投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

  1. ひらがなプロジェクト(223)
  2. アルベア論(975)
  3. 正義のあかし(46)
  4. 掲示板の注意事項(1)
  5. 虚構の大石寺疑惑(1)
  6. 2015年安保法制(977)
  7. アラシ行為記録(21)
スレッド一覧(全7)  他のスレッドを探す 

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


こんにちは。

 投稿者:幸せな人  投稿日:2017年 5月28日(日)16時48分48秒
  シャクソン ファイブ様、いつも目から鱗の投稿ありがとうございます。

真実を知ることで希望がわきます。

先生の残された言葉で、闇に葬り去られたものを全て知りたい。そんな気持ちです。

出来れば尊敬される大先輩のかたのブログを是非拝見したいのですが、検索仕方を教えていたたけますと、とても、嬉しいです。
お願い致します。m(_ _)m
 

Re. Twitterより。共謀罪を心配する声が。農業者、農業生産め監視対象の可能性が。公明党はしっかりしろ!

 投稿者:不思議?  投稿日:2017年 5月28日(日)16時26分9秒
  ツイート人 さまが言われる通り、農業者に限らず一般人を捜査対象の被疑者とすることができます。
先般のツイッターの通り、議員・公務員・官僚にはこのような網はかけられていない。公職の者は共謀罪の適用外です。良い身分制度ですね、彼等は共謀していても常に単独犯としてトカゲの尻尾切りのように捨てられる。

どこかの宗教法人みたいです。裏切ったら、秘密バラしたら生活の保障は無いぞと。

体制保持を念頭に様々な詳則が組み立てられた時に、この共謀罪は、威力を発揮します。
そして、金力・権力により警察の捜査権の濫用が始まる。大正年代から昭和初年に変容する「治安維持法」がこの典型でした。平成に至り、「共謀罪」と名称を変更して再び思想弾圧の法律が出来上がる。

もう、自民党も公明党も支持母体の創価学会もルビコンを渡ってしまい、「今回はなにも話すことは有りません」の世界になってしまいました。嗚呼、末法か、オシャカかと心有る会員は沈黙しています。
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、学生部が凱歌の60周年とのコト、誠におめでとうございま~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 5月28日(日)16時15分37秒
  最近、御姿が見えない原田怪鳥様、お元気デスかぁ~(笑)学生部が凱歌の60周年へ、拡大月間がスタート、

大胆に朗らかに打って出よ、デスかぁ~(笑)その割には写真は3月のもの? ワケがわかりませ~ん(笑)

>学生部には民衆の団体である学会を守るべく、社会変革への正義の対話の渦を起こす使命がある<
(5・28 政教珍聞1面より抜粋)

対話の渦を起こす使命がある執行部の皆様方(笑)、TBSの取材に、「今回はお答えできません」と取材拒否(笑)

学生部の諸君より先に、対話の渦を起こして下さいねぇ~(大爆)

 

Twitterより。名古屋で盗撮に懲りたのか?沖縄では婦人部の参加者ウォッチング。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 5月28日(日)15時27分58秒
  昨日の元職員3名の座談会in沖縄。先月の中部・名古屋座談会での盗撮失敗に懲りたのか?風の噂では男子部は使い物にならないと今回の沖縄では何と婦人部教宣部が出動(苦笑)おそらくそれなりの幹部でしょうが、盗撮は危険との判断か?婦人部お二人でバードウォッチングならぬ参加者ウォッチング  

代理投稿(連投です)

 投稿者:シャクソン ファイブ  投稿日:2017年 5月28日(日)15時11分38秒
  連続の代理投稿で申し訳ありません。
よろしくお願いします。






先生が創られた聖教新聞や同時放映が乗っ取られた今、
先生の声を弟子に届ける諸天は、あらゆる形を取ります。

4.24の寸鉄「 第三代を中心に団結せよ !」の師匠の叫びを載せる為に、

執行部の検閲が終わった後に、差し替える師匠の叫びを、幾人の弟子が知っただろうか?
 

正義はある!

 投稿者:正義  投稿日:2017年 5月28日(日)15時10分15秒
  創価学会からも子供たちに希望と勇気と正義を
大人が見本を見せて欲しいです。

------------ --------------------------------------------


「あったものをなかったものにできない。」



前川氏が、自分には何の得もなく逆に大きなリスクがあり、さらに自分の家族やお世話になった
大臣や副大臣、文部科学省の後輩たちに迷惑をかけると分かった上で、それでもこの記者会見をしたのは

「正義はある」

ということを、子どもたちに見せたかったのではないだろうか
「あったものをなかったものにはできない。」
そうなんだ、嘘をつかなくていいんだ、正しいものは正しいと、間違っているものは間違っていると、
多くの人を敵に回しても、自分の意見をはっきりと言っていいんだ。
子どもたちとって、これほど心強いことはない。
「正義」や「勇気」のタネを自分の心に蒔いて、しっかりと育てていいんだ。
どれほど心強いだろう。

原文を一読ください ↓ 創価より創価らしい
http://kidsdoor.tokyo/yumiko.watanabe/2017/05/27/「あったものをなかったものにできない。」から/
 

代理投稿です

 投稿者:シャクソン ファイブ  投稿日:2017年 5月28日(日)15時08分27秒
  こんにちは。
宮川氏の代理投稿です。よろしくお願い致します。




私の尊敬する大先輩のブログより、その先輩の許可を頂き御紹介させて戴きます。

秋谷氏の指示により、恐らく
抹消されたであろう、先生の魂の御指導を護り、伝えられる伝持の獅子であられます。

先生の波動をそのまま受けておられる方であり、

静かな物言いと、
小柄な五体から発せられる、
生命の波動は、接する者の魂を鷲掴みにして、生涯を覚悟せしむるに余りある。

幕末の志士を革命に決起せしめた
幕末の獅子、吉田松陰先生をさえ彷彿とさせる御存在である。

ーーー以下 引用ーーー

沿革概要

私が所有する戸田先生、池田先生の指導テープの一覧です。

ただしホームページの容量の都合で音声そのものを掲載できませんが、
いずれは掲載したいと思っています。

池田先生が勇退させられる直前、秋谷副会長(当時)から

「池田先生は間違っている。先生のテープが存在することは爆弾を抱えているようなものだからすべて消去し廃棄するように」

との指示がありました。

 私は先生より

「 広宣流布の音聲を末法万年まで伝えよ」との

言葉と揮毫を戴いており、
とても消去したり廃棄することは出来ませんでした。

 隠し持てるだけ、
拾い集められるだけのテープを個人的に保管してきました。

このことが発覚すれば職員を首になる覚悟でした。

 広宣局とシナノ企画が所有する音源をすべて聖教資料室に回収すると、音源台帳より消去する音源を青木、柳原両副会長が選別し、

資料室の職員が消去したのです。

その数およそ1600本にものぼる。この事実を永久に記録しておきたい思う。

 広布の途上にあって、創価学会における焚書事件は起きました。

今なら先生の主張が正しかったことが証明され、当時の音声はその証拠ともなる訳ですが、一度消去されたテープの復元は容易ではありません。

 二度とこのような事態が起きないことを祈っております。

『 先生の広宣流布思想 』

秋谷氏が秘密裏に破棄せよと命じた、先生の御指導の一部を要約して送ります。

「 池田門下生と戸田門下生の違いは、はっきりしている。

「 戸田の命より大事な創価学会の組織 」という、

戸田の意志を受け継ぐ人々が戸田門下生である。

したがって彼らは、
創価学会の組織が無ければ広宣流布は出来ないと考えている。

池田先生は━━━、

「 池田の命より大事な創価学会の組織 」とは言われていない。

むしろ先生は、

「 世界広布に組織はいらない 」と。

「 ニューヨーク辺りに本部を設置し、

例えばユダヤ協会のような組織でなければ、組織に依る世界広布はできない 」とまで、言われた。

池田門下生は、
「 創価学会と言う組織が、無くなっても、

池田先生とその精神、その思想があれば、世界広布は必ず出来る 」と。

「 広宣流布とは、1人1人が、絶対に崩れざる平和の要塞を、我が心の中に築く事 」だ、と。」

━━━以上、先生の御指導より( 尊敬する先輩のブログより転載 )

ーー以下、投稿者所感ーーー

日蓮仏法━━文底独一本門に於ける広宣流布は、云うまでもなく、

一人の成仏に因る『依正不二』の原理である。

この原理を、先生は、人間革命執筆の冒頭に━━、

『 一人の人間に於ける偉大な人間革命は、一国の宿命の転換を成し遂げ、

やがては地球人類の宿命の転換をも可能にする。』
と留め置かれた。

SGIの日.1.26提言を始め、

先生は、「 先生の百六カ抄講義(未完) 」に於いても、

「 妙法即御本尊と私たちとが直結することこそ仏法の根本であり、極意であります。

それはまた、あらゆる人々が御本尊と自分との関係に生きることでもある。

たしかに、妙法広布を推進する組織はなければなりません。

だが御本尊と自分との直結という仏法の極意、本義に立つならば、

組織はあくまで、この直結をより深くするという根本目的の為の手段といっても過言ではないでしょう。

この目的と手段をはき違える時、
その組織はたちまち権威主義とドグマに囚われ、民衆を苦しめる魔物と転化するのであります。

( 先生の百六カ抄講義第8回 )

その組織はたちまち権威主義とドグマに囚われ、民衆を苦しめる魔物と転化するのであります。

個々人の自由意志を封殺し、
従わないものに、役職解任や除名処分と言う罰を与え、会員を強権的に従わせる今の、信濃町の組織こそ、

先生が最も危惧された民衆を苦しめる魔物なのである。

今こそ、日蓮大聖人の万人成仏の大法を、世界に広宣流布すべき時にあたり、

民衆を苦しめる魔物の呪縛から心を解放し、先生を我が命の中心に据えて、世界の平和と、全民衆の幸福の為に、

真の日蓮仏法、池田思想、創価思想を御本尊と言う法を根本に実現して参りましょう。

我々が今、
先生の真の御指導に巡り合う事の必然に感謝するものである。

常唱院 日護 拝
(宮川 日護)

☆写真は吉田松陰先生の御肖像☆

一般に流布されている御肖像は余りにも老けて書かれてあり悪意さえ感ずる。

そこで、30歳で亡くなっておられ先生の凛々しき御肖像を探した所、

弟子達が集まり造らせた松陰先生のお顔に一番そっくりな御肖像が見つかりましたので掲載致します。
 

Twitterより。共謀罪を心配する声が。農業者、農業生産め監視対象の可能性が。公明党はしっかりしろ!

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 5月28日(日)15時00分6秒
  種苗法が共謀罪に入っています。農業生産活動すべてが監視対象になる可能性もある。もちろんJAはさらに組合としての自主的活動も制限される可能性がある。政府の指定した種子しか使えなくなる可能性もある?  

法華私記縁起 1

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月28日(日)14時29分10秒
編集済
  法華私記縁起
沙門灌頂述

大法東漸僧史所載。

大法が東漸して、僧史に載せらる。

釈尊が悟り、教え弘めた仏教が、西域を経て、インドから中国に伝来した。
僧伝に名前が留められている高僧のなかで、



詎有幾人不曾聽講。自解佛乘者乎。

あに、いくばくの人か、かつて講を聴かずして、自ら仏乗を解する者あらんや。

『法華経』が説く円頓の一実中道を、師に聴聞することなく、
自分一人だけで徹底自悟した天台大師智顗のような高僧が、
今までに一体どれだけあったであろうか。
〔1.自解仏乗の徳〕



縱令發悟。復能入定得陀羅尼者不。

たとえ、発悟するも、またよく定に入り、陀羅尼を得る者あるやいなや。

大蘇山で有相行と無相行との二行を実修して三乗の悟りを得ても、
更に師の慧思との間で四昼夜に及ぶ問答によって境地を深めている。
有相・無相の法華三昧の前方便を旋(めぐ)らせ、
仮を旋らせて空に入り、空を観る智慧である初旋陀羅尼を解悟した
天台大師智顗のような高僧が一人でもあったであろうか。
〔2.深入定慧の徳〕



縱具定慧復帝京弘二法不。

たとえ、定慧を具すも、また帝京に二法を弘めるやいなや。

大蘇山で有相行と無相行との二行を実修して三乗の悟りを得、
仮を旋らして空に入り、空を観る智慧の初旋陀羅尼を解悟したような高僧が
どれほどかあったとしても、
陳都建康に、法華三昧の前方便の修行実践を含めて、
旋陀羅尼の法華円頓の一実中道の教えを、よく説き示し、実修し、弘めた
天台大師智顗のような高僧が一人でもあったであろうか。
〔3.帝京弘法の徳〕
 

法華私記縁起 0

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月28日(日)14時16分45秒
編集済
  「法華私記縁起」とは、章安大師灌頂自身が『法華玄義』を「私記」する「縁起」を叙述したものであり、
『法華玄義』の冒頭に記されています。

その構成は、灌頂自身が天台大師智顗の行跡のなかから十を数える功徳を選び出して、
「天台十徳」として師を讃える前半部分と、
『法華玄義』の筆録編集の意義を記述した「私記」の「縁起」の後半部分とから成ります。

天台十徳は、自解仏乗の徳、深入定慧の徳、帝京弘法の徳、謝衆隠棲の徳、二朝国師の徳、
正殿講経の徳、主上三礼の徳、称美讃歎の徳、玄悟法華の徳、昼夜流瀉の徳の十をいいます。

特に後半では、灌頂の師を求める姿と、師の法門を後世に伝えんとする熱意を強く感じ、
像法時代の正師との師弟不二の姿を見ることができます。

以下全文を引用しますが、
解説は次回より数回にわたって投稿します。



法華私記縁起
沙門灌頂述

大法東漸僧史所載。
大法が東漸して、僧史に載せらる。

詎有幾人不曾聽講。自解佛乘者乎。
あに、いくばくの人か、かつて講を聴かずして、自ら仏乗を解する者あらんや。

縱令發悟。復能入定得陀羅尼者不。
たとえ、発悟するも、またよく定に入り、陀羅尼を得る者あるやいなや。

縱具定慧復帝京弘二法不。
たとえ、定慧を具すも、また帝京に二法を弘めるやいなや。

縱令盛席謝遣徒眾隱居山谷不。
たとえ、席を盛んにするも、徒衆を謝遣して山谷に隠居するやいなや。

縱避世守玄。被?為二國師不。
たとえ、世を避けて玄を守るも、徴(め)されて二国の師となるやいなや。

縱帝者所尊。太極對御講仁王般若不。
たとえ、帝者に尊ばれるも、太極に対御して仁王般若を講じるやいなや。

縱正殿宣揚。為主上三禮不。
たとえ、正殿に宣揚するも、主上のために三礼するやいなや。

縱令萬乘屈膝。百高座百官稱美讚歎彈指喧殿不。
たとえ、万乗が膝を屈するも、百の高座、百官が称美し、讃嘆し、弾指して殿に喧しやいなや。

縱道俗顒顒。玄悟法華圓意不。
たとえ、道俗が顒顒(ぎょうぎょう)たるも、法華の円意を玄悟するやいなや。

縱得經意。能無文字以樂説辯晝夜流瀉不。
たとえ、経意を得るも、よく文字なくして、楽説弁をもって、昼夜に流瀉するやいなや。

唯我智者具諸功德。
ただ、わが智者のみ、諸の功徳を具せり。

幸哉灌頂。昔於建業始聽經文。
幸いなるかな。灌頂、昔、建業において始めて『経文』を聴き、

次在江陵奉蒙玄義。晩還台嶺仍値鶴林。
次に江陵にありて『玄義』を奉蒙(ぶもう)し、晩に台嶺に還って、なお鶴林に値う。

荊揚往復途將萬里。
荊・揚を往復して、途まさに万里なり。

前後補接纔聞一遍。
前後補接して、わずかに一遍をきく。

非但未聞不聞。亦乃聞者未了。
ただ未だ不聞を聞かざるのみにあらず、またすなわち聞く者も未だ了せず。

卷舒鑽仰彌覺堅高。
巻舒(けんじょ)・鑽仰(さんぎょう)して、いよいよ堅高なるを覚ゆ。

猶恨縁淺不再不三。
なお、恨むらくは、縁浅くして再ならず、三ならず。

諮詢無地如犢思乳。
諮詢(しじゅん)するに地(ところ)なく、犢(こうし)の乳を思うがごとし。

並復惟念。斯言若墜將來可悲。
ならびに、また惟念す。この言、もし墜ちなば、将来悲しむべし。

涅槃明若樹若石。今經稱若田若里。
『涅槃』に「もしは樹、もしは石」と明かし、『今経』に「もしは田、もしは里」と称す。

聿遵聖典書而傳之。
聖典に聿遵(いつじゅん)して、書してこれを伝えん。

玄文各十卷。
玄と文と、おのおの十巻なり。

或以經論誠言符此深妙或標諸師異解驗彼非圓。
あるいは経論の誠言をもって、この深妙に符し、あるいは諸師の異解を標して、かの円にあらざることを験す。

後代行者。知甘露門之在茲。

後代の行者、甘露の門、ここにあることを知らん。


 

訂正します

 投稿者:あたい姫=未来姿  投稿日:2017年 5月28日(日)14時06分34秒
  下記のは新・人間革命の革命が抜けていました。ごめんなさい。  

風の噂

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2017年 5月28日(日)14時05分28秒
  あくまでも風の噂で聞いたことなのですが、
(根拠のないこと書くなと言う方、ご免なさい!)
名古屋の失敗に懲りたのか、今度は婦人部教宣2名での、
おしゃべりバードウォッチングだったとか。
あっ、あくまでも、風の噂で聞いただけっすから、
気になさらないでください。

 

新・人間の第8巻の宝剣に、独り言

 投稿者:あたい姫=未来姿  投稿日:2017年 5月28日(日)14時04分21秒
  こういう質問に対して先生の答えがあります。もっともですね。
●「正直なところ、私は学会の組織というのは好きではありません」との質問に。

●先生は、私を守るというが、学会を守ることが私を守ることになる。1人の会員を、十人、百人、千人の会員を守ることが、私を守ることです。なぜなら、私の人生は、そのためにあるときめているからです。私たちがめざしている広宣流布は、無血革命といえるが、私は会員のため、法のため、社会のためには自分の血を流そうと決意しています。その覚悟と勇気がなければ、広布の指揮はとれません。学会を離れ、会員を離れて、私はない。 もし、君に少しでも、私をもろうという心があるならば、学会の組織の最前線を走り抜き、会員を守ることです。
●大事なところですね。
 

【師弟不二アーカイブ】の使い方 その1【タグ】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 5月28日(日)13時01分44秒
  【タグ】

右側にタグというのがあります。

このタグの下にある 各【キーワード】

54年辞任or勇退  SGI  ひらがな  わが友に贈る  アクセンチュア疑惑
丹治問題  五義の教を知る  五義の教を知る 第一章 五重の相対  体験談
僭聖増上慢  八尋  公明党  処分・村八分  分派 創 価思想の源流について
原田会長・・・

大きさはバラバラですが・・・
ワードを左クリックすると関連する投稿が出てきますよ。

使ってみてくださんぷいね!!! ヨロシク♪♪
 

赤胴鈴之助さん

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 5月28日(日)12時55分42秒
  赤胴鈴之助さん

 いつも投稿を拝見しています。地道な投稿に敬意を表します。

 愚筆の引用、ありがとうございます。「引用をお許しください」なんていりません。私なんか、グリグリさんの“法門”をパクリ放しです。他の記事のパクリはいけないでしょうが、グリグリさんとかジョーカーさんのは、失礼がない限り“フリー”だと思います(笑い)。


 

RE:【創価学会とは】大白蓮華6月号P.108

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2017年 5月28日(日)12時52分20秒
  投稿者:虹と創価家族   投稿日:2017年 5月28日(日)05時03分48秒

>>なるほど、なるほど。

>>創価学会とは、日蓮大聖人を、釈尊が表した仏教の『継承者』と信奉する教団なのですね。
>>P.109には太字で『仏教の教えの中核は、釈尊が目覚めた「法」です』と書かれています。

>>宮田臭がプンプンします。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/69559

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

【宮田論文への疑問(須田論文)】

須田論文がダウンロードできます!
http://sgi-shiteifuni.com/?p=11702

-------------------------------
★★師弟不二ARCHIVE★★
http://sgi-shiteifuni.com/
 

TBS報道特集、最高

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 5月28日(日)12時49分5秒
  政権側、いよいよ尻に火が付いたというか、尻から火を噴き出している。

そのままミサイルの様に、大気圏外に消え失せろ!と、切に願う。

前川氏と菅氏。人間としての格とか質という点において、勝敗は明らか。
週刊誌やスポーツ紙ならまだしも、大手新聞社を使って、ささいなスキャンダルの個人攻撃とは、語るに落ちるとはこのことだ。

国会の会期を延長せず、共謀罪だけを成立させて国会を閉じてしまえ、という暴論が、自民党内で広まっているらしい。
とにかく6月18日までに共謀罪を成立させ、5人か10人、見せしめに逮捕して、強引に反対論を押さえ込むという手法が、まったく有り得ないとは言い切れない。

普通に考えて有り得ない事が、この2~3年、安倍自公政権においては普通に起こる。

厳しく監視しなければ。

昨日のTBS報道特集。やはり圧倒的な伝達、拡散力。
ゴキブリの巣を突っついたかのように、ネトウヨや工作員が大騒ぎ、這い出してきていた。(笑)

一度と言わず、何度でもやってもらいたい。

学会本部の対応。サイテー。(失笑)

 

言葉・・宿業・カルマ・広宣流布

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 5月28日(日)12時35分2秒
編集済
  一人のSGIさまが書かれておられる通り、カルマ論は非常に大切ですよね。

そして、九識論・・

私は仏法を語るのによくカルマの話をします。そして、九識論・これはニーチェの体験的話も加え・・
私が出会う欧州人達、カルマの話はよく理解できます。
人知れず苦しんでいるからこそ、仏教の話に興味を持つわけですから・・

彼らにはキリスト教でいう原罪に苦しんでいます。運命は変えられないという苦しみと劣等感・
これが、大聖人の仏法で変えられるカルマとして伝える。その力の実証は御本尊への唱題で得られる生命力、
とともに、どんどん変化する己の内面とその環境、と変えていく、行こうとする力・スペクトル。
それらの実体験で彼らは大聖人の仏法を知ります。

ですから・・カルマ論は大切でありますよね、ただ、そのカルマ論をネガテイブなものとして話をするのか、
完全に変えられると話をするのか。そこも、ポイントかもしれない。

ご存知の方も多いと思いますが、昔、日本でもありましたよ・・何十年も昔の話です。
「あんた・あなた・君の宿命・業が深いからだよ」と押さえつけられる。
・・そう言われると、人は落ち込むんですね。
落ち込んだ人も大勢います。私も、そのひとり。確かに昔の一時期、宿業・業論を強調しすぎた時代があります。

そのことによって、自分ほど業が深い人間はいないんだ・・だから、こうやって苦しみのは仕方がないと・・
簡単に変えられない・・
暗くなってしまう、暗くさせた幹部が多いですね。これは本当の話です。
で、結局、落ち込んだ時、題目も挙げれなくなり。さらに落ちこみ、信心しても何も変わらない・・
退転となった人も大勢います。 <だから新聞啓蒙を、選挙を、全部受け止めて、どんな幹部でも、
その言う事を聞いてと・・カルマ化してしまう、しまった?・・>

そこを、大聖人様の仏法では、すべての人が宿命転換できると言われている、だから、
悪業を持っているから自分はダメなんだと悲嘆してはいけない。大聖人と同じ仏の生命を持っているんです・・
と、言えば、ずいぶん違いますよね。先生も「業論」について、「業」をそのように考えてはいけないと、
そのような指導を何時からだったかされていたと思います。

その影響ではないでしょうか「業論」「宿命論」を外したのは?
だからと言って、業論、宿命論をすべて閉じてしまうのは浅はかであり。
もし、そうだとしたら師の慈悲を短略的に受け止めたとしか思えませんよね。
その深い慈愛を知って展開していけば良いと思いますが・・

カット、カット、カットすれば済むみたいに楽な方へ、楽な方へと・・「浅き」とってしまっている。
親の心子知らずです。


「広宣流布」という言葉は先に示された英文のように、平和構築・・社会の平和、国の平和を築く
でいいと私は思っていますし,そう話をしています・・「創価学会」を広げる、「創価学会の興隆」
だけでは、わかる人はわかりますが、聞き様によっては独善的な組織の興隆・拡大を目指し、
日本の仏教組織を広げるという風に捉えられかねません。

大聖人の仏法では個人個人が幸福になり,隣人をも幸福にし、社会が良くなり、国も良くなるという
三遍土田(さんぺんどでん)の理論、色心不二理論、依正不二理論・・
つまり、立正安国・・平和思想・平和構築の為の方途が示されています。
<もちろん、「悪の一凶』を止めよと・・>


ここからは、自問自答の結果を書きます・・特定の方、向けには書いておりません・・

大聖人様は私たちに何を残されたのか・・出世の本懐は何だったのか?

ご自分は本仏だから崇め?だった?

自分を拝めば崇めば、すべて祈りが叶う?

いや、そうではありませんよね・・

個人が幸福になる為。個人が幸福になる事で社会、国家が平和になる方途を教えてくださった。
正しき本尊に唱題する事により、宿業に苦しむ人生、生命を打ち破る「仏」の生命が即時に取り出す事ができます。凡夫の「即身成仏」=直達正観の法ををお残しくださった・・「凡夫の即身成仏」でしょうか・・

松戸様の論理は大聖人様の仏法は我々末法の民衆に残されたものであって、本仏と崇めという権威の論理ではな
い。凡夫を宿命の牢から解き放すため、すなわち我々凡夫のから見た実践方法を残された。
これが大聖人様の本懐ではないか・・と、主張されているように思います。

松戸様の主張は多岐にわたっていますが、その主張の根底・基礎・大枠はそのようであるとそう理解しています。

しかしながら、この凡夫が即成仏=直達正観を大聖人が残されていた訳ですが・・
それを、700年後に甦らせられたのが牧口先生、戸田先生の生命を賭けた戦いでありました。

そして、戦後の戸田先生の「生命論」で「創価学会」がスタートしたのです。

そして、この大聖人仏法を現代に展開、誰えもでき得なかった世界宗教にされた大導師、池田先生・・
世界の大法として世界に拡げてくださったのです。

結局、「法」のみあっても「人」・「仏」がいなければ、
事の仏法はダイナミックに活きてこないのは言うまでもありません。

ここで・終わります。少し、長くなりましたお許しください・・
 

ためにする「軍国宗教・創価教育学会」の印象操作

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 5月28日(日)12時32分21秒
  牧口・戸田は“戦争反対”だったわけではない、、、との難癖を付けて
いま現実に三色旗を高々と掲げて平和と人権尊重を叫ぶ学会員たちに
しつこく横槍を入れてくる徒輩の浅はかさとその背後にある意図を見破れ。
 

ひらがなプロジェクトへ ひゆほんきゅうかのだいじ  ひらがなを投稿しました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年 5月28日(日)12時07分5秒
  ひらがなプロジェクトへ 御義口伝講義録上、ひゆほんきゅうかのだいじ  ひらがなを投稿しました。

池田先生の御心がよく分かる、講義だと思います。
約50年前の講義だと思いますが、今に通じる、世の中の事を的確に分かりやすく教えられています。

赤鬼氏のブログより引用しました、感謝!!
序品七箇の大事
0713    第七 天鼓自然鳴の事

中略
 所詮、御本尊様しかない。広宣流布のみが世界平和を実現するただ一つの方程式である。
このことを絶対の大確信をもって示しているのである。
 もし、創価学会が、世間の批判、中傷を恐れて、広宣流布の戦いをやめたならば、あるいはまた、権力
に迎合し、慈善事業などで民衆をあざむくとすれば、民衆の幸福は永久に没してしまうことだろう。

一触即発の戦争の危機がさらに深刻をきわめ、この地上に阿鼻叫喚の世界が出現することは、経文に照らし、
御書に照らし、明々白々たるものがある。


 われわれは、断じて権力に迎合してはならない。

言論界等に、よく書かれようとして、おべっかを使う見苦しい態度など、微塵もない。民衆をごまかして
いくような卑きょうな真似もしない。あくまでも隨自意なのである。右にも寄らず、左にも寄らない、ただ

全民衆の幸福のため法旗を高く掲げて戦うのみである。
引用終わり

大阪の地区ぶちょ~さんの書き込みを見て・・・雨の文化祭の事を思い出して、涙が累々とあふれ出てきて
止まりません。
私は体操部、嫁は人文字で、色紙をぬらさないように、必死だったと言っていました。
私たちは、R43号線の陸橋の下で、学会歌で、台風を止めようと声を限りに歌っていたのです。
「日本男児の歌」「威風堂々の歌」とうとう次から次へ指揮者は変わっての歌い続けていました。

螺髪さん、まさに私が言いたかったことです。

引用をお許しください。
雲は、山や陸や草木から水蒸気を吸い上げたり、雨を降らせたりしている現象に過ぎません。地球がひとつの
生命体だとすると、空に浮かぶ雲は、地球の“煩悩”だともいえそうです。その雲が、実は、日に照らされ
て“夕焼け小焼け”と美しく輝いていることも知っています。

 つまり、知っているか、知っていないかの違いです。「一念三千」の「法」というのは、どうも、それを
知っているかどうかだけです。だから、きっと、仏の別名を「智慧」と言うのでしょう。艱難の時にも、
大空には「希望」が広がっているということになります。

雨の文化祭以来、竜神は諸天善神となって、私を守っていてくれているのを感じています。

「空に浮かぶ雲は、地球の“煩悩”だともいえそうです」。
素晴らしい言葉です。
その煩悩を吹き払って、雨が止んだのは、一心一念法界に編し、煩悩即菩提の題目の力を実感した瞬間です
し、先生との師弟不二の血が通った瞬間でもあります。

昭和50年代に入ると、突然、師弟のきずなを引き裂こうと嵐が吹き出しました。
師弟不二、生死一大事血脈の言葉は使ってはいけないと、お達しがあったのです。
 

紅の歌を思い出しましょう

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年 5月28日(日)11時52分10秒
  紅の歌を思い出しましょう

”老いたる父母の 築きたる
広布の城をいざ 護り抜け”

---------------------------------
一、
ああ紅の 朝明けて
魁光りぬ 丈夫は
ああ暁鐘を 打て 鳴らせ
驕(おご)れる波浪よ なにかせむ
邪悪の徒には 栄えなし
地涌の正義に 民衆(たみ)の旗

二、
毀誉褒貶(きよほうへん)の 人降し
輝く王道 この坂を
父(ふ)の滸(もと)集いし 吾らあり
子(きみ)よ大樹と 仰ぎ見む
ああ青春の 金の汗
誓いの青藍 虹かかれ

三、
老いたる父母の 築きたる
広布の城をいざ 護り抜け
眩き地平に 澎湃(ほうはい)と
若き翼よ 爽やかに
万葉の詩 ともどもに
舞いに舞い征け 世紀まで

---------------------------------


池田先生の広宣流布の戦いの時代
とあの人物の弘安2年のご本尊の否定、
教義変更、勤行要点の変更の時代を
比較してみると、どうでしょうか。

すべては現証に勝るものなしだと思います。

公明党も創価学会も原点にもどるべきだと
思います。

日蓮正宗とともに力をあわせて、まずは
日本の広宣流布に力を入れるべきでしょう。

”ある人は右翼といい、ある人は左翼といい、
ある人は独善とののしるかも知れぬ。”
この言葉が池田先生の立正安国論講義
には書かれています。

創価学会、公明党は民衆のための中道を
進まねばならないのが使命のはず。
権力に黙ってしたがっていてはいけないと
思います。つまりは立正安国論の精神を
失ってはいけないと思います。

---------------------------------
北朝鮮のミサイル
カジノ法案
共謀罪
政治家のスキャンダルだらけの国会
天皇陛下のご退位に関する混乱
---------------------------------




 

罰と功徳と人間革命

 投稿者:賢くなりたい婦人部  投稿日:2017年 5月28日(日)11時09分36秒
  ……………………【人間革命の時代】……………………………………


初代会長、牧口常三郎は、価値論を立て、「罰」という反価値の現象に苦しまぬよう警鐘を鳴らすことに力点を置いた。
第2代会長戸田城聖は、戦後、広く庶民に仏法の偉大さを知らしめるために、経済苦、病苦、家庭不和等の克服の道が、仏法にあると訴え、御本尊の功徳を強調した。
では、これからは人びとは、仏法に何を求め、私たちはどこに力点を置いて、仏法を語るべきなのか。

伸一は、青年たちと忌憚のない対話を交わすなかで、こう実感した。
“心を強くし、困難にも前向きに挑戦していく自分をつくるーーつまり、人間革命こそ、人びとが、社会が、世界が求める日蓮仏法、創価学会への期待ではないか!
もちろん経済苦や病苦等を解決していくためにも、人びとは仏法を求めていくだろうが、若い世代のテーマは、自己の変革、生き方の転換に、重点が置かれていくにちがいない。
つまり、『人間革命の時代』が来ているのだ。

………「新・人間革命」第24巻人間教育の章p205………………

私の女子部時代は、“自身の人間革命こそ最高の功徳”と教わったものですが、どういうわけか、婦人部での話題は、幹部の話も含めてお金、病気、家、仕事等々、概ね表面的な事柄で終わります。

先生の52年路線というのは、この『人間革命運動』と深く関連しているのだと、近頃勉強し始めて気がつきました。私たちは、信仰に何を求めているのだろうか?今更ながら、改めて自問自答の時だと思います。
 

小作人@地上の発心様

 投稿者:大阪の地区ぶちょ~  投稿日:2017年 5月28日(日)10時41分10秒
  小作人@地上の発心様、同意致します。人間的な深みに欠けるように感じます。




 

楊門女将 2/12

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月28日(日)10時36分45秒
編集済
 

<動画のあらすじ>

穆桂英と柴郡主は、
高齢である宗保の祖母・佘太君(しゃたいくん、なんと100歳!)に心労をかけないよう、
宗保が戦死したことを胸に秘めたまま祝宴に列席する。

そこへ佘太君が杖をついて登場し、喜色満面で歌を歌う。
さらに、宗保の息子・楊文広(ようぶんこう)も登場し、
祝宴が始まる。

この場で宗保の不幸を知るのは、
穆桂英、柴郡主、孟懐源、焦廷貴の四人のみ。
心中穏やかならずも、平静を装う。

祝宴は進み、宗保50歳の誕生日を祝し、
穆桂英は息子の楊文広から盃を受け、酒を飲み干す。
 

再掲・2017/5/27 TBS「報道特集」

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 5月28日(日)10時33分51秒
編集済
  TBS「報道特集」 アップされてました リンクは共謀罪関連部分より。

創価学会関連は「゛共謀罪゛創価学会員も懸念」

創価学会本部は都合が悪いとだんまりを決め込む(笑)

http://www.dailymotion.com/video/x5o2q7t

しかし、信濃町の学会本部のTBSからの取材に対する返答は会員に対して、社会に対して

不誠実です。「今回はお答え出来ない」????? 意味不明

でも、たしかに答えられないだろうね、公明党が共謀罪法に賛成しているのはご自分たちの意向と

は言えないからね(苦笑)


 

追記

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 5月28日(日)10時28分6秒
  精緻な教学論考をものする諸賢には敬意を表するが、気をつけないと竹林の七賢じゃないが
「今この時期に社会の動向から外れたところでこんな議論してる場合かな?」と見る向きもロム専の方などにはあるかも知れない。
たまにだが確信犯的にマニアックでドメスティックな議論の袋小路へ誘導しようとの意図も一部見え隠れする時がある、、、ただの個人的印象論に過ぎないが。。

現場は現場で、某ファンドの名(迷)言じゃないが「お金儲けの何が悪い!?」とでも言い出して開き直るような感のある創価教育出身者があちこちで幅を利かす。
バイタリティーはあるが、とにかくガツガツしていて人としての内面の深みに欠ける。
 

(無題)

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2017年 5月28日(日)09時49分24秒
  「信心の実証」を---立身出世だとか、事業で成功し財をなす、とか、、、そういった即物的な観点からしか推し量れない人からすれば、
ここに書き込んでいるような人は口だけ達者で中身がないなどと色眼鏡で見下す歪んだ心しか表れないだろう。

「俺はこんだけ稼いでる。すごいだろう」・・・信心してない一般ピーポーからすれば「だからどうした?」で終わる話なのだが。。

砂上の楼閣のごとき繁栄、薄氷を踏むがごとき覚束ない日々の安穏。。
「自己完結の小善生活」に安んじているうちは、社会を覆う不条理への義憤を抱く境地とは無縁で、些末な私的感情のみに囚われた狭い世界で呻吟し一生を棒に振る。

別の観点から言うと、例えば「執行部の悪と戦えば功徳が出る」との物言いも、それはそれで問題があるのだが。。
「功徳だ、福運だ、と、所詮それ目当てか? 自分可愛さが根底にあるのか?」と受け止める向きがあっても仕方がない。

功徳だの福運だの境涯だの宿命(転換)だの、、、創価ワールドで飛び交う諸々の語句が、ある部分でもはや思考停止のマジックワードに化してはいないか……?
いずれまた稿を改めて論を進めようと思う。

ただ、今の時点で言えることは、弱肉強食の競争社会の原理をまるごと肯定する要素が濃い創価教育の一つの傾向性が、執行部への支持・不支持といった立場の如何を問わず、学会を取り巻く数々の問題を何かと矮小化せしめる害毒をもたらしているとの懸念が私にあるということである。
 

思うんですⅱ

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 5月28日(日)09時15分44秒
   思うんです。

 なにか、この宇宙には慈愛の“塊(かたまり)”みたいなものがあって、それにどういう関わり合いを持つかによって、人の生き方も、人との連なりも、人の福運の積算も変わるのではないかと。だから“大宇宙”とは「希望」です。

 自分の中に、無限の“大宇宙”があると思うと、ただ大空を見上げるだけで「心」は大きく広がっていきます。たとえ、空に雲が立ち込めていたとしても、それは地上からわずか五、六百メートルの風景で、その上空には、やはり無限の青空が広がっていることを知っています。

 その雲を上空から見れば、まるで銀色の大海原のように見渡せることも私たちは知っています。だれしも「思う」ことを繰り返しています。「思う」ことは、究極的には「信じる」ことです。自分の中に、無限の“大宇宙”があるわけですから、それを信るかどうかだけが、われわれの「思う」ことの主題であるようです。

 雲は、山や陸や草木から水蒸気を吸い上げたり、雨を降らせたりしている現象に過ぎません。地球がひとつの生命体だとすると、空に浮かぶ雲は、地球の“煩悩”だともいえそうです。その雲が、実は、日に照らされて“夕焼け小焼け”と美しく輝いていることも知っています。

 つまり、知っているか、知っていないかの違いです。「一念三千」の「法」というのは、どうも、それを知っているかどうかだけです。だから、きっと、仏の別名を「智慧」と言うのでしょう。艱難の時にも、大空には「希望」が広がっているということになります。



 

名字の言!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年 5月28日(日)09時06分8秒
   名字の言・「ある著名なドキュメンタリー写真家が……」。

 2015月5月8日付ですね。

 私も、切り取りました。イニシャル「哉」さんです。

 こういう記事が少なくなりました。

 カットされたんじゃないでしょうね。


 

(無題)

 投稿者:大阪の地区ぶちょ~  投稿日:2017年 5月28日(日)08時39分17秒
  これからは、飛び抜けて力のあるスーパーマンのような、

指導者はいらないと思います。

たまに、君ら眠たいこと、掲示板に書いてアホと違うかみたいな

ことを言われる方もおられますが、僕はそうは思いません。

以下は僕が昔、気になった名字の言より引用します。




ある著名なドキュメンタリー写真家が生前、よく語ってくれた。1966年(昭和41年)、甲子園球場で開かれた、関西創価学会の「雨の文化祭」に招かれた思い出である▼豪雨で、プログラムは途中休止を余儀なくされた。「なんとも、重苦しい雰囲気」が広がっていた。スタンドのざわめきがひどい。「学会って、もっと統制が取れた団体で、こういうとき、しわぶき一つないかと思っていた」▼「ざわめき」のなか、カメラを構える。冷静になった耳に「ざわめき」の「正体」が聞こえてきた。一人一人が題目を唱えている。誰かの号令ではない。口々に上げている。だから、ばらばらに聞こえたのだ。〝ばらばら〟は自発の故だった。やがて題目は自然に一つになり、厚い雲を突き破るかに思えた。そして、西空から晴れ間がのぞいた▼写真家は泣けて仕方がなかったという。「豪雨を止めた奇跡が起こった」からではない。命令ではなく、一人一人が自分の思いから唱題する姿。それが、やがて一つになった瞬間。その一部始終を目撃したからだと、いつも目を潤ませながら語ってくれた▼団結は号令で生まれるものではない。一人一人の自発の思い、決意、誓い。それを引き出した一対一の励まし。そこに創価学会の強さがある。

 

二十一世紀への対話 59

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年 5月28日(日)07時53分27秒
  ◆ 3 知識人と大衆

【池田】 一般によくいわれることですが、大衆とか知識人とかいう立て分け方があります。しかし、私は、人間を知識人と大衆に分けるこの発想法には誤りがあると考えています。もちろん、今日に至るまで、あらゆる文明社会は、そのなかに知識人と大衆という区分を維持してきたことは否定しません。しかし、現代文明においてその伝統を踏襲することは、もはや正しくないのではないかと私は考えるのです。
すなわち、人間は、知識人や大衆である前に、同じ人間であるということをまず大前提におかねばならないと考えるわけです。少なくともこの立場においては、知識人と大衆の境界線などというものはありません。どんなに優れた知識人も、現実の生活においては大衆の一人であって、何ら他の人とは異なるものではありません。普通一般に大衆と呼ばれる人々も、それなりに豊富な知識を身につけた“知識人”なのです。
たとえば、非常に優れた物理学者であっても、家庭経済の問題については、一介の主婦の英知にははるかに及ばないものです。にもかかわらず、物理学者のほうが平凡な主婦よりも社会的に重んじられる理由は、稀少価値ということ以外にないように思われます。

【トインビー】 人間がもつ最も重要な側面は、ともに同じ人間であるということです。人間は、特定の種類の人である前に――つまり、黒人であるとか白人であるとか、仏教徒であるとか儒教者であるとか、ユダヤ人であるとか異邦人であるとか、知識人であるとか無教養な人であるとかの前に――まず何よりも人間でなければなりません。
人間にとって最も重大な体験とは、常に普遍的なものであり、誰人も避けられないものです。
人間はみな生まれては死んでいきます。意識ある生きた存在であることのむずかしさ、われわれが住むこの大宇宙の神秘性というものは、知識人にとっても知識人以外の人々にとっても同じことです。ともに同じ人間として、生死という冷厳な事実を突きつけられるわけです。
ある社会が知識人と大衆に二分され、そこに互いの疎外感があるとき、それはすでに社会が不健康であることの兆候です。ロシアがこの社会病に冒されたのは、ピョートル大帝による突然で性急な、しかも強制的で表面的な西欧化の後のことでした。ロシア語でいわゆる“インテリゲンツィア”(知識階級)とは、ロシアを西欧社会に仲間入りさせたピョートル大帝の政策から生まれた、新しい階級のことです。このロシアの知識階級は、ロシア人を西欧社会の生活様式に組み入れる役割を担った、西欧化したロシア人によって構成されていました。彼らは、ある意味では不幸な階級でした。というのも、彼らは西欧的生活様式への転向によって、ロシア人仲間からは隔絶され、さりとて西欧社会のなかでは心からの安らぎを得ることができなかったからです。彼らの多くは、十九世紀に、あるいは自主的移住者として、あるいは政治的亡命者として、国籍を離脱し、西欧諸国で生活していました。彼らは、西欧的な教育を受けたために、かつて自分たちを出現させた母体である故国ロシアの専制的政権とは、すでに相容れなくなっていたのです。
十九世紀ロシアの優れた文学作品は、いずれもロシアの文豪たちが、自国の知識階級にとりついた病弊から執筆の動機を得て著わしたものです。トルストイの作品『アンナ・カレーニナ』には、そのことを物語る場面があります。それは西欧リベラリズムに転向した地主のレビンが、土地を分け与えようとして農奴たちを集める場面ですが、農奴たちは当惑して疑い深い態度をとります。彼らは主人の動機がどんなものか理解できず、彼の真剣さを信じることができません。一方、地主のほうも困り果て、ついには怒ってしまい、結局この招集は実を結ばずに終わるのです。
一九一七年のロシア共産革命は、これらの知識階級によって成し遂げられたものです。彼らの多くは、かつて長い年月を西欧諸国での亡命生活に送った人々です。彼らの計画は、ロシアの生活様式をいわゆる先進西欧諸国なみに改革することでした。このため、彼らが政権を掌握したとき、トルストイの小説に描かれたような場面が、現実生活において大規模な形で演じられました。西欧化した革命的知識階級とロシア土着の大衆との間には、当然、誤解が生じました。そこで、革命的知識階級はすでに政権を握っていたため、外来の西欧イデオロギーを力ずくで大衆に押しつけたのです。このやり方は、近代啓蒙主義の使徒としての彼らが打倒した、あのロシア旧来の専制政権のやり方と何ら変わるところがありませんでした。

【池田】 いま博士があげられたロシアの例は、程度の差こそあれ、日本の場合にもそのままあてはまるようです。明治以後の日本は、長い鎖国時代のおくれを取り戻そうとして、欧米諸国から学ぶことに夢中でした。こうした風潮は、今日でも変わっていません。とくに、日本でいわゆる知識人といえば、その人がどれだけ優れた知恵をもっているかではなく、欧米の思想、学説などをどれだけ知っているかで判断される傾向があります。
これは、当然のことながら、知識人と大衆の断絶を深めます。本来、知識人とは民衆の生活の場を舞台にして初めて、その知識なり知性を役立てうるものです。したがって、もし一般民衆を根っこにたとえるならば、知識人はあくまでもそこから咲き出る花でなければなりません。ところが、知識人の悪いクセは、自分を一般大衆とは異なった存在として区別したがるところにあるようです。これは、あるいは知性そのものが、もともと分析や区別といった面でとくに機能するからなのかもしれません。しかし、それは自己の拠って立つ基盤を自分で取り払い、自らの存在を危うくすることにほかならないでしょう。
これに対して、大衆は「知識人に何ができるか」といいます。口先ばかりで行動のともなわない知識人には、少しも歴史を動かす力はないというわけです。こうした知識人と大衆の隔絶、反目をみるとき、私は、これは人間社会にとってまことに不幸なことであり、なんとしてもこのギャップを埋める努力がなされなければならないと思うのです。

【トインビー】 一般的にいって、知識人と大衆の隔絶が生じるとき、知識人としては、人生の普遍的な現実問題との接触を失いやすいものです。一方、大衆のほうは、すべての人が能力に応じて最大限に享受すべき知的教養というものを、そうしたさいに失うことが多いものです。
今日の西欧社会には、知識人が職業的スペシャリストだけの閉鎖的なサークルを形成して、そのなかで他から超絶して生活し、仲間たちだけのために仕事をするという、不健全な風潮があります。彼ら知識人は、大衆が専門的でなく無知であるとして軽蔑しています。一方、一般大衆のほうも知識人を無視しています。知識人の話はわかりにくく現実的でないというのです。こうした相互の疎外関係は、双方にとって好ましくなく、社会にとっても良くないことです。
 

Aさんと対話Ⅱ

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 5月28日(日)05時32分54秒
  ひかり「で、その話ですが、どこで話が出てきたんですか?」

Aさん「協議会」

ひかり「(驚)協議会? カンブも来てた?」

Aさん「うん」

ひかり「ムチャクチャやな。 カンブは何か言いました?」

Aさん「笑ってた」

ひかり「笑ってた? 壮年部カンブでしょ」

Aさん「そう(笑)」

ひかり「やっぱりな」






 

Aさんと対話

 投稿者:ひかり  投稿日:2017年 5月28日(日)05時26分28秒
  都議選。
どうしても都内に行かせたい県婦人部長のトンデモ発言、部員さんを激怒させ、ウワサ拡大。



Aさん「これは、うちの部員さんの姉がいる支部の話で、隣の圏なんだけどね」

ひかり「はい」

Aさん「県婦人部長がさあ、部員まわりしたんだって、都議選へGOって」

ひかり「県婦人部長が」

Aさん「圏幹部じゃなくて、その上。 県カンブだよ」

ひかり「はい」

Aさん「ご主人が病気で家に寝起きしているところへ、県婦人部長が訪問」

ひかり「ふむ」

Aさん「都議選に行けないかな、と言った」

ひかり「え? 病気のご主人がいるところに行ってそれを言った?」

Aさん「そう。 で、行けないです、主人が病気ですから、と答えたら、何と言ったか」

ひかり「うーん。 さあ?何て言ったんですか?」

Aさん「旦那さんは、一人でご飯食べることができないの? だってよ~ちょっと」

ひかり「え?(笑)  怒ったでしょ、その人」

Aさん「当然だよっ。 あきれた話だよ。 人の生活に踏み込んでまでやらせようとしてさ」

ひかり「Aさんの所の部員さんのお姉さんの支部の部員さんの話でしょ」

Aさん「そう」

ひかり「すごく広い範囲ですね」

Aさん「(笑)だよね」





 
 

【創価学会とは】大白蓮華6月号P.108

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 5月28日(日)05時03分48秒
編集済
  ① 仏教の人間主義の系譜

創価学会は、釈尊に始まり、インドの竜樹・天親(世親)らの菩薩とたたえられた論師、中国の天台大師(智顗)・妙楽大師(湛然)、日本の伝教大師(最澄)、日蓮大聖人へと発展的に継承された仏教を信奉する教団です。

~~~~~~~~

なるほど、なるほど。

創価学会とは、日蓮大聖人を、釈尊が表した仏教の『継承者』と信奉する教団なのですね。
P.109には太字で『仏教の教えの中核は、釈尊が目覚めた「法」です』と書かれています。

宮田臭がプンプンします。

 

忖度は損得?

 投稿者:正義  投稿日:2017年 5月28日(日)04時38分17秒
  自由党の山本太郎共同代表は27日、学校法人「加計学園」(岡山市)の
大学獣医学部新設計画をめぐり、「NHKが加計問題に対して政権への忖度(そんたく)
報道を続けるなら、『受信料の支払いをボイコット』する。
公共放送とは言えぬ偏向報道だ」とツイッターに投稿した。

 「視聴者がスポンサー、ということをNHK首脳陣とNHK報道は
  思い出す必要がある」とも主張した
 

忖度自粛

 投稿者:正義  投稿日:2017年 5月28日(日)03時26分34秒
  マスコミ報道から加計学園問題が消えた!

--------------------- ---------------------------------

寺脇研? 氏より
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=874471639358037&id=100003856271097

前川前事務次官の記者会見について、某全国紙からコメントを求められたのに、
記者が原稿を出した後「上から」掲載見送りにされた件。本日朝刊に載るはずだった
私のコメントを読んでいただけると幸いです
 

ある都議会議員の演説に思う事

 投稿者:大石小石  投稿日:2017年 5月28日(日)02時39分40秒
  先日、交流という事で久方ぶりに上京しました。T府市だったかな。そこで運良く、公明都議会の重鎮と言われている方の演説を聞きましたが、まずは紹介します。

『我々議員はバッチを胸につけて、ふんぞり返っている議員では断じてならない。地域と行政を結ぶパイプ役です。
我々都議会議員はこの地域と東京都を結ぶパイプ役!言い換えれば 皆さまの代弁役です。』

ナルホド、この議員さんはまさに公明都議会議員の鏡。

しかしいまだにバッチつけて偉そうにしてる議員もいるのだとあらためて認識しました。





 

ご挨拶

 投稿者:大石小石  投稿日:2017年 5月28日(日)01時33分54秒
  宿坊掲示板の皆様。
御無沙汰してます。多愚痴ですw

内外共にいろいろきな臭くなってきましたね。セイ×3さんの佐野元春の曲、懐かしく思ってましたらなんとBSで放映中。

そこで「多愚痴のレイディオショー不定期」明日からボチボチ再開します!


 

仏の思い遣り・・

 投稿者:史人  投稿日:2017年 5月28日(日)01時16分48秒
編集済
  6年くらい前でしたが、パート先で働いておられる事務員の方の笑顔がとても素晴らしく、あそこまで素敵な女性は今まで一度も見たことがなかったです。
今でも本当に「あそこまで素敵な女性」と思っていますし、勤行の時にその出会いに感謝しています。
心の中でずっと思い続けることが何よりも大切だと思うからです。

学会員さんのそれとも違っているようにも見え、いつ会っても喜びに溢れていました。
いつも顔が嬉しさで溢れていました。

僅か1週間の出会いであり、私自身は女性には話しかけない人間なので、目の前で見ている信じられない素敵な方のお姿に驚くばかりでした。
好きとかいう感情でないことだけは確かでした。

そして、それより前にも後にもそのような素敵な女性を見ることがただの一度もありませんでした。
私の50数年の生まれてから此の方です。
いくらでも沸いてくる喜びの生命が全てのお題目を唱えられる方から発せられる日が来るよう、ずっと願っています・・・。
以前、生命の喜びは自分で気持ちの切り替えをした時に消えていくものだと経験しました。
生命を切り替えてはいけないことは以前にも書き留めました。
生命は簡単に切り替わってしまうものだからです。

平成18年(11年前)の私の日記です。
11/15(水) <日記全文>
今日は「ケチくささを捨てて」という浅見男子部長にいただいた言葉を思い、我が心の中で「嫌な思い」についてどうしても単語が出てこなかったが帰って勤行をしていると思い出すことが出来た。「身子」が「嫌な思い」をさせられた時にそれが生命力を奪っていることに気がつかなかったことは重要なことだ。昨日座談会前にお題目を唱えてしばらくは生命力が沸いてこなかったが、今日になってみると以前よりも生命力が沸いていた。これは不思議なことで、又重要なことのように思える。「嫌な思い」をさせられたらとにかく早く題目をあげることだ。そうすれば悪い生命は退散して、以前よりも生命力が増してくる。

12/4(月)
嫌なことわずらわしいことがあった時にどうしても生命力を大きく奪われる。今迄は生命力第一と、御本尊にお題目を唱えることの重要性を認識してきたが、「広宣流布の信心」は広宣流布が出来るという確信の信心だ。この心で身子が退転することがなければとつくづく思う。身子は過去の人であるが、確信を持てなかったところに、退転を生じてしまった因があるのではないか。

戸田先生が法主にご質問された時、文字が末広がりになっていることと、横に力強く跳ねている点の話しの中で、広宣流布が叶う確信のお心について述べられていたようです。
日蓮大聖人の御本尊には楷書のものがあり、一概には言えないように思いますが、その義について云々するよりも、日蓮大聖人のご仏智で敢えてそのようにされたのではないかと思います。

うちのは父がご不敬してしまって母が2所帯の折伏をして受持が許されたもので、左の額にフライパンの尖ったところで打ち付けられ大きな傷を負いながらもいつも守っていました。
「一つもいいことがないがね」と言いながら、いつまた破かれるかわからなかったのです。
私が成人してからも母の頭を叩こうとしていたのをみんなで必死に止めました。
なので、文字の横跳ねなど形は気にしていません。

後記(平成29年5月)
御書を紐解くと、身子は実は信心があったことが記されていて、法華経の会座の時の舎利弗は釈尊己心の舎利弗であるようだから、仏の思いがどれだけ修行を一生懸命やっていた人に対して向けられていたかが伺われますm_m

御講聞書
「疑の字は元品の無明の事なり此の疑を断つを信とは云うなり、釈に云く無疑曰信と云えり身子は此の疑無き故に華光仏と成れり、」
「所詮彼の乞眼の婆羅門眼を乞いしは身子が菩薩の行を退転せしめんが為に乞いて蹈みつぶして捨てたり、全く菩薩の供養の方を本として眼をば乞わざりしなり、只だ退転せしめん為なり、」


昨日の新聞の教学研鑽のページでさりげなく出ていた、「一生成仏」について、ちょうど正木さんが言われていた3つのポイントで色々と理解出来る部分があります。
東北栄光総会94年3月21日の東京牧口記念会館での池田先生のお話しの中に書かれています。
これは前々からずっと気になっていたことで、正木さんが言われている部分だけを書き出しています。
あとは自己研鑽していくのみです。

「日蓮大聖人の仏法では、死んで仏に成るのではない。これが最も大事な点である。生きているうちに仏に成る。その一生成仏のための信心なのである。死後の幸福を強調する念仏などとは根本的に違う。」

「仏となっても悩みもあれば、苦しみもある。病気もする。魔の誘惑がある事にも、かわりはなかった。」

「仏といっても、特別な存在ではない。戦い続ける心が仏。行動し続ける姿が仏である。魔と戦いきる人が仏なのである。そして総じては、仏道修行に励み、広宣流布へ真正面から戦っていく、その人の信心にこそ仏は現れてくる」
 

おせっかい様へ

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 5月28日(日)00時41分36秒
  おせっかい様

(無題)  投稿者:おせっかい  投稿日:2017年 5月27日(土)21時12分57秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/69537

全然おせっかいじゃないですよ。
記事の詳細、ありがとうございました。
うれしいです。

とりあえず私の見解を書きます。

>日蓮大聖人の仏の生命境涯(仏界)を現されたもの<
>文底に秘められていた成仏の根源の法そのものを直ちに説き示し<

いわゆる御本尊そのものの存在の見方の差ですね。

御本尊は「法」なのか、「人法一箇の法体」なのか。
又は「仏界」という生命境涯の表現なのか、「法が人に顕れて仏となった三身」の表現なのか、の違いだと思います。
ここでの学会の見解は前者の方でしょう。
松戸様と私の考え方の違いかもしれません。
この2つの見方はたいした違いはない様に見えますが、私はとても大きな差があると思って居ます。
簡単に言うと、「仏界」は「仏智」なので、無明はない。
それだと御本尊は無明を顕さなくてもいい。第六天の魔王もいらない。
しかし、三身の仏身の場合は仏といえども生命そのものなので、無明を切り離しているのではない、、生命は全てを含んでいる、、という差です。
そしてどちらの方が、凡夫の即身成仏に即効性(言葉が軽いですが)があるか、、。

>その法を自身に開き顕され、人々に説き示された日蓮大聖人が、末法の御本仏に他なりません。<
これも、上記のどちらかによって「末法の御本仏」という定義もちがってくるものだと思います。

>御本尊は、凡夫の私たち自身の仏界を現実に映し出す明鏡でもあるのです。<
この鏡も、「私たち自身の仏界」という境涯なのか、それとも私達の生命に内包されている「三身の仏」なのかの差だと思います。

詳しくは三身について又投稿したいと思います。


 

2017/5/27 TBS「報道特集」

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 5月28日(日)00時39分9秒
編集済
  TBS「報道特集」 アップされてました リンクは共謀罪関連部分より。

創価学会関連は「゛共謀罪゛創価学会員も懸念」

http://www.dailymotion.com/video/x5o2q7t

しかし、信濃町の学会本部のTBSからの取材に対する返答は不誠実です。

「今回はお答え出来ない」?????

意味不明(笑)都合が悪いとダンマリですか?
 

さすが反板??

 投稿者:反イタウォッチャー@趣味  投稿日:2017年 5月28日(日)00時33分1秒
  拝啓
反板の皆様(とはいっても数人ですか?)

実に痛々しい投稿ばかりでご愁傷様です。以前からバカ板とかコピペ板とか使い回しが大杉と揶揄されていましたが最近の劣化具合には反板ファンの1人として残念至極です。

これで某団体から給金やら報酬をいただいての作業ならこれほど美味しい仕事はありません。

こちらの失業中の男子部や青年部に是非ともこのようなありがたい仕事を紹介したいので、よろしくお願いします。

近く上京する予定ですが本部の接遇に聞けば教えてけれますよね?
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 5月27日(土)23時48分58秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
朝まで生TVを見ました
保守の人達もリベラルの人達も
本当の権力者に対しては
弓を引けない様を
気付かされました、噛み締めて考えたいと思います
おやすみなさい
 

二年と二カ月

 投稿者:寝たきりオジサン  投稿日:2017年 5月27日(土)23時44分48秒
  みなさまこんばんは、27日の男、寝たきりオジサンです。

今日で同盟題目に参加させていただいて二年二カ月に

なりました。ありがとうございます。

不思議なもので、どこの地に行こうが同じような

悩みで苦しんでいる友に出会います。

使命とはそういうものでしょう。毎日が感謝の日々です。

事の一念三千、行動あるのみです。
 

楊門女将 1/12

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年 5月27日(土)23時44分46秒
編集済
  当掲示板の趣旨には全く関係ありませんが、

今日の聖教新聞8面 情報プラザに、天津京劇院「楊門女将2017」が紹介されていました。

日中国交正常化45周年記念して、以下の日程で開催されます。

東京公演
2017年6月21日(水)~ 6月29日(木) 東京芸術劇場 プレイハウス

大阪公演
2017年6月30日(金)NHK大阪ホール

名古屋公演
2017年7月2日(日)愛知県芸術劇場 大ホール

物語の舞台は、
北宋、仁宗(じんそう)皇帝の時代。
遼(りょう)、西夏(せいか)など周辺国の度重なる侵略のため、
武門の誉れ高い楊家一族は勇猛な武将らを戦死や捕虜などで失い、
残された遺族は女性ばかりとなっていました。

最後の元帥・楊宗保(ようそうほ)亡き後、和睦か出兵かで揺れる中、
仁宗皇帝は当年百歳となる宗保の祖母・佘太君(しゃたいくん)を元帥に起用し、
先陣の将軍を宗保の妻・穆桂英(ぼくけいえい)に命じるのでした。

そして、宗保の息子・楊文広も少年将軍として威風堂々と参戦し、
楊家一族の女性将軍が揃って出陣します。

国家の命運を懸けて、
知力、武力を総動員して立ち向かう、楊家の女性将軍たちの運命やいかに・・・。





<上の動画のあらすじ>

舞台は開封(かいほう、河南省東部)の天波府(てんぱふ)。

楊家の屋敷にて。

辺境の守備に赴任している当主・楊宗保(ようそうほ)50歳の誕生日の祝宴準備に忙しい。

・穆桂英(ぼくけいえい、赤い服):主人公、楊宗保の妻
・柴郡主(さいぐんしゅ、青い服):楊宗保の母親

そこへ、宗保腹心の
・孟懐源(もうかいげん、顔に隈取り)と
・焦廷貴(しょうていき、顔に隈取り)
両将軍が現われ、宗保が西夏の伏兵の矢によって命を落としたことを告げる。
 

ヒッチ・ア・ライド

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 5月27日(土)23時13分28秒
  大白2017年6月号ですが……学会教学2014では「人法一箇」は使えないんじゃないですか? 六大秘法を否定して人本尊・法本尊を否定したのですから。「人法一箇」は人本尊・法本尊からきていたのではありませんでしたか? あらためて定義、宣言しないで「人法一箇」を使うと学会は言論界からはご都合主義だと笑いものになりませんか?
P.116上段では「能化文書」で宗門での用語として用いられています。
やっぱり「♪身延の里がぁ~ふるぅさとだぁ~」でしょ?

“出帆しよう 太陽は未来を照らす 自由を心に 僕をあのときに戻してくれ”
『ヒッチ・ア・ライド』ボストン
https://www.youtube.com/watch?v=m_QnN_FZEtw
 

レスありがとうございました。

 投稿者:一人のSGI  投稿日:2017年 5月27日(土)23時04分31秒
  >日本のSOKANetの教学用語検索で調べると、宿業、宿命転換、広宣流布の用語はちゃんと従来通りの意味で掲載されています。<

日蓮仏法2.0様
御意見ありがとうございます。

それはそうですね。
大聖人発祥地の日本の教学のホームページを変えると大変な事になります。
これは、あと十年くらいは変えないでしょう。
表向きは変えないまま、青年部には別の事を教えるか、何も教えないかのどっちかです。
教える場合は、草創期のメンバーとはその話はしない様に言われています。
ですから、チェックを入れなければいけないのは新版の教学本や大百などになると思います。
、、といってもそれも元のままに書いてあることもありますから解りにくい。

本当に真実を知るためには最低5年位かけて最低50人ぐらいのリーダー達と直接話さなければわからない程ややこしいです。

>海外では、仏法の文脈を離れて、非常に一般的な解説になっていきます。<

これもよく分かります。
こちらの人達は、「宿業」という言葉がきらいなので、「使命」という方がいいとか、
宿業転換ではなくて、人間革命の方がいいとか、という風です。
使命でも人間革命でも世界平和でも人間尊厳でもいいのですが、問題は、その様な言葉に変える時の意図です。

本当に大聖人の仏法を広めようとする一つの方法として、そういう言葉を使用するのは大いにけっこうです。
しかし、一方で、計画的に一念三千の法理を曲げて居ながら、なるべくそれに障らない様にしながら、十年もそういう言葉だけ使って居たらどうなるか想像してみてください。
新入信者はいうまでもなく、今では草創期のメンバーでも生命論よりも自己啓発を勉強することの方が正しいと思っている人達が少なくありません。
これでは大聖人の仏法はないも同然です。

以前にも書いたかと思いますが、もう7~8年程前になりますが、私は主人と二人で前理事長に直接お願いしたことがあります。
国の機関紙にたったの一ページでいいから、個々の生命と宿業が永遠だということを載せてくれる様にとのお願いでした。
彼の答えは、それはできない、そんな事をしたら、自分は理事長を辞めなければけないし、周りの人たちが許しはしないというものでした。
私が、それでは主人の様なあるメンバー達はやめていくことも考えられると言うと、彼は逆に
それを載せれば、自分の周りの人達がやめていくと言いました。
そして続けて、いずれにしても、自分の考えの方が正しいのは、日本から太鼓判を押されているのでこの問題に関しては回答は出ている、というものでした。

それで私は日本のSGI本部に電話して、教学部長と話せるか聞いてみましたが、その解答は実に冷たいものでした。
「一国の理事長と国の機関紙などについて、あなたの様な一人のメンバーが、教学部長などと話しができると思っているのですか、大体あなたは、以前に教学部長と面識はあるんですか、」というものでした。
もし、少しでも心があるなら、最低でも違う方向でどうにか私に手助けをする様な言葉があってもよかったんではないでしょうか。

その後、私はSGIに質問のメールを送りました。
「全ての赤ちゃんは相も環境もそれぞれに違いがあるのはどうしてか」という問いにはこういう答えが返ってきました。
「こちらでは教義的な質問への返答はできないので、国の教学部に聞いてください」と。
しかし、この国では、教学部長も機関紙の編集長も理事長が兼ねていたので、私は結局泣き寝入りするしか道はありませんでした。

ついでに付け加えておきますと、その後を継いだ新理事長の「個々の生命と宿業が永遠だということ」についての意見は、
そういう考えは、人生には何の役にも立たず、返って、生きる士気を下げるので、自分は必要とは思わないし、その考えは、正宗のものだ、というものでした。

書き続けると止まらないので、この辺でやめておきますね。(笑)
 

同盟題目は23時に開始!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 5月27日(土)22時56分37秒
  本日も、よろしくお願いします。  

一人のSGIさまの慧眼に感謝

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年 5月27日(土)22時08分32秒
  >まさしく南無妙法蓮華経こそが成仏の根本法であり、その法を自身に開き顕され、人々に説き示された日蓮大聖人が、末法の御本仏に他なりません<
(大白P96より抜粋)

一応、読みようによっては、人法一箇かなぁ~、という表現ですが、本来の「人法一箇」の意味からすれば、間違いの表現といえるでしょう。

この文章だと、宇宙のどこかに、南無妙法蓮華経という法があって、それを、覚知した日蓮という人が、人々に説き示されたと読めます。

つまり、あくまでも、「南無妙法蓮華経」という「法」が先で、日蓮大聖人はそれを「覚知した人」扱いにするのであれば、

南無妙法蓮華経が主で、大聖人は従の扱いになりはしませんか?

これでは、末法の御本仏といっても、「南無妙法蓮華経」という「法」を「覚知」したからということになって、上行菩薩の扱いになりはしませんか?

戸田先生は「仏とは生命なり」と悟られました。

あくまでも、南無妙法蓮華経と日蓮大聖人は、=(イコール)の関係でなけれは、「人法一箇」とは言えないと小生は考えます。

この大白の文章は、身延とどこが違うのでしょうか?、何らの独自性もなく、「法」を重視しただけと受け取れます。

まさに「♪身延の里がぁ~ ふるさとだぁ~」にほかならないでしょう(笑)
 

SOMEDAY

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 5月27日(土)21時49分33秒
  日蓮仏法2.0さんと一人のSGIさんのキャッチボールが凄いことになっていますね。160キロのキャッチボールを他人事のように見て油断していたら私の名前が出てドキッとしました。でしょ? なんか軽いですよね? ♪身延の里がぁ~ふるぅさとだぁ~
いずれ「釈迦より大日如来の方が偉い」「怪鳥は偉いんです! 日蓮より」とか言い出しそうです。気が付いたら怪鳥のクリアファイルを拝まされてたりして。

ところで早くも今日の『報道特集』一部がアップされています。
https://twitter.com/hashtag/%E5%A0%B1%E9%81%93%E7%89%B9%E9%9B%86?lang=ja
元職員らが出ていた意見交換会。撮影は2時間に及んだそうです。(笑)連絡さんが紹介されていたように先週20日(土)放送の予定だったそうですが、延期になったことで21日(日)に撮影し、今日の放送となったというから面白い。池田先生の創価学会を傷つけるようなことは絶対にないようにとTBSには厳しく注文しての撮影。2時間の意見交換そのものは有意義だったのだと思います。TBSも学会の実態が分かったでしょうし。これが現場で話題になるかどうか。
番組では佐野元春の訴えも紹介されていました。我々世代には影響があるでしょうね。

“若すぎて何だか解らなかったことが リアルに感じてしまうこの頃さ”
“Happiness & Rest”
“約束してくれた君 だからもう一度あきらめないで まごころがつかめるその時まで”
“SOMEDAY この胸に SOMEDAY ちかうよ SOMEDAY”
“信じる心いつまでも SOMEDAY”
“「手おくれ」と言われても 口笛で答えていた あの頃”
“誰にも従わず 傷の手当もせず ただ時の流れに身をゆだねて”
“いつかは誰でも 愛の謎が解けて ひとりきりじゃいられなくなる”
“ステキなことはステキだと無邪気に 笑える心がスキさ”
『SOMEDAY』佐野元春
https://www.youtube.com/watch?v=WYnRVttYqM4
『サムデイ』グラス・タイガー
https://www.youtube.com/watch?v=7d2KfrwULR0

沖縄の座談会はどうだったでしょうか。無事帰宅、充実の一日でありますように。
 

/1281