教育大学のえらい先生の『道徳科』についての講義を聞きました。
なんでも、教育指導要領の改訂に伴って、道徳が正式に教科になるんだそうで。
でもさ
わたしが子どもの頃から道徳の授業ってあったし
ぶっちゃけ、教科化することで、何が変わるのかいまいちピンとこない。
今までだって『道徳』っていち教科だったんじゃないの?
と、まぁ疑問は解けないまま
『道徳』とはなんぞや
という話を聞きました。
道徳って
要は
『望ましい行動がとれるようになる』
『善悪の判断ができ、正しい行動がとれるようになる』
『社会的正義』
『相手の立場を考える』
『相手の状況を考える』
という心を育てることを目的としてるんだそうで。
でも
先生がいうには
『状況によって必ずしも正しい行動がとれないときもあるだろうし、それでもいい』
とのこと。
その割に
先生が自分の実体験として出した例は
『とても疲れていたので座って帰るために、乗る電車を1本遅らせて、整列乗車の先頭に並び、無事座れた。だけど、目の前にお年寄りが立ってしまい、ものすごく葛藤したけど席を譲った』
というもので、ちょっと白けた。
道徳の授業をちゃんとすれば、自分みたいな、正しい行動、望ましい行動がとれる大人になりますよって例だったのかなー。
そこはさ
『ものすごく葛藤したけど、迷ってるうちに、そのお年寄りは電車を降りてしまった』
とか
『自分が葛藤しているうちに、となりに座っていた人が席を譲った』
とかにして
『ものすごく恥ずかしい気持ちだったし、今でも後悔してる。もう2度とあんな思いをしたくないから、それ以来、自分の気持ちがよくなるために、席を譲るようにしてる』
『でもそれでも、たまに、譲れないときもある』
的な
だって人間だもの的な話を聞きたかったなー。
そして
『席を譲れなかった自分を恥ずかしく思う気持ち』
『席を譲らなかったことを後悔する気持ち』
を育てるのが、道徳の授業です。
的な話だったら、すごく、ストンと心に落ちたし、あぁうちでもそういうしつけをしようって思えたな。
って、自分で勝手に思って、そう思えてるからいいんですけどね。
まぁでも
『相手の立場を考える』
『相手の状況を考える』
っていうのは、最近のわたしには欠落してたことだったので
そのワードが聞けたのは、収穫でしたけどね。
でもさ本来
そーゆーことって座って聞く話からじゃなく
実体験から吸収して学んでいけるはずなのにね。
子ども社会でも
人とのつながりが希薄なんだなーなんて
らしくないことまで思ってしまいました。
まぁ
この講義を受けた日はね
どーーーーんと落ち込みました。
だって
『望ましい行動』なんて全然できてないもんわたし。
もっと検索にひっかかるエントリ書くべきなのに
こんなだれも読まない自己満エントリ書いてるし
バズでも炎上でもいいからブクマ集めるべきなのに
ブクマ伸びそうになったら、伸びないように訂正入れちゃうし
読者登録もっとするべきなのに
全然しないし
ブクマもあんまししないし
星もつけないで読み逃げとかするし
ブコメもらっても星返さないし
タイトル下とか記事中に広告入れるべきなのに
見た目がいやとかわけわかんない理由でいれないし
カスタマイズめんどくさすぎてパンくずリストすらつけないし
全然ブログ運営なってない。
って。
なんの話だっけ?
あぁ
『望ましい行動をとれるようになろう』
って話だったね。
がんばります。
全力で。
できるだけ。
できる範囲で。
はぁ。
この迷走中のブログ。
だれかなんとかしてほしー。
てか
迷走中なのはブログだけでじゅうぶん。
違うか。
わたしが迷走してるからブログまで迷走してんのか。
道徳の授業受けるべきだろーか。
絶対やだけど。
そんなわたしは最近
息を吐くように記事を吐いてる
チルド氏リスペクト。
読もうと思ってる本。