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たぱぞうの米国株投資

米国株投資で人生の選択肢を増やすという提案です。某投資顧問のアドバイザーをしています。

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「やりがいのある仕事」という幻想

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森博嗣氏という非凡の人の職業観

  森博嗣氏の新書版です。発刊自体は2013年ですが、行きつけの書店で平積みされていたので手に取りました。

 

「やりがいのある仕事」という幻想

「やりがいのある仕事」という幻想

 


 森博嗣氏は建築業を営む家に生まれました。その後、中部地方の有名校である東海高校、名古屋大学工学部、院に進み、名古屋大学の助教授になっています。

 

 名古屋大学在学中は同人誌活動で名が知られ、その縁でイラストレーターである、ささきすばる氏とご結婚されています。

 

 工学博士として日本建築学会や日本材料学会でいくつも賞を受賞されています。他方、名古屋大学助教授在職中に「すべてがFになる」で作家デビューします。作品は比較的多作で、作品累計1300万部を売り上げました。

 

 結局、著作の収益が国家公務員としての給与の20倍!にもなったこと、趣味の模型製作の時間を確保したかったことなどから、47歳で名古屋大学を辞しています。

 

 そもそも小説を書いたのもお金を稼ぐためという動機が少なからずあったと言いますから、突き抜けています。

 

 このことからも分かるようにある種の天才であり、非凡の人とは森博嗣氏のような人のことを指すのでしょう。こういう人が書いた職業観、仕事観ということで、面白く読むことができました。

20代、30代前半までにがむしゃらに仕事に打ち込んだ

 森博嗣氏は20代、30代前半までがむしゃらに仕事に打ち込んだそうです。仕事に打ち込んだというよりも、自分の専門分野の研究が面白く、まさに寝食を忘れて取り組んだということです。

 

 助教授に昇格して数年経った頃に、夕方の六時から始まった会議が八時頃に終わって、研究室へ歩いて戻るとき、今日は少し疲れたから、このまま帰ろうか、と思った。そして、そういうことを考える自分に驚いた。「帰りたい」なんて思ったのは、初めてだったからだ。つまり、このとき、僕は「これが仕事というものか」とようやく理解したのである。

 

 それ以前の僕は、家に帰るのは、寝なければ体力が続かないから、しかたなくする行為だった。つまり、トイレにいくのと同じ感覚だった。

 

  こういうレベルで仕事、研究に打ち込んでいたのですね。ただ楽しいから一生懸命に没頭していたということです。一般的に連絡調整、合意形成のための会議は面白くありませんから、目が覚めたということでしょうか。

 

 それに対し、研究は自分の世界で完結する部分の大きい、成果の見えやすい世界です。

 

 とにかく、それくらい仕事に没頭していた僕だけど、一度も「仕事にやりがいを見つけた」なんて思わなかったし、もちろん人に話したこともない。自分の状況は、自慢にもならないこと、みんなには無関係なことだ、というくらいに見ていた。

 

 ただ、楽しいからしていただけで、子供の遊びと同じレベルである。子供って、遊びに「人生のやりがい」を見つけているのだろうか? 大人だけが、そんな変な言葉を持ち出して、自分の経験を歪曲しようとするのである。

 少々長くなりましたが、共感したところを引用しました。つまり、仕事はあくまで仕事であり、給与をもらって生活するためのものだということです。もちろん、結果として仕事で楽しい思いができたり、自分が成長するきっかけになりうるのは否定しません。

 

 森博嗣氏のように、「子供の遊びと同じレベル」まで熱中し、結果として給与が得られるのは理想中の理想かもしれませんね。しかし、森氏は30代後半に「人生でどうしても実現したかったこと」のために、意を決して深夜に起きだして小説を書き、それが大当たりします。

 

 作中にはその「人生でどうしても実現したかったこと」には言及されていませんが、おそらく趣味の模型製作にかかわることだったと推測されます。

 

 今は、作家活動により十分な資金を得て、47歳で大学の仕事を辞して、作家活動も1日1時間に抑えて、もっとも好きなことにリソースを割いているそうです。

 

「やりがいのある仕事」とは

 仕事において「人生のやりがい」だとか、「自己実現」という言葉を持ち出し、誰にでも当てはめようとするから無理が出てくるのではないでしょうか。基本的には会社と私たち労働者は契約関係であり、それ以上でも以下でもありません。

 

 しかし、実際はサービス残業などに見られるように過剰な奉仕をし、それが評価されるシステムになっています。上司は自分に似た部下を評価する傾向にあると言います。多くの会社の上司は実績だけでなく、時間軸でも評価されてその地位に就いていると言ってよいでしょう。

 

 そのため、残業時間の長い上司は残業時間の長い部下を評価していくという綿々としたつながりが生まれることになります。若手はこのような発想で生きていませんから、結果としてミスマッチが生まれるということになります。そこに不幸があります。

 

 そして、長時間労働をすること自体が目的化している例も往々にして見られます。言い換えると、生産性以上に長時間会社に滞在すること自体が価値づけられていくということです。

 

 森博嗣氏のように各々が自立した能力を持っていればよいですが、そういう能力を持った人はまれです。そのため、多くの人は、例えば40歳過ぎで転職しようとしたり、独立したりするとたちまち食べられなくなります。

 

 つまり、個として生きているのではなく、組織で支え合って生きているということです。ですから、そのような組織でもやはり100%否定することは当然ながらできません。

 

 ただし、繰り返しますが知っておきたいのは仕事はあくまで人生の一部だということです。会社に全身全霊捧げても、契約以上の見返りはできないし、労働者がそれを求めるのは違うということです。

 

 仕事にやりがいがあるというのは、結果としてはそういうことがあるかもしれません。しかし、私たちが仕事にやりがいを求めるというのは、本来の雇用者と労働者の関係を考えると少々求めすぎな気がします。

今を生きるということは、どういうことか

 仕事に適度に打ち込みつつ、どこか冷静に自分を置いておく。同時に仕事以外に打ち込めるもの、家族だったり、地域行事だったり、趣味だったり、そういうバランスを取っておくことが大事だと実感しています。

 

 投資の世界では分散投資ということがリスクヘッジの有効手段として意識されます。それは、人生そのものにも必要な考え方であることは間違いありません。

 

 かつてのような高度成長はもう期待できない時代を私たちは生きています。だとすれば、人生のほとんど全てを仕事に注いでいく生き方を見直してもよいのかもしれません。人生は二度ありません。

 

 自分はどのように生きたいのか。私たちは考えようによっては、そういう本質的な問いに向かい合える、良い時代に生きているといえます。価値観の多様化とは人生の多様化でもあるからです。

 

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