「だまされないための韓国」で、「多くの日本人が言う『正しい歴史』とは資料が冷徹に導く客観的事実のことを指すが、多くの韓国人が言う『正しい歴史』とは心情的・倫理的に『こうあるべきだった理想の姿』を指す。正しいという言葉のニュアンスが違う」的なことが書いてあって目からうろこだった
-
-
で、ここまで書くかどうかちょっと迷ったんだけど、受動喫煙阻止をめぐる一連の動きの中に、「学術的かつ統計学的にどこまでも妥当な論拠をたてて考えるやりかた」と、「心情的に論理を積み重ねるやりかた」とがめちゃくちゃに混在していて、これって外交問題と似てるなあってすごい思ったし、
-
ぼくは基本的に自分の立ち位置を、「医療を学術的・統計的に組み立てる立場」かなあと思っているので、ふだんからなるべく心情的な部分はわけて考えているんだけど、心情をもって思考をすすめるやり方が「間違っているとは言えない」んだなあと、「だまされない韓国」を読んでいるうちに気づいたのよ
-
今後もぼくは学術とか統計の意味をよく勉強して、ぼくなりに考える「妥当な医学」を突き詰めて、ときには発信するしときには仕事に用いるんだけど、科学的に妥当じゃない人間を全て論破しても幸せの総量が増えるわけじゃないなあ、という気づきもあるし、「感情の論理」をちゃんと学ぼうと思った
-
この項目はこれでおしまいにします /) /) 医クラを殴るのも もうやめます
-
みみで殴るみたいに見えるー
-
ひっぱたくかんじで
-
ピタピタ! はともかく、私もちょっと気をつけよう……このごろ考えてたことと重なるので引っかかっちゃって
-
いろいろと学び始めました
- 他1件の返信
新しい会話 -
-
「この表紙を好んで読む人の思考を『肯定するための本』」になっているようにしか見えないのですけれど。
今後は興味のあるツイートがもっと表示されるようになります。 取り消す
読み込みに時間がかかっているようです。
Twitterの処理能力の限界を超えているか、一時的な不具合が発生しています。やりなおすか、Twitterステータスで詳細をご確認ください。