堀江さんの「多動力」についての記事を読みました。
インターネット出現前は特定の人間だけが技術や情報を独占し、それこそが価値だった。
しかし、インターネットの時代では「オープンイノベーション」が前提となる。
(中略)
これからは旧態依然とした業界に「オープンイノベーション」の波が来て、情報それ自体の価値はなくなる。
(略)
飽きやすいということをネガティブに捉える人もいるが、実は成長が速いということでもある。
どんな分野でも、80点までは簡単にたどり着けても、100点満点を達成するまでには膨大なコストと時間がかかる。80点まではウサギの速さで駆け抜けても、そこから100点に到達するには亀の歩みになってしまう。
(中略)
僕は80点を取れるようになるとあっさり飽きてしまうことが多い。ある程度ハマれば、大半の知識は得られる。そこから長い年月をかけて100点を取ることに執着せず、次のジャンルへ飛んだほうが、また新たな発見がある。
劇薬だなぁ…
僕は自分の立場柄「わかる」と思ったけど、一般の人がそっくりそのまま真似をしたら痛い目見るやつだねぇ。
「何者」でないと、まずスタートラインに立てない
例えば、自分はブログで色々なものを書いている。
僕自身は「文系の…特にオタクと社会科学であれば、たいていのテーマには対応できる」と豪語することもあるし、それがネタでも冗談でもないことは僕のブログの購読歴が長い人ならよくわかると思う。…そんなことで嘘ついてもしゃーないし。
でも、
「テレビに出たり、本を出版できるほどあなたが詳しい分野はなんですか?」
と言われたら僕は困る。
何かの第一人者じゃないし、それ以前に「お前誰だよ」な人にテレビや出版社の誰かが自分の責任で仕事をさせてくれるかというと…それはない。
アナログでリアルな世界では「何者かわかること」がすごく重要だから、何者かわからない…わかるぐらいの第一人者じゃない人でも、何者かを証明する肩書がないとチャンスがない。
世の中でマルチだと言われる人の多くは最初からマルチだったわけではなく、何かしらの得意分野や、所属先での仕事で1つ突き抜けて、その後領域を広げている。
でも、自分の場合はコアのところが世の中に出ている人に比べると強くない。
ブログではもちろんのこと、子どもの時から、「一番」になったことは記憶にない。
興味のあることを突き詰めて「上位」にはなるんだが…1番になったことはない。
堀江さんの記事で言う80点までは行く人…いや、80点がいっぱいなら才能が報われやすいけど、僕の場合は「90点がポツポツ」パターンだから、ずる賢く運用できないと本当に全部中途半端になる。
実は器用貧乏には3種類いる。
話がややこしくなるから一度切り分けてみる。
・天才型…80点を取るまでのスピードが早く、なんだって80点取る。でも、人や評価のために努力しないから、いざテストをした時には留年しない最低限の勉強しかしてない。
・発達障害型…自分に素質/興味があることなら悠々と90点を取るが、資質もなく興味もないと50点取るのがいっぱいいっぱい。
厳密には器用貧乏ではないが、90点の分野を色々持ってるせいで、器用貧乏と同じ悩み…下手すると器用貧乏よりも器用貧乏っぽく悩んでる。
・凡人/健常者型…いっぱいいっぱい努力して、80点をとって、その努力を継続して、テストでもブレずに80点取り続けるタイプ。(ただし、85点取るだけの才能はない人)
貧乏にはならない普通の器用になることが多いが、本人は器用貧乏だと思っていたり、器用だと思われていること自体に違和感を覚えている。
自分の場合は発達障害型。
学校の成績は自分の性質をよく表していて。僕の得意科目は社会科全般と数学が強かった。
世界史の模試で偏差値74になったこともあるし、数学の模試も学内上位を取ったこともあった。
ところが、この2科目を受験で使える大学はよーく探さないと見つからず、当時はしょうがないから苦手科目を勉強して、苦手科目の偏差値に足を引っ張られてしょぼいところに進学した。
100点が1つでもなく、全部80点でもない人は、能力テストや他人からの評価では基本的に不利。
そういう人は、「マルチな才能」なんかを発揮する前に、予選落ちする。
これは受験でも就活でもそう。
まずは向こうの提示したルールで勝つか、規格外のトリックスターとして試験自体を飛び越えるか…。
ルールに適さない、ルールに媚びない、才能がない…いずれにしろ、それができない人はアナログでリアルな肩書を求められる世界では…スタートラインにも立てません。
ネットには予選も肩書もないから、器用貧乏は才能になる
でも、インターネットみたいに自分が発信できる場所だと事情がちょっと違う。
人にちょっと知識があるから人に説明できる雑学、経験、趣味の領域でよければ、語れることはたくさんある。
誰かに認められなくても、内容さえ面白かったら、読んでもらえる。
…最近はアナログでリアルな空間同様、肩書がある人が有利になったけど、競争さえできないところでしか、パフォーマンスできなかったネットのない時代には埋もれたり、不適格だった人にも競争するチャンスが与えられる。
受験なり就活なり仕事先の誰かにルールが与えられた世界だったら、自分の特技や適性はルールに収まる分しか評価してもらえなかった。
自分から何かを仕掛けていく側になれば、自分の得意分野をルールに収める必要はない。
堀江さんが言っているように
「能力面で、インターネットで様々な技術が公開されるようになったことで【80点をとって次の分野に行く】のが昔よりも簡単になった」
という形のメリットもある。
たとえ自分で発信する場所を整えてない人が浅く広く80点、90点のことを持っていても、発信の場所を他人からもらっている状態・見せ方を自分で考えてない人には恩恵がなかった。
ネットで簡単に自分を発信したり、自分で自分の見せ方を管理できるようになったことで、器用貧乏は才能足り得るようになった。
逆にいうと、自分で80点90点のモノを披露する場所が確保できてない人や、そもそもそれを自分で管理していくだけの権限もない場合は堀江さんの言う事を鵜呑みにするのは危険。
自分がルールもやり方も作って、仕掛けに行くことが大前提。
今までなかった枠組みの能力・発信だからリスキーではある。
だけど、他のところにないルールや基準のモノを組み合わせるからこその化学反応が起こることもあるから、楽しくて新しいことも…。
堀江さんの本全般に言えることだけど「用法用量を守って」というところが大きい本だと思う。堀江さん自体が特殊なところにいる人で、才能や考え方も変だから、前提条件がみんなと違う人。
だから、話半分というか、のめり込みすぎない程度に読むぐらいでいいと思うの…。