はじめに
読者のみなさん、こんばんよう。
本日はお伝えしたいことがあるのです。
久しぶりに力を入れて書こうと思います(最近ゆるゆるですいません)。
なんと本日、6月1日は「私がももクロと出会った日」と勝手に制定されており、無事1周年を迎えることができました。
このツイートを何気なくしてから1年です。
厳密に言えば、5月27日なのですが当時ものすごく混乱してしまい、整理するのに数日かかりました。
そこで「続くかなぁ」と思いつつも、基本「ももクロのブログ」である「モノノフへの幕が上がる」を立ち上げました。
それからブログは紆余曲折しながらも、なんとか1年間続けることができました。
その間、たくさんの読者様に支えられ、多くの方に記事を読んでいただけたことは本当に幸せなことであります。
ありがとう。
今回は「ももクロと出会って1年」ということで、メモリアル記事を一筆したためようと気合十分です。
これまで私がももクロから受けた影響、ももクロへの印象、モノノフへの印象、自分自身のことも踏まえながら振り返っていこうと思います。
何気なく手に取った映画「幕が上がる」
昨年のちょうど今頃ですね。
某レンタルDVD屋さんで、映画を5本借りようと、思いおもいの作品を選んでおりました。
しかし、最後の1本が決まらない。
基本的に洋画メインの私でしたが、ふらっと立ち寄った邦画コーナーである作品を見つけて手に取りました。
そうです、その通り。
「幕が上がる」
当時の私は「アイドル映画は中身のない残念なもの」という固定観念がありましたから、本来なら絶対に手に取らないような作品。
しかし、この映画に黒木華さんが出演していることをテレビで知ったことを思い出し、「まぁ、観てみるか」程度の「おまけの1本」としてレンタル。
洋画を4本すんなり観て、「幕が上がる」は貸出期限ギリギリまで観る気になりませんでした。
やっと重い腰を上げ、映画をいざ観てみると、いやはや思っていたより物語に引き込まれている私がいるではありませんか。
黒木華さんの芝居をメインに観ていたのですが、私をあの世界観に引き込んでくるのは意外や意外、「ももクロ」の面々。
特に、当時の認識の言い方をすれば、「赤の人」と「がるる」の芝居には度肝を抜かれ、結果的には満足しました。
そこで今一度出しますけど、このツイートをしたことで、私の人生が変わります。
実は「幕が上がる」に関するツイートを所謂「愚痴アカウント」みたいなものでしていましたら、ポツポツとももクロファンの人たちが「いいね」や「リツイート」をしてくることに気がつきました。
「なんでこの人たち何のつながりもないのに『いいね』してくるんだろう(しかもたくさん)」
所謂「#(ハッシュタグ)」をつけたり、特定のキーワードを含めたツイートをすれば、こんな「愚痴垢」であっても、ごく稀に「いいね」がつくことはありました。
しかし、普通に映画好きとしての「幕が上がる」感想をつらつらとつぶやいていたら、「紫神推」「茶畑のアリス」「たかし@ももクリ参戦」(すべて架空のアカウント名です)のような人たちがグワッと集まってくる。
アカウントをよく調べてみると、それはどうやら「ももクロのファン」の人たちだということがわかりました。
私は上述したように、当時「赤の人」「黄色の人」みたいな認識しかありませんでしたから、冗談半分でその人たちに向けて、いっそのこと呼びかけるようにツイートしてみたのです。
そして、そのツイートが所謂「バズった」のです。
そこから先の私の苦悩と混乱具合と、モノノフ会を軽く震撼させた(?)具合は、多くの読者さんがご存知かと思います。
改めてリプライ(返信)86通ってとんでもないです。
それが3分に1通くらいのペースで来てましたから、芸能人でも何もない私は大パニックでした。
ブログを立ち上げました
ものすごい数の返信が来て、何が何やら整理がつかなくなったので、私はブログを立ち上げて、そこに自分の気持ちだとか疑問だとかを投げかけて、所謂「逃げ場」を作りました。
ツイッターの回転率はものすごく速い。
特に私のような素人には、ももクロのことを熱く語られても、正直何一つわからない。
そこで一つ落ち着いて、ゆっくりと彼女たちのことを知ることができたらという思いを込めて「モノノフへの幕が上がる」というタイトルで、ブログを書き始めました。
これが6月1日の出来事。
この日を、「ももクロと出会った日」として、記憶しておくことにしました。
そしてぼちぼちと今日まで更新を続けて来てまいりました。
いろいろな事情があって、このブログは3代目になりますので、好評いただいた記事も無くなってしまって残念ですが、私の中では1年間ももクロのことについて書き続けられたという事実はしっかりと残っています。
それが如何せん、未だに信じられません。
何せ、全く興味のない人たちでしたから。
自分の人生と程遠い、関わることのないだろうという世界の人たちのことでしたから。
読者の皆様から好評を頂いた記事
お話はぐるりと変わります。
先日、ツイッター上ではありますが、フォロワーさんに、「過去の記事で印象的だったもの」をお尋ねしました。
結果は以下の通りです。
ちょうど100票近く入れていただいたので、パーセンテージもわかりやすい(笑)
やはり「国立」の記事が強かったですね!
残念ながら、本ブログ(3代目)ではこの記事は読めませんが、要約すると、私は初めて国立競技場のライブの映像を観たときに思ったことをまとめた記事です。
素人目線でも気になったのが、他のライブとは圧倒的に違う、存在感のある国立競技場での最後のスピーチでした。
私はそこに目をつけ、伝説的となった百田夏菜子のスピーチだけではなく、他の4人のスピーチも文章として書き起こし、考察しました。
思いの外、百田夏菜子以外の4人の記事も人気で、改めて彼女たちがどれほど素晴らしく、個性的なスピーチをしていたのかを改めて気づかされたとの感想を多く頂きました。
夢が叶った瞬間に、夢の渦中にいる人たちは、どんな言葉を紡ぐだろう。
そういった単純な疑問を、素直に記事にしてみました。
結果、たくさんの人に届いたブログ記事になりました。
そして、私も「夢」を持って生きるべきだと、強く思うきっかけとなりました。
国立のことに関しては、この記事をきっかけに、多くのモノノフさんからいろいろな裏話を聞けて、楽しかった思い出がありますね。
おそらくこの記事は11月に書いた記憶があります。
そして、この国立の記事までで一番意識してきたことは、所謂「推し」というものを公表してこなかったということ。
メンバーひとりひとりのことを平等に書いたり、全体のことを書いたり、ときにはモノノフさんのことを書いたりしていました。
「推し」に関しては、みなさんいろいろと持論があるようで、
(「推しは決めるものじゃない、決まるものだ」「箱でもいいじゃん」など)
まぁ正直難しかったですが、
(私自身も決めきれないところがありました)
ちょうどその時期に、車を買い換えるか否かで迷っている私がいました。
そうだなぁ
もう約10年、約10万キロオーバーの車になっちゃったし
黒いボディはもう卒業して
明るくて新しい車に乗り換えようかなぁ
そんな気持ちと、
ももクロはしっかりと色分けされているし
明るくて元気な色も多いから
どうせなら
ここまでいろいろと見て来た上での、自分の「推し」を決めて、
そのメンバーカラーの車に乗ろうかしらん
という気持ちが交錯しました。
結果、その車の色で「推し」を発表するという膨大な企画を立ち上げました。
推しをハスラーの色で発表
(あ、間違えた!)
そろそろ読むのが疲れてきていませんか?
しかしまだあなたはこの記事の5分の1くらいしか読んでいません。
お疲れでしたらこの「痛あーりん車」を目印に、一度ブラウザを閉じてもらって、後日読まれてもかまいませんよ。
目の保養用です(笑)
ちなみに私が購入したのはピンクのハスラーじゃないですからね(最近あーりんに押され気味だから強く主張)‼︎
私は結局、
「黄色のハスラー」を購入しました。
記事をアップすると、深夜にもかかわらず、本当に信じられないほどのアクセスがあって、
誰かが「推し」を発表するときってそんなにも注目することなんだなぁ
と驚きました。
要するに、私の推しは「玉井詩織」になったのです。
特に最近アップした記事にあるように、
「ぶらり高城れに」に出ていた玉ちゃんの食べっぷりがすごく好きで、れにちゃんとテキトーだけどハキハキやってる姿がとても気に入りました。
ちなみに最近はパートナーが玉ちゃんってわけではなくなりましたけど、
(あーりんのと、夏菜子ちゃん以外で女川町に行くやつはみたかな?)
私が入院中に元気をもらったのは玉ちゃんとれにちゃんの「ぶらり高城れに」でしたから、このハスラーには「ぶらり」という名をつけて大切に走らせています。
もちろん、れにちゃんの要素もこのハスラーには搭載されており、まさに「ぶらり」できる一台となりました。
この「ぶらり」の納車がちょうど12月1日。
「ももクロと出会った日」から半年後の出来事でした。
viviのイメージカラーを聞いてみた
圧倒的「黄」(笑)。
自分の中では「黄色」のような元気なイメージはないのですが、与えられたような「黄色」は自然と自分のものになるようです。
気持ちが「黄色」になると、自然と元気が出てきます。
特に私は病気に縛られて生きていますから、「灰色」とか「黒」とかそういったイメージが、個人的にはうごめいていました。
そういったイメージカラーの力にも助けられています。
ちなみに緑がやや多いのは、みなさんの推しの予想が圧倒的に「杏果」だったからだと思います(笑)。
次いで、「夏菜子」。
たしか玉ちゃんを予想していた人は一番少数だったと思います。
ピンクに関しては、もはや何も言いますまい。
改めて「ももクロ」の評価をしてください
「1周年の記事を書こうと思うんだけれど、どんなのがいいかなぁ?」
とフォロワーさんに尋ねてみたところ、
上記見出しの通りの内容が多かったです。
(個人的には、「ぶらりたまいびび」をやりたかったのですが、それはまぁ、個人的にまた今度やります)
そうですね。
1年経って、思うこと。
まず1年もこの人たちを見続けるということが信じられませんでした。
最初は正直「ブログのため」という思いがあったので、かなり引き目線で彼女たちを見ていました。
まぁ、いろいろと(今でも)わからないものですから、ああだこうだと素直に書くと、それを喜んでくれる人もいれば、反論されて罵詈雑言を書かれて私自身、凹んだ時期もありました(笑)
正直なところ、今でも、まだちょっと引き気味で「ももクロ」や「モノノフ」を見ているのは確かです。
もちろんあの頃よりはもちろんグッと彼女たちやみなさんに近づいてきていますが、まだまだ距離感は感じています。
そもそもこの「距離感」がなければ、私はももクロのブログなんて書きません。
ツイッターや心の中で「玉ちゃんあいらぶゆー」「世界のももクロNo.1」と自己処理・自己完結していればいいのですから。
私は、客観的に、読み物として、自分も読者も楽しめるためにはこの「距離感」が大切だと思っています。
だからこそ、私はももクロのことは好きになりましたけど、積極的に情報収集しません。
身体のこともあるので、あまり熱を出しすぎても心配ですし、少し妥協する形で、自然に入って来た情報で楽しんだり、誰かにしれっと聞いてみたり、過去の映像などを観て思ったことを書けば、みなさんに懐かしがってもらえたり、楽しんでもらえたりするのではないかと、ブログ開設初期から思っていました。
だから、いまの時代最新情報を知ることが当たり前のようになっていますが、私はそういった意味では逆行していて、「知らない」ということでみなさんとコミュニケーションをとろうとしています。
私がももクロの最新情報ブログを立ち上げても、誰も読んではくれないでしょう。(そもそも高速・多岐にわたる「ももクロ」情報についていけていない私です)
私には私にしか書けない彼女たちの姿があると思っています。
だからこれからも自由に。
これからもいろいろと教えてくださいね。
それから、
大切なこと。
私が、彼女たちにやはり最後の最後まで踏み込めないのは、
やはり「ライブ」を最大限に楽しめないからだと思っています。
決して
「ももクロのライブがつまらない」
という意味ではありません。
これは私個人の問題であり、
「病」という事柄が一つ
障壁としてあります。
他のアーティストと違って、ファンと一体となって作り上げるステージの力は、
私自身、初めて感じるもので、圧倒的なものだと思いましたが、
同時に
少しばかり私には刺激が強すぎるものだとも感じられました。
家でライブを観ているだけでも
結構なエネルギーを使います(ぶっ通しで観られることはほとんどありません)。
だから、
実はももクロを好きになったきっかけは、
どちらかといえば「ライブ」ではなく
「ももクロChan」やラジオなどで見せる彼女たちの「キャラクター」からでした。
アーティストやアイドルというか、なんとなくタレントさんを好きになるような感覚。
「現場、現場」
とは言っていますが、
やはりあの環境で彼女たちを応援するのは、
まだまだ恐い。
ライブは基本的にどのアーティストのライブでも私の症状だとNGだと思われますが、
特にももクロのライブの熱量は、私の想像をはるかに超えています。
同じライブを観ても、毎度鳥肌が立つのは、
モノノフさんたちが醸し出す勢いと緊張感であり、
私はまだそこに踏み入れるほどの身体的な問題と、
自信とを
うまく持ち合わせていません。
多くの方が、ライブに参加する代替手段を考えてくださいましたが、
寝て起きてみて
手足のしびれがどうだとか
覚醒ができているかだとか
記憶が保てているかだとか
そういうレベルで評価しながら生きていますので、
会場へ移動することすら
困難かと思われます。
このような物理的な距離もまた
彼女たちを「引き」でみている原因の一つなのかもしれません。
そういった意味では、
みなさんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも、時間をください。
めいっぱい準備をしていくので。
話が逸れましたが、ももクロに関しては全体的な評価は急上昇です。
アイドルというカテゴリーで見て来ましたが、流れで「アイドル好きになっちゃったらどうしようかしらん」と心配でしたが、全くそんなことはありませんでした。
私はただ「ももクロが好きになった人」だったんだなぁと振り返ります。
それからメンバーの印象も変わりました。
【ももクロを知った頃のメンバーへ対する気になる度】
1位:有安杏果(50%)
2位:百田夏菜子(30%)
3位:高城れに(10%)
4位:玉井詩織(4%)
5位:佐々木彩夏(1%)
【現在のメンバーへ対する気になる度】
1位:玉井詩織(40%)
2位:佐々木彩夏(25%)
3位:高城れに(15%)
4位:百田夏菜子(10%)
4位:有安杏果(10%)
パリーグの2017年の開幕順位みたいになりました(笑)
AクラスとBクラス逆転現象みたいな。
安定と安心の高城れに(笑)
有安さんが当初気になっていたのは、自分に性格がそっくりだったから。
今でも思います。
彼女は本当によく考えていると思います。
自分のことと、周囲のことを。
私は今では自分のことで精一杯ですが、もともと「誰かのために」という気持ちは強いです。
病前は医療の仕事をしていましたから、そういった意識は常にありました。
5人もいたらおそらく私も一番喋らないと思いますしね(笑)
そういえば初めて聞いたももクロソングはアレでしたし…(笑)
アーティスティックな才能を持ち合わせていますし、放っていてもどんどん伸びていきそうな人。
そして彼女のプロ意識やアーティスト性は、「ももクロ」という域を超えて、今後も注目していきたいです。
夏菜子はやっぱり「幕が上がる」の芝居でもって行かれました。
アイドルってこんな表情できるんだ。
これは驚きでしたね。
その後の「べっぴんさん」も個人的には本があまり好きじゃなかったですけど、幅広い年代を演じ分けて、素晴らしい仕事をしたと思います。
それでいておバカさんだったという事実を知った時には驚愕しました。
先に「締まる」顔を見ていたから、その緩急はとんでもなかった。
しかしながら、ミスターももクロ。
私はこのエンターテイメントの塊のような女性には一生かなわないと思いました。
私は彼女に対して嫉妬しているんだと思います。
職業「ももクロ」。
そんな印象を持っています。
れにちゃんも「幕が上がる」の「がるる」の印象が強かったですね。
これは「あて」て書いてるんだろうなぁと思いながらも、なかなかのインパクトで、がるるがしゅんとすると映画が逆に引き締まってみえたりしました。
役柄のポジティブなイメージを抱いたまま、本人のことを知っていくと、まったくその通りの人物で嬉しかったのを覚えています。
笑顔がとても似合いますし、何よりも私は「ぶらり高城れに」という番組が大好きですから、この人には一生「ぶらり高城れに」をやってもらわないといけません。
天性の人懐っこさとサービス精神は、アイドルでありながら誰よりも親近感を思わせてくれます。
彼女の透明感のある声に気がついたとき、この人もまた異なる表情をするんだなぁと感嘆しました。
年を経るにつれてどんどん味が出てくるキャラクターだと思いますので、これからも最年長として「チーム愛」でガンガン引っ張って行って欲しい人です。
あーりんは最初は全く興味がありませんでした。
むしろまず、ももクロという認識がなく(笑)
映画「幕が上がる」では彼女だけ2年生役。
エンドロールで急に3年生と踊り始めるので「???」と思っていたのですが、「ああ、これがピンクの人か」と認識するまで時間がかかりました。
明美ちゃんも初見では印象が薄く、やはり3年生役の4人に目がいきがちだったので、今では申し訳ない気持ちでいっぱいです。
しかし今ではあーりんの夢を毎日のようにみたり、画像を見て鼻血出したりと完全に所謂「圧」にやられています。
アイドルにしてはちょっとぽっちゃりしてることも気になっていましたが、まぁその食べっぷりを見てしまえば、「もっと肉を食べてください、あーりん様」となりますね(笑)
一貫したキャラクター作り(40代でも50代でも「あーりんだよぉ」って言ってくださいね)とプロ根性には頭が上がりません。
私のハスラーがピンクになる日も近いかもしれません…
最後に玉ちゃん。
最初はしおりん、次は玉井さん、その次は玉さん、最近は玉ちゃんと勝手に呼ばさせてもらっております。
ちなみになんで玉ちゃんかというと、昔の夏菜子ちゃんが「玉ちゃーん」っていっていたのがものすごく可愛かったから。(それはきっと夏菜子ちゃんの言い方が可愛かったから)
そして、私が玉ちゃん推しになったきっかけは、実は「DNA狂詩曲」の中にあるんです。
初めてこの曲を聴いた時、これはすごい曲だと驚嘆しました。
歌詞の中にある、
「背中押してアゲル、蹴ってアゲル、君を好きでいてアゲル」
というフレーズがとても印象的で、
私の中で
「推し」というのは
「押し」という
概念でいこうと思い立ちました。
改めて、玉ちゃんは、やっぱり器用貧乏だと思います。(個人的な見解です)
何事もバランスがよく、及第点まではいくのですが、他のメンバーと比べ、突飛したものがあまり私には見えて来ませんでした。
あとひと押し。
上手なんだけど、どこか無難な印象。
もちろんそれがももクロという「チーム」を考えればこそ、大切な役割なのかもしれませんが、私は彼女の背中を押してあげたいと思うようになりました。
下手くそなわけではないのですが、何か一つ足りない気がする玉ちゃん(個人的な感想です)。
だからこそ、背中を蹴ってあげたいし、押してあげたいし、結局「君を好きでいてあげる」っていう、そういう結論です。
それは単に、玉ちゃんのことがよく見られていない自分がいるからだと思ったりもします。
他の人たちがよく見えている玉井詩織の魅力を私は見落としている。
だからこそ、よく知りたいという気持ちになったのかもしれません。
(単純にビジュアルが好きっていうのも正直なところ、あるよ)
総括。
地上波にも紅白にもなかなか出てくれないのに、これだけ人気なことに脱帽。
私の敬愛する松岡茉優様がおっしゃっておられましたが、「ライブの動員数がすごい」のが本当に不思議でならないです。
でも、この不思議さが結構いいポジションなのかもしれませんし、強さなのかもしれません。
聞けば今でもチケットは即日完売らしいですから、やっぱりものすごい人たちです。
そして改めて思うのは、彼女たちの「ユニゾン(同時に歌うこと)」は素晴らしいです。
個々の歌唱力に差があり、ガタゴトしていることは否めませんが、ユニゾンがものすごく綺麗なので、どの曲もしっかりと締まっている印象があります。
簡単そうにみえて綺麗に聴こえないユニゾン。
まさに「虹色のような歌声」で、5人でなければ奏でられない音色があることはももクロの最大の武器です。
歌唱力に関しては、「うーん…」と思うことはよくありましたが、昔の曲も含め、ユニゾンについては否定できません。
真似しようとしても絶対にできない、彼女たちだけの5人の楽器があることは、ももクロの強みですね。
また、彼女たちをみていると、演者以外のスタッフがガンガン出て来ますが、私は正直あのような形態はあんまり好きではなです。
バックの人たちがテレビ慣れしてたり、タレントみたいになっています。
でも、まぁこれが「ももクロ」なんですよね。
それは1年経ってようやく理解できるようになりました。
チームでやってる感じがまたよく伝わるグループで、いろいろと世間の逆を突いてるところがおもしろいです。
いつまでも「チーム」として続いていって欲しいグループだと思っています。
「夢」について
初代のブログ記事だったと思うので、もう記事はありませんが、「わたしのゆめ」というタイトルの記事を書きました。
それは全部ひらがなで構成されており、どこか幼稚な文面が並びます。
私は子どものころから「かく(書く・描く)」ことが好きで、ストーリーを作り上げて紙芝居を作ったり、本を作ったりしていました。
頭が悪かったので、読書は全然できませんでしたが、妄想ストーリーを毎日構築して喜んでいるような、とても阿呆な少年でした。
大人になっても、ずっと夢にみていたこと。
「自分の本」を世に出すこと。
だからあのときの記事には「しょうせつかになりたい」と書いた覚えがあります。
でも今はちょっと違います。
大学時代、就職活動で最も意識していたことがあります。
それは、
給料や待遇や有名かどうかなどではなく、
「この人と仕事がしたい」
と思えるところにしようと決めていました。
職種柄、学生時代から交流がある職場はたくさんありましたので、一緒に仕事がしたい先輩方は数名いました。
結果的には、
周りに押し切られる形で、
「この人と仕事がしたい」
という願望は叶いませんでしたが、
私はそれなりに自分の持ち場で、
一生懸命働きました。
でもその忙しさ故に、
「この人と仕事がしたい」
という気持ちはとうの昔に忘れてしまっていました。
どちらかと言えば、
技術を極めたいだとか
有名になりたいだとか
そういったモチベーションで仕事をしていたと思います。
そしてある日突然病気をして倒れて、
ももクロと出会って、
ももクロと共演する人たちの笑顔を見て思い出したのです。
「この人と仕事がしたい」
あのとき
ももクロを知る余裕があれば、
私の人生は変わっていたでしょうね。
もっとわがままになって
「この人と仕事がしたい」
を叶えていたことでしょう。
百田夏菜子は言いました。
会場をゴールにしていたら、大きな会場でやったらそれで終わり。
私たちはみんなの笑顔が見たくて、
笑顔を届けることにゴールはないと思うんです。
私が今、唯一できることは「書くこと」です。
でも「小説家になる」ことをゴールにしていいのでしょうか。
その先にある、みなさんの笑顔や感動まで考えられていたのでしょうか。
有名になりたいだとか、売れて裕福に暮らしたいという夢というより「欲」の方が強かったかもしれません。
そういった考え方は、
人間であれば誰しも一度は考えることでしょうが、
あまりにも
幼稚で
現実的で
何よりも
「夢」がありません。
そんなもの、夢でもなんでもないです。
「欲」でしかないと思うのです。
ももクロに教わったこと。
夢は、(個人を含め)多くの人の感情に響くものであること。
夢は、職業や地位などの欲望ではなく、もっとシンプルで簡素な身近な心。
簡単だけど難しい。
もっとやわらかくて強固なもの。
私は
「ももクロと仕事がしたい」
と思いました。
それが叶えば
間接的にでも、
あなたを笑顔にする自信があります。
自分も笑顔になれる自信があります。
自分も相手も笑顔にすることにゴールはありません。
だからこそ「書く」のです。
ももクロのためにも
自分のためにも
もちろん
あなたのためにも
書き続けていけば
笑顔の無限ループ
生まれると思うんです。
上手にできなくてもいいんです。
下手くそでもかっこ悪くてもいいんです。
技術がなくても
心を込めて、前を向いて進んでいくこと。
それだけで誰かの心に響くものはつくられると思います。
そんな簡単なことを
改めて
ももクロに教えてもらっていたんですね。
彼女たちの不器用にみえる生き方は
人間として大切な生き方の模範だとも思います。
「小説家になるために書く」「有名になるために書く」「お金持ちになるために書く」
のではありません。
あなたを笑顔にするために、私は書くのです。
やっぱりそこに、ゴールはありません。
綺麗事に聞こえてもかまいません。
私はそんな夢をもって書いていこうと決めました。
期待していてください。
なぜだか
できる自信があるんです。
私は
書いて
書いて
書きまくって
「笑顔の天下」
取りにいきます。
現場で会おうZ!!!!!
実を言うと、私にとってこの6月は、もう一つ記念と言っていいのかはわからないけれど、ある節目の月になっています。
それは、大病を患い、職場でぶっ倒れてしまった月。
それが6月のいつだったかは記憶していませんが、倒れて3日は目覚めなかったらしいので無理もありません。
そして今年で病気をして5年。
これまでの4年間というのは、この6月を迎えるたび、
「どうしてこんなことになったのだろう」
「まだ若いのにどうやって生きていけばいいんだろう」
「人生もうおしまいだ」
と嘆くばかりでした。
ともすれば、5周年の節目の年に、「もう死んでやろうか」と考えていたかもしれません。
しかし、この病気を患って5年目に考えていることは、
「ももクロを教えてくださったモノノフ(ももクロのファン)さんに是非会いたい」
「いつも笑顔をもらっているももクロに私が笑顔を与えに行きたい」
「玉ちゃーん♡」
ということばかりです。
なんというか、
思考が
「イエロー」になってきていると思いませんか?
「モノノフさんに会いたい」
そんな気持ちを込めて、いつの間にか、
「現場で会おうZ!!!!!」
という言葉が生まれました。
それは、
ももクロに対してにでもあるし、
モノノフに対してにでもあるし、
これから現れる様々な人たちに対して
使っている言葉です。
この1年は、もちろん自分のことを中心に考えてきました。
それはこれからも一緒です。
自分の体のこと、状態のこと、調子のこと、
毎日変化のある中で注意しないといけないことはたくさんあります。
しかし、
その1年、
1日の中で、
「笑顔」や「夢」のある姿を見せてくれるももクロちゃんや
「思いやり」や「応援」の姿勢を常に持っているモノノフさんを
心の片隅に入れることが
私の生きる力になっています。
病気になって毎日思うんです。
あの日から、普通に生きることって
すごく難しいんだよって。
私は、
あなたに
貴方に
貴女に
アナタに
会いたいから、
一つ一つの問題をクリアしていきます。
生き続けること。
ももクロも9年続けてきてくれた。
だから私も彼女たちと出会えた。
「アイドルなんて」
と思っていた私でした。
でも今は胸を張って言えます。
「ももクロが大好きです」
この言葉に偽りはありません。
しかし、モノノフへの幕は上がりきっていないことも事実。
私はまだモノノフではありません。
ただのいちファンでしかありません。
堂々とモノノフだと言い切れるようになるには、
自分の夢を叶えて、
「現場で会おうZ!!!!!」
を実現してからだと勝手ながら思っています。
それまでは、ももクロもモノノフにも負けないくらい
強い気持ちで生きてやります。
おまえらみんなライバルだー!
だから皆さん、精一杯、今の自分を生きてください。
自分のことを、ももクロのことのように好きでいてください。
ももクロちゃんが大好きな自分を褒めてあげてください。
誰かを好きになること、自分を好きになることほど素晴らしい生き方はありません。
私もそうして生きていきますから……。
おわりに
改めて思うんです。
ももクロといえば「行くぜっ!怪盗少女」しか知らなかった私が
「走れ!」という曲に出会ったときにはもう
引き込まれていたんだと。
映画「幕が上がる」で「走れ!」には出会っていたけれど
そのメッセージ性や高揚感に浸れるようになったのは
ずいぶんと後の話です。
そう、
つまり
モノノフのあなたが
私を見つけてくれなかったら、
私はももクロのことを
「怪盗少女の人たち」
としか思ってはいなかったでしょう。
上述したとおり、
私は
ももクロが大好きになりました。
でも、その言葉には補足が必要です。
ももクロという存在だけでは、私は彼女たちのことを好きにはなれなかった。
正直、
歌もうまくないし、
踊りもバラバラだし、
演技も中途半端だし、
なんだかうるさそうだし、
そんなイメージでしかなかったのです。
でもそんな彼女たちを
異常なほどに絶賛し、
誰よりも愛し、
彼女たちにちょっぴり興味を持った、
ひとりぼっちの病人にですら
声をかけるような
心優しい
モノノフという存在が私の中では一番大きいです。
また、
こんな拙い文章を
最後まで読んでくださった
あなたの思いやりにも
敬意を表せざるを得ません。
強がってはいたけれど、
ひとりでいることはやっぱり寂しかった。
でも、ももクロを通じて、
あなたに出会えたことが、
私にとって最高のプレゼントです。
だから彼女たちが大好きだし、まだ見ぬあなたのことも思いやれます。
ブログを続けることが
辛いこともありました。
しかし、
顔も名前も知らない多くの人に支えられ
私は今日まで書き続けて来られました。
ありがとう。
だから、これからも
書いていきます。
ももクロのこと
モノノフのこと
自分のこと
未来のこと
夢のこと
引っ張ったり
引っ張ったり
引っ張ったり
引っ張ったり
引っ張ったり
引っ張ったり
引っ張ったり
引っ張ったり
泣かせたり
笑わせたり
いろいろうるさいブログですが
これからもどうぞよろしくお願いします。
この一年で
どれだけの人に
どれだけのことが伝わったのかなぁ?
多くの人に届くことに越したことはないけど
そんな器用なことは私には難しい。
1人でも
私の書くことが
おもしろかったり
心に響いたりする
って思ってくれるのであれば
私は書き続けます。
テーマはもちろん、
「ももいろクローバーZ」
で。
1年間
ありがとう。
過去よりも高く飛ぶために
助走つけるために
何度もうまれかわってる
閃光 夜明け 輪廻
このブログを通じて
ももクロを通じて
たくさんの人たちと現場で出会えますように。
灰のなかのダイヤモンド
本物以外さがせない
生命 燃やしつくすため
一緒に今を生きていく
1周年
おめでとう。
現場で会おうZ!!!!!
vivi