「野球の神様という言葉は、榎本のほうがふさわしい」。生前、川上哲治からそう評された男は引退後、野球界に一度も戻らなかったからこそ、伝説になった。
山崎裕之 榎本さんは亡くなって数年経った昨年1月に野球殿堂入りを果たされましたが、「安打製造機」とも呼ばれて通算2314安打。実績を考えればもっと早くても良かったですよね。
野村克也 そうだね。私もキャッチャーとしてプロで27年間やらせてもらったけど、榎本だけは攻略法が見つからなかった。天下の王貞治だって攻め方はあったからね。
榎本喜栄 殿堂入りに際して、張本勲さんとお話しさせてもらいましたが、「とにかくすごかった。榎本さんの打撃練習を後ろから見て勉強させてもらった」とほめていただき、改めて父のすごさを実感しました。
野村 あれだけの集中力とバットコントロールができる人はそうそういない。無の境地ってあのことを言うんだろうな。
山崎 私は7年間、同じチームでプレーさせてもらいましたが、遠征先の旅館の広間で食事をみんなでとった後、一人で座禅を組んでいらっしゃいました。
野村 あれは日米野球で一緒になったときだったと思うけど、榎本が試合前の練習からベンチの片隅に座ったきり、微動だにしないことがあった。でも誰も声を掛けられる雰囲気じゃない。監督も試合に榎本を使えない。結局、試合が終わっても動かないままだった。いつ帰ったんだろうな。
榎本 家でも和室に一人で入って、精神修行のようなこともしていました。
野村 私が対戦した打者としては、王より頭を悩まされたのに、引退後に監督やコーチをすることはなかった。真面目すぎたのかもしれないね。
山崎 喜栄さんは子供のころ、球場に応援しに来たりはしたの。
榎本 はい。父が引退したのは私が小学校の低学年なので現役の晩年のころですが、荒川区にあったオリオンズの本拠地の東京スタジアムには何度も連れていってもらいました。非常にきれいなフォームから放たれる弾丸ライナーが、いつもライトのほうに飛んでいっていたのを記憶しています。