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沖浦さんの回答は 半分正解で半分間違っている・・と思います
おそらくですが 人本仏迹と解釈ができた原因は 昭和50年の北陸指導が起因・・かと思われます
確かに 下記の資料には 沖浦さんが主張するようなニュアンスで指導を行っていますね
池田大作氏の見解による本尊の具体的な内容(1)
http://smw69.exblog.jp/6586612/
池田大作氏の見解による本尊の具体的な内容(2)
http://smw69.exblog.jp/6586591/
(お断り:絶版の資料だったので、全文を引用しております。)
余談ですが、上記指導を述べた際 一番引用したのは
皮肉なことに あまり信用していない日寛上人の文献だったり
日蓮正宗の資料だったりもするわけで、なんだか 全ての道は日寛に通じると申しますか・・・
今回の教義改訂が あまりにもちぐはぐで・・・
おっと 話が脱線した
ともかく、そういった意味では「沖浦さん」の解釈は ある程度までは正解なんでしょうけれど
あくまでも “ あ る 程 度 ”まで。
沖浦さん人間は千差万別 十人十色 宿業や境涯を考えたら
自己本尊は諸刃の剣で非常に危険じゃないでしょうか?
何のために「対告」を本門之弥四郎・・とし
そして最後の捨て台詞として「国重」・・としたのか?
このことを みなさんも よぉ~~く考えてください。
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