|
もう一度 大河さんに質問を伺います。
「質問1」
大河さんは『曼荼羅の相貌には「本」と「迹」がある』・・と言い切りました
では その「本」に該当する曼荼羅は どこにあるのでしょうか?
どの曼荼羅を指すのでしょうか? その縦分けを説明してください。
また 本と迹の違いを具体的に説明してください。
「質問2」
あなたは
『ありとあらゆる思想・哲学、宗教という「くくり」で
日蓮大聖人の御本尊つまり南無妙法蓮華経という「法」は
「本」であり、その他の一切の宗教は、「迹」であると・・先生の指導に実際にあります』・・・と述べておりました
それならば、南無妙法蓮華経の1篇曼荼羅で済む筈なのに
何故、佐渡始顕にしても 弘安式にしても 大聖人さまは諸天善神を両端に添えた御本尊を顕したのでしょうか?
ちなみに 身延には1篇曼荼羅だけの御本尊も存在します。
http://www.daihouji.net/jihou/bunkazai.html
・・ということは、『御書の世界』では 身延の言い分が本だと 言いたかった訳ですか?
そんな事はないですよね~
小樽問答は身延相手に 弘安の御本尊も含めて法論をしたわけだし
その時の司会者および討論者は
その師匠でもあり 著者でもある 池田大作(敬称略)にもなっていますから
話がちぐはぐになってしまうわけで、従って、あなた自身が どのように解釈をしたのか? 疑問です。
あ! もう一つ 大河さんに質問を加えておきます
あなたは 沖浦さんに対し
>>諸法実相抄で「凡夫」といっているのは、日蓮大聖人であり総じては一切衆生ですよね。
・・と沖浦さんに問いかけています。
その通りですね ・・ということは 沖浦さんも あなたも一切衆生であり
日蓮大聖人・・・ということになるわけで、従って 人本仏迹は間違っていない・・・ということにもなります
大河さん自身も私もあべひさんも 御本尊なわけですから・・・
・・・にも関わらず 沖浦さんとあべひさんと あなたが お互い反目しあっているのか?不思議です。
沖浦さんと あなた方の解釈と 如何違うんですか?
http://
|
|