2017年は『サージェント・ペパーズ』が発売されてから半世紀となる。新たに発売される50周年記念エディションの内容や聴きどころを、アルバムにまつわるエピソードもまじえながら解説します。どうぞご期待ください。
20世紀のロックの名盤。いつしかそんなふうに言われるようになったビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(以下『サージェント・ペパーズ』)。言うまでもなく、最初から名盤になるのがわかっていて作られたわけではない。では、なぜ『サージェント・ペパーズ』が現在でも高い評価を受け続け、ロックの歴史に名を刻むほどの存在になったのか。 名盤になった背景として、アルバム制作の数ヵ月前にビートルズがコンサート活動をやめたこと。それが大きかった。ツアーをやめたことで、スタジオでのレコーディング時間が大幅に増えたからだ。66年8月29日のサンフランシスコ、キャンドルスティック・パーク公演後、4人が再びスタジオに顔を揃えたのは、3ヵ月後の66年11月24日のことだった。
「新作制作に対しプレッシャーを感じるようになり、それを和らげるために別のグループのメンバーになりきろうとした」。
ビートルズとは別のバンドがショーを行なう――。『サージェント・ペパーズ』のその突飛なアイディアは、66年12月に、ポールが休暇を終えてイギリスに戻る機内で浮かんだらしい。“サージェント・ペパー”という名前も、ともに休暇を過ごしたロード・マネージャーのマル・エヴァンスに、機内食の容器に書かれた“S”と“P”の意味を訊かれたポールが、“salt'n pepper”と答えたその言葉の響きが元になったという。 架空のバンドのコンサートとはすなわち、ライヴ活動をやめたビートルズの、スタジオ(レコード)でのコンサートの再現を意図したものでもあった。とはいえ、最初からそうした狙いがあったわけではない。アルバム制作当初は、リヴァプールでの彼らの子供時代をテーマにした作品集を作ろうという思惑があったからだ。最初にレコーディングされた2曲――ジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」とポールの「ペニー・レイン」が、それぞれ子供時代から慣れ親しんでいたリヴァプールの実在の場所を元に書かれた曲であるのも、そうしたテーマに沿ったものだった。
そして、ポールの発案を元に、スタジオでのアルバム制作は、5ヵ月間、延べ700時間にも及んだ。長年のライヴ活動で世界のファンを魅了し続けてきたアイドル・グループにとって、時間に束縛されずに制作に没頭できる環境は、新しい扉を開くほど刺激的だったに違いない。レコーディング・アーティストとして生まれ変わるための実験場としても申し分のないものともなった。
『サージェント・ペパーズ』は67年6月1日に発売され、22週連続1位を記録。ロックをアートにまで高めた初のコンセプト・アルバムとして、現在に至るまで語り継がれる名盤となった。カラフルなアルバム・ジャケットには、花に飾られたギターやマッシュルーム・カットの頃の4人の蝋人形まで登場しているが、まるでそれは、“アイドル時代”の過去を葬り去り、次なる世界へと革新的に進むための意思表示のようでもあった。
LPのA面1曲目に針を落とすと聞こえてくる会場のざわめき。そして演奏中に聞こえる歓声。コンサート終演間近のB面の終わりには、ビートルズとしては初の試みとなる同じ曲の再演(リプライズ)が入り、さらに最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」では、これもまた実際のライヴでは行なわなかったアンコールに応える形として「サージェント・ペパーズ」のリプライズと重なるように曲が登場し、ピアノの一音を最後に響かせながらメンバーが退場する、という場面をレコード上で演出してみせた。それだけでなく、犬にしか聞こえない高周波のノイズと意味不明の声をレコードの最終溝に忍び込ませるお茶目な芸当も見せて、だ。
『サージェント・ペパーズ』が“20世紀の名盤”と言われるのには、そうした音楽的な創意工夫以外に、もうひとつ大きな理由がある。斬新なジャケット・デザインだ。『ウィズ・ザ・ビートルズ』(63年)や『リボルバー』(66年)をはじめ、ビートルズにはそれまでのポップ・ミュージックにはない印象的なジャケットがすでにたくさんあったが、『サージェント・ペパーズ』は、衝撃度の強さではそれを上回る仕上がりだった。
ジャケット写真の撮影は、3月30日にロンドンにあるマイケル・クーパーのチェルシー・マノー・スタジオで行なわれた。これもコンセプトはポールによるもので、バックの人物写真のコラージュは、ポールの知人ロバート・フレイザーを介してピーター・ブレイクと彼の妻ジャン・ハワースが手掛けた。二人は68年にグラミー賞のベスト・アルバム・カヴァー賞を授与したが、切り抜き細工などの付録、サイケ模様の内袋、裏ジャケットへの歌詞の掲載など、隅々にまで行き届いたこの手の込んだ“アート作品”の受賞は当然、である。ビートルズのアルバムの中で『アビイ・ロード』と並ぶパロディ・ジャケットの多さも、それを証明している。そうしたパロディ・ジャケットだけでなく、“サージェント・ペパーズ・チルドレン”アルバムの多さも、後世への影響力の強さを表わしている。
(2017/4/19 UP)
日本公演から2ヵ月後となる1966年8月29日、アメリカ公演中だったビートルズは、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークでのステージを最後にツアー活動に終止符を打った。飛行機嫌いのジョージは、ライヴ活動をやめたときに「これでもうビートルズのメンバーじゃない」と言ったそうだが、実際、バンドはここで解散していてもおかしくない状況だった。
この時期に、ビートルズとEMIとの契約が満了になったのも、ひとつの巡りあわせだったのだろう。ライヴ活動から、というよりもマネージャーのブライアン・エプスタインから解放された4人は、各々単独行動を開始する。ジョンはビートルズの2作の主演映画の監督を務めたリチャード・レスターの誘いを受け、『ジョン・レノンの僕の戦争』に出演し、ポールはジョージ・マーティンの助けを借りて映画『ふたりだけの窓』の音楽を手掛け、ジョージはインドに滞在しラヴィ・シャンカールに師事し、リンゴは家族とのんびり過ごした。
そして11月24日、4人は3ヵ月ぶりに顔を揃え、EMIスタジオで、新しい作品のレコーディングへと向かっていった。11月から12月にかけて最初にレコーディングが開始されたのは、ポールが10代の頃に書いて66年に完成させた「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」と、シングルとして発表されることになる「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ペニー・レイン」の計3曲だった。
レコーディングはジョンがスペインで書き上げた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」から始まった。締め切りに追われることなく作業に集中でき、しかもそれまでの曲の中でも最も複雑かつ困難なレコーディングとなったため、作業はほぼ1ヵ月に及んだ。11月29日にテイク7が完成したが、ジョンがジョージ・マーティンに「外部ミュージシャンを加えて録り直したい」と依頼し、12月8日からアレンジを変えた再録音作業が始まった。まずリズム・トラックを録り、15日に弦楽器と管楽器を加え、ジョンの思い描いた音像に近づいたかと思いきや、そこでまたもやジョンが難題をマーティンにふっかけた。最初に録ったテイクと新しく録ったテイクをひとつにしたいのだと。22日、マーティンはキーもテンポも違う2曲をどうやって合わせるか苦慮したが、幸運にも、最初のヴァージョンのピッチを上げ、両者のキーをぴたりと合わせることに成功したのだ(編集されたのは、2度目に歌われる“Let me take you down ‘cause I’m going to”の“I’m”と“going”の間の箇所)。
67年の仕事始めは1月4日。年末から取りかかっていた新曲「ペニー・レイン」のレコーディングをEMIスタジオで行った。年末に作業を終えた「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」はレコーディングにそれ以前にはないほどの時間が費やされたが、「ペニー・レイン」もそれに勝るとも劣らない作業となった。作者のポールはビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』を愛聴していたことから「クリーンでアメリカっぽいサウンド」というイメージがあり、最初に自らが弾くピアノでベーシック・トラックを作り、そこにフルートやトランペット、オーボエ、フリューゲルホルンといったクラシック楽器を重ねていった(リンゴがドラムを叩いているものの、ジョンとジョージはほとんど貢献していない)。そして迎えた17日、ほぼ完成していたテイクにピッコロ・トランペットを加える。このアイディアは11日の深夜に自宅でクラシック・コンサートのテレビ番組を観ていたポールが思いついたもので、翌日ジョージ・マーティンに相談したところ、たまたまテレビで観たピッコロ・トランペット・プレイヤー(デヴィッド・メイスン)がマーティンの知り合いということで、すぐに話がまとまり、参加を要請することになった。ポールがメロディを歌い、マーティンが採譜し、メイスンが音を確認しながら作業を行ない、間奏のフレーズが決まるまで3時間、そのあと2テイクで完成したという。
このシングル2曲も「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」も、いずれも過去を回想したノスタルジックな内容の曲ばかりだが、そうした曲が先に録音されたのにはワケがある。『リボルバー』(66年)に続く新しいアルバムは、当初は“少年時代”をテーマにしたものだったからだ。このときビートルズは、バンド活動の一区切りとして、一旦デビュー前へと意識を“ゲット・バック”させようとしたのかもしれない。
しかし、67年2月1日にテーマは変更となる。レコーディング録音終了後にポールはこう言ったそうだ。 「ペパー軍曹が本当にレコードを作ってるみたいにやってみるのはどうかな?」
ジョージ・マーティンがそのアイディアを気に入り、3月6日、ライヴの臨場感を出すためにイントロのざわめきや拍手、笑い声などのSEがスタジオのテープ・コレクションから引っ張り出された。エンディングの観客の叫び声には、当時未発表だったビートルズのハリウッド・ボウル公演のテープが使われたという。
こうしてレコーディングされたのが、タイトル曲「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だった。
(2017/4/27 UP)
M-01 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
Lennon/McCartney
録音=1967.2.1、2.2、3.3、3.6
ライヴ活動をやめたビートルズに代わり、別のバンドに扮した4人がライヴ仕立てのスタジオ・アルバムを作る。ポールが考え出したそのコンセプトを元にしたタイトル曲。作者のポールは、この曲のリード・ヴォーカルとベースはもちろんのこと、エレキ・ギターも弾くなど、縦横無尽な活躍ぶりで、しかもそのすべてが一級。ポール恐るべし、である。間髪入れずバトンをリンゴに渡した流れも完璧。
今回のリミックス版はリンゴのドラムがシャープで、笑い声の効果音など臨場感もたっぷり。音の深みは過去最大だろう。
M-02 ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ
With A Little Help From My Friends
Lennon/McCartney
録音=1967. 3.29、3.30
「イエロー・サブマリン」と並ぶリンゴの代表曲。司会者の“ビリー・シアーズ!”の呼び掛けに応えてやってきたリンゴがステージ脇から小走りに出てきて、マイク1本で歌う。そんな様子が目に浮かぶ曲だ。(実際に2003年4月4日にはニュー・ヨークのラジオ・シティでは、この夢にコラボレーションが実現している)『サージェント・ペパーズ…』はポールのベースを聴くためのアルバムといってもいいほどだが、この曲でのリンゴのドラムとのコンビネーションは、「レイン」と並ぶ素晴らしさだ。
今回のリミックス版は、リンゴの特にスネアの弾み具合が明快で、バスドラムの重量感のある響きも耳に強く伝わってくる。
M-03 ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ
Lucy In The Sky With Diamonds
Lennon/McCartney
録音=1967. 3.1、3.2
ジョンが67年に書いた曲は“音”を視覚化したものが多く、この曲はその最たるものだ。ジョンが曲想を得たのは3歳の息子ジュリアンの1枚の絵だった。保育園の友達ルーシーが、ダイアモンドと一緒に宙に浮かんでいる絵――ジュリアンから説明を受けたジョンが、そのまま曲名にも引用し、ビートルズで最も幻想的な作品に仕上げた。ポールが手掛けたイントロからのハモンド・オルガンの響きも独特。
今回のリミックス版は、同じくリンゴのシャッフルしたドラムが耳に心地よく、ジョンのヴォーカルも艶やかだ。
(2017/5/04 UP)
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバム制作が延々と続く中、66年後半にレコーディングが開始された2曲――「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」が、まず両A面シングルとして67年2月17日にイギリスで発売された。初回25万枚には、ビートルズのシングルとしては初のピクチャー・スリーヴが付けられた。当時のイギリスではシングル盤は消耗品と考えられており、その大半はレコード会社が作った共通の外袋に入れられて売られていた。そんな中でビートルズはそれまでの慣例を破り、自分たちの撮り下ろし写真をスリーヴに使用したのである。この時点で、ビートルズは、それ以前とは意匠の異なるレコード・リリースを念頭に置いていたのかもしれない。
ジャケットに写る4人は、アイドル然としたそれ以前の外見とは異なり、ひげを生やしたアーティスト然とした佇まいだった。ビートルズの変化に戸惑ったファンも多かったのだろうか、「プリーズ・プリーズ・ミー」以来続いていた連続1位がこのシングルで途絶えたのだった。といっても、エンゲルベルト・フンパーディンクの「リリース・ミー」が大ヒットしたこともあり、最高位2位というだから、ビートルズの人気に陰りが出たというわけではなかった。
ニュー・シングルの発売1週間前の2月10日には、アルバムのハイライトとなる「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のレコーディングが行なわれた。当初この曲は、ジョンによるギターの弾き語りにポールのピアノなどを合わせただけのシンプルなアレンジで、サビと言える部分は“I’d love to turn you on”というコーラスしかなかった。1月19日の段階では、曲の中盤(ミドルエイト)はまだ決まっておらず、とりあえずマル・エヴァンスが数字をカウントした声だけを録音して、その部分をどのような展開にするか、アイデアが浮かぶのを待った。翌20日、以前に書いた曲の断片がそこにうまくはまるのではないかと思ったポールが“Woke up…”という歌詞で始まるメロディをミドルエイトで歌い、こうして中盤にポールの小曲を挟み込んだジョンとの合作が完成へと一歩近づいた。ちなみに、SEとしてフィーチャーされているベルの音は、リンゴにドラムの入るタイミングを知らせるためにジョンが持ってきた目覚まし時計である。
この曲の核はドラムである――2月3日、ジョンとポールはリンゴにいつもとは違うプレイを指示し、分厚く重量のある音がレコーディングされた。そして迎えた2月10日、ビートルズのレコーディング史に残るセッションが実現した。EMI(アビイロード)の第1スタジオにフル・オーケストラを呼び、足りなかった中間部の24小節(ポールのヴォーカルの前の部分)を埋める大掛かりなセッションが行われたのだ。ポールは、40人のミュージシャンに各々の楽器の演奏可能な再低音から最高音まで徐々に上昇していくように音を出してもらうように伝えたが、楽譜を元に演奏するのを常としているクラシックの演奏家のなかには、怒って帰ってしまう奏者もいたそうだ。とはいえ、リラックスした雰囲気で演奏してもらおうというジョンの発案で、急遽スタジオ内でパーティーを開くことになり、多くの友達が招待された。その様子はフィルムに収められ、同曲のプロモーション・クリップでその断片を観ることができる(『1+』のデラックス・エディションに収録)。録音エンジニアを務めたジェフ・エメリック、は「ひとつの転機。一生忘れないセッション」と後に記している。
(2017/5/11 UP)
M-04 ゲッティング・ベター
Getting Better
Lennon/McCartney
録音=1967.3.9、3.10、3.21、3.23
リンゴが急病で64年のツアーの代行ドラマーとなったジミー・ニコルの口癖を曲名に使ってポールが書いた、リズミカルなロック。イントロで切り込んでくるジョージのギターもいいけれど、それ以上に印象的なのは、サイケデリックな香りをまぶしたインド楽器タンブーラ(同じくジョージの演奏)である。歌詞も、“だんだん良くなる”と歌うポールに対してその場で“これ以上悪くなりようがない”と録音中に即座に返したというジョンはさすがの言葉感覚だ。
今回のリミックス版は、リンゴのスネアの残響音が強く、ベースもタンブーラも大きめ。オリジナルよりもハード・ロック色を増したいい仕上がりである。
M-05 フィクシング・ア・ホール
Fixing A Hole
Lennon/McCartney
録音=1967.2.9、2.21
珍しく最初のセッションがアビイ・ロード以外のスタジオ(ロンドンのリージェント・サウンド・スタジオ)で行なわれた曲。これもポールの曲だが、ポールが弾くハープシコードの音色や“雨漏りする穴を直している”というドラッグの香りが漂う歌詞を含め、66年にはないビートルズの“ニュー・サウンド”が聴ける。
今回のリミックス版はイントロの入りの音がこれまでにないぐらい綺麗で、楽器の音の分離もいい。もともとのレコーディングの音がそれほどよくなかったので、ようやくクリアな音で聴けたと言ってもいい印象だ。エンディングのポールのアドリブ・ヴォーカルもわずかだが長く聴こえる。
M-06 シーズ・リーヴィング・ホーム
She's Leaving Home
Lennon/McCartney
録音=1967.3.17、3.20
イギリスの大衆紙『デイリー・ミラー』に出ていた家出少女の記事をヒントにポールが書いた曲で、ジョンは、ミミ叔母さんからよく聞かされていた小言をそのまま使ってコーラスを付けた。「イエスタデイ」「エリナー・リグビー」に続くストリングスをフィーチャーした曲(ジョージとリンゴは不参加)だが、ジョージ・マーティンがシラ・ブラックの録音で手が離せなかったため、ポールは急遽、ローリング・ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」などを手掛けたマイク・リーンダーにスコアを依頼した。
今回のリミックス版は、ヴォーカルが艶やかでクリア。弦の音も重厚で深みがあり、厳かな雰囲気がさらに伝わる仕上がりとなった。
(2017/5/11 UP)
『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のアルバム制作は、時間をかけて順調に進んだ。しかし、セッション中にはこんなやりとりがあった。
3月17日、ポールが書いた「シーズ・リーヴィング・ホーム」のレコーディングが行なわれときのこと。スコアを担当したのはジョージ・マーティンではなく、フリーのプロデューサー兼アレンジャーのマイク・リーンダーだった。マーティンはビートルズ以外にも多数のアーティストを手掛けており、このときはシラ・ブラックのアルバム制作が佳境だったため、ポールの要請に応えることができなかったのだ。ポールとリーンダーは65年にマリアンヌ・フェイスフルが「イエスタデイ」をカヴァーした際、デッカ・スタジオで知り合った。「代わりならいくらでもいる」と言わんばかりのポールの対応にマーティンはひどく傷つけられたが、ポールは、マーティンがまさかそんなふうに思っているとは知る由もなかったという。マーティンはその日のセッションのプロデュースを快諾し、10人のクラシック音楽家を見事に指揮してみせた。だが、驚いたことに、この日、ポールはスタジオに顔を見せることはなかった。その3日後、事前に録音していたポールのリード・ヴォーカルとジョンのバック・ヴォーカルをストリングスの演奏を入れたトラックにミックスし、曲を完成させたのだった。
これにはちょっとした後日談(ちょっといい話)がある。デヴィッド・アンド・ジョナサンが『サージェント・ペパーズ…』発売翌日の67年6月2日に「シーズ・リーヴィング・ホーム」のカヴァー・ヴァージョンをいち早く発売したが、ストリングスのアレンジを手掛けたのはジョージ・マーティンだった。
また、3月21日の「ゲッティング・ベター」のレコーディングの時には、こんな事態も起こった。ジョンがセッション中に気分が悪くなり、プロデューサーのジョージ・マーティンがジョンを気遣って「新鮮な空気を吸うように」とスタジオの屋上に連れて行った。しばらくしてもジョンが帰ってこない。不審に思ったポールがマーティンとともに屋上に向かうと、低い柵しかないところで今にも飛び降りてしまうのではないかという状態のジョンを発見し、二人で抱えるようにしてスタジオに連れ戻したのだ。その時マーティンは、4人がドラッグを使用していることを全く知らず、4人も彼の目に触れないところで隠れて摂取していた。当時の4人にとって、LSDは必要不可欠な存在で、創作活動に多大な影響を与えただけではなく、4人を強く結びつけていたのだった。
そして4月7日にメンバー立ち合いの元、アルバムのモノ・ミキシングを行なったのに続き、20日にはステレオ・ミキシングも終了。翌21日に「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のピアノの残響音のあとに奇妙な音を入れ、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は完成した。
(2017/5/18 UP)
M-07 ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト
Being For The Benefit Of Mr. Kite!
Lennon/McCartney
録音=1967.2.17、2.20、3.28、3.29、3.31
ポールが2017年の日本公演で演奏した曲。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のビデオ・クリップをケントで撮影した時(67年1月31日)に骨董品屋で買った1843年2月14日のサーカスの宣伝ポスターの宣伝文句をそのまま引用してジョンが書いた曲である。ゆえに、曲調は自ずとサーカス風になった。「おがくずの匂いが床に充満するようなサウンドにしたい」とジョージ・マーティンに要望を出したジョン。イメージ通りのしあがりになったのだろうか。
今回のリミックス版は、イントロのポールのベースとリンゴのドラムスが大きい。その半面、SE(効果音)はそれほど目立たないが、全体的にクリアな音になっている。
M-08 ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー
Within You Without You
Harrison
録音=1967.3.15、3.22、4.3、4.4
『サージェント・ペパーズ…』に収録されたジョージの唯一のオリジナル曲。この曲があるかないかでアルバムの価値が大きく違うと言ってもいいほど、ジョンとポールとは異なるジョージの個性が際立っている。ジョンが書いた「アクロス・ザ・ユニバース」や「イマジン」(71年)を思い起こさせる愛と平和のメッセージ・ソング――「ジョージのベスト・ソングのひとつ」と言ったのはジョンである。
今回のリミックス版は、イントロのタブラのアタックが強く、ヴォーカルも楽器もクリア。最後の笑い声も、オリジナルのモノ・ミックスと同じく大きめに聞こえる。
M-09 ホエン・アイム・シックスティ・フォー
When I'm Sixty-Four
Lennon/McCartney
録音=1966.12.6、12.8、12.20、12.21
当初、ニュー・アルバムのコンセプトは“少年時代”をテーマにしたものだったので、ポールは15、16歳の頃に書いたこのノスタルジックな曲を引っ張り出してきた。トラッド・ジャズ系のミュージシャンだった父ジェームズが66年7月に64歳の定年を迎えたというのも、もうひとつの大きな理由だった。ポールの得意の、ディキシーランド調のポップスである。
今回のリミックス版は、リンゴのスネアが明快で、バスドラムもくっきり聞こえる。元のレコーディングの音があまり良くなかったので、この曲も、今回のリミックス版ではメリハリの利いた音に生まれ変わっている。そして、何よりポールのヴォーカルが、従来のステレオ版は左チャンネルだけだったのが中央に移動してより聴きやすくなったこと。リミックス版の特徴としてわかりやすい実例だ。
(2017/5/18 UP)
写真が出来上がるまで
67年3月29日、ビートルズのニュー・アルバムのタイトルは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』であると発表された。そしてその翌30日、キングスロードの外れにあるスタジオで、写真家マイケル・クーパーによるジャケット写真の撮影が行われた。二十世紀の歴史的人物を一堂に集めた記念写真をジャケットに使う――そのアイデアを出したのはポールだった。アルバム制作開始直前の66年11月9日にジョンとヨーコが出会ったのはインディカ・ギャラリーだったが、そのギャラリーの共同経営者ロバート・フレイザーは、ポールと懇意だった。
そこでポールは、ジャケット案のひとつとして、花時計をバックに居並ぶビートルズを描いたイラストをフレイザーに見せた。それを見たフレイザーは、新進気鋭のポップ・アーティストだったピーター・ブレイクをポールに紹介。公園で演奏するブラスバンドのような感じにしてほしいというポールの要望を受け、ブレイクは「公園でコンサートを終えたばかりのバンドが、大勢の観客と一緒に記念撮影をする」というコンセプトを提案した。では「大勢の観客」は誰にするか。人選の案については、リンゴはお任せで、ジョージはインドの導師を数人挙げただけで、あとはジョンとポールに託したという。こうして候補は出揃ったものの、肖像権の使用許諾を得られなかった人物を外した結果、「大勢」にはならず、最終的にはブレイクとフレイザーが残りの半分以上を選ぶハメになったそうだ。そもそもビートルズ以外の著名人が多数居並ぶジャケット案にマネージャーのブライアン・エプスタインは反対をしていて、使用許諾は必須、だった。しかし撮影時には半分程度しか許諾が得られなかったため、エプスタインは、目立たないように茶色の封筒でジャケットを包んで出すようにと強く要望したという。
見切り発車ではあったものの、アルバム・ジャケット制作が本格的に動き出す。ジャケットの登場人物の等身大の看板の作業はピーター・ブレイクと彼の妻ジャン・ハワースが担当した。そして、ブレイクがコラージュを作る2週間の間、EMIは許諾のトラブル回避をするためにポールにデザイン変更を依頼するが頑として受け入れず、逆に通常のLPジャケットとは違った特別仕様(厚紙のダブル・ジャケットでおまけ封入)にするという“逆提案”を受けるハメになった。なかでも裏ジャケットに歌詞が印刷されたのは初の試みだった。「何年も長持ちしそうな厚紙で作った、見ていても飽きないジャケットを目指した」とポールが言う。後世に語り継がれるジャケットは完成した。
次回はどんな顔ぶれが並んだのか、具体的に紹介します。
(2017/5/29 UP)
M-10 ラヴリー・リタ
Lovely Rita
Lennon/McCartney
録音=1967.2.23、2.24、3.7、3.21
67年初めに駐車違反で捕まった時の実話を元に、担当の交通婦警リタ・デイヴィスをモデルにして書いたというポールの曲。ジョージ・マーティンのピアノは「イン・マイ・ライフ」と同じくテープの回転数を落として録音し、再生時に普通の速度に戻したものである。メンバー全員で風呂場にこもり、満足のいく音が録れるまで櫛でトイレット・ペーパーを破いたそうだ。
今回のリミックス版は、出だしのキーボードもドラムもベースも力強い響きで、特にリンゴのスネアはシャープ。ポールの溌剌としたヴォーカルが映える。
M-11 グッド・モーニング・グッド・モーニング
Good Morning Good Morning
Lennon/McCartney
録音=1967.2.8、2.16、3.13、3.28、3.29
曲を作る時にテレビをつけっ放しにしておくというジョンが、たまたま流れたケロッグのコーンフレークのCMにインスパイアされて書いたブラス・ロック。動物の鳴き声をはじめ、ここまで効果音を盛り込んだ曲は他にはない。「ミスター・カイト」と並ぶこの時代の“ジョンのロック”を象徴する曲と言える。
今回のリミックス版は、これまで聴いたことがないぐらい狂暴なサウンドで、出だしのエレキ・ギターのカッティングを聴いただけで、これまでとはまるで音像が違うと気づく。動物の鳴き声の音の分離度も高く、響きは明快である。リンゴのドラムの連打も激しさを増していて力強い。今回の白眉の1曲だろう。
M-12 サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ)
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
Lennon/McCartney
録音=1967.4.1
「グッド・モーニング・グッド・モーニング」から繋がって登場するオープニング曲の再演版。同一アルバムに別アレンジで同じ曲が2回収録されるのは初めてのこと。こちらはブラスも登場せず、ポール、ジョン、ジョージの3人が最初から最後まで一緒に歌うストレートなロック仕立てになっている。
今回のリミックス版は、前の曲のエンディングのパーカッションの響きが強く、繋ぎもこれまでよりもスムーズになっている。ポールのベースもリンゴのドラムもボトムが強調され、ロック度は5割増し、である。
(2017/5/29 UP)