安倍政権が、終戦直後に「排除・失効」とされた教育勅語について「教材として用いることまでは否定されない」と閣議決定したことは記憶に新しい。その影響なのか。
5月上旬、埼玉県のある公立小学校のPTA総会で、1枚の文書が配られた。コピーが繰り返されたせいかひどく読みにくい。かろうじて、「家庭心得」というタイトルが読み取れた。
冒頭にこうある。
「学校は、一家族の状態を存すべし、教師は父母の如く、謹厳にして慈愛なるべし、生徒は子女の如く、恭敬にして従順なるべし」
22項目に及ぶ保護者への注意には、あいさつの習慣をつけさせるなど現代に通じるものも多いが、学校教育の目的を、
「専ら忠君愛國孝悌にして、着實なる人物を養成する」
と記す。これは、明治天皇が1890年に国民に授けた「教育勅語」の精神に重なる。
●教科の筆頭は「修身」
子どもがこの小学校に通うある保護者は、動揺を隠せない。
「どう考えても時代錯誤です」 教育勅語は親孝行などの一般的な道徳を示す一方、国民を「臣民」とし「国に万一のことがあれば一身をささげて国に尽くせ」と説いた。
家庭心得は、教育勅語発布から8年後の1898年、現在の埼玉県熊谷市にあった幡羅(はたら)高等小学校の保護者に向けて作成されたものだ。『文部省の研究』などの著書がある近現代史研究家の辻田真佐憲さんはこう話す。
「部分的には良さそうなこと、普遍的なことを書いているように見えますが、教科の筆頭に国語や算数ではなく『修身』を持ってくるなど、当時の教育観が出ている。注意が必要です」
原文と共に配布された現代語訳では、「忠君愛國」が「国や郷土を愛し」とされていて、「天皇に忠誠を誓う」という本来の意味が省かれている。教育勅語の現代語訳でも、多く見られる「意訳」だ。PTA総会でこの文書を配布した50代の校長に意図を尋ねると、
「特に深い意味はない。戦前回帰などではありません」
と前置きした上で、
「『教育は、家庭の教えで芽を出し、学校の教えで花が咲き、社会の教えで実を結ぶ』ということわざが書いてあります。家庭、学校、地域が同じ方向を向くことが大切なんだと伝えたかったんです」
と答えた。辻田さんは言う。
「学校の教育方針に説得力を持たせるために、歴史の権威を利用したのでしょう。子どもの教育は家庭に責任があることを強調しているので、成立が予想される家庭教育支援法案の考え方とも一致しますね」
●「家庭の教育が衰退」
実は最近、家庭心得が論壇で取り上げられることが増えていた。教育再生会議が道徳の教科化を検討し始めた2007年、当時自民党が発行していた「月刊自由民主」は、道徳教育と家庭の理想の関係を示すものとしてこの文書を挙げている。
13年には、日本会議政策委員で親学推進協会会長の高橋史朗氏がインターネット番組「言論テレビ」に出演した際に紹介し、学級崩壊の原因は家庭の教育力が衰退しているからだと指摘している。番組のキャスターは、櫻井よしこ氏だ。
家庭心得を教育方針として使う学校は他の地域にもあるが、特に多いのが埼玉県。現知事の上田清司氏の招聘(しょうへい)で、04年から4年間、高橋氏が埼玉県の教育委員を務めていたことと無関係ではないだろう。高橋氏は06年に私塾「埼玉師範塾」を立ち上げ、公立小中高教員の研修も行ってきた。研修の講師を務めた上田知事は教員たちに、
「アメリカ人は日本人の魂というか、ここ一番の戦闘能力、精神力を恐れた。教師にもそういうパワーがあったほうがいい」
と話したこともあるという。埼玉師範塾はもうないが、薫陶を受けた教員たちはいまも教壇に立つ。前出の保護者は言う。
「戦前にこの文書が必要だったのは富国強兵のため。現代でもそれをしたい人がいるのではないかと不安になりました」
(編集部・竹下郁子)
※AERA 2017年6月5日