|
||
この日記についてそのどきどきに考えていること、読んだ本、飲み食いしたものなどについて備忘録的に書き連ねた日記です。 この日記は私自身を想定読者としています。とはいえ公開している手前、覗かれても差し障りのないことしか書かないつもりなので、暴露ネタの類は期待するだけ無駄です。私の拙文を楽しく読めるという特異な趣味をお持ちの方はご自由にお目通しください。コメントやトラックバックも一概には拒みませんが、「他人に読んでもらうために書いているわけではない」というこの日記の趣旨を踏まえた上でお願いします。 |
|
Categories |
地震以降、何人かの人から「政府が(国家)非常事態宣言を出していないのはおかしい」という話を聞いた。しかし、その「非常事態宣言」の具体的な中身やその実効的な意義については、誰も説明できず。日本の現行法令では「非常事態宣言」についての定義も位置づけもないのだから説明できないのは当然。
それにしても、この正体不明の「非常事態宣言」の発信源はどこなのだろうと思っていたら、産経新聞の記事でこんなものを見つけた。
「なぜ、首相は非常事態宣言を出さないのか 依然、パフォーマンスばかり」(2011年3月15日)
なぜ速やかに非常事態宣言を出し、自ら「未曾有の国難」と呼ぶこの事態に立ち向かわないのか。
(略)
ニュージーランドのキー首相は、2月22日にクライストチャーチなどで大地震が発生すると翌23日に非常事態宣言を出し、被災地で夜間外出禁止などを呼びかけた。首相はキー首相から何を学んだのか。
これは、阿比留瑠比氏の記事。ニュージーランドの地震から「何を学んだのか」とおっしゃるけれど、阿比留氏自身は何を学んだのだろうか。「非常事態」を宣言するよりも、必要なことを具体的に国民や関係者に呼びかけたり要請したりする方がよっぽど合理的だと思うけど。
「「非常事態宣言」なぜ出さない 政治部長・乾正人」(2011年3月16日)
住民の安全を最優先させるため東日本全域に「非常事態」を宣言し、株式市場の一時閉鎖など思い切った施策を断行するため与野党、そして国民に協力を求めることだ。
「非常事態」を宣言しても、それ自体からは住民の安全を担保するための新たな措置は何も出てこないんですけど。それに、「非常事態」を宣言しなくとも、協力する国民は協力するだろうし、しない人はしないでしょう。いまが尋常な状況でいないことは、みんな分かっているんだから。それは、自民党や公明党といった野党も同じこと。まさか、「非常事態」を宣言したら谷垣さんが入閣するとでも思っている?
【主張】大震災と原発爆発 国家の「機能不全」克服を(2011年3月17日)
現行法の枠内で効果を最大限発揮する措置が求められるのはいうまでもないが、一方で非常事態を乗り切るための法的整備を即刻かつ党派を超えて行うことに日本の生存がかかっている。
具体的には、政府に非常事態宣言を出すよう勧告する決議を国会が採択することを求めたい。
(略)
武力攻撃やテロによる災害から国民の生命・財産を守る国民保護法は、「緊急対処事態」に対応するための措置を盛り込んでいるが、国民の協力について「強制にわたることがあってはならない」としている。
現行の災害対策基本法も、緊急災害対策本部長を務める首相に関係省庁や自治体の長に直接、指示を出す権限を与えている。交通規制で支障となる車両があれば、警察官や自衛官が排除できるなどの措置が盛り込まれているが、ほとんど活用されていない。
同法では、自治体は救助に必要な物資の生産や集荷、輸送などを行う業者に対し、強制措置を取ることができる。しかし、県をまたぐ広域災害の場合は国が司令塔となって事業者に指示し、強制措置を発動する法体系になっていない。現状はガソリンなどを優先的に被災地へ送ることも、業者の判断に任せられているという。
言いたいことは分かるけれど、結局、この話から言えることは、「非常事態宣言なんて出したところで、国民や関係者にハッパを掛ける以上の意味はない」ということ。災害対策基本法で決まっていることは「非常事態宣言」なんて出さなくてもできるわけだし、「非常事態宣言」によって政府に特別な権限が与えられたり、特別な措置を講じられるようになったりするわけではないのだから。
「非常事態宣言」の話の出元が産経新聞であるとは断定できないけれど、その拡散に寄与していることは間違いない。とりあえず、産経新聞の読者には、眉にしっかり唾をつけてから記事に目を通すことを励行し、この手の記事を真に受けて「非常事態宣言」を求める空騒ぎに加担しないようにして頂きたい。
14時過ぎに東北の太平洋側で大地震が発生。その影響で首都圏のほぼすべての電車が運行を見合わせた。多くの人がそうしたように、私も赤坂のオフィスから世田谷の自宅まで徒歩で帰宅した。忘れないように、そのときの経過を書いておくことにする。
地震発生から16時ごろまで、オフィスを離れて仕事をしていた部下の安否確認と家族の安否確認を並行して行う。まず、家族の無事は、15時ごろに妻が自宅の固定電話から私のオフィスのデスクの電話に連絡してきたことで確認。部下の方はというと、まず一人は地震の直後、私に無事を会社のアドレスに自らメールしてきた。休暇中であった別の一人は、私が送信したSMSに西日本の某所にいるとの返事を返してきた。残りの一人は、なかなか連絡がつかなかったが、同行している別のチームのオフィスに無事を連絡してきていたことを確認。ちなみに、16時ごろまではチームのメンバーとSMSでの連絡が可能であったが、それ以降は送信に失敗し使えなくなってしまった。しかし、Blackberryとdocomo.ne.jpドメインのアドレスの間でのメールはやり取りできていた。ソフトバンクのMMSも配信遅延があったり、自動受信ができなくなっていたものの使える状態だった。
16時から18時ごろまで、早く帰宅するべく、やりかけの仕事の片付け。この間に、オフィスから人が続々帰っていった。しかし、居残り覚悟な雰囲気の一団も。
18時ごろオフィスを出る。エレベータはすべて止まっているので階段で1階へ。徒歩帰宅するかもしれないので、オフィスのそばのコンビニでチョコレートとキャラメルを購入。周りを見回すと、おにぎり、弁当、カップめんを大量に買い込んでいる人が多数。
18時過ぎから19時ごろまで、アークヒルズのバス停でバスを待つ。しかし、このバス停で折り返すはずのバスはまったく来ない。それどころか、待っている間に、六本木通りを都心方向に進むバスをまったく見なかった。なお、その間に同じアークヒルズの六本木通り沿いのバス停にバスが2,3台きたが、満員で到着したためほとんど乗り込めなかった様子。
19時01分、バスを諦めて六本木通りを歩き始める。歩道には同じ方向に歩く人が多数いるが、自分のペースで歩ける程度の込み具合。途中、歩道橋でペースが落ちるものの、割とスムーズに進めた。歩いている人たちは、みんな落ち着いている。中には、楽しそうに談笑しながら歩いているグループも。
19時16分、六本木ヒルズ通過。19時36分、青山トンネル通過。途中、沿道のトラッテリアでワインを飲みながら普通に食事している人を見た。何だこの余裕は!
19時54分、渋谷駅西口到着。クロスタワーを過ぎてから渋谷駅までは、歩道橋と沿道の工事のため歩道が狭くなっているために渋滞が起こっていた。また、渋谷駅の構内を東口から西口へ突っ切ってい進んだのだが、今日の運行を見合わせるというJRの放送を聞いて、途方にくれている人がJRの改札を中心にたくさんいた。
20時15分、道玄坂上のバス停の辺りで、自宅の方へ向かうバスを発見。とりあえず乗ってみた。
20時36分、乗ったバスは、バス停から10mくらい進んだまままったく動かない。運転手がドアを開けてくれたので降りた。再び歩く。
20時50分、池尻大橋駅のあたりまで到達。246は歩道が狭くて歩きにくいので、目黒川の緑道に入り、烏山川緑道経由で三軒茶屋を目指すことにした。
21時07分、茶沢通りとの交点まで到達。ここから西友とキャロットタワーの間の道を通って世田谷通りに出た。世田谷通りの歩道も普段のこの時間では考えられないくらいの人が歩いていた。下り方向の車道も激しく渋滞しており、動けなくなったバスがバス停ではない場所で客を降ろしている光景を何度も見た。
21時30分ごろ、帰宅。もともと長い時間歩くことを苦にしない方なので、疲れはほとんどなかった。
非常時の徒歩帰宅は以前からシミュレーションしており、今回はそれを実証する機会になった。ただ、今回は沿道の停電や建物倒壊もなく、しかも晴天。今後は、こういう好条件ではない場面も想定せねば。
とあるプロジェクトでのこと。ある業者の対応がとても気になっている。というのは、その業者の対応が拙劣極まりないのだ。どのように拙劣かというと、
これ以上は具体的になりすりぎるので書かないが、他にもいろいろあって、私の中ではこの業者は「信用できない人達」という扱いになっている。なので、普通の業者なら詮索しないことも詮索するし、少々の遅延やミスも指摘して対応を求めるようにしている。
それにしても、この業者の人達はこういうやり方が通用すると思ってやっているのだろうか?おかしなことをやっているという自覚がないとすると、相当に重症だと思う。
2月20日に、私の母校である札幌開成高校の中高一貫化の基本構想案について、札幌市教育委員会の主催による説明会があったそうだ。新聞の記事や出席した人のブログを読んだが、入学者選考において学力試験を行わないことを不満に思う人や、入学者の学力レベルが確保できないと言っている人がいたらしい。
そういう人がこのブログを見ることはあまりないと思うけれど、お子様の進路として公立中高一貫校を検討する上で覚えておくべき基本的な知識を書いておくことにしよう。
まず、公立の中高一貫校の入学者選抜で学力試験を行ってはいけないことは学校教育法施行規則で決まっている。
(学校教育法施行規則 最終改正:平成二二年七月一五日文部科学省令第一七号)
第百十条 中等教育学校の入学は、設置者の定めるところにより、校長が許可する。
2 前項の場合において、公立の中等教育学校については、学力検査を行わないものとする。
(略)
第百十七条 第百七条及び第百十条の規定は、併設型中学校に準用する。
また、基本構想案で入学者選考方法として検討対象に挙がっている適性検査は、すでに他の公立中高一貫校や一部の国立中高一貫校で実施されている。共通している特徴として、解くのが簡単な問題でも「そのようになる理由を書きなさい」とか、ある状況を提示して「どのように工夫したらよいか書きなさい」とかいうような、学習内容の理解度の深さや思考力を問う問題が目立つ。たぶん、「いっぱいドリルをやって解法パターン叩き込み」みたいな、「振り付け」方式の受験対策では無理なんじゃないかな。
ウェブで見られる適性検査問題の実例としては以下のものがある。
もし、札幌市立の中高一貫校に興味のある人がここを見たならば、以上のことくらいは覚えておきましょう。このことを知らずに親御さんがお子様の中学受験を検討するようでは、お子様がかわいそう。
先月末、私が卒業した札幌開成高等学校を中等教育学校に改編する基本構想案が札幌市教委から出された。
概要は、2004年に設置されたコズモサイエンス科の特色である実験・観察・体験を重視した学習を6年間の教育に展開するということのようで、「課題発見・解決力の育成」「思考力・判断力・表現力の育成」を目指すということらしい。すでに築50年を迎えようとしている現校舎は、2013年から全面改築し2014年に完成予定。2015年に開校して1年生の募集を開始、2017年までは経過措置として4年生(高校1年生)も募集するそうだ。
母校が中等教育学校に改編されることには「積極的に賛成」というわけではないが、だからといって反対するつもりもない。
ただ、母校を母体として設置する学校である以上、制服や細かい規則がないことを基盤とした自由で大らかな校風、谷川俊太郎が作詞した校歌の歌い出しにもある「山アリ空アリ大地アリ永久を知れ」の校訓といった、誇るべきアイデンティティは継承してほしいと思う。そこは、基本構想案に書かれていた「改編に当たっては、校名や校歌の継承を含め、改編対象校の伝統を踏まえつつ、新しい学校づくりを進めていくことを考えています。」という記述が守られることを期待したい。
また、市民から支持される学校であるためにも、生徒が進学において学力でのハンディを背負わないためにも、受験に十分な学力をつける教育を行う学校にしてほしい。ただし、公立の中高一貫校なのであからさまな「受験偏重」教育は避ける必要はあるし、受験のためだけの勉強はつまらないこと極まりないので、基本構想案で謳っている教育方針の通り、「学問の方法」を体験できるような探求な学習もしっかりやってほしい。
それにしても、この基本構想案はとてもよく練られているという感想を持った。改編対象校の選定理由、改編対象校の現在の教育内容から中高一貫校への教育内容への展開の筋書き、開校時期の設定理由など、とてもロジカルで隙がない。よくある公立中高一貫校への懸念(「受験競争の低年齢化」とか「受験偏重の教育」とか)にケアしながら、今後の中等教育学校の具体的な計画立案や運営方針策定に過剰な制約が生じることをそつなく避けている。
母校の中高一貫校への改編に反対している同窓生がいるらしいが、ここまで練り上げられた構想案に反論するにしても、「母校がなくなるのは嫌だ」「母校が変わってしまうのは嫌だ」という感情的な反発しか打ち出せないのではないか。いくら母校とは言っても、自分の青春時代をその時のまま保存しておいてくれる「タイムカプセル」ではないのだから、そういう感情は自制してほしい。