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高校総体優勝からモータースポーツへ「自転車で五輪も狙えた」インディ500初優勝の佐藤琢磨選手 恩師が語った秘話

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 インディカー・シリーズ第6戦第101回インディ500決勝(5月28日=日本時間29日、米インディアナ州インディアナポリス・モータースピードウエー・オーバルコース=1周約4キロ×200周)モータースポーツ世界三大レースの一つとして開催された大会で、参戦8年目の佐藤琢磨選手(40)=アンドレッティ・ホンダ=が日本勢初優勝を遂げた。琢磨の和光高校(東京・町田市)3年時の担任で、自転車部の顧問を務めた大沢進さん(65)=現講師=がサンケイスポーツの単独取材に応じ、琢磨の隠れた才能を明かした。

自動車のインディ500で日本人初優勝を果たし笑顔の佐藤琢磨(ロイター)

 和光高で地学の教鞭(きょうべん)をとっていた大沢さんが担任になったのは、琢磨が17歳の1994年4月。自転車部のなかった同校で自転車の選手になりたいという琢磨が1人で部を設立し、未経験の大沢さんが顧問を務めることになった。

高3の高校総体で優勝した佐藤琢磨(右)。だが、アイルトン・セナの死でモータースポーツへの転身を決意した (大沢進氏提供)

 運動神経に優れた琢磨はメキメキと力をつけ、近隣の高校や自転車のプロショップの関係者が熱心に指導。その年の高校総体で優勝した。大沢さんは「新設の部でいきなり優勝。これはすごい選手になると思いました。どの選手は何を食べているとか、とにかく研究熱心。一流の人やコーチを集める能力が彼にはありましたね」と述懐した。

1987年の日本グランプリを父(右)と観戦した佐藤琢磨(中央)。その後の競技人生を大きく左右した (家族提供)

 大沢さんは「自転車で五輪も狙える」と考えたが大きな“誤算”が。94年5月に琢磨が尊敬するアイルトン・セナがレース中に事故死。大沢さんが琢磨の父・和利さんらと96年アトランタ五輪について話し合っていたころの出来事だった。手製の喪章をつけて自転車競技に臨んだ琢磨は、結果的にモータースポーツの道を選んだ。

 F1では元レーサーの鈴木亜久里氏、インディでは歴代最多の67勝を誇るA・J・フォイト氏のチームに所属。今季移籍したアンドレッティは「政治はケネディ、モータースポーツはアンドレッティ」といわれるほどのモータースポーツ一家で、琢磨も「名選手に声をかけられるのは名誉なこと」と、この分野でも“人”に恵まれた。

自動車のインディ500で日本人初優勝を果たし、笑顔で記者会見する佐藤琢磨=米インディアナポリス(共同通信)

 「(自転車とは)全く違う分野でも頂点に立ってくれた。レース界でも一流の人に好かれる彼の人徳が功を奏したのでしょう」。大沢さんは感慨深げにふり返った。

SANSPO.COMより)

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