昔の人名の由来について調べ物をしていたのですが、「左門」という名前の意味は「左門衛府」という役職の略称だと出てきました。
しかし、「○○左衛門」については、「左衛門府」という役職が出てきました。
両方とも「宮城(きゅうじょう)の門の警護を司る」とされていて、違いが分かりません。
この二つの違いについて、教えてください。

また、これら「左門衛府」や「右門衛府」は宮(貴族の家)の警護をしていたようですが、戦国時代、武家にもこのような「左が偉く、右が補佐を示す名前の役職」はあったのでしょうか。

片方だけでも構いませんので、よろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

律令制のもと、天皇らの身辺の警護、宮城の警護、京内の巡回などを行う軍事的組織として置かれたのが五衛府。


衛門府、左右衛士府、左右兵衛府の5つで、後、衛門府が、左衛門府と右衛門府とになって六衛府となりました。
衛門府は、宮門の守衛と、そこを通る者を検察することが任務です。左衛門府も右衛門府も役所の名称です。ちなみに、左がえらく右が補佐するわけではありません。
官職名は、長官が左衛門督・右衛門督、次官が左衛門佐・右衛門佐、三等官が左衛門大尉・少尉・右衛門大尉・少尉、四等官が左衛門大志・少志・右衛門大志・少志です。

武士の時代となると律令に定められた官職はほとんどが有名無実になってしまいます。
とはいえ、武士も朝廷から官職を与えられることがありました。といっても別に本来の仕事をするわけではなく単なる名誉職というか泊付けみたいなものです。
衛府はもともと軍事組織だったので武士に好まれたようです。平安時代中にほぼ任官が無くなっていた大志・少志以外は結構多くの武士が与えられています。
有名どころでは源義経の左衛門少尉や、先日の「真田丸」でやってた真田信繁の左衛門佐など。

もっとも戦国時代などの武士の官職名は、正式に朝廷から任じられた人もいましたが、多くは大名が家臣に褒美として与えた非公式なモノが多かったのです。
戦の最中敵味方に同じ官職名の人がいたり、同じ家中に何人もいたりなんて現象があります。
江戸時代の遠山の金さんの左衛門尉もそういった朝廷と無関係なものです。正式には左衛門大尉・少尉ですがそうなっていないのもそのあたりが原因です。

そういった武士が名乗った非公式の官職名で人気のあった左衛門の何とか兵衛の何とかを庶民がまねて、何とかざえもんとか何べぇとかいう名が流行ることに。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。分かりやすかったです。
一点だけ、「左が偉いわけではない」とのことでしたが、おひなさまの「右大臣、左大臣」なんかは「左大臣」の方が偉いですよね?
そういったことはなかったのでしょうか?

お礼日時:2016/07/16 17:39

>「左が偉いわけではない」とのことでしたが、おひなさまの「右大臣、左大臣」なんかは「左大臣」の方が偉いですよね?


 そういったことはなかったのでしょうか?

確かに、左大臣も右大臣も官位相当は同じですが、議政官を主催するのは左大臣ですので左大臣のほうが偉いですね。
左右衛門府は単に管轄を分けていたといったところでしょうか。
右京左京にそれぞれの官舎があり、大内裏内に宜秋門に右衛門府が、同じく建春門に左衛門府が陣を置いていました。

武家時代以降の実態を伴わない泊付けの名前だけの時代には左衛門のほうがいいとかいうのはあったかも知れませんね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

重ねての回答、ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/17 00:30

門衛府という官職名は有りません。


衛門府なら「宮城の門の警護を司る」官職名です。
左と右があるので、左衛門府と右衛門府があります。

官職と言っても実体が有った訳ではなく、会社で言う資格名の様なものです。例えば警察でも警視・警部といった資格名(階級名)が有り、これとは別に実体を伴う部長・課長などがあります。
○○課長である△△警部、の様に。

武家にも付いています。
遠山左衛門尉景元など。尉と言うのは衛門府の中での位を表します。
左衛門尉が官職名+位で実体の無い栄誉名です。

遠山:姓
左衛門:官職名
尉:位
景元:名

官職名+位、には、セットでそれを表す呼び名が細かく決められています。
左衛門尉の呼び名は「金吾」と言います。
なので、遠山左衛門尉景元を「遠山の金さん」と言う訳です。

姓+官職名+位+名は鎌倉時代には既に使われています。

姓は自身の姓だけで無く、先祖や縁者の姓も頭に付して使っていたので、名前が異常に長くなっています。
遠山中務九郎衛門尉景元 みたいな感じです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
左門衛府が誤情報だと分かってよかったです。

お礼日時:2016/07/11 13:40

>「左門衛府」



初耳です。
左門は東百官という実際にない官職に似せた名前の一つです。

>「左衛門府」という役職

厳密には役所の名前です。
官職には左衛門尉などがあります。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
左門衛府が誤情報だと分かってよかったです。

お礼日時:2016/07/11 13:40

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q尼子って武家なのに、なんで女性を表す「尼」と、子供を表す「子」を組み合わせた苗字を使ってるのでしょう

尼子って武家なのに、なんで女性を表す「尼」と、子供を表す「子」を組み合わせた苗字を使ってるのでしょうか?

例えば「天に女子供を扱うがごとく守って貰う」みたいな深い意味がえるのでしょうか?それとも当時は別の意味だったのでしょうか?

Aベストアンサー

先祖が滋賀県の尼子という村に住んでいたからです
http://www.www2.harimaya.com/amago/index.html

Q貴族の固有名称「ド」「フォン」とか

フランス貴族は「ド」
ドイツ貴族は「フォン」と名前の間に付くのはなんとなく頭の中で分かっているのですが(たぶん漫画か小説で読んで知ったのだと思います)
じゃ、イギリス・イタリア・スペイン貴族は名前に貴族を表すような固有名称はなんて付くのでしょうか?
ちなみにドとかフォンとかいうのは爵位ではありませんよね?
上記に上げた国以外で貴族の固有名称があればおしえてください。

Aベストアンサー

参考URLに書いたページで詳しく説明されています。

参考URL:http://www003.upp.so-net.ne.jp/detective_story/memo/memo08_aristocrat.htm

Q皇居の「宮城」(きゅうじょう)と、宮城県の関係は?

皇居を「宮城」(きゅうじょう)と呼んだそうですが、宮城県の「宮城」とは、なにか関係あるのでしょうか?

Aベストアンサー

>宮城県の「宮城」とは、なにか関係あるのでしょうか?

他にも回答がありますが、多賀城(古代朝廷の出先機関)の存在でしようね。
「宮なる城の所在地」から「宮城郡」。(仙台地方県事務所)
明治の廃藩置県では、皇城(宮城)との関係から色々と問題があったようです。
が、古から朝廷との繋がりを意味する「臣民として良い名だ」という鶴の一声で決まったようです。

Qフランス貴族の「ド」と爵位

フランス貴族は「○△・ド・◆×」(適当ですみません)といった名称(というのでしょうか)になると思うのですが、実際、この「ド」とはどういった人たちにつけられるものなのでしょうか。
またそれは爵位などと関係しているのでしょうか。
そして「ド」の前後(上記でいう「○△」「◆×」にあたる部分)はどういった意味合いなのでしょうか。
名前と苗字かと思ったのですがどうやら違うようなことを耳にいたしましたので・・・

質問ばかりで申し訳無いのですが、一つでも構いませんので、お暇なときにご回答頂ければと思います。

Aベストアンサー

ド(de)はフランス語の前置詞/冠詞です。
ごくごく普通の単語で、英語のofに相当します。
全く特別なものではないので、
どういうった人につくか、ではなくて
どういったことが名前に表現されているかに依存します。

貴族の爵位を表すという用法は、
前置詞の起源・原因・手段・様態などを表す意味のときで、
duc de DD/duke of DD、つまりDD公爵となります。
フランス語の場合 de の後にh や母音がくると、
それが縮まるので、duc de AAや duc de HAU なら
duc d'AA や duc d'HAU となります。
つまりドと単独ではなく、ダ、デなど次の母音と重なってきます。
ジャンヌ・ダルクのd'Arc が有名でしょうね。

さてドがつく場合には爵位以外にも前置詞の限定の意味でつく場合があります。
つまり同姓の人がいた場合、地名などをつけて、どこどこのと限定するわけです。
日本の姓でも、住んでいた地名が姓となって例が多数ありますが、
これもそれと同じで、次第にド・なんとかのところが姓として
使われるようになります。
そういう場合、ドと次を合わせて丸ごとで姓となります。
さらにかつては貴族だった人がその後そののまま姓として用いている場合もあり、
はっきりいうと、ドがついているから貴族だとは全くいえません。
C. A. De Gaulle ドゴールなんかはドをもう単独では考えず
ゴールさんとはいわないわけです。

しかしなかには何個もdeがつく長い名前があります。
その場合、たいていは複数の爵位や、母方父方両方の姓を名乗っているなどです。
ま、簡単に考えれば、de 以後が姓で、前が名ということはいえるのですが、
貴族云々は名前だけではわからないのところで、
騎士クラスからドをつけていたので、非常に多くの人間がつけたり、
過去つけていたりするので、特にドは貴重でもなんでもなく
やっぱりだたの前置詞と考えるのが妥当です。
ま、名前に前置詞がつくのが奇異に思うかもしれませんが、
タイラノマサカドとか、日本でも昔はついていたんですよ。

ド(de)はフランス語の前置詞/冠詞です。
ごくごく普通の単語で、英語のofに相当します。
全く特別なものではないので、
どういうった人につくか、ではなくて
どういったことが名前に表現されているかに依存します。

貴族の爵位を表すという用法は、
前置詞の起源・原因・手段・様態などを表す意味のときで、
duc de DD/duke of DD、つまりDD公爵となります。
フランス語の場合 de の後にh や母音がくると、
それが縮まるので、duc de AAや duc de HAU なら
duc d'AA や duc d'HAU となります。
...続きを読む

QVIP的武家男児のたしなみとしての「色好み」

武家男児(特に城主クラス)たるもの、庶民にはない、血縁婚姻的な強制力がかかることが多いかと思います。そのときに、あてがわれた女性に対する万遍ない好色度を発揮できるかどうかということが結構重要なのではないでしょうか?それとも、娶ることが重要なのであって、世継ぎ子孫をその相手と作るということはさして重要ではないのでしょうか?あるいは、数ある妾の中からその世継ぎ敬称のパートナーを選択すればいいのでしょうか?しかし、やはり、幅広い好色度を示した方が、周りの安心感とうものも得られるのではないでしょうか?武家男児のAV男優的たしなみ素質開発とでもいうのでしょうか?
そういう考え方などありましたでしょうか?

Aベストアンサー

>「女性に対する万遍ない好色度」
 発揮する必要は有りません。(気に入った方だけに好色を示せばOKです)と言うか、当時の正妻に求められた仕事は、奥をしっかり取り纏め、外部に夫の醜聞を漏らさない事でした。

 世継ぎになる男子を産んでいれば、奥での地位は安泰ですが、そうでない場合で側室だった場合、理由を付けて家臣に下げ渡される事も有ったようです。(斉藤義龍の生母「深芳野」は、当時斉藤道三の主君だった土岐頼芸より貰っています。)

 正妻の場合は、離婚される事はます有りませんが、愛情が失せて夫がまったく尋ねて来なくなったり、最悪な場合は城外の別の館に隔離された例も有ります。(徳川家康の正妻「築山殿」は、岡崎城に入ることは許されず、岡崎城のはずれにある菅生川のほとりの惣持尼寺で、幽閉同然の生活を強いられたそうです。)

 15代の将軍のうち、家康、家光、慶喜以外は側室から産まれた者ですから、当時の奥に上がった女性は世継ぎを産むために、相当必死だったと思います。(側室と言っても、子を作っていない方は、格の高い「使用人」程度の扱いでした。)

>幅広い好色度を示した方が、周りの安心感
 当時は、現在みたいに医学が発達していない為、子が早世する事が多く、その為、子をなす為の好色は推奨される事は有っても、非難される事は有りませんでした。(江戸時代には、それでも子がいなくて断絶させられる大名家が沢山有りました。養子は幕府の煩わしい手続きと許可が必要だった為、大名が急死した場合、間に合わない事が多かったようです。)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%B4%E5%AE%A4

>「女性に対する万遍ない好色度」
 発揮する必要は有りません。(気に入った方だけに好色を示せばOKです)と言うか、当時の正妻に求められた仕事は、奥をしっかり取り纏め、外部に夫の醜聞を漏らさない事でした。

 世継ぎになる男子を産んでいれば、奥での地位は安泰ですが、そうでない場合で側室だった場合、理由を付けて家臣に下げ渡される事も有ったようです。(斉藤義龍の生母「深芳野」は、当時斉藤道三の主君だった土岐頼芸より貰っています。)

 正妻の場合は、離婚される事はます有りませんが、愛情...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報