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再掲します。

 投稿者:ノブノブ  投稿日:2015年 7月 7日(火)11時10分13秒
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  『創価学会は抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体のなかで、できる。仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです。
人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。ただ流されて生きているだけではなく、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。
人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。だから「人間として」の自分を変えていくことが、いちばん大事なのです。名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。生命それ自体を変えていくのが人間革命です。釈尊も王子であったが、一切を捨てて、裸一貫の自分になって修行した。人間革命です。日蓮大聖人も、その当時、社会的には最低の存在とされた「施陀羅が子」(御書891㌻)であると堂々と宣言されている。』

以上、『青春対話』より。
 
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