浪江町に電車で行ってきた
日曜日の今日は、3月31日に避難指示が解除された浪江町まで電車で行ってきました。常磐線も同じく浪江駅までのルートが復旧しましたが、南相馬の原ノ町駅から浪江駅までの2両編成の電車に乗っていた乗客は私1人だけでした。
徒歩で浪江町の中心街を歩いて写真を撮ってきました。浪江町を歩くのは高校の時以来だと思います。現在の浪江町の様子をお届けします。
浪江駅。駅舎は新しくしたものと思われます。
駅構内も新しいです。駅構内には駅員さんと私しかいませんでした。
浪江駅前。誰もいませんでしたが、風見鶏・ソーラーパネル・放射線測定器が設置されていました。放射線量は0.5〜0.6μシーベルトでした。0.06μシーベルトではなく0.6μシーベルト…。
浪江駅前にある「高原の町よさようなら」の石碑。奥の石段に登るとスピーカーからメロディが流れる仕組みになっています。私1人しかいない駅前で「高原の町よさようなら」の歌声が響きました。
浪江駅の駅舎の隣にあるタクシー会社。営業は再開しておらず建物の内部は壊れていました。
浪江町の中心街。2時間ほど浪江町を歩きましたが、街中で歩いている人は誰も見掛けませんでした。
街のあちこちで震災の時と思われる建物の破損がありました。ここはガラスの破片が落ちていました。
建物に近づいた時のガラスの破片の様子。うっかり近づくと浴びないです。
ここはブロック塀が倒壊したままです。
スーパーマーケットと思われます。柵で囲まれていました。
お店の中がグチャグチャになっています。
取り壊されて空調機だけが残された一角に小さな供養塔が建てられていました。
中心街にも倒壊しそうな建物が結構ありました。
相馬焼ギフトのお店も店内が震災の時のままでシャッターも歪んでいます。
浪江警察署には人がいました。1月からの物損件数は48件と出ています。
警察署の向かいにある自転車屋さん。窓ガラスが割れて店内が荒れたままです。
ここは住宅が倒壊して奥の倉庫も倒れかけていました。
中心街から少し離れたところに人が住んでいる住宅を見つけました。
中心街から田んぼの方へ。用水路は枯れて雑草が生い茂っていました。
ここは田園風景だったと思われますが、辺り一面草むらになっていました。
国道6号線に出たのですが信号機の歩行者用押しボタンが壊れていて反応しませんでした。車は通っていなかったので通行。浪江町の斉藤屋敷という地名のショッピングプラザに向かいました。営業しているかもしれないという期待を込めて。
誰もいない廃墟になっていました。こちらは福島版イトーヨーカドーのヨークベニマル。
ダイソーとドラッグストアも廃墟になっています。
看板には劣化に強い素材が使われているのでしょうか。営業しているかのように見えます。
店内を覗くと商品が散乱していました。
ホームセンターのジャスコは園芸コーナーの屋根が落ちたままになっていました。
イトーヨーカドーの店内。フードコートかと思われます。
ほっともっとも看板は営業しているように見えますが廃墟でした。周辺には草が生い茂っています。写真だと見えにくいですが、ドアの中央の窓ガラスは破れています。
浪江町の自動販売機はほとんどが壊れていて通電していませんでした。町内を徒歩で歩くならば水分は持参しておいた方がいいです。
ガソリンスタンドもほとんど営業停止したままのため、車で移動する場合も注意が必要です。
浪江町役場。庁舎が新しくなっていました。今日は日曜日なので休みのようです。放射線測定器がありましたが、ここも0.6μシーベルトでした。
サンシャイン浪江という体育館兼勤労福祉施設が臨時の消防署となっているようです。
浪江町役場の前に設置されている看板。「おかえりなさい ふるさと浪江町へ」
町役場の隣に、浪江町を歩いて唯一営業していたショップを見つけました。「まち・なみ・まるしぇ」というプレハブの店舗街で、コンビニ・お土産屋さん・お酒屋さん・コインランドリー・焼きそば屋さんなどがありました。コンビニは日曜日休業。
JAの浪江支店も再開しているようです。建物が新しく駐車場も整備されていました。
浪江駅まで戻りました。浪江から南側の常磐線は第一原発のそばを通っていたため、まだ開通の目処は立っていません。迂回ルートの建設が進んでいます。
浪江町を歩いて思ったこと
浪江町に帰還された住民は数百人規模と聞いていましたが、やはり人が少なく市街地で人が歩いている光景を見掛けませんでした。中心街も倒壊したままや建物が多く、人が歩くには危険な箇所もあります。ショッピングセンターも含め商業施設の多くが廃墟となったままだったので、帰還して浪江で生活している住民の方々はかなりご辛抱をされているのではと思いました。田畑であった場所を歩く時はかなり自然が伸び放題になっているので、虫除けなどをしてから見て回るのがいいと思います。
徒歩のため沿岸部は見て回れませんでしたが、相馬と浪江は近いので、これからも浪江町まで寄って現地の復興の状況をお届けしようと思います。