戦後復興を遂げた1959年。
東京に新名所東京タワーが建った頃。
多くの家庭で忘れられない一日が訪れました。
そうお父さん来たよ!そうか!おい!はいはい。
早くお母さん!誰もが待ち焦がれたヒット商品それが…。
それは一家の一大イベント。
ちなみにこちらがチャンネルは5つしかなくダイヤル式。
それでも価格は…。
大卒初任給がおよそ1万円ほどだった当時庶民にはまだまだ高嶺の花。
そんなテレビを買ってくれた父親の威厳は絶大。
いざ見るとなれば…。
家族父の号令をおとなしく待っていたほど。
じゃあつけるぞ。
お〜!待ってました!
(拍手)スイッチを入れる前から心臓はバクバク。
当時テレビは未知なる存在。
あなた
(歓声)わぁすごい!初めてテレビが映った瞬間このような歓声はどこの家庭でも起こったそうです。
この頃は目いっぱい肩に力を入れひと時も見逃すまいとすさまじい集中力でテレビにかじりつくのがごく普通の視聴スタイル。
当時アメリカの西部劇ドラマ…。
黒マスクで白馬にまたがる主人公が弾丸で悪を成敗するという物語。
銀弾鉄砲を持った子どもたちがバンバンっと口マネしながら路地裏を走り回っていました。
テレビの影響が強まると友達どうしの会話も見た番組が話題の中心に。
そのため…。
ちょっと!見てるでしょ。
こっちじゃなきゃダメなの。
私が先だったでしょ。
仲間はずれになりたくない一心で負けそうなときにはこんな必殺技も。
簡単に取れるダイヤルを利用した裏技でした。
この頃…。
そう純国産で開発された電話機で1963年に当時の電電公社から電話加入者への提供がスタート。
家庭用電話はこの電話機も当時は高級品。
テレビにカバーをしていたのと同様にレースやキルティングなどでおしゃれに包まれ大切にされていました。
ありましたね。
黒電話もまた誰もが大切にしたヒット商品。
1960年代に入ると白黒テレビの価格も落ち着き普及率は急上昇。
するとNHKをはじめ民放4社がある放送を始めました。
それが…。
なんと白黒テレビ発売からわずか7年後のこと。
その最大の見せ場は世界93の国と地域が参加する開会式。
この世紀の瞬間をカラーで!メーカーやテレビ局の後押しで世は一気にカラー時代に!とはいかなかった。
当時のカラーテレビの価格は16型で24万5,000円!現在の価値にしてなんと庶民の方はわざわざ電気屋さんへ足を運びカラー放送を楽しんでいました。
そんななか子どもたちがどうしてもカラーで見たい番組が登場。
それが…。
子ども向け番組では異例のフォッフォッフォッフォ。
放送開始と同時に子どもたちはウルトラマンごっこに夢中に。
シュワッチ!すべての男の子がスペシウム光線のポーズができるほどの大人気。
そして必ず真似した怪獣が。
ああ〜!子どもたちにとっては『ウルトラマン』がカラーテレビの象徴でした。
『ウルトラマン』の大ヒットとともにテレビ番組はカラー放送が一気に増加。
するとモノトーンが多かったカラーテレビ時代を意識してか…。
太平洋クラブライオンズからカラフルなユニフォームが登場。
更に7色のユニフォームを日替わりで変えていたんです。
白黒テレビ時代プロ野球ブームを牽引してきたジャイアンツにもカラー化の波が。
ジャイアンツカラーといえばオレンジですがカラー放送のときは何色だったでしょうか?前田美波里さんお答えください。
違ったかな?いや生成りかな?正解は…。
中継時に目立つようロゴや帽子のツバを赤色に。
しかしファンには評判が悪く…。
ちなみに当時純白だったユニフォームの色もカラー放送だと白くぼやけてしまうので東京オリンピックから4年経ってもまだまだお値段が高く一握りのお金持ちしか持てませんでした。
そうなんだ。
う〜ん。
庶民は白黒画面から思い思いの色を想像するしかありませんでした。
1965年にはこんなCMが大ヒット!あらまきれい!とよく見たら!カラーテレビへの憧れが募るなか疎ましくなっていったのが…。
かつてあれほど崇められていた白黒テレビ。
よしっ!お母さん!テレビが壊れた!やった〜!これで新しいのに買い替えよう。
うん!白黒テレビの故障はカラーテレビに買い替える大チャンス!子どもたちは歓喜した!のですが…。
はっ!
(テレビを叩く音)母の一撃でなぜか復活…。
あ〜忙しい忙しい。
当時テレビの故障原因の多くは接触不良。
叩けば直ることもよくありました。
カラーテレビに買い替えたい!そんな庶民の心のすきまを狙ったこんなヒット商品が!おいお前ら。
いいものあるぞ。
ジャ〜ン!
(拍手)それが白黒テレビにつければ映像がカラーに見える!という触れ込みのこの商品。
実際につけてみると…。
なんとな〜く青く見えたり赤く見えたりするようなしないような…。
これ…カラーなの?なかなか微妙だったようです…。
カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回ったのは1973年のことでした。
カラーテレビの普及とともに…。
それが…。
タバコ屋さんの前によく置かれていたこの赤電話は全国に通話できる新しい公衆電話として1966年に登場。
10円玉を積み上げて電話する姿をよく見かけました。
ちょうどえぇ〜っ!?1969年にはおなじみの電話ボックスが登場!組み立てが便利ということで瞬く間に全国に普及。
100円玉も使え長距離電話が楽になりました。
しかし…。
(電話ボックスを叩く音)長いよ。
早くして。
長電話が過ぎると待っている人に怒られる事もしばしば…。
世の中は完全にカラー時代へ。
そんな時代に急増したのがこんな番組。
ほらあんたたち始まるわよ〜!やっと見れる!〜テレビ各局がこぞって映画放送枠をスタート!お金を払って見ていた映画がタダで見られる時代に…。
この時ばかりは働き者のお母さんも映画に夢中。
ちなみに最盛期の夜9時台は…。
毎日映画が放送されるほどの大ブーム。
もはや映画は家で見るのが当たり前。
そのため…。
行こうよ。
ダメよ。
テレビ放送まで待つ人も続出。
当時映画放送は家計の助けにもなりました。
そんな時代によくある一幕が。
愛しているわ。
僕もださあ来てごらん。
ラブシーンが始まるとなんとも言えない微妙な空気がお茶の間に。
抱いて。
あんた宿題やったの?ううんしたけどもう1回やろ。
嬉しい愛しているわ。
このお色気シーンの気まずい雰囲気も昭和ならでは。
1970年代から80年にかけては数々の名作映画がお茶の間に登場。
そんななか子どもたちに絶大な人気を誇ったのが…。
(中国語)
(叫び声)1982年に放送された「蛇拳」は視聴率21.9%を記録する大ヒット。
派手なアクションに加え子どもたちを魅了したのがジャッキーの奇想天外な修業シーン。
コミカルなのにとてつもなく強い。
ジャッキーは子どもたちの憧れの的に。
すると…。
中には…。
やだ〜。
ね。
女子から冷たい目で見られていたのは言うまでもない。
子どもたちに不動の人気となりました。
それだけに…。
ねえねえこんな感じでさ。
なあなあ当時のテレビは見逃したら最後。
脳裏に焼き付けるように必死で見ていました。
そんな時代誰もがやっていたのが…。
このあと昭和平成を彩ったそこには日本人の知恵と誇りがあった。
「チュウチュウチュウ夏のお嬢さん」アイドルブームが巻き起こった1980年代。
そんな時代静かにしてよ。
しかしそこにはあんた宿題終わったの?あ〜あ〜あ〜。
今録音してたのにもうやり直しじゃん。
じゃあお風呂入ってらっしゃい。
せめて音だけでもと必死だったこの時代。
子どもたちに大ヒットしたのが…。
カセットは別売り。
いちばん見たいところを音こそありませんが見たいときにいつでも見られるくるくるてれびは子どもにとって特別なヒット商品でした。
わ〜!回ってる!あっすごい!動いてる。
え?え?そして1980年代なかごろついに…。
おお撮れてる撮れてる。
一般家庭にテレビを録画できるビデオデッキが普及。
発売当時VHSテープの値段はなんと1本4,800円。
よし撮れてる。
ツメを折れば上書き防止。
しかしこの技を使って大切なテープに上書きされてしまった人も多かったのでは?
(アラーム)小銭の心配なくテレフォンカードで電話がかけられる時代に。
そうか…。
1985年自動車電話としても併用できたショルダーフォンが発売。
発売当初は高額なレンタルサービスとしてスタート。
あの人電話持ってる!そうそう…あのフレンチこないだの。
予約取っといて頼むよ。
その2年後には…。
今どこにいると思う?見つけたよ。
探して…。
もしもし。
そう日本初の携帯電話。
重さは900グラムとかなり軽くなったものの月額まだまだお高め。
昭和の時代誰も想像していなかった…。
2006年ついに携帯電話でテレビが見られる時代に。
今後さあということで俺なんかはねテレビの思い出いろいろありますけども真空管の時代だったもんだから根拠はわからないけど…。
え〜!?テレビを?熱を持ってくる感じがしたので…。
ちょっとわかるのはスイッチを何度も連打するなとかメーンはテレビっていうお前らが気をつかえみたいな…。
あといたわってた。
皆さんだって正座して見てましたもんねテレビ。
寝ながら見てる人いなかったですもんね。
この番組何度もやってるけどテレビのつけっぱなしとかそういうんじゃなく…。
番組自体。
番組自体。
またこのへんにギャップ出てきまして何時間もやってますよ。
何時間とやってる時代にきた…。
僕らのときがちょうど…。
私ちょうど伊集院さんと2つ違うから私は…。
ちょっと前までがたぶん白黒世代なんだけど夜寝て見た夢を話してたら人にえって言われたの。
え〜!そうなんですか?それに驚いた覚えがある。
僕らの時代はみんなカラーなんですけれどもでもあもうその世代か。
もうそういう時代?あるんですけれども室内アンテナ。
そうですね。
そのテレビの上にあるアンテナをいいところを探してたらそういうのありましたね。
そこがやっぱ難しかったですね。
僕っちVHSじゃなくてあったあったあった。
めちゃくちゃでかい。
CDのでっかいやつを入れて見るみたいなのがありましたね。
それで『ウルトラマン』とか見てました僕。
最近のイメージあるけどなぁ。
すっげえいっぱい…買っちゃったんだよ。
そしたらそうなんですよね。
DVDのちょっと前ですよねたぶん。
そうなんですよ。
それありましたね僕も。
それでDVDに買い直したらブルーレイ。
のっけから盛り上がってしまいましたけれども続いての昭和平成ヒット商品見てみましょう。
それは長い人生を2人で歩いていく決意の場であり親を安心させ大勢の友人に祝福してもらう最近ではプロジェクションマッピングで会場を華やかにしたりドラマのような馴れ初めVTRを流したり…。
会場の従業員が突然踊りだすフラッシュモブと呼ばれるど派手な演出も当たり前に。
そんな結婚式はわずかそこで…。
このあと嫁入り行列からバブル時代のハデ婚まで激変した結婚式を一挙紹介!そしてあのビッグカップル行列を連ねてこれから隣村へお嫁入りするのは今から80年前の結婚式は行列を連ねてお嫁入りをし親同士が勝手に縁談を進めるケースも多く結婚式の当日初めて相手の顔を見るという花嫁も珍しくありませんでした。
このころの結婚式一見堅苦しそうなイメージですが…。
決まりごとはあとは無礼講の祝宴が始まるんです。
戦前から披露宴には余興はつきもの。
いいぞいいぞ!親戚のおじさんのひょう変するおじさんの姿に驚く花嫁さんが多かったといいます。
昔ながらの結婚式が一変したのは1959年。
皇太子様と美智子様のご成婚がきっかけ。
恋愛の末民間人が初めて皇室に嫁ぐという夢のようなストーリーに世の女性たちは胸をうたれそしてなによりウエディングドレスを初めて見る人も多くあまりの美しさに誰もが憧れました。
美智子様ご成婚後恋愛結婚も急激に増え結婚式も一気に様変わりします。
1960年代は美智子様に憧れたミーハー女性たちが着物からウエディングドレスへお色直しするというのが結婚式の主流に。
しかしせっかく感動の花嫁さんが続出してしまいました。
キレイだったね。
昔そうでしたね。
そしてこの時代ウエディングドレスともう1つ大流行したのがウエディングケーキ。
そのきっかけとなったのが…。
まだ砂糖や卵が貴重だった時代に高さ1mの巨大なケーキは誰もが憧れました。
更に…。
新郎新婦のご多幸を祈って乾杯。
シャンパンでの乾杯が流行ったのもこの時代。
縁起が良いと日本に広まり始めたのが1960年代。
この頃フランス産のシャンパンは1本およそ9万円とかなり高級品。
そんなシャンパンを冷やすのに当時は最先端だったある容器に入れるのが流行していました。
その容器とは何でしょうか?三四郎の小宮さんお答えください。
容器?ボウル。
ボウルかな?ボウル!正解は…。
なんと発売当時のお値段は1,200円。
今の価値にするとおよそ2万4,000円とかなりの高級品。
当時プラスチック製品は百貨店の店頭に並ぶほどオシャレでかっこいいもの。
ポリバケツは嫁入り道具の1つとしても大人気となりました。
1960年代は交通の利便性が増し新婚旅行へ出かける庶民が急増。
新幹線のホームでは万歳で見送られるカップルや胴上げされる姿が日常の風景でした。
(一同)万歳万歳…。
昔見た。
今でこそ禁止だけど。
今は禁止…。
見てみたい。
するとハワイが憧れの地に。
JALのパンフレットには旅の必需品としてお守り梅干し正露丸などが紹介されていた時代。
価格はと庶民にはまったく手が出ません。
そこでこの頃いちばん人気の新婚旅行先は南国宮崎。
航空運賃は決して安くはありませんがピーク時には…。
がしかし…。
あれ?周りは同じような格好をした新婚カップルだらけ。
そして…。
この時代…。
結婚式に出席する回数が格段に多くなりました。
すると余興を見る人たちに異変が。
「酒は飲め飲め飲むならば」見慣れてしまったせいか今まで鉄板だった数々の余興がまったくウケなくなってしまいました。
「この槍を」そこで「あなたと私が夢の国」まずは結婚式の定番ソングに。
「照れてるあなたに虫たちが」「くちづけせよとはやしたて」新郎新婦に『てんとう虫のサンバ』から始まったと言われる結婚式の定番ソング。
時代時代で数々の名曲が生まれました。
そして1970年代に誕生した余興で更に
(3人)エ〜サッサ。
エッサッサ。
日体大が80年間守り続ける伝統の応援スタイル。
しかし若いこのあとバブル時代に派手婚ブームを作ったなんで?すげえ1,000人もいたんだ。
1980年代に入ると結婚は人気に。
その厳しい条件をすべて満たしたある1人の男性が1987年招待客1000名の前で結婚式を挙げました。
といわれるスターどうしのド派手な結婚式はテレビで生中継され…。
がしかしケーキカットと同時に現れたリンゴは見る人すべてを謎に包み込みました。
IMALUさんお答えください。
ちょっと待って有名なデザイナーさん?デザイナーではないんだけど有名人。
しか出てこない。
男性だでも。
あれ?わかんない。
正解は…。
いったいリンゴにはどんな意味があったのか本当はガ〜ッて開くとそれがうまくいかなかった。
そうなんですか?というのをイメージしたということだったんですけども。
他にも1980年代はビッグカップルがド派手な結婚式を連発。
その模様は各局で生中継されお茶の間に強烈なインパクトを与えました。
するとバブル景気も手伝ってそして…。
ゴンドラ以外にも馬車やヘリで登場なんて今思うとちょっと恥ずかしい演出をした人が大勢います。
そこで…。
ここで新婦はお色直しとさせていただきます。
さあ続きましてさあわかる方手をあげて。
ということでハデ婚ブームを築いたスターたちは引き出物もすごかった。
一般庶民の場合多いのですが。
果たしてスターたちの引き出物とは?芸能界随一のお話をうかがってみました。
汗だくじゃないですか。
誰ですか?おおすごい!このへんはもう完品シリーズですよ。
こういうのまで全部入っている超完品。
それでは芸能人の引き出物コレクションをご覧ください。
〜はいはいはいはい。
ありますか!?ありますか!それを探してたんですよ。
たぶんこれがちょっと外れちゃってますけど徹郁恵。
あっほんとだ!こちらが徹&郁恵ご夫妻の引き出物。
グラスにはお花と動物のプリント以外にお二人の名前もしっかり入っています。
バブル時代のこんなブームも…。
新婚旅行先でトラブルに対処できない段取りが悪いなど…。
成田空港に戻ってすぐ離婚届に判を押してしまうスピード離婚のこと。
このブーム以降離婚は急増。
2002年には離婚件数が29万組にのぼりバツイチが珍しくない時代へ。
恋愛結婚が主流になってわずか50年。
ほぼ10年単位で結婚式のスタイルが変わってきています。
ミーハーな日本人はこれから先どんな結婚式に憧れるのでしょうか?すみませんでした。
うちのもご覧いただきましてね。
みんな見てたもん。
自分の結婚式なんですけど。
ジミ婚派だから静かにやって終わろうと思ったらえ〜!無理言って会見場取ってもらったのに。
わぁ立場ないよ。
かわいそう。
美波里さんなんかは?私…一度結婚したんですけれど。
今は簡単に挙げられたけども。
さっきも出てましたけど交通費にしたってとんでもないよ。
1週間か2週間このカップルが結婚式を挙げるけれども異議はないか?って言って。
それをオッケーが出たら結婚式をさせてもらえたんです。
新聞に出してクレームがこないかどうかを見るんですか?はい。
当然こないですよね。
2人のことなんて知らないもの。
うん。
ねぇ。
なんですって?
(笑い声)発音がいいんですよ。
何て言った?今。
キャリフォルニアはなかなかねないですないです。
大変な思いたくさんしましたよ。
美波里さんの話はね時代の古さとかじゃなくて特別なスペシャルな話をいつも聞けるんで楽しみです。
では続いての昭和平成ヒット商品見てみましょう。
ふんわり玉子焼きとケチャップライスのハーモニーがたまらない濃厚なデミグラスソースがかおる肉汁たっぷりのそして昔懐かしい味わいの小さな子どもからお父さんお母さんまで日本人みんなが大好きなそもそも日本に洋食が広まったのは…。
しかし白いご飯が主食だったもともとは西洋から伝わったコロッケもご飯のおかずになるようにある料理と組み合わせ日本人好みにアレンジされていたんです。
その料理が。
当時庶民の食卓で人気だったまさに大胆なアイデア。
実は日本に伝わったときコロッケはホワイトソースでしたがそんな経緯でジャガイモの具が主流に。
このように洋食とは西洋料理をご飯と合うようにアレンジして生まれた日本独自の料理のことをいうんです。
こうして広まったのが洋食には欠かせない当時の広告を見てみるとお値段…。
大卒初任給が1万2,000円ほどの時代たいへん高価なものでした。
しかしサラダ油が広まったおかげで各家庭でも盛んにコロッケが作られるようになり。
当時はこんな歌までヒットするほど。
「今日もコロッケ明日もコロッケ」「これじゃ年がら年中コロッケコロッケ」その名も『コロッケの唄』。
歌っているのは歌手で女優の五月みどりさんでした。
そしてそんな大人気のコロッケに欠かせなかったものが…。
そうそれまで日本の調味料といえば醤油か味噌でしたが明治27年に洋式醤油と呼ばれた三ツ矢ソースが販売されコロッケとともに大ヒット!かけるだけでどんな料理も洋食風になるウスターソースはまさにしかし時には当初ウスターソースは瓶詰めで売られていたため料理にかけるとき微妙な調整ができなかったのです。
と醤油差しに入れていた家庭が多かったのですが…。
今度は見分けがつかず間違えて逆をかけてしまう事件が続出!ウスターソースは揚げ物などの料理に使われるだけでなく…。
おいしそう!庶民の食卓でさまざまな活躍を見せたのです。
好きですからね徹さんマヨネーズ。
ことに肉料理は庶民の食卓にも度々あがるようになりました。
そんななか…。
そうトンカツ!実はトンカツももともとはフランス料理のコートレットという牛肉にパン粉をつけて焼いた料理をアレンジしたもの。
あ〜。
豚肉の価格は上昇!牛肉より高価になってしまいました。
そのため戦後しばらくトンカツは庶民にとってそこで!やった!
(2人)ハムカツだ!豚肉の代わりに食卓に並んだのがハムカツ!この頃羊肉を混ぜて作ったプレスハムが商品化され値段はこれまでのハムの3分の1ほどに。
庶民にとってご飯が進む贅沢なごちそうだったのです!おかわり!おかわり!はいはい。
更に日本の食卓にかなりのヘビーローテーションでのぼっていた朝食の定番カラッと揚げたアジフライに…。
魚嫌いな子どもでもおいしく食べられご飯のお供にもぴったり!一躍人気メニューになりましたがある問題も…。
お父さん?ほぐして食べる焼き魚と違ってアジフライは丸ごとかぶりつくためそんな時は!ほら。
ご飯を飲んで骨を取るのが定番の方法。
しかし…。
取れた?ダメだ…全然取れない。
もっと飲み込みなさい。
すぐに取れるわけではなかったのでひたすらご飯を飲み込み続けるしかなかったのです。
更にフライといえば…。
実はエビフライもエビの天ぷらをアレンジしてできた日本独自の料理。
そしてお父さん。
いいか?へぇ〜おいしそう!タルタルソースがたっぷり!家で作るには手間がかかるためなかなかお目にかかることができないソースでした。
うん!でもさ彼らは肉を刻んだ料理を食べていたためヨーロッパではその名がタルタルソースにもつけられたのだとか。
すぐさま庶民の食卓でも定番メニューとなりました。
しかしほとんど衣で肝心のエビはほんのちょっとだけ。
これじゃあまるで衣でご飯を食べてるみたいじゃないか!エビフライの衣が厚すぎる。
と怒った庶民が立ち上がり1977年「冷凍エビフライ衣替え論争!」が勃発。
この騒ぎで食品業界でこのように日本人向けアレンジに成功したうまくアレンジできなかった数々の失敗例も。
それらは定着せず人知れず消えていきました。
当時女性雑誌で勧められていた最新の洋食レシピにはこんな料理も。
そどじょうが入ってるの。
当時の雑誌にはちょっと高級だった洋食を日常のおかずにしようと料理研究家考案のレシピがたくさん載せられていました。
ほかにもキュウリのシチュウといった洋食も紹介されていましたがやはり家庭で作るその立役者となったのが実はそれまで養鶏場では鶏を平地で放し飼いにしていたのですがこの頃多くの鶏を飼育できるすると卵も大量に出荷され値段もお値打ちに。
そのため卵料理が一気に家庭に広まったのです。
生卵のまま…。
そんななかある卵料理が子どもたちに大人気となりました。
お母さん大事なとこなんだから。
きれい。
そして仕上げに使う調味料といえば…。
そう
(2人)いただきます。
召し上がれ。
うまい。
実はそんなひき肉や野菜を卵で包んだ…。
まさに日本人らしい発想で生まれたのです。
卵料理には欠かせないトマトケチャップは明治41年にカゴメが発売しましたが当時日本でトマトはほぼ栽培されていなかったためとても高価。
戦後更にはそうして季節に関係なくトマトが取れるようになるとお値段もぐっとお手ごろに。
ケチャップも庶民の食卓に広まったのです。
そしてそれが…。
翌年からスパゲッティなどが大量生産されました。
スパゲッティが一気に全国へ広まっていきます。
そしてトマトケチャップの普及とともにスパゲッティに絡め炒めるだけで出来るナポリタンが作られるようになったのです。
しかし当初一般家庭ではそっか?そこで家庭に広まったのが…。
フォークで食事をするという日本の食卓に大きな革命が。
多くの家庭で洋食器が使われ始めたのです。
ナポリタンをはじめ…。
そのなかでも飛び抜けた人気を誇るスパゲティが登場それが…。
誕生のきっかけは東京渋谷のスパゲティ専門店に外国帰りの常連客がある食材を持ち込み…。
とリクエスト。
その食材をヒントにたらこスパゲティが考案されたといいます。
どんな食材かわかりますか?三四郎の相田さんお答えください。
秋田秋田の?秋田のやつ。
正解は…。
この時キャビアとあえたスパゲティがあまりにおいしかったため安い日本の食材で似たような味はできないかと試行錯誤し…。
ちなみにたっぷりふりかけてある海苔。
実は洋食が広まるなか誰もが緊張したナイフとフォークのテーブルマナー。
お父さん!
(すする音)1960年代洋食が日本中に浸透していくなかある大きな問題が立ちはだかりました。
母さんそうちょっとお高めなレストランに行くと出てくるのは箸ではなくたくさんのフォークとナイフ。
(すする音)お父さん!ほら。
もっとこう…。
当時の庶民は大人たちが学べる講座もたくさん開かれたそうです。
そこで出される洋食はますます日本人に定着。
そのなかでも大ブームとなったのが…。
やった!お母さんの一緒にお手伝いする姿もよく見られた光景。
そしてそんなハンバーグが
(2人)うん。
それが1962年日本で初めてスライスチーズが販売。
うわ〜。
やがて洋食に欠かせない食材となりました。
お母さんの手作りハンバーグもチーズを乗せるだけでワンランクアップ。
しかし…。
みんな下がって!それでも
(笑い声)そんなとことん食にこだわる日本人のアレンジ力はオリジナルとはまったく違う絶品の洋食をいくつも生み出したのです。
いや〜もうほんとに…。
大好きなもんばかりが並んで出てきましたね。
皆さん洋食の思い出みたいなものはあります?洋食で最初出会ったものとか。
うちお袋が…。
つっていつも食べさせてくれててそれすごい好きで大人になって俺ちっちゃいときから。
中学校のときお弁当だったんですけど普通みんなお弁当箱じゃないですか。
当時ピーナッツバターとかあと今でも大好きなんですけどヌテラってチョコレートわかります?ちょっとクリームみたいなね。
あれ塗ってサンドウィッチにしてもらってサンドウィッチバッグみたいな紙の…。
向こうの高校生とかが持ってるようなのを中学のとき持ってたりとかしてたんです。
咲楽ちゃんなんかは洋食って。
給食に結構いろいろ出てて。
給食?ハンバーガー?ハンバーガー出てました。
ガーきた。
出てましたね。
チーズとお肉とパン全部別々で出てきて自分で…。
重ねて?そんなおしゃれな感じなの?楽しかったですね。
そしたらですねこのへんでですねぜひこのアレンジ洋食を食べてもらいたいというリクエストが今回ありましたので入れていただきましょうか。
ではお願いします最初の。
ということであの人大絶賛のおいしそう。
謎の感じが来たぞ。
実は私のリクエストでございまして俺の大好きな洋食です。
薄いハムカツを使いましてこれからえっお茶漬け?これほんとおいしいです。
こちらはニンニク醤油ですこれをこうかけてもらいまして。
おいしそう。
そして海苔をかけてもらいまして。
はいそしてここにすみません。
入れてください。
え何何何?いやいや…。
えっ?え〜!ウソ!?やめてやめて。
このままのほうがおいしいこのままのほうが…。
うわっ。
ウソ〜!マジ!?ちょっとアレンジにもほどが…。
マジかよ!茶漬けと言いながらかけるのはお水。
いただきます。
本当?ほんと!え〜!ほら。
おいしい!ほらね!これハムの脂がおいしいですね。
おいしい!えっおいしいですか?ほら頃合いがちょうどいいでしょ?しつこくもなく。
ちょうどいいっていう食べ方は上品だと言われて…。
文句の多い三四郎小宮さんにはイマイチ定着しなかった干物のポテト詰めをご用意。
いやいやこれですよ…。
ごめんなさい。
弱いなお前は。
弱いですから。
さっきまで味方だったんですよ。
うわ〜でも…。
いただきます。
美味いの?イケる?えっ?イケるイケる。
組み合わせオーケー?全然意外と。
今じゃあ何でないんだろうくらいな?そうです…。
まぁ何なんだ!いろんなのが普及してるんでね。
どっちなんだよ。
ダメなことはないっていう…。
はいはいはい!更に当時流行ったウスターソースに砂糖を入れお湯で割ったウスターソーススープも飲んでいただきましょう。
ソースですもんねだって。
これはキツいわ。
え〜。
これキツい何だこれ。
えダメなの?甘ったるいんですか?どんな感じなの?もうまんま。
ウスターソースがちょっと甘くなってすげえシャバシャバに薄めた感じ。
俺のだいぶ前に地方からの集団就職が盛んに行われた1950年代。
増え続ける東京の人口と共に物価も急上昇。
今のようにバイト情報誌などない時代。
ご乗車の方車内の中ほどへ。
あとの方が乗り切れません。
こちらはかなり高額。
国鉄ではしかしこのころバイトをするより裁縫や料理などの習い事で自分磨きをするのが一般的。
しかしそんな女性たちが憧れる花形商売が華麗に出現。
それこそが…。
きっかけは当時の募集案内を見てみるとCAさんの当時の呼び名はエアガール。
かなり細かい応募条件が設定されていました。
そして…。
すると花形職業になったのは…。
やっぱり憧れましたか?東京タワーを一目見ようと地方から観光客が殺到。
都内を周遊する観光バスが激増したためガイドさんがおおいに注目されました。
そして…。
1960年代高度経済成長期に突入。
景気がよかったデパートでさまざまな人気アルバイトが生まれました。
更にちょっと変わったアルバイトが…。
この頃流行したのは調査モニター。
もしくはイスを作るとか。
ベビーの寝台を置くとかということを各階にやってもらえればいいんじゃないかと…。
なかなかの金額。
そんな調査モニターは特別な役割も。
そして…。
景気がよかった1960年代は女性のなかには…。
脚線美だけを競うコンテストもあり日本じゅうが美容に目覚めた時期でもありました。
1960年代のしかしそこには…。
ある化粧品会社の応募条件には…。
普通に使ってましたね。
こちらの美容部員募集は容姿端麗に加え近代センスのある方。
(伊集院)可ってことはダメなのも…。
こちらは…。
他にもなんか今見るとおかしなことが書いてある。
こちらウェイトレスさん募集なんですけれども1か所隠れていますね。
「ウェイトレスルームメード急募。
高卒23歳くらいまで身長157」…。
ここが隠れています。
ここに何が入っているでしょうか?ということで。
難しい…。
これじゃあ若手からいってみようか。
ああ〜なるほどね。
ああ…。
体重…。
ああごめんなさい。
違いますよね?正解は…。
こちら。
「眼鏡をかけない方」。
だから今ではおおよそ考えられないよね。
ホント当時はそうだね。
細かいよね。
昔はでも結構当たり前にこういうふうに細かく言われてたんだよね。
そうだね。
でも俺…。
ちなみにホステスと言うと水商売のイメージが強いですが元々は…。
例えばかなり効率がいい奥様のアルバイト。
働いてました?万博を機に次々にファストフード店やファミリーレストランが開店。
まるで競うかのように制服もどんどん派手になっていきました。
私はデビュー早いじゃん。
すげえ若くにデビューしてんじゃん。
高1でバイトしてたんですね。
高1でオーディション受かったんですけどその何か月かだけすかいらーくでウエイトレスやっててそうピンクとグレーの制服だったんです。
それはそれはかわいくね着こなして。
そりゃそうでしょう。
否定できませんよ。
制服ブームで活躍したのは…。
はとバスガイドの制服や日本航空の制服などをデザイン。
1970年代のアルバイト学生にとって天国。
日本にもこんないい時代があったんです。
アルバイト学生にとって天国。
僕バブルの時代に落語家の修業をずっとしてたんですけど。
(一同)え〜!噺家の修業時代ってお小遣い制だから一日ずっと今でいうライブ会場寄席にいても500円くらいしかもらえないんですよ。
お駄賃しかもらえない。
だけど
(一同)え〜!更にバブルだからいい司会すると酔っ払ったお客さんとかが
(一同)え〜!え!?17で5万?17歳なのに皆様の中央の花道を通りまして新郎新婦手に手を取り合いまして入場いたします。
どうぞ祝福の鳴り止まぬ拍手でお迎えください。
みたいなことを言う17って嫌じゃないですか?ちょっと鼻につきますね。
すごいな。
他にもそんな流行語にもなった…。
当時のいいイメージ。
アルバイト。
ということでしたけどもね。
皆さんはアルバイトの経験とか。
どっか飛んでいっちゃわないかどうか。
下からそう。
そこでぶっちゃけいくらくらいもらえるの?これは結構…。
IMALUちゃんはバイトは…。
私あるんですよ。
あ〜有名じゃないですか。
これがやりたくてこれ。
うんうん生地焼くやつ。
あれ美波里さんは?私?発音いいですね。
美波里さん今回パート7ということでございますけど。
今日はねありがたいお言葉じゃなくてねうちへ帰ったらまずしなくちゃいけないことが出てきたなと。
とある方の結婚式に行きまして引き出物をいただきました。
引き出物っていうのは結構桐の箱に名前が入ってるんですよ。
最近台所を模様替えしましてね少し変わった電気釜を入れたんです。
そしたらどうしてもこのくらいだけ合わないの。
でうちにお掃除に来てくださる方がちょうどいいじゃないこれって言ってとある方の引き出物の箱を使っていまだにそれを見ると。
もう離婚してらっしゃるんだけど。
うわ〜。
気になってあれは捨てようと今思ってます。
すみませんつまんないことで今日は。
誰だれ?誰だか気になる。
ヒット商品全部見せますということで時代を振り返る番組でございますがいちばん今時代を振り返られたのは美波里さんの最後のコメントで電気釜この表現がいちばん時代を感じました。
そうでしたね。
2017/05/21(日) 19:54〜21:54
テレビ大阪1
日曜ビッグ「昭和平成ヒット商品全部見せます!」[字]
「あの頃はこんな暮らしでよく頑張った…」懐かしの仰天映像と共にヒット商品の“歴史”と“変遷”を一挙紹介!そうだったの!?日本の素晴らしさも見えてきます!
詳細情報
番組内容
生活に欠かせない家電や身近なモノの、知っているようで実は知らない“歴史”と“変遷”をお見せしちゃいます!懐かしの仰天映像も満載!第7弾の今回は、≪テレビの変遷をミレバ…子供たちのブームがワカル!≫
街頭テレビから白黒テレビへ、そしてカラーテレビが普及したころ、当時子供たちの人気は、ウルトラマン。時代時代で子供たちを夢中にさせたモノを紹介します。
番組内容2
【結婚式の変遷をミレバ…日本人のミーハーぶりがワカル!】
親族や近所の人を集め自宅で行っていた結婚式は、昭和40年代になると、専門の式場やホテルなどへ移り、当時の芸能人の結婚式を真似て、派手な演出になっていきます。ドライアイスにレーザー光線、ゴンドラ入場などなど、その時代の流行が見えてきます。
番組内容3
【洋食の変遷をミレバ…食にこだわる日本人のアレンジ力がワカル!】
戦後の食卓には、コロッケ、カツレツ、エビフライ、オムライスなど洋食メニューが浸透。調味料もソースやマヨネーズ、デミグラスソース、ホワイトソースなどが登場。昭和の時代に劇変した食卓の変遷を描きます。
【アルバイトの変遷をミレバ…憧れの花形職業がワカル!】
昭和のアルバイトを当時の映像で紹介!
出演者
【司会】渡辺徹
【進行】山瀬まみ
【ゲスト】前田美波里、伊集院光、IMALU、三四郎(小宮浩信・相田周二)、井上咲楽
ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/sun/
ジャンル :
バラエティ – その他
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