この一件の幕引きは“前例”となる
5月24日、「人工知能学会全国大会」において発表された、立命館大学情報理工学部に所属する3人の研究者の論文が、議論を呼んでいる。なぜならその論文が、自作イラストやマンガを中心とするSNS・pixiv(ピクシブ)に投稿された一般ユーザーの小説10作を分析材料として扱っていたからだ。これが多くのユーザーの反発を買い、現在はその論文PDFが非公開となっている。
「ドメインにより意味が変化する単語に着目した猥褻な表現のフィルタリング」と題されたこの論文は、「猥褻表現」(論文中では「有害情報」とも表記されている)のフィルタリングを目的とした研究だ。
一方、この論文で研究対象とされたのは、性表現が多く含まれ、当初から作者が「R-18」(18歳未満閲覧禁止)にカテゴリーしていた小説だった(同時に、その多くは「二次創作」だ)。pixivでは閲覧制限の設定があり、デフォルト設定では「あなたは18歳以上ですか?」が「いいえ」となっている。つまり、設定変更しないかぎりR-18作品は閲覧できない。また、18歳以上に設定しても「閲覧制限作品(R-18)」と「グロテスクな作品(R-18G)」の表示は、ユーザーが任意に設定できるようになっている。
pixivユーザー側の反論はさまざまだが、その多くが問題視するのは、勝手に作品を研究対象にされ、さらに論文内で投稿作品のURLと作者名が明示されていることだ。これが「晒し上げ」と見なされ、ネットメディア『BuzzFeedNews』もそれに追従する報道をした。
この一件を俯瞰してみれば、オタクコミュニティ(SNS)と人工知能の研究者(理工系)という、まったく異なるコミュニティ(領域)の衝突と言える。このとき注視しなければならないのは、この一件の結末が両者にとって“前例”となり、将来的に参照し続けられる可能性があることだ。よって、この衝突自体はけっして瑣末なものとは言えない。
現在はなかば「炎上状態」になっており、人工知能学会および研究者側は論文PDFを非公開としたが、果たしてその判断が今後も妥当なのかどうかを考えていく必要があるだろう。
ここからは、この問題における論点をいくつか挙げながら考えてく。
著作権的な問題は?
この一件でpixivユーザー側から多く出された批判は、この論文に小説が「無断転載」あるいは「引用」されているというものである。しかし、著作権法的には、この論文上で「無断転載」はされておらず、著作権法の規定範囲内で引用が行われている(「無断引用」という概念はそもそもありえない。引用は無断で行われていいものだからだ)。よって、著作権法上の問題はまったくない、と言える。
より具体的には、以下のような規定がある。
今回の研究者による論文は、この引用の規定を十分に満たしている。引用においては、同48条に「出所の明示」や、過去の判例から導かれる規定(必然性、引用部分の明示、主従関係、出所の明示)もあるが、これらも十分にクリアしている。
このとき、pixivユーザーから投稿作品が「公表(公開)したものではない」とする反論も見られる。なぜなら、pixivは会員登録(無料)が必要なSNSだからだ。さらに当該の投稿小説はすべてR-18カテゴリーであり、18歳未満には見られない設定とされていた。
とは言え、それらの投稿小説は、ユーザー登録をして設定変更をすれば、「誰にでも見られる」状態であったことは間違いがない。この「SNSで誰でも見られる状態」を、「公表(公開)ではない」とするのは、解釈として無理があると捉えられる。
以上を踏まえれば、著作権法的にはこの一件はなにも問題がないと考えられる。
研究倫理としての問題は?
しかし、「法律に反さなければなにをやってもいい」ということではない。法律は社会の指針であるのと同時に最終的な解決方法ではあるが、法律の手前にも倫理や道徳といったルールも存在するからだ。
今回の一件においても、研究者側の研究姿勢に対しての批判は生じている。たとえば社会学博士の資格を持つある人物は、立命館大学の研究者の姿勢に対し、人類学や社会学における参与観察における倫理を重ねる。
参与観察とは、研究対象とする社会に研究者側が直接参加して観察する手法だ。たとえば、文明と隔絶されたひとびとと生活をともにして観察・調査するというものである。このときは、当然のことながら研究対象とするひとびとの許諾を得ることが必要であり、論文などでその研究成果を発表する際にもプライバシーなどには十分に配慮する必要がある。
もちろん今回のケースは、参与観察とは明確に異なり、どちらかと言えば文献調査に近い。よって、参与観察と同じではない。ただし、研究対象が「私人のプライベートな趣味」であることには留意が必要だろう。よってこの研究対象は、参与観察と文献調査の中間のようなところに位置すると捉えられるかもしれない。
実際、pixivで作品を発表していたひとたちは、それが多くのひとの目に触れることを望んでいなかったのはたしかだ。たとえそれが実質的に「公表状態」であっても、pixivを使うことで閲覧コントロールをしていたと捉えられる。この場合の閲覧コントロールとは、もちろん技術的な制限ではなく、「同じ趣味を持つひとたちが多い場で発表する」という意味でのコントロールだ。pixivという場であることが、文化的なフィルタリングの機能をしている。
立命館大学の研究者たちが、pixivのそうした文化をどこまで理解していたかは不明だ。ただし、論文が当事者たちの怒り・失望を買ったことは間違いない。事実、論文で分析対象となっていた10作のうち、現在も公開されたままとなっているのは3作のみであり、残りの7作はユーザー自身によって非公開あるいは削除された。このことから、研究者が研究対象に影響を与えたのは明らかだ。
論文投稿のガイドラインは?
では、なぜ研究者たちはpixivユーザーのURLや作者名まで明示したのか?という疑問が生じる。これには、おそらく明確な理由がある。それは著作権法とも関連する理由だ。つまり、研究対象とする小説が実在するのか、実在するならばそれはどこで閲覧できるのか、そしてその小説の作者は誰か──そうしたことを論文における引用では明記しなければならない。これは、どの研究分野でもほぼ共通した基準である。
むしろ、この論文では作品名が明示されておらず、さらに最終確認日も記されてはいない。インターネットの情報は修正が加えられたり削除されたりする可能性があるために、論文に最終確認日を明記することが求められることが多い。
では、論文が投稿された人工知能学会のガイドラインはどうなっているのか? 確認すると、今回の件に該当しそうなのは著作権の箇所のみであった。
今回の論文は、このガイドラインを大きく逸脱するものではなく、前述したように法的にも問題はない。
とは言え、この人工知能学会のガイドライン自体に不備がある、とする考え方もあるだろう。そこで、比較対象として、日本社会学会の学会誌『社会学評論』の投稿ガイドラインを取り上げる。
pixivは、ここにある「加入手続きが必要となるインターネット上のコミュニティでのやりとりを論文で使用する場合」に該当する。よって、日本社会学会への投稿論文においては、「使用許可を得た旨を明記するなどの注意が必要」である。もし今回の立命館大学の論文が『社会学評論』に投稿されていたら(そんなことはありえないが)、このガイドラインに反しているため査読の段階で落とされていた可能性がある。
もちろん、この日本社会学会のガイドラインも、あくまでも同学会でのローカルルールにしか過ぎない。しかし人工知能学会と比べると、そのガイドラインはかなり充実したものだと言える。逆に、人工知能学会のガイドラインは非常に簡素である。
pixivユーザーのダブルスタンダード
さて、現状は研究者側が「炎上」状態にあり、論文も非公開とされ、立命館大学・人工知能学会側とpixiv側が、話し合いの席に着こうとしている段階にあると言える。週末に入るために、決着は来週以降になるだろう。
両者の立場を確認すれば、まずpixiv側はTwitterで以下のような声明を発表している。
「問題解決を要請しております」とあるように、穏当な表明に留めてはいる。
が、ひとつだけ気になるのが、「転載・引用されている」という表現だ。論文にはたしかに「引用」はされているが、「転載」はされていない。そして引用に法的な問題はないことも先に見てきたとおりだ。
つまりこの一文は、pixiv側が「引用」と「転載」についての明確な違いを理解していないことを意味している。それは、非常に不用意な表明だと断じざるを得ない。
一方、立命館大学および人工知能学会からはまだ公式な表明は見られず、報道では現在事実確認をしたうえで対応を検討中だとしている。
こうした状況において、今後とても懸念されることがある。
それは、「炎上」の幕引きとして立命館大学の研究者や人工知能学会が、さしたる議論もなく全面謝罪して終わることだ。それは将来の研究においてひとつの“前例”となり、大きな禍根を残すことに繋がりかねない。
なぜなら、現在SNSの研究はさまざまな分野で数多く行われているが、今回の決着の仕方しだいでは、pixivをはじめとするSNSの研究のハードルが非常に高いものとなる可能性があるからだ。それは研究の自由の可能性を大きく狭めることに繋がる。
同時に、もうひとつ指摘しておかなければならないことがある。それはpixivおよびユーザー側の表現に対する姿勢である。
今回研究対象となった投稿作品は、その多くが「二次創作」と呼ばれるものだった。これは既存のマンガやアニメなどの設定を用い、ファンが二次的な創作をした作品のことだ。それらのほとんどは、原作者の許諾を得ずに勝手に創っているものばかりだ。
二次創作は、オタク文化の根幹をなす表現活動だが、著作権法的にはグレーの状況にある。それでもここまで広がったのは、マンガ家や出版社などが、文化発展に寄与するとして黙認してきたからだ。事実、二次創作によってマンガやアニメなどの日本のオタク文化は大いに拡大した。このことは無視できない事実だ。
しかし、2005年の「ドラえもん最終話同人誌問題」のように、二次創作作品があまりにも広がって影響を見せたために、著作者および出版社が同書に抗議をして、絶版になった事例もある。この一件は裁判にならなかったが、「趣味」の範囲を超えると認識されれば著作権的なリスクが生じる可能性を示唆した。
よって、今回pixivユーザー側が自らの二次著作物の権利を主張しながら、同時に他者による研究利用を強く批判するのであれば、それはダブルスタンダードであるように思える。今回の一件に著作権を厳格に適用すれば、研究者側には問題がなく、pixivユーザー側には問題が生じるからだ。
この転倒した状況については、朝日新聞の丹治吉順記者も憂慮を示している。pixivユーザーに一度冷静になってもらいたいのは、目の前にある権利を主張することが、最終的にみずからの権利や立場を大きく損ねることに転じるリスクである。社会や他者のことを包含しない主張は、ただのわがままとしてブーメランとなる可能性があるのだ。一回上げた手を下ろすことには勇気がいるかもしれないが、いま一度冷静になって考えて欲しいと思う。
研究における「配慮」とは
最後に、筆者が友人の研究者5名(すべて社会学系)とやり取りして、さまざまに考えたことを書いておく。
まず、自らもpixivでR-18の絵を発表しているある研究者は、pixivユーザーが強く反発する理由を説明してくれた。その最大の理由は「恥ずかしいから」だという。それはR-18の作品であるために、そこには作者の性的な嗜好が描かれている。それが断りなく研究対象となるのは、たとえペンネームであったとしても、とても恥ずかしいという。
一方、立命館の研究者に対しては、5名の友人たちが揃って指摘したのは「無神経」ということだった。つまり、研究としてpixivを対象にすること自体には問題がないが、それには対象者に十分配慮することが必要だった、というものである。これは日本社会学会のガイドラインと重なる姿勢だ。
なお、社会情報学修士でもある筆者の立場からもひとつ意見するならば、今回の論文ではpixivユーザーのペンネームの明記は不要であったと考えている。これが「配慮」であり、必要であればその「配慮」の理由を付記すればいい(さらに踏み込めば、研究対象となる小説をpixivではなく市販のものから探してくることも可能だったのではないか、とも思う。論文からは、pixivの投稿作品である必然がよくわからなかったからだ)。
筆者自身も過去に「配慮」をしてきたことは幾度もある。たとえば単著『ギャルと不思議ちゃん論』(2012年)や、論文「差異化コミュニケーションはどこへ向かうのか」(2008年/『文化社会学の視座』所収)では、ファッション誌の投稿欄の分析をしている。そこで引用したのは、一般の読者の雑誌投稿だが、投稿者の名前はいっさい引用していない。そのほとんどはペンネームと思しき名前だったが、それでも「配慮」をした(もちろん掲載号や題名などの出典は明記する)。
また、今回のケースとは異なるが、事件報道で公表された犯人の実名を記載しない「配慮」をしたこともある。これは、「〈オタク〉問題の四半世紀──〈オタク〉はどのように〈問題視〉されてきたのか」(2008年/『どこか〈問題化〉される若者たち』所収)でのことだが、そこで1989年に起きたある殺人事件の犯人について触れている。しかし、この犯人は死刑になっていないために、将来的に出所する可能性が高い。そこで犯人のプライバシーを考えてイニシャルに留めた。この理由も論文の注釈に明記した。
一方で、1989年に容疑者が逮捕された東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人については、その実名を記した。これはその犯人が死刑執行され、同時に誰もが知っているような大事件だったからである。
こういった「配慮」は、日本社会学会のガイドラインにも見られるように、基本的になされるべき研究倫理である。今回の立命館大学の研究者は、その点において非常に不用意だったと私も思う。
ただ、一方でその研究者たちがpixivユーザーの作者名も明記したことには、それなりの理由があったのかな、とも推察する。その背景にあるのは、おそらくSTAP細胞問題だ。データ改竄が強く疑われるあの研究は、その後、研究者を非常に神経質にさせたのは間違いない。よって好意的に考えれば、立命館大学の研究者3人はより真摯にデータの出典に向き合ったために、作者名まで明記したのかもしれない(ならば、なぜ作品名は出さなかったのか、という疑問も生じるが)。
なお、この記事において立命館大学の研究者3人の名前を明記していないのも、『Yahoo!ニュース』の影響力を考えたうえでの「配慮」である。
今回の一件は、決着の内容しだいでは、今後さまざまな学問領域や二次創作界隈に大きな影響を与える“前例”となる可能性がある。立命館大学および人工知能学会とpixivを運営するピクシブ社には、インターネット上の「炎上」状況に振り回されるのではなく、冷静な対話と議論を期待する。
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