人工知能を研究している大学院生が、pixivのR18小説を題材とした研究発表を行ったことで、ネット空間に「炎上」が発生しました。
自分自身が論文の締め切りを抱えて頭の中が炎上中なのですけれど、この問題を考えるにあたり、注意すべきポイントをまとめてみます。
なお、タイトルにも概要文にも、大学名・学会名は敢えて入れていません(リンク等には出現しますが)。
「自分自身がそこの大学院に在籍中だから(別の研究科ですが)」
ということも若干はありますが、「その大学だから」「その学会だから」ということは大きな問題ではないからです。
「炎上」のあらまし
事件の概要は、改めて説明するまでもないかと思われます。
Neverまとめ:立命館大学 pixivのR18小説を論文に引用して有害のレッテル貼りと晒し上げで大炎上
また、問題点と妥当と思われる解釈は、こちらに整理されています。
異論もあるようです。
それでも、何かを語るのに:炎上した立命館大学の論文を「冷静に」整理する
本人の所属する大学では、本人が公開していた卒論の公開を停止。また学会でも、発表原稿の公開を停止しています。
学会全国大会に事前審査がないことの意味
多くの学会で年間1~2回開催される全国大会は、事前審査はなく「なんでもあり」が通例です。今回、炎上の舞台となった学会もそうでした。
全国大会での発表形態は、プレゼンソフトを使用しての短時間の口頭発表(発表10分+質疑5分 など)またはポスターセッション(研究内容のポスターを会場に掲示し、来場者の質問に答えたりディスカッションしたりする)であることがほとんどです。
論文一本になるようなまとまった内容であることは、ほとんどありません。また、特に優れた内容の発表が多いということもありません。事前審査してないんですから、玉石混交(どちらかというと石のほうが多い)になるのは当然です。
逆にいうと、「今のところ特に注目すべきものではないけれども、どうでも良いわけではない」といった内容がたくさん出て来るわけです。そういった発表をして見聞して議論することそのものが、その人の研究・その研究コミュニティの大切な”肥やし”になります。
また、レベルや内容を特に問わないからこそ、学生・院生、あるいはアカデミックな訓練を受けていない企業内研究者の訓練の機会にもなりうるのです。事前審査のない学会全国大会での発表や質疑応答の訓練を繰り返すことは、本人の視野を広げ、研究も人間的スキルもレベルアップさせる機会となります。そのうちに、事前審査のある学会発表が出来るレベルに達するかもしれません(人によりますが)。
発表しやすいから、特許などの知的財産を守るのに使える
具体的なモノやシステムに関する研究では
「今出来たばかりの(あるいは、もうすぐできそうな)新しい技術や構造を、公開すると同時に知的財産として守りたい」
という場面が多々あります。
学会の全国大会は、この目的のためにも使用されます。
発表エントリーから発表まで、だいたい1~2ヶ月程度ですから、「できた」「すぐにできそう(これはちょっとまずいのですけれど、最終的にできなかった場合には発表を取り下げることができます)」という題材をエントリーしておき、発表当日に特許などを出願するのです。公開、即、知的財産権を確立(出願だけでは確立できませんが、少なくとも出願)。現在の知的財産関連の法律のもとでは、さっき学会で見た話を「自分の発明でござい」と特許出願しても、ノープロブレム。ですから、特許ネタになるような研究なら、発表と同時に特許出願しておかないとまずいのです(注)。
通常の学術論文では、そうはいきません。エントリーから発表まで半年以上はかかるのが普通ですから。
また、学会の大会でも「審査あり」だと、知的財産権を守るのには使いにくいのです。発表内容に関する審査(通常は予稿)では、内容の具体的記載がないと審査を通りませんが、そこで肝心なところをボカすのは容易ではありません。また、審査があると、エントリーから発表までの時間も長くなります(通常は3~4ヶ月以上)。「早く特許出願して権利化しなきゃ」という場面には適していません。
(注)
発表の前に特許出願するのも、まずいのです。学会発表の内容が同じ人・グループ・機関によって事前に特許化されていると、学会発表の方が「そこで初めて発表されるべき内容を事前に発表した」として無効扱いにされる場合があります。
発表内容は「なんでもあり」、時にはトンデモも
事前審査のない学会全国大会では、時にはトンデモ発表もあります。
私が大昔に活動していた応用物理学会には「アインシュタインの相対性理論の誤りを発見した」「常温常圧で原子を別の原子に転換できた」といった物理としてあり得ない発表もありました。
また、技術研究の発表であるかのようなタイトルで、職場の人間関係のドロドロに関する発表をするので有名な方もいました(20年前の話ですが、いま話題の東芝の方でした)。私は当時、その分野にほとんど馴染みがなかったので、その前の発表を「ちょっと聞いてみよう」と行ってみたのですが、終わったとたん、聴講に来ていた方が全員退出しました。「?」と思っていたら、そういうことだったのです。しかも連続4発表とか。私も最初の1発表が終わったら逃げ出し、後には発表者の方と座長さんだけが残ることになりました。
知らずにつかまったら災難です。でも学会が、「その学問分野としてありえない」「前回もその学問分野の話じゃなかった」を理由として発表を拒むことはありません。事前審査をしないということは、そういう可能性も織り込むということですから。
悪用の可能性も、でも学術研究として口出しすべきか?
学会全国大会が事実上「なんでもあり」であることは、シャレにならない結果につながる場合もあります。
怪しい健康食品や怪しい健康器具の開発元が、「学会で発表した」というお墨付きのためにだけ発表することがあるからです。
発表が事実であるとしても、「発表した」というだけの話です。発表したら、たまたまヒマだった専門家たちから、寄ってたかって
「そんなことありえんって、小学校の算数で分かるだろ、このボケ!」
と攻撃されたのかもしれません。
でも、それらの食品や器具のチラシに「○○学会で発表」と書くのは、その個人や企業の自由です。売りつけるにあたっての権威付けには充分に使えてしまいます。問題であることは間違いありません。
でも今のところ、「学術・研究のポリシー、それらに基づく学会のポリシーを曲げてまで拒否した」という話は聞いたことがありません。害毒を放置しているのでしょうか?
「あるべきでないもの」を許さないために学術界ができること
怪しい健康食品や健康機器が「学術・研究・学会発表・実績の使い方として、どうよ?」というときには、学術等の緩いルールから見てグレーであるくらいですから、もっと厳しい法的ルールの何かに違反している可能性が高いです。
それらの食品・器具の販売そのものが、おそらく、誇大広告防止法をはじめとする他の何かで取り締まり可能でしょう。強引な売りつけ方やマルチまがい商法であることが問題なら、複数の法律に違反する可能性もあります。
「学術研究(イベント)としては、そこまで干渉しない」というのは、「なんでもあり」による害毒への許容ではなく、「そっちはそっちでちゃんとやって!」ということです。
「あなたのご専門から見て、この”研究”と称するものは、どこが問題ですか?」という問い合わせには、喜んで答える研究者がたくさんいるでしょう。それが元になって、怪しい商品を取り締まれる法律ができるかもしれません。そういうことが、学術界のすべき仕事です。
もちろん学術界は、問題の規模・内容・社会的インパクトによっては、政治にも行政にも社会にも口を出すことがあります。それは、「まさに学術界の問題」「ここで黙っていたら学術界がすたる」と考えられるから、です。
今回の学会・大学の対応は?
さて、冒頭で紹介した炎上事件では、抗議を受けた大学が早々に本人が公開していた卒論などを公開停止、学会も発表原稿の公開を停止しました。このことの是非はどうでしょうか?
正直なところ、私としては複雑な気持ちです。
まず、大学の方では事務長の判断で公開停止を行ったわけです。研究内容に関するクレームに対して、指導教員や研究科に判断させずに事務長権限で公開停止したことに対しては、学術研究としては「行き過ぎでは?」とか思います。また在学中の身として、「あああ、臭いものに蓋、また?」と思わなくもありません。
ただ、大学には日々、爆破予告から「おたくの学生が信号無視してた」まで、大小さまざまなクレームが寄せられます。ごく一般的なクレーム対応として、「とりあえず燃料を見えなくする」というのは、まあ、普通ですよねえ……。
さらに、非常勤ながら教員の立場だったこともある私が考えるのは、問題の大学院生の今後と将来です。
修士課程の院生はタテマエとしては研究コミュニティの一員ではありますが、まだ、研究のまねごとを習い覚えつつある段階にあるわけです。
そんな段階で、いきなり実名がネガティブな形で全国に知られてしまったわけです。
「犯罪の加害者になった」「許されざるハラスメントをした」「重大な研究倫理違反をした」というのなら、当然のこととして本人が受けるべき罰かもしれません。でも、ご本人はそこまで悪いことしてますか? していませんよね?
「成人に達しているし研究コミュニティの一員である以上は責任を」と、「まだ教育を受けて成長している途中の学生・院生は護られる必要がある」のバランスを考えると、「学生・院生に対して必要な保護を行う」という観点からの行動が、学術研究から見ると「どうかなあ」であっても、やはり優先されるのかなあと思います。
それを考えると、「事務長判断で公開停止」は、「ベストとは言わないけど、まあまあ」ではあるかなあと思うのです。
立命館大学の事務の方々は優秀で、教員以上に学生を把握してたりしますし、悩み事に対するアドバイスも的確です。入れ替わりのある教員ではなく、定年までずっと居る可能性のある事務の方々がそうであるということに、在学者として大変助けられています。そういうことも含めて、立命館らしさを感じる対応です。
学会の方は、「学術研究のルールに違反していると言えるかどうかを含めて、ちょっと検討させて」というところでしょう。想定もしていなかったところから、まさに想定外の反応を受けたわけです。
しかも「学会の外のことは、外で当事者だけで解決してよ」と言えるほど無関係ではありません。まさに「学術研究と社会どうあるべきか」そのものの問題が提起されているともいえます。「同じことを、学会発表せずにコッソリやって何らかの監視システムに仕込むのならいい」というわけでもありませんから。
「どう考えて、どういうポリシーで臨めばいいのか」から考え直さなくてはならない状況なう、であろうと推察します。
何よりも今、本件で一番弱く大変な立場に置かれているのは、その院生さん本人です。
私は、一番弱い人のことから考えたいです。
結論:「スカートめくりやピンポンダッシュで死刑」はありえない
小学生のスカートめくりやピンポンダッシュは、される側にとっては大変屈辱的で、迷惑なものです。でも、小学校時代のそれらの罪が生涯にわたって追いかけてくるとしたら、それはそれで、さらに深刻な問題ではないでしょうか?
今回の当事者は、成人に達している大学院生です。
「自分のしたことなんだから自己責任」と言われれば、それまでかもしれません。他人様の作品に対し、一方的に社会的に許されないものというレッテル貼りと取れる表現を行ったことについては、配慮不足を責められてもしかたないでしょう。
でも、教育と指導を受けている立場です。ヒヨッコ呼ばわりは失礼かもしれませんが、巣の中で護られながら適切な振る舞いやエサの取り方を学んでいる段階です。
まずは、指導教員を含めた研究科の教員が原因を深く考え、今後の教育・指導に反映することに期待したいと思います。
何よりもご本人が、この痛すぎる勉強を通して、学ぶべきことを学び、反省し、成長し、自分も他人も幸せにできる将来へと歩んでいくことを願います。
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