ちなみに、私自身が内閣府の人たち(ちなみに、話題になっているF審議官ではありません。彼は経産省の後輩ですが、守る義理も何もありませんので)に確認したところ、特区での他の規制改革に抵抗する省庁に対しても“岩盤規制に風穴を空ける”という文脈で同じような表現を使ったことはあるようです。

 これが大事なポイントで、自分の官僚時代の交渉の経験からも、特に改革に後ろ向きな役所を説得する際には、“上の意向”“政治の意向”といったことはブラフとしてよく使います。それは民間企業でも同じではないでしょうか。

 ただ、その場合でも、言質を取らせない慎重な物言いが得意な官僚が、「加計学園ありきが総理の意向」と先方に思わせるような発言をするとは考えられません。先方の議事録にそれが残ったら大変なことになるのは、火を見るより明らかだからです。

 したがって、前事務次官の前川氏がメディアの取材で発言しているように、もし文科省側が「内閣府は加計学園での獣医学部新設で圧力をかけている」と感じたとしたら、それは総理の意向というより、特区での成果を早くつくりたいという官僚特有の成果主義ゆえではないかと思います。

 ちなみに、前川氏はメディアで文科省が慎重だった理由として、「獣医師の需給を所管する農水省が獣医は足りていると言っていたから」と発言しています。これは正論にも見えますが、岩盤規制と既得権益を守る理屈にやすやすと屈しているだけですので、その程度の人だと多少のブラフでも恫喝と感じてしまうのでしょうか。

 また、前川氏がやっていることは明確に情報漏洩であり、国家公務員法の守秘義務違反に該当するのではないでしょうか。現役のときに頑張らず、今になってそのようなことを平然とやる人が、野党やメディアがさも勇気ある告発者のように扱うのは、ちょっと違う気がします。

「加計学園ありき」で国政は
本当に私物化されたのか?

 第二の論点は、共産党が明らかにした特区での獣医学部新設を決めた内閣府の文書です。最初の段階では自治体又は大学から特区の申請があれば特に限定なく新設を認める方針だったのに、最後の段階で「広域的に獣医学部が存在しない地域に限り新設を認める」という文言が入ったことを示しています。

 その結果、加計学園と京都産業大学の2ヵ所が獣医学部新設に手を挙げていたのに、近隣の大阪に獣医学部がある京都産業大学は対象から外れ、加計学園だけが新設を認められました。内閣府は総理の意向を忖度して加計学園ありきの手続きを行った、国政の私物化ではないかという主張です。

 この点は重要です。実際、霞が関の省庁では、自分たちが仲のいい企業などに仕事を受注させるために、事業者を公募する段階で、その企業だけが適合するような条件を応募要件に加えて他が受注できないようにするというのは、よくあることだからです。

 その疑念から内閣府を含む数多くの関係者に取材を行ったところ、内閣府は、応募できる自治体・大学を限定することは特に考えていませんでした。もともと特区はできるなら最初の段階から全国展開したい(=複数の地域で実現したい)と内閣府は考えているので、これはある意味で当然です。

 ただ、規制改革を決めるときは、当然その規制を所管する農水省や自民党(=族議員)と協議しなければなりません。調べたところ、その調整の過程で「広域的に獣医学部が存在しない地域に限り新設を認める」という表現を入れるという形でまとまったのが真相です。これなら半世紀にもわたって既得権益を守ってきた族議員も受け入れられるというギリギリのラインが、この表現になったのでしょう。

 さらに言えば、この表現を入れて方針が決まった後にパブリックコメントを募集したところ、日本獣医師会から「広域的に獣医学部が存在しない地域とは 1ヵ所、1校であることを明示しろ」という意見が出され、自民党の国会議員からも同様の要望があったので、最終的に獣医学部新設は1ヵ所に絞ることになったようです。

 つまり、結果として加計学園だけが認められる形になったのは、総理や官邸、内閣府の作為や責任ではなく、獣医学部の新設にずっと反対して今回も大反対を繰り広げた、自民党の族議員と日本獣医師会の意向によってなのです。