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組織内共謀罪

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 5月29日(月)12時46分30秒
編集済
  共謀とは、共同でたくらむこと。
たくらんだだけで罪になるのが共謀罪。

創価学会では、今でも査問が横行している。
今日もどこかで、正義の声を上げる会員が査問を受け処分されている。
査問される理由は、最高幹部・公明党を批判したから。

今日(5/29)の聖教座談会では『今では「あの時、(平和安全法制を)整備しておいてよかった」と、その必要性への理解が広がっています』と書いてある。

この内容に対し『実際は、北朝鮮との緊張が高まっただけではないか!アメリカの行動によっては、日本が戦争に巻き込まれるようになったではないか!』と声を上げれば、組織内共謀として見られ査問対象となる。

組織内共謀罪=査問・処分

「なんか変だな」と思う事が、組織内で自由に聞ける雰囲気ではない。
創価貴族が会員のプライベートを監視する組織になってしまったからです。

良い会員とは、組織に波風を立てない、物言わない従うだけの会員。
最高幹部は偉いから、批判する会員は、破和合僧と言われ悪者となる。

・良い会員であるために、原田会長を讃えよ!
・良い会員であるために、武器による平和維持を肯定せよ!

それに逆らう者は、組織内共謀罪で査問、処分される・・・

日本の未来を憂う。
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』だからだ。


 

(無題)

 投稿者:創価学会2世  投稿日:2017年 5月29日(月)12時29分44秒
  創価学会2世です。
私は肉食妻帯している日蓮正宗の坊さんも全く興味有りませんけど、日蓮正宗と決別した後に池田さんは『俺が!俺が』言うようになったのは確かだと思います。
日蓮正宗と決別する前、決別前後の池田さんは素晴らしかったと思います。池田さんのスピーチは文化、芸術、哲学に溢れていてとても感銘を受けました。ハーバードや北京大学でのスピーチは今聞いても素晴らしいです。それが決別後は時を経るごとに『俺が!俺が!』言うようようになり本部幹部会でも自慢のオンパレードで見るに聞くに堪え難くなりました。文化、芸術哲学を語るだけで素晴らしいのにそれを全て『だから学会は正しい、学会は素晴らしい』で終わらせるようになり、後味が悪くなっていきました。それを端的に表しているのが有名な【ガンジーキング イケダ展】ですね。自分で著名人に連ねて展覧会を開いちゃっているんですから驚きました。この事は時を経るごとに痛々しくて恥ずかしい黒歴史になると思います。

皆さんはどう思いますか?


※韓国コンテンツ振興院関係者は「ジャパンエキスポに用意した展示館では韓国の漫画関連コンテンツの情報だけ展示した」として「韓流ドラマ、K-POPを紹介したという主張は事実無根」と反論した。
この関係者は「タイトルがジャパンエキスポになっているが、この行事は漫画、アニメーションコンテンツを主に紹介する展示会」として「日本側で事実を歪曲して誇張したもの」と付け加えた。

知っている人も多いとは思いますが、フランスのJapan Expoで韓国政府が出展したのはマンガだけではなく、ドラマやK-POPもかなり出展していたうえに、しかも問題化するまで何年もやっていたわけです。

韓国は、政府レベルでこの有様なのです。
韓国は政府レベルで日本に関連したイベントに寄生し、日本のイメージを利用して自国のコンテンツを売り込もうとしていたわけです

池田さん、創価学会のやっている事は上記と何ら変わらないと思います。

皆さんはどう思いますか?
 

宗教とは

 投稿者:世界教育機構  投稿日:2017年 5月29日(月)12時18分5秒
  勝つ事ではないのです、悪であればあるほど慈悲の道理を持って救う事にあるのです。道理は必ず物作りと同じようになります、文字通りになる事です。故に宗教とはたんなる教え、教育のみとなります。そこには紋理現、信行学の全てがあり道理であり。全ては違背しない、同じ事であるというのです。全ては不二である事と同じです真理であって道理です。これが釈迦仏法の真髄です。  

真相を読む必要性

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 5月29日(月)12時16分33秒
  北朝鮮ミサイル発射。安倍首相も菅氏も、明日にでも戦争が始まるかのような、深刻な顔でしゃべっていたが、私には、すごく芝居じみた表情に感じられた。お二人ともあまり演技は上手くない。
大騒ぎをして、国民の目を最重要なことからそらせたい意図だけは、伝わってきたが。

北朝鮮のミサイル発射は3週連続のこと。しかも短距離のスカッドミサイルらしい。
空母ニミッツがこちらに向かっていて、空母3隻体制と騒がれているが、カール・ビンソンとの交代の可能性が高く、現段階で騒ぐのは時期尚早だ。

トランプ政権も安倍政権も、尻に火が付いた者同士。むしろこちらの方が危ない。
情勢打開の為、無謀な事をして来ないよう、国民の厳しい監視が求められる。

ベトナム戦争のきっかけとなった、トンキン湾事件は、実はアメリカの自作自演だった。
満州事変のきっかけとなった、柳条湖事件も、実は日本の自作自演。

そのような過去を持つ日米の国民は、よほど賢くならねば騙される。

敵国を疑う前に、自分の国の指導者を疑ってみよ、という視点は重要だ。

芝居の、酷い臭さ加減からして、何かちょっかいを出そうとしている可能性は、あると思う。

クズ政権の延命の為に、国が滅んだとしたら、洒落にもならない。
 

二十一世紀への対話!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 5月29日(月)12時04分26秒
編集済
  二十一世紀への対話 59   投稿者:まなこ   投稿日:2017年 5月29日(月)08時50分33秒

「二十一世紀への対話 59   投稿者:まなこ」の「59」→「60」です。

 したがって次回は、「61」になります。念のため(笑い)。


 【追加】いま再度確認しましたら、前回が「58」で間違っていたのですね。(もう直っていますが)「58」がありませんでした。
 元い。次回は「60」で間違いありません。(2017年5月29日12時25分)

 

戸田先生の「生命論」(5)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 5月29日(月)11時50分54秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/69473(4)

またいわく、
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期(ご)とせん、身子(しんし)が六十功の菩薩の行を退せし
乞眼(こつげん)の婆羅門の責めを堪えざるゆへ、久遠大通(くおんだいつう)の者の三五の塵(じん)をふる悪
知識に値(あ)うゆえなり、善につけ悪につけ法華経を捨るは地獄の業なるべし」(御書232㌻)

撰時抄にいわく、
「今の人人いかに経のままにねがうともあやまれる経経のままにねがはば得道もあるべからず、しかればとて仏の
御とがにはあらじとと(書)かれて候」(御書269㌻)

かかる類分は、あまりにも繁多(はんた)であり、三世の生命なしに仏法は到底考えられないのである。これこ
そ、生命の実相であり、聖者の悟りの第一歩である。しかしながら、多くの知識人はこれを迷信であるといい、笑
って否定するであろう。しかるに、吾人の立場からみれば、否定する者こそ自己の生命を科学的に考えない、うか
つさを笑いたいのである。

およそ、科学は因果を無視して成り立つであろうか。宇宙のあらゆる現象は、必ず原因と結果が存在する。生命の
発生を卵子と精子の結合によって生ずるというのは、単なる事実の説明であって、より本源的に考えたものではな
い。あらゆる現象に因果があって、生命のみは偶発的にこの世に発生し、死ねば泡沫のごとく消えて無くなると考
えて、平然としていることは、あまりにも自己の生命に対して無頓着者といわねばならない。

いかに自然科学が発達し、また平等をさけび、階級打破をさけんでも、現実の生命現象は、とうてい、これによっ
て説明され、理解されうるものではない。我々の眼前には人間あり、ネコあり、イヌあり、トラあり、すぎの大木
があるが、これらの生命は同じか、違うか。また、その間の関連いかん。

つづく
 

(無題)

 投稿者:創価学会2世  投稿日:2017年 5月29日(月)10時23分18秒
  創価学会2世です。創価学会では日本人の多くの信仰姿勢を冠婚葬祭宗教と批判しています。
そもそもこの批判についてどう思いますか?
私は宗教なんて冠婚葬祭の時に利用するくらい、突発的に困難が有れば神社にお参りするくらいがとても健全ハッピーだと思うのです。

そうで無いのに宗教の存在意義、存在価値が有るとすればそれは本当に不幸な人を救う為に組織された宗教団体くらいでしょう。
かつての創価学会にはこの強みがあった。時代的に戦後という事もあってそれはたまたまそうなってしまったのかもしれないですけどね。ただ今の創価学会にはそのみずみずしさは無いです。
まず精神疾患がある人は入会出来ない。これはどう思いますか?w
あまりに貧乏だと体裁を繕います、創価学会を掲揚する為になるべく立派な人を入会させようとします(そんな人は通常、宗教なんて必要無いんだよw)まあどんどん官僚的な宗教に変貌してしまいまして現在の創価学会があるんじゃないでしょうか?

まあ創価学会に限らず、日蓮系の宗教でキリスト教のようにホームレスへの炊き出し、孤児院を運営している組織はありますか?宗教というのは本来こうあるべきなのだと思います。
 

正義 様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 5月29日(月)10時12分9秒
  お薦めの詩、ありがとうございました。
『何より失望に負けず。笑みを忘れず。
ともに ここで己自身を十全に生きられるように』
宮尾節子さんは、こんな詩も書かれてたのですね。

私が宮尾節子さんを知ったのは【明日戦争がはじまる】(朝日新聞?)でした。
安倍自公政権が「集団的自衛権」の解釈を変更しようとした2014年6月頃?だったか…それに反対表明しながら新宿駅で起きた焼身自殺未遂事件の時。
ラジオでも取り上げていた記憶があります。

まだ宿坊の掲示板に辿り着けてない頃で『創価公明はいったい何処に向かっているのか!?』
底知れない不安と悲壮感から、組織で問題を呈しても皆「公明党は大丈夫」と無関心。

そんな中で『決して思考停止してはいけない』と自分自身に言い聞かせた事を思い出しました。
そして「無関心」広がる世の中でも、一篇の詩が投じる一石が人の心を揺さぶる事も。

大きな意味での「戦争」も目の前の相手を思いやれない事から始まります。
それは全て『人の心』からの発動です。

池田先生の御指導から指摘しても対話拒否。
問答無用の「処分」
TVSテレビの質問にも「今回はお答えすることが出来ない」と「不誠実」な解答をした学会本部。

どうしたら『心を通わせる』努力をしてくれるのか…
《ジョーカー様》の【今、眼前に起きている問題に立ち向かい、大いに悩み、考え、祈り抜く。その先に広宣流布の未来があるのです】
の言葉に確かな光が見えた気がしました。

 

mission 様にお詫び

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 5月29日(月)09時33分49秒
  mission 様
すみません。
言葉が足りなくて、大きな誤解を生んでしまったようですね。
今、時間がなくて詳しく書けませんが、私の発言で、横暴な権力に対して声をあげることの
士気を削がれる人がいたなら、それは大いに本末転倒です。

わたしが言いたかったのは、その戦いを100倍にも価値を創造する為に、一念の所在を確かなところにくさびを打つのが大切ではないかということです。

私自身、国のトップを初め、SGI本部のトップのリーダー達に意見をしたため、又、メンバーに声を上げる様に促した為に除名となった身です。(巷では違う理由が流れているにせよ)
mission 様のいたたまれない気持ちは、誰よりも解るつもりでいます。

あと、「小善」という言葉も説明が足りなかったと思いますのであとでかきます。
結論から言えば、偉大な小善など、そう簡単にできるものではない、、という事をおさえた上での
相対的な価値観での仏法との比較においての箇所でした。

取り急ぎ、お詫びまで、、。
 

人間革命の道

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2017年 5月29日(月)09時12分11秒
  凱歌様

>今、創価学会員として正しく求道している人は誰だろう?
歓喜の信心とは?<

:::::::

人間革命の道とは、悩み抜き、考え抜き、祈り抜く中にあります。この三つが大事です。どれが欠けても人間革命の道を歩むことは出来ない。組織や幹部のことで大いに悩み、考え、祈り抜く人、その人が大功徳を頂戴します。私もそれで、圧倒的な福運が身に付きました。

御書に「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念々に起るなり」(P790)とあります。一念に億劫の辛労とは、悩み抜き、考え抜き、祈り抜くことであり、それが仏なのです。正しい求道をしている人とはまさに今、悩み、考え、祈り抜いている人のことです。仏とは、現実の問題に立ち向かい、悩み抜き、考え抜き、祈り抜いている人に他ならない。

広宣流布とは、歓喜の拡大です。歓喜の拡大とは、「信心してよかった」の拡大です。実に、学会活動の目的も、信心してよかったの拡大以外の何物でもない。信心してよかったと思える人が、増えたのか減ったのか。どれだけ数字としての結果が増えようとも、信心してよかったと思える人が増えていなければ停滞です。

信心してよかったの拡大に際して、まずは自分自身が歓喜の信心をしていなければ話にならない。そのためには、大いに悩み、考え、祈り抜くことです。反対に、悩まない、考えない、祈らないでは人間革命の道とは真逆ですので、信心ではないのです。信心するということは、問題から目を背けない強い自分へと人間革命していくということです。そのことを戸田先生は、「進まざるは退転」と言われた。悩み、考え、祈り抜いている人は前進(成長)しています。これが正しい道であると確信しています。

広宣流布のために、悩み抜き、考え抜き、祈り抜く姿勢こそが、法華経の一念です。朝晩の勤行で読誦している「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就佛身」は、このことをあらわしています。即ち、どうしたら衆生が速やかに仏(幸せ)になれるかを、私は常に念じていると。この、仏の心に連なることが仏意に最もかなっていることであり、無上道です。

凱歌様におかれましても、組織や幹部の矛盾や理不尽さに、葛藤されている様子が窺えます。私はそこに仏を感じます。混沌の中に光があります。今、眼前に起きている問題に立ち向かい、大いに悩み、考え、祈り抜く。その先に広宣流布の未来があるのです。
 

おはようございます

 投稿者:自由の凡夫メール  投稿日:2017年 5月29日(月)09時03分4秒
  「思考・概念」に対する査問・処分について

「救済」という視点から言えば、私たちのいる「相対的現象・現実」の多種多様な会員への執行部のアプローチは疑問です。

執行部の方々は、組織をまとめていく大変さは理解できますが、意見の言うものは「査問」「処分」等の安易な策で対応してしまう。

掲示板の皆様が訴えられている様に、生命の感覚が希薄になり、悪の働き作用に転じている。

「自我機能」の人に見られる、「体感・体験」の無い 「愚考」「愚行」になっている。追従する方も同様です。

なぜなら自我機能では「絶対的現象・現実」を体感できないからです。

「自己機能」の活性化がない限り無理なのです。

これは、「仏の計らい」なのか・・・。
 

末端信者 様へ

 投稿者:mission  投稿日:2017年 5月29日(月)08時54分28秒
  理解して頂いた事に感謝しています。

『折伏に通じる大善の行動だと思います』
私も今 痛感しています。

組織の歯車から放り出され冬眠している部員さんを目覚めさせる対話や、過去ともに励まし合ってたのに「原田門下」化してしまった友に語り続ける事も、悩みの中にいる人に仏法対話する事より勇気が伴い難しい…。

でも↑どんな形にせよ《末端信者様》が仰る『折伏に通じる大善の行動』に繋がるのですね。

いつもは閲覧されてる側の方が投稿して下さった《末端信者様》の言葉に どれ程 勇気を貰えるか…
意気消沈していた情けない生命(いのち)に力を戴けます。
ありがとうございました。

 

二十一世紀への対話 59

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 5月29日(月)08時50分33秒
  【池田】 博士はここで、大事な問題点を提起しておられます。つまり、いま述べられたような知的職業家仲間の閉鎖的なサークルが育ってきた理由の一つに、現代の学問にみられる特殊性があげられるという点です。
現代の学問の内容は、とくに科学技術の急速な発達の結果、あまりに専門的に分化しています。学問の内容がこのように理解しがたくなっているところから、大衆は、知識人に対して敵意に近い感情を抱いたり、あるいは逆に盲目的な崇拝の念をもったりするのではないでしょうか。また、知識人のほうでも、どうせ自分たちのやっていることは俗人どもにはわからないのだという、見下した態度をとることになるのでしょう。このように、学問の内容が高度になればなるほど、分化し専門化して、門外漢には理解しがたくなることが、今日、大衆から知識人を遊離させる大きな原因になっているようです。
現代の学問を大衆から理解されるものにするためには、専門化から一般化へ、そして分化から総合化へと、学問の流れを変えることが必要でしょう。いいかえれば、学問の世界においても、大衆からかけ離れた高踏性を重んじるのではなく、大衆への緊密性、さらには大衆への指導性――指導性というと語弊があるかもしれませんが、いうならば人間生活における有用性――を、より重んじていかなければならないと思うのです。

【トインビー】 私もまったく同じ気持ちで、専門化の行き過ぎを憂えております。過度の専門化は、専門家と一般大衆――知的ではあっても専門的でないという人々を含めた一般人――を、互いに疎外させます。
専門家は、そうでない人々を素人として軽蔑したがります。また、専門家でない人々は、専門家に対して、彼らは専門家仲間だけの小さなグループ以外には通用しない無用の長物であるとして、けなしがちです。これは、私個人としては、専門家でない人々の言い分のほうが正しいと思っています。専門家は、たとえそれが自分だけの特殊な分野の研究であったとしても、それを取り囲む環境から孤立して研究を推し進めるなら、やはり偏見に陥ってしまいます。
現代の世界をよく理解し、これに対処しようとするためには、私には、専門化はまずいアプローチであるように思われます。なぜなら、あらゆる民族、あらゆる人生の様相、あらゆる活動がますます相互依存的になってきているからです。われわれは、全体的な視野を必要とする時代に生きているのです。

【池田】 まったく同感です。さらに付け加えていえば、今日の教育のあり方というものが、そうした知識人グループの孤立化に拍車をかけているともいえましょう。 いわゆる知識人になるには、まず第一に金と時間の余裕がなければなりませんが、大部分の人人にはそれがありません。いうなれば、運命的に定められた生活条件の差異というものが、すでに知識人になるか、それとも早く社会に出て職業に就かなければならないかの分かれ目になっています。運命的というのは、青少年にとってみれば、勉学に当てられる期間というものは、まだ親の援助に頼っている時代であり、自分の力ではどうにもならない場合が多いからです。
家庭が十分に支援できる力をもたない場合、知識人となれる適応性においてとくに優れている青少年に対しては、国家ないし財団が肩代わりして支援する例がありますが、これもきわめて少数にすぎません。このような、自分の責任ではどうしようもない条件によって差別されているという意識が、恵まれた道を歩む者への羨望となり、ここから知識人と大衆の断絶の一因が生じているということもできましょう。

【トインビー】 私もほぼ同じ意見ですが、そこにはもう少し複雑な要素も絡んでいるようです。
知識人となるためには、三つの条件が必要です。第一に、知的能力です。つまり、天賦の才ということですが、これはしかし、きわめて不公平な形でしか与えられていません。第二に、勤勉さに耐え、よき行動をとる意志です。つまり徳行ということですが、これは各人が自分の力で実践できることです。第三には、長期的にわたる教育です。これには金がかかりますが、それは学生の両親とか、何らかの公共の財源によって支給されなければなりません。知識人として自活できるようになるには、相当の長年月を要するからです。 いうなれば、知識人と社会とは、互いに道義上の義務関係に立っています。つまり、知識人は、かつて自分の教育のために投資された公共の財源を還元するため、有益な社会奉仕をするという義務を負っています。これに対して、社会は、知識人の仕事が社会に価値をもたらすことを想定して、知識人が能率的に活動できるよう、十分に金銭的援助を与える義務を負っています。
私の世代には、イギリスでは奨学金制度が十分でなく、奨学金獲得の競争は、いま思ってもあまりに熾烈すぎました。もちろん、いかに恵まれない条件のもとでも、ぬきんでた能力の持ち主というものは、常にそうした競争に勝ち抜いたものですし、それは今後も変わらないでしょう。しかし、あまりにも条件が厳しいという場合、最も優れた能力の持ち主以外の人々が、すべてその隠れた能力を社会に役立たせるチャンスを奪われる、ということも考えられるわけです。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、アメリカ創価大学で第13回卒業式、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 5月29日(月)08時25分35秒
  おはようございます。原田怪鳥様、アメリカ創価大学での卒業式、13ヵ国102人が雄飛、誠におめでとうございま~す(笑)

くれぐれも、どなたかのように盗撮などされるコトなく、社会で実証をしめすべく、頑張って頂きたいもので~す(笑)

原田怪鳥様の御姿を最近拝見できないのデスが、お元気ですかぁ~(笑)もしかして、裏で、査問ばっかりやってるからデスかぁ~(笑)

いやいや、「じ・き・で・し」の原田怪鳥様、査問されるなら、自分自身が査問の場に立たれたらいかがデスかぁ~(笑)

権力をチラつかせて、デマを擦り込んで、各県の幹部あたりに査問させているようでは、「じ・き・で・し」の名が泣きますよぉ~(爆)


さてさて、さんふらわあ号のオハナシも本日で終わるみたいな、雌伏五十五デスが、

何故、四国の同志が師匠を訪ねたのか? 何故、師匠はピアノで激励したのか? 何故、懐中電灯を振り続けたのか?

当時の先生に、何ができて、何ができなかったのか? この背景をしっかりと描かれないから、ホントに上っ面だけで終わってマスよぉ~(笑)

執筆チームの皆さ~ん、単なる、「心温まるいいお話」にするのはやめましょうねぇ~(笑)

それは、正史ではありませぇ~ん。師匠を妬み、嫉み、追い落とし、その中で、一人反転攻勢をかけるべく、一人立たれた山本伸一。

その回りにいた魑魅魍魎ども、そう、原田怪鳥様をはじめとする執行部の皆様方のコトですよぉ~(笑)

ここのところの描写がない限り、「新・人間革命」は「珍・人間革命」になりマスよぉ~(笑)

執筆チームの皆さ~ん、いい加減に気付きましょうねぇ~、明日からも期待しないで待ってまぁ~す(爆)
 

SaySaySay様へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 5月29日(月)08時02分1秒
  >テキストを読み聞かせされたら「ああ、釈迦仏教なんだ」と思うのではないでしょうか。<

その通りです。
真剣に教学試験に挑もうとする会員は、知らないうちにブレてゆくのです。

虹が教学にこだわる理由があります。
池田先生の教学からブレると、会員の祈りを弱めてしまうからです。

原田会長が行った、2014年11月の会則改定以降、創価教学から「人法一箇」が無くなりました。
これにより、池田先生の信仰観・本尊観からブレが生じ始めたのです。

昔は「悩みや愚痴があったら、御本尊様に相談しなさい」という指導がありましたね。
それは、御本尊様を「人(仏様)」として敬う信仰観があったからです。

御本尊様を大聖人様と信じる信仰観に、絶大なる功徳が出るのです。
それは池田先生が仰るように『題目を唱える人には、大聖人様の御生命がわいてくる。必ず仏になっていく。』からです。

大聖人様と同じ力が出る会員が、悩みに負ける訳がありません!
これが池田先生の信心であり、その信心を貫く会員は必ず幸福になるのです!!

だからこそ会員の幸福のために、教学のブレを正さなければなりません!




 

生命の共鳴

 投稿者:dekahappy  投稿日:2017年 5月29日(月)07時34分28秒
  蘭夢様

殉教を促す意味ではなく、熱原の法難との生命の共鳴、とても大事なことですね。

ありがとうございます。
 

【御本尊の意義】大白蓮華6月号P.95

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 5月29日(月)07時30分8秒
  仏種=万人成仏の根源の法

釈尊は、宇宙と生命を貫く根源の法を覚知して仏に成り、あらゆる仏たちも、その妙法を覚って成仏する、と明かしました。南無妙法蓮華経は、「万人成仏の根源の法」であり、その名前です。

~~~~~~~~

本文にある「その名前」とは何を指しているのだろう。

ここでも、宮田臭がプンプン臭う。

さて、池田先生の指導を確認しましょう。

【1993.3.3 ブラジル池田記念講堂でのスピーチ】

『南無妙法蓮華経は、大聖人のお名前であり、御生命であられる。題目を唱える人には、大聖人様の御生命がわいてくる。必ず仏になっていく。』

 

今週のことば 2017年5月29日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 5月29日(月)07時28分49秒
  創価の女性のスクラムは
平和社会の太陽なり。
「声仏事を為す」
仏の福智を光らせ
自信満々と語りゆけ!
 

ある詩より

 投稿者:正義  投稿日:2017年 5月29日(月)06時49分14秒
  お薦めの詩です。

 

(無題)

 投稿者:末端信者  投稿日:2017年 5月29日(月)04時12分21秒
編集済
  一人のSGI 様 投稿者:mission 投稿日:2017年 5月29日(月)03時24分14秒 を支持します。

小善ではなく、折伏に通じる大善の行動だと思います。
私も、頑張ります。
 

一人のSGI 様

 投稿者:mission  投稿日:2017年 5月29日(月)03時24分14秒
編集済
  の投稿を読んでから随分と悩んだのですが、理解して貰いたい事があるので書いてみたいと思います。決して“一人のSGI様”への反論ではありません。
一人のSGI様が、何故 今 教学に拘っているのか?という決断は、とても良く解ります。

ですが、日本に在住し日本の組織に属している私達は、今 日本の中で起こっている様々な権力に対して『何としても戻さなくては!』との思いに駆られて行動している…しなくてはいけない『時』だと言う事も解って欲しいのです。

>仏法の目からみれば、全ての問題の根源は私達全員が作ってきた原因の結果でありますから、逆に言えば、私達の正しい行動によって解決できるという事になります<
「私達の正しい行動」…今の私達(日本)に於ては『声を上げる』『正しい事(池田先生の御指導)を語っていく』と私は思っています。

>この様な社会状況だからこそ、小善の行動として声もあげながら、それこそ大善の方に力を入れなければいけないのではないか<
決して「教義」を疎かにしても良いとは思っていませんが、「小善の行動として声もあげながら」では、今の日本を取り巻く「権力の魔性」には勝てません。

「大善は教義」「小善は行動」と気付いた者達がしたならば、第六天の魔王を叩き出す事はできるのでしょうか?
今の日本に居る私は『そんな生半可では出来ない』と日々語っている中で感じています。

日本の創価組織の中だからこそ切歯扼腕し、今の創価公明や政治を日々感じているから『時』としては遅いくらいだと焦燥しているのです。
一人のSGI 様が大善と仰る「教義」を我見から大きく曲げたのは原田執行部であり、池田先生が叫び続けて来られた『平和主義』『人間主義』を大きく逸脱させたのも創価公明…それを正しい方向に戻す事に専念すべきは、日本に居る私達だと思います。
教学を理解し「信」を深めただけでは、「教義」を大きく曲げた大元の原田執行部を正す事にはならないと。

あくまで私個人ですが「原田門下」になった人達への対話等を止めて、心ゆくまで唱題し御書を研鑽する生活へ逃げたい気持ちになる…今の私にとって その方が楽だから。
『声を上げる』『正しい事を語っていく』行動は、冷たい言葉や村八分的なデマ噂に何度も何度も心が折れそうになり、語ってる最中にでも涙がこみ上げてくる時もあるのです。
それでも『気付いた私がしなきゃ誰がするの』と自分の中にある勇気を奮い立たせて挑んでいます。

それは、池田先生が命懸けで守って来られた『創価学会』を『池田門下の創価』に必ず(絶対に)戻したいから。
先に「除名処分」を下された方達を元に戻したいから。
『創価学会』の礎になられた草創期の方々や《蘭夢様》の投稿で仰られていた『熱原の農民信徒達』の不惜身命の信心で権力と闘う姿に、恥じない行動をしたいからです。

それらを叶える為には、何度でも語り爪を立てる行動を私はしたい…しなくてはいけない。
今の私には《一人のSGI様》が仰られている「信*行*学に優先順位」は付ける事は出来ないのです。
決して反論しているのではありません。
《一人のSGI様》が仰られている「少なくとも教義はある程度の理解によって「信」が深まる」と言う事も、この掲示板で学んでいます。

そして《幸せな人様》が仰られていた様に、沢山の人達からの真実の投稿に希望がわき、《宮川様》の代理投稿から生命(いのち)を揺さぶられ、権力に負けてしまいそうな私自身から『勇気』を絞り出して貰える。

【断じて悪と戦うことである。極悪と戦えば極善になる。反対に悪を許せば自分が悪になってしまう】
2000.11.20九州最高協議会

【広宣流布のために苦労している皆さま方である。だれが見ていなくとも仏が見逃すわけがない。三世十方の仏菩薩が見つめている。だれが知らなくとも無量無辺の諸天善神が、ほめ讃え守ってくれる】
2003.9.5海外代表協議会

池田先生が↑励まして下さってるから、「行」である『声を上げる』『正しい事を語っていく』行動を止める訳にはいかない。
「会合参加停止」の私にとって、たった一人で声を上げ続ける事は、冷たい言葉や村八分的なデマ噂の嵐で凄く辛い…
けれど創価貴族が牛耳る「創価公明」を『池田門下の創価』に戻すまでは、何としても絶対に逃げない!と我が家の御本尊様に誓ったから、成し遂げるまで頑張り続けます。
宿坊の掲示板の皆様から、沢山の勇気を戴きながら。

《一人のSGI様》とりとめ無い文章になってしまい申し訳ありません。
 

宿坊botより

 投稿者:凱歌  投稿日:2017年 5月29日(月)01時55分43秒
編集済
  室井佑月
「嘘をついても居直り、反論にならない反論をして逆ギレ
それを許す国民とマスコミ」
あ!これは、安倍さんの事です
原田会長の事ではありません
本部は「嘘も反論」さえもしていません
「今回はお応え出来ません」とノーコメントです
つまり「シカト」です
支援団体として、会員を煽るだけ煽り支援活動させ、都合が悪いことはノーコメントとは?
これって安倍さんより酷いのでは?
こんな対応許していいんですか?
 

一千人の精鋭と十万の老兵との戦さ

 投稿者:窮状  投稿日:2017年 5月29日(月)00時50分30秒
編集済
  今日から次の一手が始まります。

「 何やってんだ !しっかり監視しろ!」 と

八から怒鳴られる。哀れ弓の姿かな。
 

バカ板閑職に追いやられた諸君へ。

 投稿者:大石小石  投稿日:2017年 5月29日(月)00時47分53秒
  スマホやタブレット(キャリア判明済み)駆使してまで内部情報を抜こうなんてそんな諜報もどきの真似はやめなさい。足立や墨田、千代田とあちこち動きながら(笑)

なるほど、都議選とかいう「法戦」を君らも八の字あたりから無理矢理、指示されて?毎回報告書出さないと叱られるしなぁ。

とにかく。バレバレだからね!
 

さて、僕は何を拝しているのだろう。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2017年 5月29日(月)00時44分17秒
  御本尊にお題目をあげながら、ふと思った。

一体、僕は何を拝しているのだろう。

熱原の法難において、その信徒の不惜身命の信心に、感じるものがあり
大聖人は、本懐として、大御本尊を顕わしたと、昔、教えられた。

そして、今、ふと何を大御本尊と認識して拝しているのか

無意識に、ただ光を感じ、それに合わせていたが、その光とは何なのか

僕は、自身が祈る、その拝するものにフォーカスをあてた。

不惜身命の信心の弟子。そして師匠である大聖人。

この師弟不二の関係。そしてその師弟不二の弟子達が異体同心で権力と闘う姿。

そこに、生命と生命が共鳴し、光り輝くものを見ていた。

これだ、これが法華経の神髄、この生命の共鳴こそが、法華経の言いたかったこと。

そこには、虚空会のように、大聖人を中心に地涌の弟子達が誓い合う姿があった。

この生命と生命の共鳴状態の絵画ともいうべき虚空会、たしかに御本尊の相貌だった。

そうなんだ、師匠だけではだめ。師匠と弟子。時だ。この熱原の、この瞬間の生命と生命の共鳴。

これを大聖人は、残したかったんだ。伝えたかったんだ。

この生命と生命の共鳴に時を超えて、我が生命も共鳴させていく、その時、法華経の通り
地涌の菩薩が陸続と現れる。この地涌の菩薩とは、人類の宿命転換のことだ。

そして、現代になり、そうだ、僕が拝している大御本尊とは、草創期の大先輩達。尊い一人一人の
仏性の、その共鳴。
大御本尊とは、他ならぬ、異体同心の尊い草創期の大先輩達の生命、75万世帯の人々の生命の仏界を
そうだ、その人たちの生命の共鳴を僕は拝していた。

僕が大御本尊と感じていたものは、大聖人に連なり、師弟不二で闘う異体同心の人々の生命と生命の共鳴
それを大御本尊と感じていたんだ。

それ以外に大御本尊と称するものはない。

あぁ、だから戸田先生は、あれほど組織を大切にと。

されど、師弟不二にあらざれば、そこに血脈はない。悲しいことだ。
 

ジャクソンファイブ様

 投稿者:凱歌  投稿日:2017年 5月29日(月)00時15分57秒
編集済
  感動的な話、ありがとうございます
表面的に見ていると、創価学会ってハァ?
洗脳?
自分で考えている?
と思うし、思われています
しかし、大地の底に隠れていた地湧の菩薩のごとく真の弟子がたくさんいることに感動します

カンピース様
仰る通りだと思います
公明党が戦争へと行く時、平和の団体、創価学会が「黙っていない」と勉強会で言っていました
それにも、かかわらず
「今回は答えられません」と門を閉めているのは、あまりに自語相違であり、無責任ではないでしょうか?
会員に対しても、外部の人に対しても納得いく説明をお願いします
公明の支援団体の創価学会に「説明責任」は、ないのでしょうか?
会員は、不思議に思わないのでしょうか?
選挙をお願いする外部友人から聞かれたら
なんと答えるのでしょうか?

御書を学べば学ぶほど、池田先生は正しい!と感動します
反対に御書、先生の御指導を読むば読むほど、本部に、本部の打ち出しに不信感を持ちます
それは、内心、打ち出している幹部自身も感じているのではないか?と最近思い始めでいます
なぜならば
壇上で話す幹部、座っている幹部、
いわゆる「がんばっている人」も誰も輝いていない
「須弥山に近づく鳥は金色に輝けり」
輝いている人がいない
それは
須弥山に近づいていないからではないか?と思いはじめています

自分自身は、どうか?
御書、先生の御指導を学べば学ぶほど、歓喜よりも、執行部に対する怒り、呆れが多くなっていきます
今、創価学会員として正しく求道している人は誰だろう?
歓喜の信心とは?
思索しています

ふと思いました
同じ話も
執行部に対する不満として受け止めるのか?
感動的な弟子の戦いとして受け止めるのか?
プラス思考か?
マイナス思考か?
が出るのではないか?と思いました
究極の楽天主義になっていかないと怒りと呆れに負けてしまうように思いました
自問自答で、すみません

とりとめない話ですが、
ジョーカー様のお考えを教えて頂けますか?
よろしくお願いします
 

三木淳さんについて

 投稿者:大石小石  投稿日:2017年 5月29日(月)00時13分33秒
  三木さんが病院のベッドで生死を彷徨っていた時。病床枕の下から一通の手紙があった事に気付く。

それは先生からのお手紙でした。三木さんはそれを家族に叱る。しかし、家族は「貴方の指示でそうしたのですよ」と。

今の青年部ば幹部は知らないでしょうな。特にバカ板の雇われ兵。これはもったいなくもあのヒロシくんが命名(笑)

シャクライや中村、ゆみたんもはやく足抜けしたほうがいいよ~。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 5月28日(日)23時48分18秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
先生、奥様、皆様方が健康、長寿であります様に
おやすみなさい
 

何故、今、教学?

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 5月28日(日)23時46分41秒
  少し説明させてもらいますね。
何故、今、教学にこだわっているのか?という事についてです。
私なりの決断です。

今のこの現況において、何に一番重きを置くかの優先順位の差だと思います。
いずれにしても、仏法の目からみれば、全ての問題の根源は私達全員が作ってきた原因の結果でありますから、逆に言えば、私達の正しい行動によって解決できるという事になります。

結論を先に言えば、この様な社会状況だからこそ、小善の行動として声もあげながら、それこそ大善の方に力を入れなければいけないのではないかと思っています。
大善とは何でしょうか。それこそ大聖人の仏法の信、行、学ではないでしょうか、

人間革命に、ある選挙の戦いの時の話が、あったのを思い出します。(覚え間違いでなければいいのですが、、)
選挙戦も終盤を迎え少しの時間をも惜しむ様な状況の中で、その地域に応援に行かれていた先生が、早朝にやったのは、なんと御書講義でした。しかも教材は超難解な「当体義抄」。
メンバーはどうしてこんな時に御書講義をやるのか、場違い、時期違いではないかと思ったのは当然の事。
でも大変な時こそ、信心の基礎を徹底するという、先生の指導がそこにあったようです。
理解できるかどうかが問題ではなく、その求道心に結果がついてくるのではないでしょうか。

私事になりますが、私が執着しているのは、特に一念三千の法理に関したものです。
一番基本でありながら、一番おざなりにされてきた法理だと思うからです。
これを間違うと、大聖人の仏法が根本から崩れます。
事の一念三千の御本尊の理解にも関係します。

少なくとも、この教義のある程度の理解によって、「信」が深まると私は信じています。
ご理解いただけるとうれしいです。
 

同盟題目開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 5月28日(日)23時07分45秒
  遅れました。同盟題目を開始します。よろしくお願い致します。  

フリー・バード

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 5月28日(日)22時01分24秒
  ダメよ~ ダメダメさん、『報道特集』ありがとうございます!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69551

大阪の地区ぶちょ~さん、私も同感です。戸田先生が「公平な人なら誰でも運営できるような創価学会」に第三代会長がしてくれるという意味のことを言われていたそうですし。小説『新・人間革命』にも「幹部に威厳は(昔は必要だったが)必要ない。気さくさの方が必要」という意味のことが書かれていました。ただ「ひとり一人が会長」ですよね。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69563
引用の『名字の言』は私もよく覚えています。覚えている人が多いようですね。

生涯&広布一筋兄弟さん、「カルマ論」というか、これは裏返して「生命は永遠=三世」を意味していますよね。本来、西洋になかった考え方です。協議会で「なぜ生命は永遠だと思うのか、本当に前世なんかあるとなぜ思うのか、と内外に訊かれたらどう答える?」という話をしていたら、ある年配の婦人が三世の話をせずに宿業の話をして説明しました。これが智慧というものだと、さすがだと思いました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69578

虹と創価家族さん、全く同感です。テキストを読み聞かせされたら「ああ、釈迦仏教なんだ」と思うのではないでしょうか。実は私も入信直後はそう思っていました。日蓮仏法は違うのだと知ったのは少し後のことでした。釈迦仏法はいわば「日蓮仏法0.0」でしょうか?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69559

プロジェクトXさん、いつもありがとうございます。キーワードに「村八分」てあるんですね。どんな宗教やねん?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69582

日蓮仏法2.0さん、ごもっともです。「教学は信行学の重要な一要素」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69600
「(教学がないと、信心は行き詰まる。また、何か事故があったり、自分自身の問題で行き詰ってしまった時に退転してしまう。)“結局、教学こそが、信心を向上させる因なのです”」(大白2011年8月号27ページ池田先生)

誰か私を呼んだ?さん、ツイート人さん、「バードウォッチング」ですか? 「怪鳥」が見たいなら信濃町に行けばいいのに。双眼鏡を持っていたら共謀罪でしたっけ?
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69584
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69592

“俺は根っからの自由な鳥だから おまけにこの鳥は 頑固で変わりようがないのさ”
“自由な鳥は空を飛ばないとダメなんだ それは誰にも変えられない”
“俺は変わらないんだ 誰にも俺は変えられない そう 俺の性分は変わらないんだ”
“おまえも飛んでみないか? 自由な鳥のように”
『フリー・バード』レナード・スキナード
https://www.youtube.com/watch?v=np0solnL1XY
 

不思議?

 投稿者:いつもはロムさん  投稿日:2017年 5月28日(日)21時55分30秒
  掲示板の趣旨と異なる投稿が散見されますよね。
最近、とみに。何か、学会員さんが一見すると困るから
何処かから指令でもあるのでしょうか?
元本部職員の座談会監視や昨日の報道特集の証言があった、ネットを見るな。みたいなことがあると懐疑的になってしまいます。失礼しました。
 

楊門女将 3/12

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月28日(日)21時10分11秒
編集済
 


<動画のあらすじ>

穆桂英(ぼくけいえい)はたった一杯の酒で悪酔いし、
祝いの席にもかかわらず、つい悲しい胸の内を暗示する歌を歌ってしまう。

穆桂英のただならぬ雰囲気を感じた佘太君(しゃたいくん)は、
楊宗保(ようそうほ)の母・柴郡主(さいぐんしゅ)に、
桂英は本当に悪酔いしたのかと尋ねる。

さらに、焦廷貴(しょうていき)には、
辺境の三関へ赴任中の宗保の身に何かあったのかと問い詰める。

孟懐源(もうかいげん)を含め三人は必死になって隠し立てをするが、
佘太君による再三の尋問に耐えきれず、
とうとう焦廷貴が真実を明かしてしまう。

宴席は一気に凍りついた・・・・・。
 

「創価学会の歴史と確信」(11)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 5月28日(日)20時16分47秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/69459(10)

戸田城聖全集より・・

(下)

私は、創価学会の理事長を、学会創立以来つとめてきたのである。私と牧口会長とは、影の形に添うごとくで、私
自身が生まれてきたのは、学会の理事長になるためのようであり、故牧口会長と生死をともにする為であったと考
えられる。

それであるにもかかわらず、私は創価学会会長になることは、本当に嫌で嫌でならなかったのであった。先生の万
一のことがあった時、会長の位置が当然、私に来ることを恐れたのである。

私は、まず、第一回の試みとして寺坂陽三氏を教育し、次代会長の貫禄をつけんと努力したのである。しかし、彼
は小才にすぎず、牧口会長の口真似のみして、学会内に勢力をうることのみ腐心し、ついには学会を二分しようと
する機運にまで立ちいらしめたのであった。

しかも、彼は法罰をうけ、牧口会長を窮地(きゅうち)に陥れんとするの事件を起こしたのであった。

やむなく私は、事件の収拾に立ち、故稲葉伊之助氏ら三十余名の財務部員相違のもとに、行政面に牧口会長の権力
を強化し、彼から幹部をうしなわしめて、ようやくことなきを得たのであるが、彼を次期会長とする計画は失敗に
終わったのであった。しかし、次代会長の養成は、絶えず私の脳裏を去らなかったのである。

その後、現在の中の支部長・神尾武雄氏に目をつけて、牧口会長に進言し、教育を願ったのである。しかし、昭和
十八年の嵐において、ひとまず、その考えを捨てなければならなくなったのは、氏の夫人の信心の力にも関係し、
氏自身の生命力にも関係することであった。氏は再び一兵卒として再出発をなし、将来を期することになっている
のである。
 

創大卒でも外部で著述に携わる人間の著作は学会の許可制を求めたほうがよくないですか?

 投稿者:9911???  投稿日:2017年 5月28日(日)19時18分44秒
  週刊ダイヤモンドで創価特集の中心的人物とされた創大出身の外部の記者の秋山謙一郎ですが、
朝日から「友達以上、不倫未満」などというふざけた本を出し、それをまた聖教新聞が第一面に広告しています。

こういうのをみると共謀罪は必要ですが、たとえ外部の人でも創価学会や同士の許可を得た人間のみ、著作に携わるようにしなければおかしくなりませんかね?

https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8B%E9%81%94%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%80%81%E4%B8%8D%E5%80%AB%E6%9C%AA%E6%BA%80-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E8%AC%99%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4022737123/ref=asap_bc?ie=UTF8

 

議論が深まっています

 投稿者:日蓮仏法2.0メール  投稿日:2017年 5月28日(日)18時57分10秒
編集済
  多くの真面目な同志がこの板で教学について意見を交換しています。オープンで、真摯に、かつ互いの意見を尊重しながら。考えてみれば、かつてこのような機会がありました?とすれば、画期的で素晴らしい傾向ですね。

御存知のように、教学は信行学の重要な一要素です。現在、根本尊形である御本尊そのものをどのように理解すべきかが揺れており、問題になっています。その理解は、御本尊の前での自分の信心の姿勢から始まり、自分の生き方に関わっていきます。さらに、組織の在り方、活動に対する姿勢、ほかの人たちへの接し方、最終的には社会や政治のレベルまでに影響します。つまり、一念三千の原理をより広く敷衍すると、いかなる一念(思想)を取るかにより、それが三千(人生・社会等)へと展開されるわけです。

「 妙法即御本尊と私たちとが直結することこそ仏法の根本であり、極意であります。・・・ それはまた、あらゆる人々が御本尊と自分との関係に生きることでもある。」http://6027.teacup.com/situation/bbs/69589

人法一箇の大御本尊は日蓮久遠本仏論のベースの上に構築されています。これは新刊書第一部のテーマですが、正宗の法主絶対主義の権威的階級制度を正当化する論理として利用されました。
投稿にもあるように、牧口先生の価値論・罰論、戸田先生の功徳論・組織重視論、池田先生の「一人一人の人間革命」重視論の差を認識しておくことは重要です。http://6027.teacup.com/situation/bbs/69572

SGIの中にはこうした様々な異なった考え方・要素が混在しています。組織重視の思想は権威的階級制度に、人間革命重視の思想は一人一人を大切に、一人一人の宿命転換・境涯革命を支援する方向に運動論が展開されます。

これは「我々凡夫の視点から見た実践方法」に、また「「法」のみあっても「人」・「仏」がいなければ、事の仏法はダイナミックに活きてこない」ということに通じます。http://6027.teacup.com/situation/bbs/69578

最後に結論を。「組織中心のイデオロギー」を内面化すると、メンバーに対しても、組織への信服随従があたかも「信心がある」かのような幻想を生んでいきます。したがって、いかなる理由であれ、組織に対して批判的態度を取ると、差別・疎外・排除等の制裁を受けることになります。最終的には、喜びも躍動もない閉塞状態に陥ります。
他方、「会員中心のための組織」という立場を取ると、理想論かも知れませんが、「自他彼此の心なく」同じ人間・同じ信仰者のレベルで対話が重視されます。一緒に理想的な組織・信仰共同体を形成していこうという志向性が共有されます。喜びと体験が共有され、人々に希望と勇気を与えていきます。
前者は日蓮久遠本仏論の弊害で、後者は凡夫本仏論の目指す射程です。

その意味で、私は現在のSG/SGIが前者を放棄して、後者の方向に移行することを評価しています。まずは思想(一念)の革新から。そこから新たな人生・信仰共同体・社会・政治(三千)への展開を。そのための「凡夫即身成仏論」です。

https://www.amazon.co.jp/%E5%87%A1%E5%A4%AB%E5%8D%B3%E8%BA%AB%E6%88%90%E4%BB%8F%E8%AB%96-%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84/dp/4802093160/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1495891131&sr=1-1&keywords=%E6%9D%BE%E6%88%B8%E8%A1%8C%E9%9B%84

 

ありがとうございます。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年 5月28日(日)17時34分3秒
  真正の弟子様、ありがとうございます。

早速見てみます。
m(_ _)m
 

ある写真家の実名

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 5月28日(日)17時11分48秒
  故人ですし、歴史の真実として明かしても良いのではないでしょうか?私の知る限りにおいては、故、三木淳氏かと思われます。  

幸せな人様

 投稿者:真正の弟子  投稿日:2017年 5月28日(日)17時07分21秒
  彼の方のブログです。
http://www.ac.auone-net.jp/~davinci1/index.html
 

こんにちは。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年 5月28日(日)16時48分48秒
  シャクソン ファイブ様、いつも目から鱗の投稿ありがとうございます。

真実を知ることで希望がわきます。

先生の残された言葉で、闇に葬り去られたものを全て知りたい。そんな気持ちです。

出来れば尊敬される大先輩のかたのブログを是非拝見したいのですが、検索仕方を教えていたたけますと、とても、嬉しいです。
お願い致します。m(_ _)m
 

Re. Twitterより。共謀罪を心配する声が。農業者、農業生産め監視対象の可能性が。公明党はしっかりしろ!

 投稿者:不思議?  投稿日:2017年 5月28日(日)16時26分9秒
  ツイート人 さまが言われる通り、農業者に限らず一般人を捜査対象の被疑者とすることができます。
先般のツイッターの通り、議員・公務員・官僚にはこのような網はかけられていない。公職の者は共謀罪の適用外です。良い身分制度ですね、彼等は共謀していても常に単独犯としてトカゲの尻尾切りのように捨てられる。

どこかの宗教法人みたいです。裏切ったら、秘密バラしたら生活の保障は無いぞと。

体制保持を念頭に様々な詳則が組み立てられた時に、この共謀罪は、威力を発揮します。
そして、金力・権力により警察の捜査権の濫用が始まる。大正年代から昭和初年に変容する「治安維持法」がこの典型でした。平成に至り、「共謀罪」と名称を変更して再び思想弾圧の法律が出来上がる。

もう、自民党も公明党も支持母体の創価学会もルビコンを渡ってしまい、「今回はなにも話すことは有りません」の世界になってしまいました。嗚呼、末法か、オシャカかと心有る会員は沈黙しています。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、学生部が凱歌の60周年とのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 5月28日(日)16時15分37秒
  最近、御姿が見えない原田怪鳥様、お元気デスかぁ~(笑)学生部が凱歌の60周年へ、拡大月間がスタート、

大胆に朗らかに打って出よ、デスかぁ~(笑)その割には写真は3月のもの? ワケがわかりませ~ん(笑)

>学生部には民衆の団体である学会を守るべく、社会変革への正義の対話の渦を起こす使命がある<
(5・28 政教珍聞1面より抜粋)

対話の渦を起こす使命がある執行部の皆様方(笑)、TBSの取材に、「今回はお答えできません」と取材拒否(笑)

学生部の諸君より先に、対話の渦を起こして下さいねぇ~(大爆)

 

Twitterより。名古屋で盗撮に懲りたのか?沖縄では婦人部の参加者ウォッチング。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 5月28日(日)15時27分58秒
  昨日の元職員3名の座談会in沖縄。先月の中部・名古屋座談会での盗撮失敗に懲りたのか?風の噂では男子部は使い物にならないと今回の沖縄では何と婦人部教宣部が出動(苦笑)おそらくそれなりの幹部でしょうが、盗撮は危険との判断か?婦人部お二人でバードウォッチングならぬ参加者ウォッチング  

代理投稿(連投です)

 投稿者:シャクソン ファイブ  投稿日:2017年 5月28日(日)15時11分38秒
  連続の代理投稿で申し訳ありません。
よろしくお願いします。






先生が創られた聖教新聞や同時放映が乗っ取られた今、
先生の声を弟子に届ける諸天は、あらゆる形を取ります。

4.24の寸鉄「 第三代を中心に団結せよ !」の師匠の叫びを載せる為に、

執行部の検閲が終わった後に、差し替える師匠の叫びを、幾人の弟子が知っただろうか?
 

正義はある!

 投稿者:正義  投稿日:2017年 5月28日(日)15時10分15秒
  創価学会からも子供たちに希望と勇気と正義を
大人が見本を見せて欲しいです。

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「あったものをなかったものにできない。」



前川氏が、自分には何の得もなく逆に大きなリスクがあり、さらに自分の家族やお世話になった
大臣や副大臣、文部科学省の後輩たちに迷惑をかけると分かった上で、それでもこの記者会見をしたのは

「正義はある」

ということを、子どもたちに見せたかったのではないだろうか
「あったものをなかったものにはできない。」
そうなんだ、嘘をつかなくていいんだ、正しいものは正しいと、間違っているものは間違っていると、
多くの人を敵に回しても、自分の意見をはっきりと言っていいんだ。
子どもたちとって、これほど心強いことはない。
「正義」や「勇気」のタネを自分の心に蒔いて、しっかりと育てていいんだ。
どれほど心強いだろう。

原文を一読ください ↓ 創価より創価らしい
http://kidsdoor.tokyo/yumiko.watanabe/2017/05/27/「あったものをなかったものにできない。」から/
 

代理投稿です

 投稿者:シャクソン ファイブ  投稿日:2017年 5月28日(日)15時08分27秒
  こんにちは。
宮川氏の代理投稿です。よろしくお願い致します。




私の尊敬する大先輩のブログより、その先輩の許可を頂き御紹介させて戴きます。

秋谷氏の指示により、恐らく
抹消されたであろう、先生の魂の御指導を護り、伝えられる伝持の獅子であられます。

先生の波動をそのまま受けておられる方であり、

静かな物言いと、
小柄な五体から発せられる、
生命の波動は、接する者の魂を鷲掴みにして、生涯を覚悟せしむるに余りある。

幕末の志士を革命に決起せしめた
幕末の獅子、吉田松陰先生をさえ彷彿とさせる御存在である。

ーーー以下 引用ーーー

沿革概要

私が所有する戸田先生、池田先生の指導テープの一覧です。

ただしホームページの容量の都合で音声そのものを掲載できませんが、
いずれは掲載したいと思っています。

池田先生が勇退させられる直前、秋谷副会長(当時)から

「池田先生は間違っている。先生のテープが存在することは爆弾を抱えているようなものだからすべて消去し廃棄するように」

との指示がありました。

 私は先生より

「 広宣流布の音聲を末法万年まで伝えよ」との

言葉と揮毫を戴いており、
とても消去したり廃棄することは出来ませんでした。

 隠し持てるだけ、
拾い集められるだけのテープを個人的に保管してきました。

このことが発覚すれば職員を首になる覚悟でした。

 広宣局とシナノ企画が所有する音源をすべて聖教資料室に回収すると、音源台帳より消去する音源を青木、柳原両副会長が選別し、

資料室の職員が消去したのです。

その数およそ1600本にものぼる。この事実を永久に記録しておきたい思う。

 広布の途上にあって、創価学会における焚書事件は起きました。

今なら先生の主張が正しかったことが証明され、当時の音声はその証拠ともなる訳ですが、一度消去されたテープの復元は容易ではありません。

 二度とこのような事態が起きないことを祈っております。

『 先生の広宣流布思想 』

秋谷氏が秘密裏に破棄せよと命じた、先生の御指導の一部を要約して送ります。

「 池田門下生と戸田門下生の違いは、はっきりしている。

「 戸田の命より大事な創価学会の組織 」という、

戸田の意志を受け継ぐ人々が戸田門下生である。

したがって彼らは、
創価学会の組織が無ければ広宣流布は出来ないと考えている。

池田先生は━━━、

「 池田の命より大事な創価学会の組織 」とは言われていない。

むしろ先生は、

「 世界広布に組織はいらない 」と。

「 ニューヨーク辺りに本部を設置し、

例えばユダヤ協会のような組織でなければ、組織に依る世界広布はできない 」とまで、言われた。

池田門下生は、
「 創価学会と言う組織が、無くなっても、

池田先生とその精神、その思想があれば、世界広布は必ず出来る 」と。

「 広宣流布とは、1人1人が、絶対に崩れざる平和の要塞を、我が心の中に築く事 」だ、と。」

━━━以上、先生の御指導より( 尊敬する先輩のブログより転載 )

ーー以下、投稿者所感ーーー

日蓮仏法━━文底独一本門に於ける広宣流布は、云うまでもなく、

一人の成仏に因る『依正不二』の原理である。

この原理を、先生は、人間革命執筆の冒頭に━━、

『 一人の人間に於ける偉大な人間革命は、一国の宿命の転換を成し遂げ、

やがては地球人類の宿命の転換をも可能にする。』
と留め置かれた。

SGIの日.1.26提言を始め、

先生は、「 先生の百六カ抄講義(未完) 」に於いても、

「 妙法即御本尊と私たちとが直結することこそ仏法の根本であり、極意であります。

それはまた、あらゆる人々が御本尊と自分との関係に生きることでもある。

たしかに、妙法広布を推進する組織はなければなりません。

だが御本尊と自分との直結という仏法の極意、本義に立つならば、

組織はあくまで、この直結をより深くするという根本目的の為の手段といっても過言ではないでしょう。

この目的と手段をはき違える時、
その組織はたちまち権威主義とドグマに囚われ、民衆を苦しめる魔物と転化するのであります。

( 先生の百六カ抄講義第8回 )

その組織はたちまち権威主義とドグマに囚われ、民衆を苦しめる魔物と転化するのであります。

個々人の自由意志を封殺し、
従わないものに、役職解任や除名処分と言う罰を与え、会員を強権的に従わせる今の、信濃町の組織こそ、

先生が最も危惧された民衆を苦しめる魔物なのである。

今こそ、日蓮大聖人の万人成仏の大法を、世界に広宣流布すべき時にあたり、

民衆を苦しめる魔物の呪縛から心を解放し、先生を我が命の中心に据えて、世界の平和と、全民衆の幸福の為に、

真の日蓮仏法、池田思想、創価思想を御本尊と言う法を根本に実現して参りましょう。

我々が今、
先生の真の御指導に巡り合う事の必然に感謝するものである。

常唱院 日護 拝
(宮川 日護)

☆写真は吉田松陰先生の御肖像☆

一般に流布されている御肖像は余りにも老けて書かれてあり悪意さえ感ずる。

そこで、30歳で亡くなっておられ先生の凛々しき御肖像を探した所、

弟子達が集まり造らせた松陰先生のお顔に一番そっくりな御肖像が見つかりましたので掲載致します。
 

Twitterより。共謀罪を心配する声が。農業者、農業生産め監視対象の可能性が。公明党はしっかりしろ!

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 5月28日(日)15時00分6秒
  種苗法が共謀罪に入っています。農業生産活動すべてが監視対象になる可能性もある。もちろんJAはさらに組合としての自主的活動も制限される可能性がある。政府の指定した種子しか使えなくなる可能性もある?  

法華私記縁起 1

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月28日(日)14時29分10秒
編集済
  法華私記縁起
沙門灌頂述

大法東漸僧史所載。

大法が東漸して、僧史に載せらる。

釈尊が悟り、教え弘めた仏教が、西域を経て、インドから中国に伝来した。
僧伝に名前が留められている高僧のなかで、



詎有幾人不曾聽講。自解佛乘者乎。

あに、いくばくの人か、かつて講を聴かずして、自ら仏乗を解する者あらんや。

『法華経』が説く円頓の一実中道を、師に聴聞することなく、
自分一人だけで徹底自悟した天台大師智顗のような高僧が、
今までに一体どれだけあったであろうか。
〔1.自解仏乗の徳〕



縱令發悟。復能入定得陀羅尼者不。

たとえ、発悟するも、またよく定に入り、陀羅尼を得る者あるやいなや。

大蘇山で有相行と無相行との二行を実修して三乗の悟りを得ても、
更に師の慧思との間で四昼夜に及ぶ問答によって境地を深めている。
有相・無相の法華三昧の前方便を旋(めぐ)らせ、
仮を旋らせて空に入り、空を観る智慧である初旋陀羅尼を解悟した
天台大師智顗のような高僧が一人でもあったであろうか。
〔2.深入定慧の徳〕



縱具定慧復帝京弘二法不。

たとえ、定慧を具すも、また帝京に二法を弘めるやいなや。

大蘇山で有相行と無相行との二行を実修して三乗の悟りを得、
仮を旋らして空に入り、空を観る智慧の初旋陀羅尼を解悟したような高僧が
どれほどかあったとしても、
陳都建康に、法華三昧の前方便の修行実践を含めて、
旋陀羅尼の法華円頓の一実中道の教えを、よく説き示し、実修し、弘めた
天台大師智顗のような高僧が一人でもあったであろうか。
〔3.帝京弘法の徳〕
 

法華私記縁起 0

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月28日(日)14時16分45秒
編集済
  「法華私記縁起」とは、章安大師灌頂自身が『法華玄義』を「私記」する「縁起」を叙述したものであり、
『法華玄義』の冒頭に記されています。

その構成は、灌頂自身が天台大師智顗の行跡のなかから十を数える功徳を選び出して、
「天台十徳」として師を讃える前半部分と、
『法華玄義』の筆録編集の意義を記述した「私記」の「縁起」の後半部分とから成ります。

天台十徳は、自解仏乗の徳、深入定慧の徳、帝京弘法の徳、謝衆隠棲の徳、二朝国師の徳、
正殿講経の徳、主上三礼の徳、称美讃歎の徳、玄悟法華の徳、昼夜流瀉の徳の十をいいます。

特に後半では、灌頂の師を求める姿と、師の法門を後世に伝えんとする熱意を強く感じ、
像法時代の正師との師弟不二の姿を見ることができます。

以下全文を引用しますが、
解説は次回より数回にわたって投稿します。



法華私記縁起
沙門灌頂述

大法東漸僧史所載。
大法が東漸して、僧史に載せらる。

詎有幾人不曾聽講。自解佛乘者乎。
あに、いくばくの人か、かつて講を聴かずして、自ら仏乗を解する者あらんや。

縱令發悟。復能入定得陀羅尼者不。
たとえ、発悟するも、またよく定に入り、陀羅尼を得る者あるやいなや。

縱具定慧復帝京弘二法不。
たとえ、定慧を具すも、また帝京に二法を弘めるやいなや。

縱令盛席謝遣徒眾隱居山谷不。
たとえ、席を盛んにするも、徒衆を謝遣して山谷に隠居するやいなや。

縱避世守玄。被?為二國師不。
たとえ、世を避けて玄を守るも、徴(め)されて二国の師となるやいなや。

縱帝者所尊。太極對御講仁王般若不。
たとえ、帝者に尊ばれるも、太極に対御して仁王般若を講じるやいなや。

縱正殿宣揚。為主上三禮不。
たとえ、正殿に宣揚するも、主上のために三礼するやいなや。

縱令萬乘屈膝。百高座百官稱美讚歎彈指喧殿不。
たとえ、万乗が膝を屈するも、百の高座、百官が称美し、讃嘆し、弾指して殿に喧しやいなや。

縱道俗顒顒。玄悟法華圓意不。
たとえ、道俗が顒顒(ぎょうぎょう)たるも、法華の円意を玄悟するやいなや。

縱得經意。能無文字以樂説辯晝夜流瀉不。
たとえ、経意を得るも、よく文字なくして、楽説弁をもって、昼夜に流瀉するやいなや。

唯我智者具諸功德。
ただ、わが智者のみ、諸の功徳を具せり。

幸哉灌頂。昔於建業始聽經文。
幸いなるかな。灌頂、昔、建業において始めて『経文』を聴き、

次在江陵奉蒙玄義。晩還台嶺仍値鶴林。
次に江陵にありて『玄義』を奉蒙(ぶもう)し、晩に台嶺に還って、なお鶴林に値う。

荊揚往復途將萬里。
荊・揚を往復して、途まさに万里なり。

前後補接纔聞一遍。
前後補接して、わずかに一遍をきく。

非但未聞不聞。亦乃聞者未了。
ただ未だ不聞を聞かざるのみにあらず、またすなわち聞く者も未だ了せず。

卷舒鑽仰彌覺堅高。
巻舒(けんじょ)・鑽仰(さんぎょう)して、いよいよ堅高なるを覚ゆ。

猶恨縁淺不再不三。
なお、恨むらくは、縁浅くして再ならず、三ならず。

諮詢無地如犢思乳。
諮詢(しじゅん)するに地(ところ)なく、犢(こうし)の乳を思うがごとし。

並復惟念。斯言若墜將來可悲。
ならびに、また惟念す。この言、もし墜ちなば、将来悲しむべし。

涅槃明若樹若石。今經稱若田若里。
『涅槃』に「もしは樹、もしは石」と明かし、『今経』に「もしは田、もしは里」と称す。

聿遵聖典書而傳之。
聖典に聿遵(いつじゅん)して、書してこれを伝えん。

玄文各十卷。
玄と文と、おのおの十巻なり。

或以經論誠言符此深妙或標諸師異解驗彼非圓。
あるいは経論の誠言をもって、この深妙に符し、あるいは諸師の異解を標して、かの円にあらざることを験す。

後代行者。知甘露門之在茲。

後代の行者、甘露の門、ここにあることを知らん。


 

訂正します

 投稿者:あたい姫=未来姿  投稿日:2017年 5月28日(日)14時06分34秒
  下記のは新・人間革命の革命が抜けていました。ごめんなさい。  

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