死だったのです。
保安官が手下とともに残りのふたりを追い詰めると息巻きながら酒を飲んでいるバーにたったひとりで現れたビル。
静かだが屈強な男どもが凍りつく程の怒り。
そこには時に抗うことを諦めてしまった老人の姿はありませんでした。
恐れられた冷酷な無法者。容赦など持ち合わせていない「殺し合い」が当たり前に行われていた時代の自分。
そのビルが臨む最後の、そして圧倒的な戦い。
全てが終わった時、ビルの後ろ姿には『己は結局無法者であること』へのどうしようもない哀しみが溢れていたのです。
保安官のいわば傍若無人な姿は「自分の過去」にも通じていたのでしょう。
ビルが初めて彼らと出会った際一方的に殴られるのですが、それはビルが「自分の過去」によって傷を抉られていることを意味していることに他なりません。
『許されざる者』とは、かつての冷酷な自分たち(ビルとネッド)であり、粋がって「殺し」を背負ってしまった甥っ子であり、秩序を守ると言いながら街を支配する保安官であり、彼に従ってネッドを殺したり、無法をしていた手下、仲間であり、逆説的に賞金稼ぎに殺しを依頼した娼婦たちであり、黙って見ているしかない民衆であったり、つまりはその時代のモラルでした。(=制作当時のアメリカも暗喩しているのでしょう)
・・・さて、
③オールドマンローガンと『許されざる者』のビル
・ビルはかつては名を馳せた無法者だったが、妻のお陰で改心し今では子供のために生きようとしている(病気で亡くした妻の面影を追う)・ローガンはミュータント最強の名で知られていたが、現在は老いの影響があり往時の能力が失われつつある。期せずして、自分の遺伝情報を持った”少女”と邂逅してしまう。
ビルは必要に迫られて賞金首を追うことになりますが、ローガンは状況が飲み込めないままで、なし崩し的に脅威からの逃亡を図ります。
ローガンが望んでいたのは戦いではなく「世間から離れて静かに安全に暮らせる場所」でしょう。
ミュータントとしてではなく、X-MENとしてでもなく、ましてや『ウルヴァリン』でもなく、ひとりの「ローガン」として。
しかし、特異な存在であるからこそ世界はそうした者を放っておくことはしないものです。ローガンは『ウルヴァリン』としての自分と否が応でも向き合うことになります。
それが”少女”である(ここではまだ”娘”ではない)ローズとの出会いであり、自身の過去の象徴として現れた『X-24』でした。(X-24が何であるかはここでは書きません)
ある意味で親であり、敵であり、友人であったプロフェッサーXはローガンからしてみれば「自身によって」害されてしまったようなものです。
※このあたり、ローズを守ること、プロフェッサーXを守ること、『X-24』を含めて『ウルヴァリン』に追いすがる敵を倒すことはどこまでも「自分の宿命」とローガンを対峙させる構図になっていて、『許されざる者』のビルが過去の亡霊に苦しむ様と重なります。
④『許されざる者』が象徴するもの
『許されざる者』の舞台は1881年です。あの有名なOK牧場の決闘があった年。
ワイルドウェストと呼ばれた西部開拓時代の終焉にあたる年代です。
というのも1890年に入るとアメリカはフロンティアの消滅が唱えられ、またインディアン戦争は集結し、進歩主義時代の幕開けであり、ここから先は帝国主義~世界大戦の時代へと加速していきます。
アウトロー、カウボーイがもはや『記録上のもの』や『伝説』となってしまう寸前です。
本当に冷酷な無法者だったビルの重さと、ファッションとして無法者を演じていた甥のキッド。
『許されざる者』が描くもうひとつの重要な描写はこのふたりの対照的なスタンスです。
甥っ子のキッドは、賞金を受け取った後で人殺しはもうたくさんだとカウボーイのアイデンティティであるリボルバー(武器)をためらいなくビルに向かって放るんです。
(ビルはこの後で保安官たちと対決するので、銃をよこせと迫ったんですが)
武器を捨てるとは、取りも直さず無法者ではなくいわゆる「一般市民」になるということであり、次の時代にすんなり溶け込んでいくということです。
誰かの生命を奪うという『殺し』の意味をある種中途半端に捉えていたが故に、実際に人を殺めておきながら目を背け、新たな時代に逃げ込んでしまう。
彼らにとって武器は簡単に捨てられるものだったという悲しい事実。
というのも、彼ら若者が時を刻んでいく新時代はアメリカという国家がきちんと市民を護ってくれるように機能するからだ。
自分で自分を護らなくても良くなるから、わざわざ腰からホルスターを下げる必要もないということ。
皮肉なことに武器を手放した彼らの子供の世代が世界大戦を経験するのだけど。。。。
一方で『許されざる者』の世代であるビルは、己の筋を通す手段として武器を捨てることはできなかったわけです。
老いてもなお銃を手に戦うビルの姿が『西部開拓時代』に生きた漢そのものを象徴していたということですね。
甥のキッドはビルの最後の戦いには同行しません。
彼は賞金を受取ると、特に惜しむことなくビルと別れるのです。
旧世代と新世代の呆気ないほどの決別。。。。
これは監督であるクリント・イーストウッドからの痛烈なメッセージではないでしょうか?
⑤結局のところ『LOGAN/ローガン』とは?
ただ、『許されざる者』よりも壮絶なのは『LOGAN/ローガン』なのです。
「ローガン」ではなく『ウルヴァリン』の遺伝子を受け継いでしまったのがローズ。
残念なことに彼女は『ウルヴァリン』のアイデンティティであるアダマンチウムの爪を捨てることはできないのです。
それは取りも直さずミュータント最強である『ウルヴァリン』の遺伝子と強力な武器とともに『ミュータントとしての宿命』を背負ったまま新しい時代を生きていくことに他なりません。
ここが『許されざる者』との最大の相違点ではないでしょうか?
ワタクシは本作の根源的な部分にはそういうものが流れていると考えました。
ローガンもプロフェッサーXも『許されざる者』の最後の生き残りとして、辛い宿命を背負うことは目に見えている次世代の子供たちを敢えて護ろうとしたということになるのです。
銃撃戦に最期までアダマンチウムの爪で立ち向かった『ウルヴァリン』
どれほど不利だと解っていても、どれほど傷だらけになっても、どれほど無様であっても子供たちに迫る追跡者達の前に立ちはだかるローガンは、老いた『許されざる者』が全生命を賭して挑んだ過去と未来、双方への決別の姿です。
(まったく世界が違うのですが、長坂の戦いの張飛ですなΣ(´∀`;))
悲しいことに、この時になりようやく「ローガン」は『ウルヴァリン』である自分を取り戻し、そして『父親』であることを受け入れたのです。
次世代の子供たち、繰り返しますがとりわけローズについては生涯『ウルヴァリンの遺伝子情報を持つ生命体』としての呪縛は解けないことは確実なのに父は子を護ったのです。
ミュータントの遺伝子、X-MENというイコン達のMEME、SENSEは受け継がれる。
どのようなものでも抗えないもの、老いと死
どのようなものでも抗えない関係、親と子(遺伝子)
どのような形であれ残っていくもの、GENE、MEME、SENSE
ここまで書いてしまうとバレますね。
冒頭で述べた宿命的な理解の偏りとはご存知『メタルギアソリッド』でしたΣ(´∀`;)
小島監督が打ち出した普遍的なテーマと、時代が移り変わるという寂しさと希望。
『LOGAN/ローガン』にはそれがある。
『許されざる者』というヒントがなければ、メタルギアメインの記事になっていました。
この場合にはMGS4を引き合いに出しましたね。
だって、黙っていたけどオールドマンローガンって名前がどうしたって「オールドスネーク」に聞こえるんだもの!!!(もちろんこちらのビジュアルもね)
●番外:劇中で用いられた『シェーン』
もう数多く方が紹介されていますが、劇中に『シェーン』(1953年)が印象的に用いられています。台詞も引用されています。
有名過ぎるこの映画も、一度銃を手に取るともう逃れられないというメッセージが背景にあって、それは言わずもがな『血の宿命』を暗喩しているのでしょう。
また『シェーン』が製作された時代を象徴しているのはアメリカの光と影(戦後景気による経済の活性化、ハリウッドの黄金時代と冷戦初期の重大局面である朝鮮戦争というアンバランスさ)だと見ました。
あえて本作に『シェーン』を用いているのであれば、そういう背景もあるのでは?
つまり現代のアメリカへの暗喩です。と、まぁ穿った見方をしちゃいました。
で、結局オススメするの?
もちろんYESです。
2017年映画鑑賞 93本目
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