2017-06-01

オタクは与えられたもので満足してしまうのかもしれない

共謀罪二次創作批評などを制限させる可能性があると指摘されていても、無関心だったり何故か支持していたりする。

法案に反対する人たちは、表現、それ以外の自由が無くなってしまうと彼らに啓蒙したりしている。

しかし、自分無駄だと感じてしまう。

なぜなら、彼らは与えられたもので満足してしまうのだ。

与えられた枠で、如何にうまくやるかを競うだけ。

所詮ブロイラーみたいなものなのだ

自分の好きなもの権力制限されたら、率先して別のものを嗜好するだけだ。

多くの世間の人々全体が、そんなものなのかもしれない。

様々なもの制限されても平気そうだ。

制限された中で結局、自分を良く見せようと競いあうだけだ。

何かを守ろうという気もなく、よく分からないが頭を良く見せようと「野党経済政策ダメだ」とか言い出したりする。

株価が上がって景気が良いとかいうが、アジア太平洋戦争中も日本株価は堅調だったようだ。

彼らにとって、統制経済下で生活ボロボロの戦中も好景気なのだろう。

頭がいい。

何かを守ろうともせず、与えられた枠で我慢大会をやるのは情けなくないのか。

色々と嫌になることばかりである

どうせ、可愛い顔した高校とき同級生慶応大学卒業後には権力ペットにでもなって幸せに生きるのだろう。

そして、容姿が醜い自分は酷い目に遭うのだろう。

何が大事なのか、自分はどうしたいかを考える日々である

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