○耳垢取りがないぞ!
昨日、腹ばいになって本を読んでいましたら、やにわに左耳の穴が痒くなってきました。もちろん読書とは関係がありません。最近は頻繁に耳の穴が痒くなるときがあります。加齢のせいかもしれません。
そこで、耳垢取り器です。
我が家では耳垢取り器は茶の間のテレビラックの中に置いた小物入れにきちんと戻すという決まりがあるのです。ところが、私も家内も、この決まりをあまり守らない。使った後に無雑作に、どこでもかまわずにポイと置く。だいたい耳の穴が痒くなるのは何かをしているさいちゅうですから、耳垢取り器をきちんとしまうのが面倒なのです。
「何を探しているの」
茶の間でうろうろしている私に家内が聞きます。
「耳垢取りだ。お前知らないか」
「使った後にちゃんと戻しておかないからよ」
「僕はこのまえ戻しておいたぞ。そのあとにおまえが使ったろうが」
「私は戻してますよ」
「戻したのならあるはずだ」
「私は戻してます。戻さないのはあなたです」
耳垢取りでは、いつもこういうぐあいで口論です。
そこで私専用、家内専用の耳垢取り器を備えたのですが、いつのまにか2本ともあるべきところにないのです。それで大騒ぎをして探すと、新聞紙の間に挟まっていたり、電話機の横にあったりします。また、次々に耳垢取りが見つかって、5本ぐらいにあるときもある。さらに、その5本がいつのまにか小物入れから消えていたりする。値段が安いから、つい粗末にするのでしょう。
○いったい誰が発明を?
考えてみれば、耳垢取りほど気の毒でかわいそうな道具はありません。ご飯を食べるときの箸は日に3度は使ってもらい、そのたびに洗ってもらえます。しかも、「箸箱」という専用の寝床まである。ところが、耳垢取りはたまにしか使ってもらえないばかりか、使った後に消毒もされません。専用の寝床もない。せいぜい鉛筆やボールペンや爪切りや刺抜きと同じ箱に投げ込まれての共同生活です。
口も耳も大事な器官であるのに、箸にくらべてたいへんな差別です。
粗末に扱われている耳垢取り器ですが、なくても困る。マッチ棒やヘアピンでは、いまいち物足りない。耳垢取り器の先端にある「匙」が大事なのです。
どうにか耳垢取り器を見つけて、左耳に差し込み、カリカリ、コリコリとむず痒い場所を掻きますと、快感がじわっと広がります。こういうありがたい道具を、いったい誰が、いつ発明したのでしょうか。
私の考証癖が疼いてきました。さっそく喜多村信節の『嬉遊笑覧』(きゆうしょうらん)という本を開いてみます。これは江戸時代に書かれた百科辞典です。ところが、鼻紙だの楊枝だの歯磨き粉の由来は載っていますが、耳垢取りはない。やはり、無視されているようです。
こうなると、意地でも突き止めたくなります。その由来を後世に伝えなければ、耳垢取りにもうしわけがない。日曜日の午前中を費やして、蔵書を片っ端から当たりました。それでやっと、山東京伝の『骨董集』という本で耳垢取りの記載を見つけたのです。
それによれば、耳垢取りは中国からの渡来品であったらしい。金属製品であるので、値段が高く、庶民は持てなかった。そこで耳垢取りを職業とする人間が「エー、耳の垢取りでござい。御用はございませぬか」と呼びかけながら、市中を回っていた。
耳垢取り1本を持って生活する人間がいたのですね。10年ほど前に中国に行ったときに、路上に体重計を置いて、体重測定を業としているオジさんを見たことがありますが、当時の体重計は文明の利器であったのでしょう。同じように耳垢取りも元禄正徳年間ごろは文明の利器であったらしい。
○日本人ならではの工夫
以前に竹キセルの国産化によって、安い竹キセルが普及したことが、喫煙の流行になったことを書きましたが、世界に冠たる日本の職人が耳垢取りを見逃すはずはありません。鉄製の輸入耳垢取り器を形だけまねて竹で作ってしまった。おそらく最初に作ったのは竹細工職人でしょう。享保年間ごろには安い竹製の耳垢取りが小間物屋で売られるようになったということです。
欧米人が日本人ほど耳垢取りをしないのは、金属製の耳垢取り器ですので、大衆的に普及しなかったからです。日本人のようにどこの家庭にも耳垢取り器があるのは世界でも珍しい。日本で豊富な竹で作ったという点、さらに微妙な大きさと形を持つ先端の小皿を作る器用さ。まさに日本人ならではの工夫でしょう。
ところで、耳垢取り器があるのに、なぜ鼻くそ取り器がないのか。こんな疑問が沸きます。そこで、ついでであるから調べると、仲田定之助の『明治商売往来』と言う本に、明治30年ごろに群馬県高崎市の江藤富次郎という職人が鼻くそ取り器を考案して、特許申請したと書いてある。やはり考える人がいたのですね。
しかし、江藤は「花の友」と名づけて売り出したが、まったく売れなかった。
「金を出してまで買うことはない。指で間に合うと言って、誰も買わなかった。『花の友』は『鼻の友』にはなれなかった」
ですと。
その後に、鼻くそ取り器を誰も作らないところを見ると、男性はもちろん、妙齢の貴婦人までもが鼻くそだけは指で間に合わせているのでしょうか。
話を耳垢取りに戻すと、値段が安いが上に粗末に扱われている耳垢取り器ですが、作り続けている会社って、どんな会社でしょうね。たぶん様々な竹製品を作っている町工場が副業的に作っているのでしょうが、これからも頑張って作っていってもらいたいものです。
耳垢取り器の小匙のように心も丸くありたいものです。
「まろくてもまろかるべきは心かな 角あるものは物のさわるに」
(夢窓国師作)