山本寛 講演会講師インタビュー
京都大学卒業後、京都アニメーションに入社。『POWER STONE』『週刊ストーリーランド』『あたしンち』等、数多くの作品に携わる。2006年に『涼宮ハルヒの憂鬱』のシリーズ演出として参加。劇中歌で使用された『恋のミクル伝説』の作詞やエンディング曲の演出も手掛ける。2007年『らき☆すた』で初監督。その後も『かんなぎ』『フラクタル』『Wake Up,Girls!』と誰もが聞いたことのあるアニメ作品の監督を務める。アニメーション制作以外にも講演会や、チャリティ活動など幅広く活躍中の「ヤマカン」こと山本寛監督に話をうかがってきた。
(text:荒木みか、photo:吉田将史)
震災と復興~アニメーションが生み出せるモノ
──これまでに数々の人気作品を生み出してこられましたが、作品を作る時に必要なこと、心がけていることはありますか。
山本:仕事はそのほとんどがクライアントからオファーがくるんですね。ギャグアニメであったり、萌え系であったりと内容はいろいろです。もちろん興味のあるなしとか、インスピレーションがわく、わかないというのはあるんですが、依頼は基本的に断らないようにしています。ただ作品を作る時は、原作モノでも原作をそのままなぞって作るのではなく、今何が必要かを常に考えてメッセージ性を必ずいれたいと考えています。それは、社会的な背景であったり、時勢なんかを考えつつ……。もちろん仕事ですから、これが必要だからこれをしようと思ってもなかなかできないんですが、無理やりにでも「これを今やる必要があるんだ」と思うようにして、その時々で本当に伝えたいことを入れるように心がけています。
特に『Wake Up, Girls!』では東日本大震災を乗り越えて、これから何が必要かを考えて描いた一つの結論で、伝えたい思いやメッセージを織り込むことができた作品でした。
──『Wake Up, Girls!』は東北・仙台が舞台ということでセンシティブな部分も多かったと思いますが?
山本:被災地を舞台にするということは震災のトラウマが必ず見え隠れするんです。ただ被災地を舞台にしていて震災に触れないというのもおかしな話な訳で。だから、何を見せてはいけないかを一つ一つ慎重に考えて作りました。
それに先駆けて、被災した土地を自らの手で蘇らせようとした老人の実話をモデルにして作った『blossom』という短編があるんです。それは海外の人に向けてチャリティへの協力を呼びかけるものだったので、津波のシーンを入れて欲しいと言われたんですね。そうしないと何のことを描いているかわからないと外国人のプロデューサーに言われて、大丈夫かなと思いつつも津波のシーンを1カットだけ入れたんです。やっぱり津波の部分を見て辛くなる人は必ずいるのでなるべく刺激を与えないように考慮しながらも、啓発というか、震災を忘れないようにと作るのは大変でしたね。
それでどうしたかというと、まずは現地に行くしかないんですね。現地に行って、現場を見て、その中で現地の人たちの声を聴いたり、震災との距離を測ってみたり、何を描くべきか考えてきたつもりです。そして、何よりも大事なのが思ったことを正直に伝えること。 あと、社会派ドキュメンタリーを作るんじゃないので、エンターテインメントだと割り切るところは割り切りました。ですが、気仙沼に行って、流されて何もなくなっている風景がとても印象的だったので、それだけは描いておこうと。〔※1〕これも机上の空論ではわからない部分でしたね。
〔※1〕『Wake Up, Girls!』第9話
──「東日本大震災」以降、ボランティアやチャリティ活動に参加していらっしゃいますが、当時と今で変わった所はありますか。
僕はいい意味で忘れるのはかまわないと思うんですよ。震災を忘れないでくださいとよく言いますが、それは「引きずる」のとは違うと思うんです。被災地の人たちは客足が遠のいたり、今まで来ていた人が来なくなったとか不安に感じるそうなんですが、僕たちが、ずっと東北に居つくのもおかしいし、ボランティアやチャリティ活動をする人にも日常があるし……。その辺のバランスは日々、考えています。だから完全に忘れるということはないんですが 時が経つにつれてそれぞれの人が、それぞれの日常を回復するということはしなければいけないことだと思います。作品の中でも、できるだけそうした震災を乗り越える、克服するっていう「未来」を描こうと考えてきました。
──作品の中で復興とエンターテインメントが担う役割について言及されていましたが〔※2〕、あれもそういった思いからなのでしょうか。
〔※2〕『Wake Up, Girls!』最終話 「その日、ブロードウェイでは1つの新作ミュージカルの上演が予定されていました。しかし、事件直後のニューヨークでは自粛ムードが広がっており、その作品も中止を余儀なくされたのです。しかし、その作品のプロデューサーは、傷ついたニューヨーク市民に対して、むしろエンターテインメントがすることはこれしかないと、いち早くシアターの幕を開けたのです。私は、これこそがエンターテインメントの真髄、そしてアイドルはその一端を担う人たちだと思っています」
あれは9.11と3.11を絡めて書いたセリフで、少し強く言い過ぎたかな、と(笑)。そこまでしなくても……というのはあったんですが、あれは白木徹と言う固いおやじだからこそ言ってもいいだろうということになったんです。
知り合いで松田役をやった声優の浅沼晋太郎さんの話しなんですが、彼は仙台の高校出身で、震災の1週間後くらいにとりあえず身の回りにあるものをかき集めて単身仙台に行ったそうなんです。その中で一番 仙台の方に喜ばれたのは「ジャンプの最新号」だったんですって。それを聴いて僕は「あー、なるほどな」と思いました。やっぱり人間は心を持つ生き物なんですよね。たとえ衣食住に注力して、そこだけを補っても、心を動かさなければ人間は本当の意味で「生きる」ことにはならないんだと、僕は感じ取ったんです。それを前提として僕らはそういう「心を動かす」ものを作る。それは決して役に立たないものではない、と。
「民意」と作り手から見た「聖地巡礼」
──2016年は『この世界の片隅に』や『君の名は。』など数々のヒット作品が生まれましたが、どのような感想をお持ちでしょうか。
山本:『この世界の片隅に』は業界内でも絶賛の嵐ですね。あれを作られたらもうたまったもんじゃないと言うくらいの恐ろしい完成度。執念がこもった傑作だと思います。奇しくも『この世界の片隅に』、『君の名は。』、『シン・ゴジラ』もそうなんですが、国難や災害に立ち向かうというのが重なったなと。それはひとつの偶然であったり、ひとつの運命であったりするのかなと思ってはいるんですが、あまり手放しで喜べるものではないですね。震災から5年経ったのでようやく一区切りということにはなったと思うし、そこから先を見据えて、一人ひとりが希望を持って歩みだせるんじゃないかなとは考えるんですけど、複雑な気持ちですね。無下に批判するつもりはないんですが、なんだか変に続いたなぁと。
──『この世界の片隅に』でクラウドファンディングが注目を浴びていますね。
山本:そうですね。クラウドファンディングにすごく反対という人もいます。それは、直接民主制というのは一番危険という考え方からでした。民意を直に拾ってしまうので衆愚になりやすい、その意見が間違ったものであればどんどんそっちの方向に流されていくという考えだったんですが、僕は作品自体にそんなに無体な影響を与えることはないんじゃないかと思っています。2016年は世界中で良くも悪くも民意が出てきた年で、クラウドファンディングもその一つじゃないですか。それだけ世界中がわかりやすさを求めている。「わかりやすさ=見通しの良さ」です。不可解な「大人の事情」というものに対し、民意が“NO”をつきつけている。それはアニメの世界も例外ではなかったということです。
本当にボタンを一個掛け違えたらとんでもない結果になるという意見もわかるんですが、『この世界の片隅に』を観たいという民意が反映されて傑作が生まれたのは事実なので、そういう風に民意の直接の反映を求めるという流れを防ぐことはできないと思います。じゃあ、客が望んだら何でもいいのかっていうとそうではない。それをコントロールしていい方向に向けるのが僕らの役目です。
──「聖地巡礼」も民意が盛り立てたものだと思いますが、コンテンツツーリズムや聖地巡礼がここまで盛り上がると思っていらっしゃいましたか。
山本:こんなに具体的になるとは思っていなかったですね。聖地と言う考え方は10年位前からあったんですが「ここにファンが来たらいいね」というぐらいだったんです。今は、ファンと自治体が本当に官民一体となって盛り上げていますよね。鷲宮神社は『らき☆すた』の聖地として脚光を浴びて、土師祭(はじさい)では「らき☆すた神輿」が担がれたりとかすごい賑わいですし。それはファンの動きによって作られたものなので、作り手が仕掛けたものじゃないと思いますね。これも民意、時代の流れなので損をしたり傷ついたりする人がいない限りは“win-win”だったらいいんじゃないかと。
今後は、アニメの企画段階でコンテンツツーリズムを考えてもいいと思います。「良い作品を作ればいい」とばかり言っていられないので、話題にするためにコンテンツツーリズムもあっていいと思うし、そこは前向きに考えないといけないなとは思っていますね。ただ難しいのも確かなんですよ。一番問題になるのが、版権・著作権への理解。自分の町が舞台だから勝手にイラストなんかを使用してもいいと思われる方がやはり多いんですね。そこをしっかり向き合って理解してもらう、というのをやっていく必要があります。業界でもアニメツーリズム協会ができましたけど、ああいうのはやるべきですよ。僕らは客を喜ばせてナンボなんですから。
──新たに注目されている監督やアニメーターの方はいらっしゃいますか。
山本:もともと、黒澤明監督、宮崎駿監督、北野武監督が僕の中の3本柱なんですが、新たにというと、片渕須直監督ですね。『この世界の片隅に』は本当に、『この世界の片隅に』以前、以降という風に言えるくらいの作品なわけですよ。どこがすごいかっていうと、なかなか伝えにくいんですが、いろんな点においての考証の仕方ですね。過去の呉、広島を再現するということにおいてものすごく優れている。軍事史においてもそうです。これまでアニメでは焼夷弾の説明をぼかして描いていたんですよ。それを可能な限り忠実に描いている。軍事史としての『この世界の片隅に』であったりとか、歴史モノとしての『この世界の片隅に』であったりとか……。あと、アニメーション表現のひとつひとつをとっても、「飯を炊く」とはどういうことなのか、「薪をくべる」とはどういうことなのか、「絵を描く」とはどういうことなのかを叙情性たっぷりに丁寧に描いていて本当にびっくりしました。片渕監督は究極のリアリズムを追及し、さらにそれをアニメーション表現にした。アニメーションというのはここまでできるのかと、業界中がびっくりしているんです。
──こういう作品を作りたいという意欲にもなったのでしょうか。
山本:僕は『この世界の片隅に』の初版を持っていて、この作品をいつかやりたいなと思っていたんですよ。でも、片渕監督の作り上げた作品を見て、僕はここまでできていなかっただろう、「負けた!」と素直に思いました。
アニメ業界の中から見たクールジャパン
──クールジャパンの一つとして、これだけアニメ業界が盛り上がっているにも関わらず、「アニメーターは食べていけない」という現状についてどう感じていらっしゃいますか。
山本:天才は食えるんですよ(笑)。ただ天才は100人も200人もいないから困っているんです。もしかすると世界を一新するような天才が燦然と現れる瞬間はあるのかもしれないですけど、期待はしちゃだめですね。そうじゃなくって僕らはまずは今いる人間で無い知恵を絞って良い物を作らないといけない。そのためにシステムを変えないといけないとは思います。言い方は変ですけど、片渕監督や新海監督を支えていけるような業界、あるいは僕みたいな人間でもそれなりにいいものが作れる、そういう現場作りを考えていかないと。
これだけアニメ業界が盛り上がっているのにアニメーターは減っていっているんです。まずはアニメーターを増やさないといけない。そうしないともう作れませんよってことなんです。
──宮崎駿監督が引退を宣言されてから後継者探しが盛んですが、それも天才を求めているということなのでしょうか。
山本:宮崎駿監督以降というのを僕はものすごく悲観していてこの業界はつぶれるんじゃないかと予言したんですが、実際につぶれかけているんです。今、新海監督とか細田守監督とかが注目を集めていますが、宮崎監督のあれだけのスピード、あれだけのクオリティ、あれだけの作業量をできる人はもうでてこないでしょうね。宮崎駿監督は野球界で言う王貞治さんみたいなもので絶えずホームラン王を獲っていて、獲らないと怒られる。そういう人はもう出てこないと思いますね。そういう時代ではもうない。だから「ポスト宮崎駿」ともてはやすのはいいんだけれど、冷静に考えないといけないと思いますね。
──そういった状況の中で、『アニメーション監督が語る「夢」』という講演で、どのような「夢」を話していらっしゃるんでしょうか。
山本:そのタイトルを見るとすごく夢のある話を語ってくれるんだと思われそうですけど、まず言いたいのは「夢なんか見るな!」(笑)。それと夢は削れていくものなんですよ。だから、どうしても業界に入りたいなら、その前に、若いうちに夢をいっぱい見なさい、と伝えます。いろんなことを夢想してください。業界に入ると「夢」が本当に一瞬で消える人もいるんですよ。僕はもう“ひとかけら”くらいしかない(笑)。夢だけで業界に入っても食えないとか、過酷な現場で倒れていった仲間たちを僕は見ているんで……。
だから真逆の伝え方で夢を語ることはできると思うんですね。プロ野球は「儲かるんだ」って、プロ野球選手を目指す人が増えるわけじゃないですか。人の夢を食い物にするんじゃなくて、「アニメーターは儲かる」という風に業界を変えて、プレイヤーを増やしていきたい。本当にそうやっていかないと。
あと、業界が夢を食い物にするということ以前に、アニメーターになれたっていうことだけで満足して1年で辞めちゃう人もいるんですよ。アニメーターになって終わりじゃなくて本当にそれで飯を食っていくという、地に足のついた生き方を僕らは提供していかないといけない。まだ全然提供できていないけど……。
僕が講演活動とか文化人登録とかし始めたのも一種のサインなんですよ。「アニメーターだけで食えていませんよ」って。だから、文化人としての活動もして、経済的な余裕の中でアニメを作るというのもひとつの提案です。とにかく「アニメーターは食えない」というのをどこかで払拭したいですね。
──講演では「才能」についての話もされているようですが、今後、発信していきたいことについてお聞かせください。
山本:高校生以下になると「夢は削れていく」とか業界のこととか難しいことを言っても伝わらないので、そういう場合に「才能って何?」というテーマを選んでいます。才能を決めるのは自分なんですよ。他の誰かが決めてくれない、自分で自分の才能を決めるしかない。ネットやメディアなんかで「才能ない」と批評されて、それで「自分には才能がないんだ。辞めます」という人はいないでしょ? 才能の判断って誰にもできないんですよ。上司であろうが、先輩であろうが、同僚であろうが……、誰も判断してくれないんですよ。だから、自分でやるといったらやるしかないんですよ。できないと思ったら辞めるしかない。
もちろん、売れる・売れないとか、人気が出る・出ない、儲けが多い・少ないはありますよ。ありますけどそれがその時の自分だと思うんです。
だから、主役になりたいんですとか、声優になりたいんですとか、映画に出たいのに舞台にばかり出ているんですとか、よく聞くんですけど、目指すのはいいんです、そのために今の境遇にしがみつけるかが重要なんですね。舞台をしぶとくやっていれば誰かの目に留まって今度は映画に出られるかもしれない。それを期待するかしないか、信じられるかは自分次第です。だからこそ過酷なんですよ。僕もずっと悩んでいますよ。才能があるのか、ないのか。アニメの世界に向いてなかったなぁ、とかしょっちゅう思うんです。それでもやると決めたらやる。辞めようと思えば辞める。「才能」は客観的な判断では絶対にないということを伝えていきたいですね。
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