日本ではほとんど報じられない海外クリスチャン事情

キリスト教や聖書について、日本ではあまり論じられない視点から解析していきたいと思います。

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無法地帯と化すベルリン
ドイツ・ケルンほか欧州各所で2015年大晦日から未明にかけて発生した同時多発的婦女暴行事件の衝撃も覚めやらぬうちですが、1月19日DIE WELT紙の報道によれば、ベルリンでは駅で少女に痴漢を働いていた男二人を止めようとした白人男性が転倒させられたうえに頭部を蹴られるなど意識不明に至るほどの暴行を受け、「ベルリンは無法地帯になったのか?」と報じられました。
 
 
くしくもイスラム専門家でカイロ在住経験のある飯山陽さんという方が、「どこまでもイスラム国」というブログで「中東の常識、ドイツの非常識」と題して、ドイツ・ケルンの婦女暴行事件の背景を分析しています。
 
 
いわく「中東では、『女は勝手に触っていい』ものとされています。」「年末にケルンで発生した集団レイプ事件も、ようは中東の常識をケルンに持ち込んでしまったから発生した事件なわけです。」
 
さらに飯山女史は「中東では、もめごとは殴り合いで解決するのがふつうです。」「暴力を振るう程度で訴追されたら、刑務所がいくらあっても足りません」とまで言っています。
 
あまりにも端的に過ぎるように見えますが、イスラムと中東文化に通じた専門家の見立てとして筆者は信頼できると考えています。これがケルンのみならず上述のベルリンでの事件をもよく説明しているように思えます。
 
難民危機はまだ終わっていません。それどころか、2016年にも100万人、2017年末までには累計400万人ほどが欧州にやってくるとの観測もあり、さらには新興国の経済危機が発生した場合億単位になるとさえ言われています。
 
それによって人口構成が変われば法治社会ヨーロッパは終わります。

暴力が日常になるのです。
 
そして奇妙なことに、それを本気で避けようとする動きは政権の中からはほとんど見られません。
 
欧州各国の「自己検閲」
ケルンの事件の全容が徐々に露見し始めています。ケルンのみで被害届は821件、ドイツ全土では1000件に達すると報じられています。126件の「集団による強姦」47件の「集団による性的攻撃」が含まれているというから驚愕の数字です。第二次世界大戦末期、ソ連軍がドイツに侵攻した際多数の強姦が行われたといわれていますが、ケルンの事件はまさに軍隊がドイツに攻めてきたかのようです。一晩で発生した被害のスケールがほとんど戦争レベルです。容疑者はたった30人しか特定されていませんが、全員が北アフリカ出身、半数が難民申請者でした。


ところが、年明け直後、ケルン警察は「街中はおおむね平穏であった」と報告しており、これが「隠蔽だ」として激しい非難を浴び警察署長の辞任にまで至っています。

しかも、ケルン事件の詳細が浮上するにつれ、それ以前にも似たような事件があったことがわかってきました。2015年11月、ドイツのボンで「難民歓迎パーティ」を開催したところ、多数の「難民」が数人の女性出席者に押し迫り体を触ったというのです。何度もBGMが中断されアラビア語でそのような行為を止めるようアナウンスが行われましたが、女性たちは慌てて退席せざるを得ませんでした。この事件はなぜかすぐには公にされず、主催した自治体は「事件を知っていて隠蔽しようとしたのでは」と非難を浴びています。


同様の事件とそれに続く「隠蔽」はスウェーデンでも発生していたことが明らかになりました。
 
2014年夏にスウェーデン・ストックホルムで開催された野外音楽フェスティバル「We Are Stockholm」で、アフガニスタン出身者を中心とした難民の若者たちによる集団痴漢事件が発生。しかも警察もメディアもそれを黙殺していたことが露見しました。
 
 
フェスの主催者、Roger Ticoalu氏によれば、それは「今まで見たこともないような手口」であり、「若い男の大集団が少女たちを取り囲み性的ないたずらをしていた」そうで、取り押さえられた犯人は17-20歳ほどの年頃の、最近スウェーデンに到着した難民の若者たちであった。5日間続いたフェスの間20件の性的攻撃の通報がなされたとのこと。
 
イメージ 1

アフガン系の若者に取り囲まれる被害者(左)と容疑者を逮捕する警官(右)、後ろには涙ぐむ被害者。gatestone instituteより。

2015年におけるフェスにおいても同様の犯罪が15件報告されていました。ストックホルム警察関係者は、そのときには警察もイベント運営側も備えができており、介入と防止ができた、と主張しています。しかし、むしろ問題なのはなぜケルンの事件が起きるまでこれらの事象がひろく公にされなかったのか、ということです。
  
ひとつには、2014年のフェスが開催されたのは、総選挙を1ヶ月後に控えていた時期でした。つまり、難民による性犯罪を大々的に報じてしまうと、難民排斥を訴える「極右」政党の躍進を許すことにつながる。それを恐れて公表を控えたと見るむきもあります。

ところが、もっと奇妙なのは、ケルン事件が露見してもなお、政権にいる政治家たちは難民受入政策に問題があるとは決して認めようとはしていないように見えることです。

例えばスウェーデンの首相は、難民受入れと新たなタイプの性犯罪の出現との因果関係がこれほど明らかであるのにも関わらず、移民たちを性的攻撃のかどで非難してはいけないと主張。「不運なことだが、スウェーデンでは長年の間セクシャルハラスメントが存在してきた」として、あたかもこういった犯罪は自国でも昔からあったと認識しているかのような発言をしました。
 

ところが実際には、大晦日の事件に接した欧州各国の警察関係者は口を揃えて「このような犯罪は前代未聞」「全く新しい次元の犯罪だ」としています。

一体首相の言い分と警察とどっちが正しいのでしょうか?

答えは明白です。

イスラム世界では、男性が(時として集団で)女性にセクハラや暴行を加えるのは特段珍しい現象ではありません。イスラム世界での事件は少し検索しただけでもこれだけの事件が見つかるのです。これらは現実に起こっていることで、「難民」流入により欧州においても、今後日常的な光景になりうるということです。、欧州がこれから直面するであろう現実を皆さんに一刻も早く知っていただきたいため、露悪趣味に陥るのを覚悟で翻訳・掲載します。

パキスタン。
12歳のキリスト教徒の少女がラホールで2人のムスリム男性に強姦されたことで抗議デモが発生。抗議運動を展開するキリスト教徒活動家は、「ムスリムはキリスト教徒をコントロールするためにしばしば性暴力を利用する」「これはムスリムへの服従を強調するための暴力の形式である」と指摘している。少女の家族は告訴を取りやめるよう脅迫されたが踏み切った。


同じくパキスタンでは2016年1月キリスト教徒の若い女性三人が車で帰宅途中ムスリム青年たちに車に乗るよう声をかけられた。それを拒否したところ追突され17歳の少女が死亡。青年のひとりは誘いを断られた際に激怒し「Christian girls are only meant for one thing the pleasure of Muslim men.」(「キリスト教徒の女はムスリム男の快楽のためだけにあるんだ」)と叫んだという。


現地の人権NGO関係者によると、パキスタンではキリスト教徒女性の地位はことのほか低く、毎年700人、1日につき2人ほどのキリスト教徒女性たちが誘拐、強姦されあるいはイスラム教徒と強制結婚させられている。イマムの中には暴力を通じてキリスト教徒を改宗させると天国で褒賞があると教える者もいるという。


宗教少数者の女性、とくにキリスト教徒の女性は最も強姦のターゲットになりやすく、しばしば犯罪者は罰されることなく逃げおおせる。ラホールの街中で5歳の幼女がムスリム男性たちに輪姦された例もある。1歳と3歳の幼女たちへのムスリム男性による強姦未遂事件さえ報告されている。警察が被害者に告訴を断念するよう圧力をかけることもある。その他にも、3人のムスリムに9歳のキリスト教徒少女が輪姦された事件は大きな憤りを呼んだ。さらに2004年には、キリスト教徒の父親がイスラムへの改宗を拒んだために2歳の娘が強姦され世界に衝撃を与えた。

バングラデシュ。
2014年4月カトリック教徒の21歳の女性が4人のムスリム少年に輪姦される。この女性も告訴を取り下げるよう脅迫を受けている。


2015年5月22歳の宗教少数者に属する女性がダッカで、ミニバスの中で5人の男に輪姦される。被害者の家族は告訴が受け付けられるまで3つの警察署をたらい回しされた。人権団体によれば警察の無頓着な態度と文化的な無罰がこの種の犯罪を後押ししているという。


国連の調査によればバングラディシュ男性のおよそ8人に一人は強姦をしたことがあるとされる。


アフガニスタン。 
首都カブール。2014年、4人の女性が6人の男によって公共の場で輪姦される。下手人たちは警官の制服を着用し、通行していた4台の車を止めさせ、乗っていた男性たちを縛り付けたうえで女性たちを数時間強姦した。被害者の一人は妊婦だった。


なおアフガニスタンでは地元軍人や警官により年少者(男児含む)が強姦されることは珍しいことではなく、駐留米軍はそれを「現地の文化だ」として看過する方針を貫いている。義憤から強姦犯を制裁した米兵が懲戒処分を受け除隊させられた例もある。


そして移民を受け入れたヨーロッパはどうなるか。

ドイツ。
市民プールでは難民青年たちによるセクハラが横行。ドレスデンで、19歳のアフガン出身青年が、11歳と12歳の少女2人への痴漢行為で逮捕。ミュンヘンでも、14歳と17歳の少女2人を集団で取り囲み1人を強姦した疑いがもたれ、シリアとアフガン出身の移民男性のグループが逮捕された。(なぜかいずれもすぐ釈放。)

あるプールは難民の入場を禁止したが、圧力を受け解除せざるを得ず。なお、難民入場禁止について行政担当者たちが口を揃えて「法的に疑問がある」「プールが難民に訴えられる可能性がある」「全員を一般化して疑うのは正しくない」等として反対しているのが不思議。(ドイツ女性の安全はどうでもいいようである。)

16歳の少女が、移民政策下で性暴力の恐怖に怯えながらの生活をfacebookで告白し話題を呼んだ。「17歳、15歳、そして12歳の女の子までもが襲われている。どうしてこんな恐怖の中で私たちは育たなければならないの?」少女はメルケルを痛烈に非難し、官憲に通報しても何もしてくれないと訴えた。投稿は速やかに削除された。


シュヴェツィンゲンという町の駅で2人の女性が痴漢され、抵抗したところ一人が顔面を蹴られ頬骨を骨折。(パキスタンのパターンと全く同じ)。犯人は逃亡したが逮捕。犯人はドイツに到着して数ヶ月の難民で、町の難民キャンプに居住していた。


イギリス。
ロザラムという町で、少なくとも1400人以上もの少女が恒常的に強姦、強制売春、虐待の被害を受けていたことが明らかになる。容疑者の大半はパキスタン出身のムスリムであり、組織的に少女を誘惑、誘拐、監禁、輪姦していた。被害者が犯行グループとの関係を絶とうとしたり、警察へ通報しようとした場合、それを阻止するため熾烈な暴行と脅迫が行われていた。オランダでもモロッコ人による同様の犯行が露見している。


フランス。
「ジャングル」と呼ばれる難民キャンプを取材した女性ジャーナリストが刃物を持った男たちの集団に襲われ、すんでのところで救出される。



「ムスリム流ナンパの流儀」をよく表す映像。立ちはだかって声をかけ、断られたら殴り蹴る。(これもパキスタンのパターンと全く同じ)



スウェーデン。
リトアニア出身15歳の少年がアラブ移民の同級生に刺殺される。少年は女子がこの同級生からセクハラを受けていたのを制止したという。加害生徒の父親は「息子はいじめを受けていたのだ」と主張しているが、刺殺された生徒の父親は、国内メディアは被害者の家族を取材しようともしないことに憤っている。


2人の子供をつれた母親が機転を利かせてスリを阻止したが、チュニジア出身の犯人は逆上しこの女性に暴行を加えた。犯人は逮捕され国外追放となったが、送還先はデンマークであり、何の解決にもなっていないと批判を受けている。


以上の例は現在進行形の犯罪増加現象のごく一部です。

ハフポストの懲りない楽観主義
ところが、無知なのかナイーブなのか、何があってもイスラム世界からの移民そのものに原因があるとは認めないのは欧州政治家たち。その心理について、右派、つまり難民受入反対に立つ論者の中には、「難民受入政策の誤りを認めるとライバルである右派政党が躍進して自分たちの権力が削がれてしまうと恐れているからだ」と指摘する方もいます。
 
それも要因として存在するのでしょうが、しかし筆者はいまひとつ腹に落ちないものがあるのです。筆者は政治学は素人ですが、もしも自分たちの権力を保持したいだけなら政策を現実に沿うよう修正することで支持を取り付ければいいのではないか、と素朴に考えてしまいます。しかも、権力とは関わりのない学者やジャーナリストの間にまで、似たような発言が幅広く見られる。

たとえば、2015年の7月、難民危機が丁度注目を集め始めたころ、左派メディアとして有力な「ハフィントンポスト」に「5 Major Myths Of Europe's Refugee And Migrant Crisis Debunked」という記事が掲載されました。
 
 
実はこのメディアは、伝統的な家族観に拘る人たちに熾烈な攻撃を加えているゲイ神学者パトリック・チェン師がコラムを掲載している媒体です。その意味で左派リベラルの代表ともいえるようなメディアと筆者は見ています。
 
そのハフポストの記事では「欧州の難民・移民危機にまつわる5つの神話を暴く」と題し、反移民論者によってよく持ち出される「彼らの多くの経済移民である」「移民・難民はトルコに留まることができる」「助けが必要なようには見えない」「ISIS戦闘員が難民に偽装している」「難民と移民は経済を破綻させる」といった5つの言説を挙げ、これらが全て誤りであることを滔々と述べ立てています。
 
例えば、この記事は「ISIS戦闘員が難民に偽装している」という言説に反論するため、ある「専門家」の意見を引用してこう論じます。

「ロンドンのキングスカレッジにおける国際関係と中東学の準教授、Reinoud Leendersがロサンゼルスタイムスに答えたところによれば『私にはISISが西洋を攻撃しあるいは脅威を与えるためにそんなややこしい企てに出る必要があるとは思えない』。どのみち、多くのイスラム国メンバーは、欧州の市民権を持つ外国人戦闘員だとLeendersは指摘する。」
 
こんな出任せを言うのはいったいどんな「専門家」なのか度し難いものがありますが、現実には、パリ同時多発テロ事件、そしてシャルリエブド襲撃1周年に発生した警察署襲撃事件などにより過激派戦闘員またはテロリストが難民の身分で入国していたことが明らかになりました。
 
ハフポストのようなメディアから見れば天敵のような発言ばかりを繰り返している宗教右派の福音派宣教師にフランクリン・グラハムという人がいます。グラハム師は難民の中にテロ組織構成員が混じっている可能性を2015年4月の時点で指摘していました。
 
 
この人はイラク戦争に関する発言で何かと非難されがちですが、パリ同時多発テロ事件の顛末をみると、現実をそのまま現実として認識する能力においては、並みいるリベラル左派論客やポリティカリーコレクトな政治家たちよりはるかに優れているように感じられるのは筆者だけでしょうか。
 
しかしこのハフポストの記事の著者がパリ同時多発テロ事件以降釈明したという話は聞かれませんし、現在でも「可哀想な難民」というナイーブなステレオタイプや「難民受入れは経済を活性化させる」といった無邪気な議論は潰えていないように見えるのです。
 
「女性は多文化社会に慣れるべき」
難民救済を通じた共存共栄バラ色のハッピーエンドを夢見るのみならず、難民のために女性が性被害に遭っても、かえって女性に責を帰する言説も珍しくありません。

同時多発暴行事件の舞台となったケルンの市長は、「女性は被害に遭わないようもっと準備するべき」「見知らぬ男とは腕一本の距離を空けましょう」などといった発言で顰蹙を買いましたが、たとえば学界では、そこがもともと現実から乖離した象牙の塔だからなのか、これを上回るようなトンチンカンな発言が以前から見られました。ノルウェーのある人類学者(女性)は、ノルウェーにおける強姦犯罪の急激な増加および65%の強姦犯が非西洋人であることに関し、2001年にこんな発言をしており、しばしば引用されています。
 
 
「私にとってこの数値は全く驚くものではありません。多くの移民がノルウェー女性は彼らに性的接触を求めるような合図を送っていると考えています。そしてすぐに行き違いが生じるのです。多くのノルウェー女性は間違いなく、非西洋人男性の女性に対する見方について乏しい知識しか持っていません。」
 
「強姦は決して許容されません。しかし、ノルウェー女性たちが自分ではノルウェー女性として通常に振舞っているつもりでも、非西洋国出身の男性が彼女たちから性的な誘いを受けていると考えるのは理解できます。ノルウェー女性がどれほど非西洋の男性に対し盲目でナイーブであるかということは驚くほどです。」
 
「私は強姦についてノルウェー女性に非があるとはしませんが、ノルウェー女性は我々が多文化社会に生きているということを理解し、それに自らを適応させる必要があります。」
 
ここに絶望的なまでの無知があります。西洋女性の服装や振る舞いがムスリム男性にとって「sexual invitation」になっているというのはよく言っても事実の半分(確かにコーランには「女たちは性的悪戯をされないようにベールを被れ」と書いてある)、悪く言えばムスリム男性が犯罪に及ぶための口実・詭弁に過ぎません。
 
上述の飯山女史は、エジプト女性の実に8割以上がセクハラに遭ったことがあるという調査結果を指摘しています。かの国は9割がスンニ派ムスリムですから、ムスリム文化に適応したとしても被害は防げないことは明白です。たとえノルウェー女性が全員がヒジャブを被っても防止にはならないのです。
 
多文化社会に慣れる、というのはどういうことか。実のところは、ムスリム社会の慣習に慣れる、ということであり、それを手っ取り早く言えば、女性は暴行されたくなければ十分な武力を持つ男性の付き添いなくしては家から出るな、外出して暴行されたら文句は言えない、されたほうが恥だ、ということです。
 
これは、女性の尊厳の尊重や法による支配を築き上げてきた西洋社会の自殺以外のなにものでもありません。何が彼らをして自らの先祖が築き上げてきた文化の破壊を阻止することを放棄させているのでしょうか?
 
「本当の被害者はムスリムたち」
さらに信じがたいことを言う論者もいます。ケルンの事件を受けて、ある女性コラムニストがガーディアン紙上でこんな意見を披露しています。
 
 
「言ってみれば、路上強盗や痴漢はいつだっていたのだが、彼らが白人でないときだけ世界的なニュースになるのだ。」
 
「これらの犯行が、スリルや西洋女性の性的な気安さについての推測にあおられて、主に性的な動機によって行われたなら、犠牲者の貴重品を盗む理由などどこにもなかったはずである。強姦犯が求めるのは支配することであり、金ではない。」
 
「リベラルは厳しい質問をすることを恐れてはならない。若いドイツ女性は、ありがたいことに、高価なスマートフォン、大晦日を好きなように祝う権利とともに、歴史的に先例のないほどの経済的・性的自由を享受している。一方、少なくとも女性に対する優越性だけは享受できたかもしれない生活を抑圧的な政権の下で送ってきたが、その人生を、欧州の社会的・経済的食物連鎖の底辺でかつかつに暮らしていく人生と交換した若い移民男性には、必ずしも同じことは当てはまらない。」
 
「これが、自信に満ち、見たところ幸運な若い女性たちに屈辱を与え非力にした攻撃となんらかの関係があるかどうか尋ねることは狂気とはいえない。」
 
お笑い種なのは、多くの移民男性が高価なはずのスマートフォンを所有している事実、そして異教徒を襲い、財物を奪い、女を性奴隷にするのはムハンマドの行跡に関する伝承に完全に則った行いである、ということにこの女性が全く気づいておらず、見当違いな憶測ばかりしていることです。あまつさえ集団暴行の背景に「豊かさと自由を手にした」ドイツ女性と「貧困と圧制に苦しんできた」移民男性の格差があると見ている。勿論、「難民受入を止めてはいけない」という結論は頑として譲りません。
 
これほど捻じ曲がった議論を見せ付けられると、もはや言葉もありません。「持つ者と持たざる者」の対立を持ち出すことで、おぞましい性暴力にさえ理解を示そうとしている。
 
この異常性はただごとではない。その裏に単なる政治的優位性への渇望を超えた、病的な心理を感じてしまいます。

一体このコラムニストの背後に働いている心理は何なのでしょうか?マゾヒズムでしょうか?極度の自己嫌悪でしょうか?自殺願望でしょうか?
 
「難民救済」信仰の裏にある病的な心理は何か
以上、いくつかの議論を見てきましたが、「極右」と目されるような(実際には自国民の安全確保を訴えているだけの)一部の政治家を除くとしても、大多数の欧州の行政担当者や知識人たちが抱く「難民救済」への不動のこだわりは驚くべき強さです。

もはや、これは「難民救済教」という信仰です。

なぜ、何が起きても「もうこれ以上受入れは無理だ」と言わないのでしょうか。

なぜ客観的な根拠が山のようにあるにも関わらず、どんな犯罪が起きようとイスラム世界の信条や文化に原因を帰して批判しようとする動きがこれほど徹底して拒否されるのでしょうか。

なぜ、被害者である女性のほうが行動を変える必要があるという議論がなされるのでしょうか。

筆者の推測ですが、その裏にあるのは、精神や判断力を蝕むほどの深い「罪悪感」ではないでしょうか。

そして、その罪悪感を必死で打ち消そうとしているのではないでしょうか?

次回はこの「罪悪感」を分析していきたいと思います。

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