藤原通房

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藤原通房
時代 平安時代中期
生誕 万寿2年1月10日1025年2月10日
死没 長久5年4月24日1044年5月23日
改名 長君(幼名)→通房
別名 宇治大将
官位 正二位、権大納言、右近衛大将
氏族 藤原北家御堂流
父母 父:藤原頼通、母:対の君(源憲定の娘)
兄弟 通房橘俊綱覚円、定綱、忠綱寛子師実
正室:源妧子源師房の娘)
三松興扶の娘
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藤原 通房(ふじわら の みちふさ)は、平安時代中期の公卿関白藤原頼通の長男。

生涯[編集]

頼通の庶長子として生まれるが、頼通の正室隆姫女王は男子に恵まれなかったため、嫡男とされた。また、頼通の正室への配慮と摂関家を継ぐという重要性から、摂関家の事実上の長である祖父道長土御門殿で養育される。後に隆姫の弟である源師房の娘を正室に迎えて、正室・隆姫と嫡男・通房との間に血縁関係を成立させる事になる。

長元8年(1035年7月13日元服すると、直ちに正五位下に叙せられ、10月16日侍従に任じられる。11月19日左少将に任じられ、翌長元9年(1036年正月7日従四位下、7月10日従四位上、11月16日正四位下と昇叙し、12月8日右中将に転じる。長暦元年(1037年10月23日にはわずか13歳で従三位に叙され三位中将となった。長暦2年(1038年6月19日正三位8月26日従二位に昇叙し、長暦3年(1039年1月29日には15歳の若さで権中納言に任じられた。同年閏12月26日に正二位に昇叙し、長久3年(1042年10月27日には権大納言に昇進し、長久4年(1043年11月27日には右大将を兼ねたが、翌長久5年(1044年4月27日に突然の病により20歳の若さで薨去してしまった。このため、他家に養子に出される予定であった異母弟の師実が後継者として摂関家を継承する事になった。

通房の詠んだ和歌が『後拾遺和歌集』『新勅撰和歌集』に1首ずつ入集している。

系譜[編集]

  • 父:藤原頼通
  • 母:対の君 - 源憲定の娘
  • 正室:源妧子 - 源師房の娘
  • 妻:三松興扶の娘