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「難民のためだ。この家を出ていってくれ」
昨年9月、ドイツのエシュバッハという町で、56歳の女性が23年間住んでいた公営住宅から年末までに出ていくよう通告されました。理由は難民のための住宅を確保するためです。女性は弁護士を立て争う構え。
その前にもドイツの二―ハイムという町で、同様に、看護師の女性が、難民シェルターを作るためとして賃貸住宅からの退去を通告されています。ドイツの法律では借主は強力に保護されており、通常は賃貸規則の違反がない限り立ち退きを命ぜられることはありえないそうです。
ハンブルグの州政府は使用していない商業施設を差し押さえて難民シェルターにする法律を可決しようとしています。またベルリンの地方政治家も同様に、アパート空室を家主から徴用することを提唱しています。
安部公房の手になる小説で「闖入者」という不気味な作品があります。平凡な青年が突然やってきた家族連れにアパートを占拠されてしまうのです。1950年代に書かれたこの小説は、アメリカ大陸に上陸して先住民を追い散らした西洋人を風刺したものと思われますが、今度は西洋人が追い散らされる番になるとは誰も予想しなかったことでしょう。
メルケル豹変す
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、イギリスのサッチャー前首相になぞらえられることもあるほど、理知的で聡明、決断力のある女性リーダーと見られていました。福島原発事故を受けてドイツの脱原発を決断し、またウクライナ情勢をめぐって米国とロシアが対立するなか解決に向けて努力し、一方で、EU財政の重荷となったギリシアに厳しい姿勢で臨みました。
ところが、2015年夏の難民危機に際しては、難民受入れ数に上限を設けないことを明らかにしました。
これは考えてみれば極めて無謀です。どんな背景と思想を持った人間がどこの国から何万人（何百万人）やってくるのか分からない。予算見積もりも、受入施設整備や人員の配備計画も立てようがない。すべて泥縄式でやっていこうというのです。
メルケル首相は一体何を考えているのでしょうか？
冷静な女性宰相と突然の「できる」宣言
もともとメルケル首相はさほど難民受入に積極的ではなかったと言われています。
メルケル首相は昨年7月ごろ、テレビ番組で若者との対話を持ちましたが、そこでドイツに滞在しているパレスチナ人の少女から、国外退去を迫られていることを打ち明けられました。メルケルは、「政治とは難しいもの。全員を受け入れることはできない」と回答。少女は泣き出してしまいました。
メルケルには「冷淡だ」「薄情だ」といった批判が浴びせられましたが、この時点までは冷静で情に流されない指導者だったように見受けられます。（実際には、当局はこの少女の定住許可を下しています。）
パレスチナ人の少女と対話するメルケル首相。（Youtubeより）
ところが数ヶ月もしないうちに・・・・・・
メルケルは同年の9月、数を制限せず難民を受け入れる方針を発表。3歳のクルド人男児アラン君の遺体がトルコ沿岸に打ち上げられ、世界中が難民問題に注目し始めたのとほぼ同時期です。この発言はソーシャルメディアなどを通じてまたたく間に拡散しました。
おりしも、2015年の夏から秋にかけて難民申請者数は鰻上りに上昇。ハンガリー国境では投石する「難民」に治安当局が催涙ガスを発射するなどの衝突も発生。大量の流入により生じた混乱を見て、年末に難民の数を減らす方針を発表するも、数に制限を設けることはしないなど、メルケルは支離滅裂な行動に追い込まれました。
「私たちにはできる（Wir schaffen das）」—シュピーゲルは、メルケルが入念な計画も計算もなくこのような発言をすることは今まで無かったと評しています。
確かに、この発言には入念な計画も計算もなかったようです。
殺到した難民申請者はドイツ当局の処理能力の限界をはるかに超え、受け入れた110万人のうち60万人は居所が把握できていないというのです。データ処理の遅れ、申請者がEUの他の国に移動した、同一人物が複数回申請したことからデータ重複が生じた、など色々な要因が指摘されていますが、60万という数は異常です。
日本で時折使われる言い回しをすれば、ドイツの難民対応は「デスマ案件」としか表現できません。
しかし、「人数無制限」宣言はそれよりはるかに重大な事態を招く可能性があります。
「誘惑してはならない」
昨年7月、ポール・コリアーという経済学者は「誘惑することなかれ」という諺を引いて亡命希望者を「誘惑」することの危険性を指摘しました。いわく、住居を追われた1千万人のシリア人のうち5百万人がシリアを脱出しているが、そのうちの2パーセントの、密航業者に数千ドルを支払う資力がある者たちだけが船で欧州に向かっている。彼らは最も助けが必要な人たちではない。本気で難民問題を解決するというならヨルダン、レバノン、トルコの難民キャンプから動けずにいる残り98パーセントを無視してはならない。
今の欧州は、シリア人に対して、もしもいかさま師に金を払い、命の危険を犯せばドイツでの天国のような生活が送れるという希望を抱かせている。その誘惑に屈するのは2パーセント程だが、そのうち数千人が海で溺れることは避けられない。コリアーはこの状況を「とても無責任で、人助けの美徳というより無謀な過失致死に近い」「ごくわずかな人数に富を浴びせ、数千人を死なせ、数百万人を無視している」と断じています。
しかし、一度世界に向けて発したメッセージは撤回できません。
ノルウェーの学者がかつて言ったように「服装や言動が誘惑的である」どころの騒ぎではありません。
ケルン事件で拘束されたシリア人「難民」の男が言ったとおり、メルケル首相自身が間違いようもなくはっきりとした言葉で彼らを「招待」したのです。
テレビレポーターが「コバニ出身のシリア難民」に
保守紙ナショナルレビューは、新天地を目指して移動しつづける「難民」たちへの密着取材を通じ、戦災のない地域でテレビレポーターとして働いていた男性がシリア難民として身分を偽り、オーストリアに到着していた事例を暴き出し、多数の「難民」が「亡命先ショッピング」のごとく、より福祉が充実した国を目指して旅をしていることを示唆しました。「シリアから来た」と主張する人々の中には、シリアの通貨が何かさえ答えられないなど、あからさまな嘘をついている者たちもいたとのこと。国境管理にあたっているハンガリー政府の係官は「人々は制度を濫用する準備ができていた」と指摘しています。
本当の「難民」はどれくらいいるのか。検証が極めて困難なこの疑問はさておき、紛争地域にいる人々もそうでない人々も、生活に不安や不満がある人たちは、ここを先途とばかりに荷物をまとめ欧州を目指していることは確かです。それも、本当に社会の底辺にいる弱い人たちではなく、密航業者に代金を支払う資力があるか、長距離を踏破する体力があるか、あるいはその両方がある者から先に、です。「難民」の多くが壮健な男性であるのも当然です。
メルケルの一言によって、中東・北アフリカ・南アジアの人々には「なにもかも投げ捨てて欧州に行こう。そうすれば一生喰うに困らない」という、（本来与えられてはならない）希望が与えられたかのようです。一方欧州、特にドイツは、「世界を救う」がごとく重く過酷な任務を自ら背負ってしまいました。ダボス会議の主催者シュワブ氏が「新興国の経済危機により10億人が欧州を目指す」可能性をにおわせたのもあながち大げさとは思えません。
過去の罪を忘れたい老人
この不可解なメルケル難民政策について、Gatestone instituteというシンクタンクのウェブサイトに、あるアナリストが「A Parable for Germany」という興味深い記事を掲載しています。
この記事は、低出生率に悩み衰退しつつある今のドイツという国を、遠い過去に酷い犯罪（即ちナチスによる暴虐）を犯し、その記憶を忘れたがっている老人の晩年にたとえ、難民問題にあたるメルケル首相の心の裏に「贖罪」への衝動がある、と看破します。
「あるところに老人がいた。彼は若いころひどい犯罪を犯し多数の無辜の人々を殺した。彼はもう、何が彼をそんなことに駆り立てたのかは思い出せなかった。そのことについては努めて考えないようにしていたが、稀に記憶がふいに蘇ることがあった。激情と罪悪感はとうの昔に色褪せ、あいまいな嫌悪感の残滓となっているだけであった。彼は勤勉に働き、日々の単調な仕事で気を紛らわせた。味気のない娯楽で気分転換を試みもした。サッカーを観戦し、ポルノを見て、アメリカ製コメディの字幕版を視聴し、ビーチで休暇を過ごした。」
「彼には子がいたが孫はいなかった。彼の子は、父親が許されざる罪を犯したことは知っていたが、それが何かを知ろうとはしなかったし、また老人もそのことを話そうとしなかった。過去の犯罪は黒いカーテンのように二人の間に垂れ下がっていたのである。」
「老人は、自分がもう長くはないことを感じていた。この先には、時折フラッシュバックする後悔の念に照らされるほかは、ただ退屈なだけのどんより曇った日々があるだけだった。彼は、最期が訪れるまでの一日一日をただ過ぎるに任せた。それ以外に生きる方法を知らなかったのだ。彼は命への繋がりを持たないために、死に備える術も知らなかった。」
「ある日老人は浮浪児に会い、衝動的に彼をアパートに連れて帰った。老人は見知らぬ少年に食事と寝る場所を与えた。翌朝、老人は浮浪児に新しい服を買い、スマートフォンや、テレビゲームやサッカージャージも与えた。浮浪児は家でくつろぎ、ほとんどものを言わなかった。」
「ほどなくして、老人は物がなくなっていることに気づいた。父親から受け継いだ時計が引き出しからなくなっていた。戸棚の上に立ててあった銀のゴブレットも。もっと悪いことに、家に帰ったときに、明らかに故意に物が壊されていたのを見つけてしまった。ガラスのピッチャーが割れて破片がキッチンに散らばっていた。洗面所の鏡もひび割れており、ソファのクッションも切り裂かれていた。」
「老人は少年にこんこんと説教した。『お前にはよくしてやったのに、なぜこんなことをする？』少年は老人を笑い、そして殴りつけた。老人は鼻と唇から血を流して床に転がった。警察を呼ぶべきか？彼は思った。『いや、警察を呼ぶのはやめよう。これがどうだっていうんだ？どのみち俺はもうじき死ぬ。たぶんこのことから善意が生まれることもあるだろう』」
「贖罪」への渇望。これがあるために、難民が直面する「人道危機」を前にしてメルケルの理性は崩壊した。これがあるために、難民たちがどんな犯罪を起こそうが、ドイツのエリート層は決してその政策を変えないのだ、というのです。
反移民感情（ゼノフォビア）への恐怖感（フォビア）
これはなかなか興味深い見立てですが、「ナチス問題への罪悪感」を難民政策へのこだわりの主要な動機と特定する前に、もう少しメルケル政策の細部を検討する必要があります。
昨年9月、国連の会議の席でFacebook創業者ザッカーバーグ氏と同席したメルケル首相は氏にヘイトスピーチ対策を要求したと報じられました。その後12月、政府の要求によりグーグル、Facebook、ツイッター各社が「ヘイトスピーチ」を削除する特別な措置に合意。この合意では、専門家チームを動員し反移民感情に基づくコメントを削除要求から24時間以内に取り除くこととされています。
Redditというディスカッションサイトでは、ケルンの同時多発婦女暴行事件の直後、大量のコメントが削除されていたことが明らかになりました。
ドイツでは、ホロコーストの否定など一定の言説は従前から禁止されていましたが、これほどあからさまな「検閲」に出るところを見ると、反移民感情が高まることへの極度の恐怖感が伺えます。これは一種の「ゼノフォビア−フォビア」とでも呼びたいくらいです。
一方、ケルン事件を受けて反移民団体PEGITAが抗議デモを行ったところ、大量の警官が配備され、デモ隊に向けて放水銃と催涙ガスが発射しこれを鎮圧、逮捕者も出ました。（これが、大晦日の大騒乱にも関わらず配備された警官があまりにも少なく全く暴行を防げなかったことと対比され、ますます反移民派の不満を掻き立てています。）
なるほど、これが「ナチスの亡霊に怯え」ている状態の現れなのかもしれません。
確かに反移民感情が高まることのリスクは大きい。下手をすれば、現在みられるような、ケルン事件への復讐と見られる散発的な暴行事件だけでなく、殺人事件や、反移民団体とムスリムギャングの大規模衝突、果ては武器や爆発物を使った移民の大量殺害事件が起きるかも知れない。いや内戦に発展するかも知れない。
そうなれば、ドイツ政権の上には、「ナチス問題」の罪悪感の上に、さらなる罪悪の「黒歴史」が上乗せされることになります。
「かつてはユダヤ人を大量虐殺し、そして今度は自ら招いたムスリム移民を虐待したドイツ。」
そんな風には絶対呼ばれたくないはずです。そう考えると、メルケルや他の政治家たちの不可解な言動も意味を成してくるように思えます。
ドイツは、もうこれ以上罪悪感の重みに耐えられない。だから、人数に制限など絶対に設けられない。国境で野たれ死ぬ難民を見るなどとても我慢できないから。
だから、いつまでも野外に「難民」を寝かせるわけにはいかない。「人権侵害」になるから。
だから、「難民」が自由にプールに出入りするのを妨げてはならない。「差別」はいけないから。
だから、「難民」がどんな暴虐を働こうと、「彼らを責めるべきではない」。一般化するのはレイシズムであり間違っているから。
だから、PEGITAは放水銃と催涙ガスで追い散らす。彼らは恐怖の記憶を呼び起こす「極右」「ネオナチ」だから。
（・・・・・だから、「難民」に強姦されないようドイツ女性は気をつける必要がある。それ以外に防ぐ方法は何もないから。）
新たな罪悪感への恐怖に責め苛まれながら、気が遠くなるほど先に存在する（と信じられている）ゴール、すなわち平穏な「移民の統合」に向け、なりふり構わず走り続けるメルケル。
これはチキンレースです。時が経つにつれ、200万、300万と申請者の数が増えていく。トラブルの件数も激増していくでしょう。その中で少しでも「難民」の扱いを間違えれば「ゼノフォビア」「レイシスト」「人権侵害」といった罵声が浴びせられる。
ましてや、急激な政策転換をして、国境を閉鎖し希望者をシャットアウトしたり、難民を隔離したり、紛争地域に送還したりすれば、さらにひどい罪悪感の悪夢が待つことになる。だから前に走り続けるしかない。
もう二度と罪悪感の責めを味わいたくない。それを避けるためなら、彼女は、自国民にどんな犠牲でも強いる覚悟なのでしょう。
これがメルケルとドイツ政治家を突き動かしているものの正体なのではないでしょうか。
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