はじめに
先日この記事(以下,元記事)がはてなブックマーク(以下,ブクマ)のホットエントリーに入り,500超のはてなブックマークコメント(以下,ブコメ)が付いた.
元記事にはいくつかいけない点があった.見過ごすことができなかったのでいけない2つのことについて記しておきたい.
なお,元記事ではインセスト・タブー(近親相姦の禁忌)については結局説明できないままである.筆者も正直言ってよくわからないが,最後に少しだけ触れる.
近親性交は鳥類や哺乳類一般において自然で正常な行為なのか?
ちなみに元記事の主役である人類学者の川田順造・神奈川大学特別招聘教授はあのクロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss,決してリーバイ・ストラウスと読まないように)の著書『悲しき熱帯』の訳者である.
その川田氏の言を記事中から引用する.
鳥類や哺乳類一般において,ある頻度での近親性交は,自然で正常な行為です.
近親相姦と言わず近親性交と言っているが,これはinbreeding(インブリーディング:近親交配)を指すと思われる.
インブリーディングは,広い定義では「祖先を共有する個体間の交配」,狭い定義では「親と子どもの交配,同じ両親を持つ子ども同士の交配」とされている[1].
近親交配は「遺伝的な問題を重視する」自然科学的用語であり,近親相姦は「文化的なタブーから発生した用語で,人文科学的,あるいは社会科学的な用語」とのことである[2].
鳥類におけるインブリーディングの例を見る前に,ちょっとだけ計算を見てほしい(計算するとは言ってない).
近交係数
近親交配の度合いを示す数値に近交係数がある.次のようなものだ.
たとえば,祖父母まで家系がわかっている100つがいの内,親子間の交配が5例,兄姉間が3例,祖父(母)と孫間が1例の近親交配が観察された場合の個体群レベルでの近交係数は,
となる.これは個体識別によって観察された血縁個体間の交配例数にその個体間の近交係数を掛け,近交係数が異なる血縁個体間について同様の計算をする.それらを足し合わせた値を個体数で割った値である.[1]
近交係数は0〜1の間の数値をとる.もちろん数値が大きいほうがその集団における近親交配の程度が高いことになる.
この点を頭に置いて鳥類の近親交配の事例を紹介する.次の①〜③の研究はいずれも[1]を参照した.
鳥類の事例から
①英国オックスフォード大の森にいるシジュウカラを対象に1964〜1970年までに家系を明らかにした397つがいのうち,両親を共有する兄-姉間の配偶が3例,母-息子間が2例,伯母-甥・大伯母-その兄弟の孫息子が各1例合計7例,近親交配頻度は1.7%(7/397),近交係数は0.0036だった.
シジュウカラ
②ベルギーでのアオガラを対象とした1980〜1993年の研究では469つがいのうち兄-姉間配偶が3例,母-息子間が1例合計4例,近親交配頻度は0.8%(4/469),近交係数は0.0021だった.
シジュウカラもアオガラも配偶システムは一夫一妻型(ペア型)である.これらの研究における近交係数は高いのだろうか,それとも低いのだろうか?
それは比較しないとわからない.でもそんな研究がちゃんとある.
③オランダ本土(1955〜1978年)とビリアンド島(1958〜1978年)で比較したところ,シジュウカラのつがい双方の家系がわかっているケースだと本土での近親交配頻度は5%(23/460),近交係数は0.0063.これに対し島では29%(241/839),近交係数は0.022であった.
鳥は飛翔できるとはいえ,本土にくらべれば島のほうが個体の出入りは制限されやすい.したがって,島にいる個体同士での交配がより生じやすいと予測できる.この結果は予測が合っていることを示唆する.島のほうが近親交配が起きやすいのだ.
④マンダーテ島のウタスズメ(1975〜1995年)では,つがい双方の家系がわかっているケースでの近親交配頻度は17.2%(51/285),近交係数は0.051だった.しかも兄-姉のつがいにおける子どもの年間死亡率は非血縁個体間のつがいの子どもより平均17.5 %低かった.これは近交弱勢を示す.
[1]では他にも協同繁殖鳥では近親交配が起きやすい研究やDNAを調べた研究などについて紹介されている.そしてひととおり研究をレビューした後の結論はこうだ.
鳥類の野外個体群ではごく近い血縁個体間の配偶が認められる.しかし,ほとんどの場合,その頻度は低い.[1](p.71)
元記事から再度引用するが「鳥類や哺乳類一般において,ある頻度での近親性交は,自然で正常な行為です.」の「ある頻度」は鳥類では低いのだ.
したがって,近親交配が自然状態で「ある頻度」で行われているからと言って,それが「自然で正常な行為」だとはとてもじゃないが言えないことを強調しておく.
霊長類の事例から
高畑由起夫(現・関西大学教授)は京都府嵐山のニホンザル群において交尾データを収集・解析した.その結果は「2000例あまりのうち一親等にあたる個体間の交尾例はゼロ,二親等で5例,三親等でもわずか7例に過ぎなかった」という[3](元記事への筆者のブコメのソースがこれ).
JASRAC問題で一躍有名になった(?)日本の野生ゴリラ研究第一人者である山極寿一京都大学総長はこれもウェスターマーク効果に当てはまると考えているようだ[4].
ただし,ニホンザルはシジュウカラのようなペア型ではなく,いわゆる交尾期には群れに複数いるオス・メスそれぞれは特定のペアを作ることなく複数の相手と交尾する乱婚である.
しかし,ニホンザルは乱婚にもかかわらず血縁個体間での交尾は非常に少ない.それは,近親交配を回避するメカニズムが備わっているためと考えられる.
インセスト・アボイダンス
近親交配回避(インセスト・アボイダンス)についてごく簡単にふれておこう.
ニホンザルには自分が生まれた群れ(出自群)に残る個体とそうでない個体がいる.残るのはメスであり,一方のオスは性成熟を迎える5歳前後に出自群を出る(例外あり).
出自群を出たオスは一人で,あるいはオス同士で生活したり他の群れに移籍する.もしオスが出自群に戻らないなら,母-息子関係および姉妹-兄弟関係は出自群からオスがいなくなることによって切れ,交尾の可能性は無くなる.
ニホンザルのような母系型社会は霊長類に多くみられる.一方,少ないながらメスが出自群からいなくなりオスが残る父系型社会はチンパンジーやクモザルなどに見られる.また,オスもメスも出自群からいなくなる双系もある.ペア型のテナガザルではオスの子は父親が群れ(父・母・子ども達から成る)から追い出し,メスの子は母親が追い出すという[5].
なお,ニホンザルについてもう少し詳しいことはここに記してある.
◆無論,移籍先でメスの子をもうけたオスについてはこの限りではない.
例えばあるオスが出自群を離脱した後別の群れAに移入し,そこでメスの子をもうけたとする.そのオスが群れAから移出し,他の群れへ移籍したりした後,群れAに再移入したとしよう.メスは5歳ほどで初産を迎えることが多い.もしオスが5年ほど経ってから群れAへ再移入したとすれば,そこには性成熟した娘がいることになる.父-娘間で交尾が生じる可能性が否定できなくなるのだ.
とはいえ,その可能性はとても低いようだ.なぜならニホンザルのオスの平均群れ滞在年数は宮城県金華山で平均2.9年,鹿児島県屋久島で平均2.8年なので,性成熟にかかる年数を初産年齢から1歳引いたものと仮定すれば金華山で6.1歳,屋久島で5.1歳となり,オスの平均群れ滞在期間より明らかに短い[6].
だが,「一旦1位の地位を追われて移出したオスが,中順位のオスとして再移入」した事例がある[7].もしかしたら再移入オスが娘と交尾することがあるのではないか?とは思うけれど1948年12月3日に初めて野生ニホンザルの調査が行われて[8]以降の長い研究の歴史でそんな事例はいまだ見つかっていない(と思う).もしあったとしてもその頻度は非常に低いだろう.
元記事とも関連するので,山極京大総長による[4]を参照することを強くお薦めする.
さて話をヒトに戻そう.
「近親相姦で子どもに障害」は作り話なのか?
元記事には近親相姦による「近交弱勢」についてごく簡単ではあるが触れている.
にもかかわらず,島崎藤村によるインセストの結果産まれた子が優秀だからと言ってそんなサンプルで近交弱勢をまるで亡き者にするのは学者としていかがなものだろうか?
◆近交弱勢の事例としては,ブコメにも見られたようにスペイン・ハプスブルク家,特に性的不能だったとされているカルロス2世が有名だ.
カルロス2世は「先端巨大症のため,咀嚼に影響があり,常によだれを垂れ流していた.その他にも癲癇などの病気をいくつも患っていたと推測されている.また,知的障害も併発していたらしく,特に幼少期には衣服を身につけた動物のようであり(以下略)」と記載されており,これは近親婚によるものと考えられてきた[9].
しかし,カルロス2世の名を出してもそれは逸話にすぎないと一笑に付されるかもしれない.
ならば数字で語ろう.そう,近交係数だ.
◆この論文[10]は16世代に渡る3,000人以上の近親者のデータからスペイン・ハプスブルク家における近交係数を示している.
X軸は6人の王,Y軸は近交係数を指す.図を見れば近親婚によって近交係数の値が大きくなったのが一目瞭然だ.
フェリペ1世(Philip I)の近交係数は0.025だったのに対し,カルロス2世(Charles II)はなんと0.254になっている.
ちなみにカルロス2世とフェリペ3世(Philip III)はどちらも伯父-姪間にできた子どもである.
◆これでもまだ近交係数と近交弱勢(近親交配によって生存力や繁殖力が低下する)の関連を疑う方がいるかもしれない.だが筆者はこの図を見て啞然とした.
X軸は近交係数,Y軸は10歳生存率だ.ただしデータから出生前死亡(流産,死産)と新生児死亡は除外されている.近交係数が0.050以上になると10歳生存率に明らかな低下が見られる.
論文のこの箇所を引用しておく(論文中の引用文献番号は除外).
Third, infant and child mortality was very high in the Spanish Habsburg families. From 1527 to 1661, when Philip II and Charles II were born respectively, the Spanish royal families had 34 children, 10 (29.4%) of them died before 1 year, and 17 (50.0%) of these children died before 10 years. These figures are clearly higher than the mortality rates registered for contemporary Spanish villages which include families belonging to a wide range of social classes and where, for example, infantile mortalities were about 20%.
1527年から1661年(前者はフィリップ2世の,後者はカルロス2世の生年)にかけてスペイン・ハプスブルク家では34人の子どもが生まれたが,10人(29.4%)は1歳になる前に死に,17人(50%)は10歳になる前に死んだ.
当時のスペイン農村部の一般家庭("雑多な社会階級の家庭を含む村")は王家より栄養状態も衛生面もはるかに劣っていただろう.
それにもかかわらず,一般家庭の乳児死亡率20%は王家より低いのだ.この違いは栄養状態と衛生状態からは説明できないだろう.
◆スペイン・ハプスブルク家(およびオーストリア・ハプスブルク家)では血族結婚が頻繁に行われており[11],その結果は近交係数に明瞭に現れている.スペイン・ハプスブルク家の子ども達の死亡率が一般家庭より高いこと,そしてカルロス2世に見られる諸々の症状は近親交配を重ねたことが招いたと考えるのが妥当である.近交弱勢は作り話ではないのだ.
血縁上,近親にある者同士は赤の他人にくらべて遺伝的に近い関係にあることは説明不要だろう.近親者間の交配によって産まれた子どもは劣性対立遺伝子が発現する確率が高くなる.ただし,これは川田が言うような1代程度の観測範囲で語れる事象ではないことには注意すべきだろう.紹介したように鳥類だって10数年のデータの積み重ねがあってこそ明らかになるのだから.
おわりに
元記事について「いけない」2つのことを指摘した.
一つはヒト以外の動物,例にあげたのは主に鳥類だが,近親交配が自然状態で「ある頻度」(鳥類では低頻度である)で行われているからと言って,それが自然な状態であるとは決して言えないこと.
もう一つは近親交配を重ねることによる子孫への遺伝的影響が見られるという点だ.スペイン・ハプスブルク家の末路と近交係数はその証左となる.
まだモヤモヤする点はある.元記事冒頭で日本における近親相姦には刑法上の罰則はないと書いてあるが,ドイツでは近親相姦罪が制定されているし日本でも近親者間での婚姻届は受理されない[12].決して寛容でもノー・プロブレムでもないのだ.
まだ書き足りないことはあるが,そろそろ筆を置こうと思う.
ところで,元記事についたブコメにはとても参考になるものが多々ある一方,中にはまさにこのブコメの通りで頭を抱えるものが少なくない.
近親相姦はなぜいけない?意外と説明できないタブーの正体 (ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
まじか。17世紀とか19世紀には決着した議論だぞ。さやえんどうの実験からやりなおせよ。王族の病、血友病で検索してみ。病因子の劣性遺伝が男女ペアで揃うことで発現すんの。遺伝への勘違いがひどくて頭抱える。
2017/05/29 12:14
メンデル遺伝の基礎については拙エントリーをご笑覧いただきたい.
◆最後にインセスト・タブーについて記しておく.
人類はその歴史の97%を狩猟採集民として過ごしており,狩猟採集時代は約1万年前に始まった農耕時代に比して人口も社会集団サイズも小さかったと考えられている[13].
近交弱勢は小集団のほうが強く働くし,集団間でのヒトの移出入が少ないほうが近親相姦が起きやすくなる可能性が高い.つまり,現代社会目線で想像するよりも近親交配によって生存・繁殖に不利なヒトが産まれやすかった可能性があるかもしれない.
メンデル遺伝が日の目を見た1900年以前は誰も遺伝学の知識を持っていなかった.現代でもそういうヒトはいる.例えばケニア中央部に住んでいるチャムスは独自の「民俗生殖理論」を持っているという[14].
遺伝の知識がなくとも,「近親相姦の結果産まれた子どもはなんらかの症状を呈する可能性が高い」という経験則が狩猟採集の時代から数万年というタイムスパンで各地のヒト集団でそれぞれ独立してインセスト・アボイダンスの知見が蓄積・伝承されたとしたら,それはいつしか現代まで世界各地で連綿と受け継がれることになるインセスト・タブーの礎になったのかもしれない.
手塚治虫著『火の鳥』黎明編[15]にはこんなシーンがある.穴の底に取り残されたグズリとヒナクには12人の子ども達(A4版p.331右下のコマ)がいる.でもそこから外界にはまだ誰も行ってないし誰かが来ることもない.次の世代の子を産むためにはインセストしか手段はない.そこで長兄(と思われる)タケルは妹とのインセストを回避するためにハングアップした崖に挑戦し,決死の思いで登り切った.タケルは外の世界へ踏み出した.自分の妻となる女性を探すために.
以上,思いつき程度ではあるがインセスト・タブーについても記した.筆者もまだまだ勉強の途上につき間違っている点があるかもしれないけど,気になることはアウトプットしていきたい.
ではまた!
参考資料
[1]高木昌興(1999)鳥類の野外個体群における近親交配.日本鳥学会誌, 48巻1号,pp.61-81 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjo1986/48/1/48_1_61/_pdf
[2]近親交配 - Wikipedia
[3]インセスト・タブー - Wikipedia
[4]インセストの回避がつくる社会関係 http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/evo_anth/symp0104/yamagiwa.html
[5]『サルの文化誌』pp.155-157.
[6]『日本の哺乳類学②中大型哺乳類・霊長類』p.38
[7]https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/164385/1/apk02200_056_1.pdf [8]https://www.jstage.jst.go.jp/article/psj/24/3/24_3_187/_pdf
[9]カルロス2世 (スペイン王) - Wikipedia
[10]The Role of Inbreeding in the Extinction of a European Royal Dynasty
[11]ハプスブルク家 - Wikipedia
[12]近親婚 - Wikipedia
[13]木下太志(2014)人類史からみた環境と人口と家族.比較家族史研究, 28号, pp.47-65 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscfh/28/0/28_47/_pdf
[14]『性の人類学 サルとヒトの接点を求めて』pp.160-203
[15]手塚治虫(2003)『火の鳥』黎明編