あなたが機嫌がいいと、世界は機嫌がいい 【寄稿】田中泰延

不機嫌は未来を壊す

みなさんはじめまして。田中泰延(たなか ひろのぶ)と申します。昨年末、24年間勤務した会社を辞め、現在は無職です。

無職という響きは不安ではありますが、いま私は不機嫌な気分ではありません。不安は将来への原動力ですが、不機嫌は未来を壊してしまいます。私は会社を辞めたことで、自分を不機嫌にしていたものが減り、第二の人生に向けて機嫌よく生活を送れるようになりました。

私が勤めていたのは安定して高収入の大企業でしたが、思い切って辞めることにしたのは、「もっと機嫌よく生きたかった」からなのです。

小学校の朝礼で

小学生の時のことです。多くの公立小学校には、全校生徒が毎朝、校庭に整列させられ、校長先生や教頭先生の話を聞かされる、「朝礼」というものがあります。

太陽が照りつける真夏の日のことでした。長く続いた朝礼で、私は水分不足に陥りました。我慢ができず、私は先生に「立っているのがしんどいです。水を飲ませてください。保健室へ行かせてください」と告げたのです。

すると先生はおどろくべきことに、「みんなしんどいんだ!お前だけではない!」と言ったのです。小学校低学年の私に素朴な疑問が生じました。私は、「みんな?…先生、ぼく以外はぼくじゃないです。ぼく以外がしんどくても、ぼくには関係ないです」と答えたのです。

すると、どうなったでしょうか。私は先生に鼻血が出るまで殴られました。昭和50年代の公立小学校ではまだ体罰は普通だったのです。

私は気づきました。(だれよりもしんどくて、不機嫌になっていたのはこの先生なのだ)と。しかし、私はそこから(先生は偉いな。先生も耐えているのだから、私も頑張って耐えよう)とはまったく思いませんでした。水分が不足して肉体が危機的だった上に、痛い思いをして血液まで失ったからです。

その時、私のなかに、ある決まりができました。「しんどくて、皆が不機嫌な状況に陥ったら、せめて自分一人でもさっさと立ち去る」これが、私の基本的な方針になりました。

不機嫌は伝染する

先生は、自分も不機嫌、生徒も不機嫌なこの状況を、さらに不愉快な手段で解決しようとしました。きっと、炎天下で訓示を垂れなければならない高齢の校長先生も不機嫌だったことでしょう。

これは、組織においてトップから下々まで「不機嫌」が伝染している状況です。その最後は、まさかの流血の事態でした。

その後、社会人になった私は、ありとあらゆる形の「不機嫌の伝染」を目の当たりにします。たとえば満員電車。理不尽な命令。不本意な残業。どこで働いても不機嫌のタネは尽きることがありません。そしてその不機嫌は上司から部下へ、そして職場全体に蔓延します。

ひとりだけ機嫌よく鼻歌など歌っていようものなら「なぜお前は呑気にしているのか。みんなと一緒に不機嫌な顔をするのが空気を読むということだ」という無言の圧力すらかかるのが、日本の社会です。

徹底して逃げる

ただ、私は小学校のあの日以来、「男はつらいよ」の寅さんのように「私がイモを食べたら、あなたがオナラをするのですか?私とあなたは別の人間です」という考えをはっきりと持ち、「皆が不機嫌な時は、自分一人でもさっさと立ち去る」という方針を貫いてきました。

もちろん会社には、個人プレー・チームプレー両面で問題を解決し利益を上げる、という企業本来の目標があります。しかし、それは「機嫌」とは関係ない技術の問題です。

私は、技術面以外で「取引先が不愉快そうにしているから皆も悲しい顔をしよう」「部長がなんとなく不機嫌だからわたしたちも不機嫌な気持ちを忖度して遅くまで残業しよう」という空気からは徹底して逃げました。

ビジネス上の課題を明確にしないで、誰かがただ不機嫌にしていたら、どんな場合でも、相手が取引先でも上司でも瞬時に「その場を立ち去る」ことにしていましたが、現在私がそれで特に不幸にも病気にもなっていないので正解だったと考えています。

相手から具体的な指示があるなら別ですが、「不機嫌」には付き合う必要はありません。

不機嫌を未然に防ぐ

そもそも、小学校の事件以来、私には「自分が不機嫌になりそうな要素を事前に排除しておく」という習慣がつきました。あの痛い思いをした日以来、暑かったり、寒かったり、体調が良くなさそうな日には朝礼に出ませんでしたし、高校、大学、会社、とできるだけ満員電車に乗らないためのコストを払いました。

「通わなければならない建物の近くに引っ越しして、鼻歌を歌いながら歩いていけるようにする」は私のルールです。

満員電車が大好きで乗れば乗るほど機嫌が良くなる人にはオススメしませんが、私はあれに乗ったらおそらく、満員電車に耐えたことでひと仕事した気になって、生産性のある業務はできなかったと思います。

また、私はまがりなりにも24年間会社勤めをしたわけですが、ほかにも「目覚まし時計で起きない」「ネクタイは首が締まるのでしない」「有給休暇は毎年使い切る」ことを決めていました。

それぞれ、「起きるべき時刻に自己暗示をかけて目がさめるようにする」「服装が自由なクリエーティブ部門のサラリーマンになる」「人の目を気にせず権利を行使する。ただし仕事は他人に押しつけず、済ませてから休む」ことでこれらを実現しました。

「こう考えて頑張れ。こういう習慣を身につけて踏ん張れ。そうすれば成功する」という本は、たくさん書店に平積みになっていますが、「これはするな。やめておくと楽だ」という本は少ない気がします。

不機嫌なことに耐えて成功するより、機嫌が良ければもはや人生は成功である、というのが私の考えです。

ちなみに、私は写真でネクタイをしていますが、ハローワークで紹介された会社へとりあえず面接に行った時のもので、その面接で「御社が…こんな風にネクタイしなくていい会社なら再就職してもいいです」と言ってしまいました。

それでも不機嫌は襲う

しかし、会社組織というのは、根本的には、「誰かの、達成したい意思があり、その誰かと目標が同じではない人たちが作業の一部を担ってお金をもらう」というのがその本質です。

たとえば「アパレルで利益を上げ、世界一の富豪になる意思を持つ創業者」がいたとしても、その従業員全員が「洋服を売って世界一の会社になるまで身を粉にしてとことん戦う」という意思を持っているわけではありません。

なので、個人が、いろんな機嫌が悪くならない方策を打ったとしても、本質的には「それ、やりたくねえなあ」という不機嫌のタネからは逃れることができません。そう考えた果てに、私はとうとう会社を辞めてしまいました。

会社には特に嫌いな人がいるわけでも、嫌な仕事もそんなにありませんでしたが、私はさらに機嫌が良くなりたかったのです。

トム・ソーヤーの壁

私は、会社を辞めて以来、自分で目標を決め、分量を定めて仕事をする毎日になったわけですが、やはり人間は不機嫌から逃れられないもので、思ったようにいかない時、眠い時、やるべきことを放棄した時などは、自分自身に対する不機嫌が襲ってきます。

会社にいるのとは違って、他人にそれを見られないことは救いですが、そんな時私は、自分をご機嫌にするために、『トム・ソーヤーの冒険』のエピソードを思い出します。

マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』は有名な小説で、その中でも有名なエピソードです。主人公トムは、壁にペンキを塗る仕事を命じられます。当初、嫌々やっていたのですが、トムはひらめきました。

「わははは!壁にペンキを塗るのは、めちゃくちゃ楽しいな!」大声を出して聞こえるようにすると、友達が寄ってきて、そんなに楽しいのなら俺にもやらせてくれとお願いしてきます。

わざとトムが断ると、「お願いだ、リンゴをあげるからどうしても代わってくれ」と懇願され、最後には壁塗りをしたいという友達が列をなし、山のような物品までせしめたという話です。

私は、なにかをしなくてならないという不機嫌が襲ってきた時、最後はこのご機嫌なエピソードを思い出して、飽きもせず笑うことにしています。現実社会では、このエピソードのように物事がうまくいくことはないでしょう。

ただ、このマーク・トウェインの語り口そのものに、人間がご機嫌に生きるためのヒントがある。それに触れると、ご機嫌な気分になれるのです。

不機嫌で人を動かすのは赤ん坊

トム・ソーヤーの発想には、個人や組織が不機嫌から解放されるための重要なヒントがあります。それは、不機嫌が感染するのと同じように、ご機嫌だって広まってゆく、ということです。

どこかで想像力を使い、楽しくなるための「アイデア」や「言葉」を投入することで、状況の見え方、そして個々人の心の中をご機嫌に変えてゆく。

不機嫌になりそうなとき、それが誰かのとばっちりなら、まず逃げてください。そして、逃げきれない、もっと根源的な不機嫌が襲ってきたらご機嫌に生きるためのヒントを思い出してください。誰かが言いました。

「不機嫌で人を動かすのは、赤ん坊。ご機嫌で人を動かすのが、おとなである」と。

不機嫌を撒き散らしている間は、人間として、周囲にご機嫌を広めることのできるおとなではありません。不機嫌に泣いたり、ぐずったりすることで他人を巻き込んでいくのは、赤ちゃんだけに許されることです。でも、その赤ちゃんだって、じつは「可愛さ」で周りをご機嫌にしているのですから。

‪ ‬‬著者プロフィール:田中泰延(たなかひろのぶ)
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライター/CMプランナーとして24年間勤務ののち、2016年に退職。ライターとして活動を始める。世界のクリエイティブニュース「街角のクリエイティブ」で連載する映画評論「田中泰延のエンタメ新党」は100万ページビューを突破。青年失業家を名乗って綴る日記「ひろのぶ雑記」も連載中。Twitter:@hironobutnk

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「これはするな。やめておくと楽だ」というアドバイスは非常に貴重ですね。
[文]田中泰延 [編集] サムライト編集部