
今回は、黒澤明監督「生きる」(1952年)を観た海外の映画ファンによるレビューを翻訳して、皆さんにお届け致します。 クリント・イーストウッドは、黒澤監督に直接会った際、「あなたがいなければ、今の私はなかった。」という感謝の言葉を伝えたそうです。また、スタンリー・キューブリックは、黒澤監督から手紙を受け取って感激し、返事を書くのに数ヶ月を費やした結果、返事を出す前に黒澤監督は亡くなってしまったのだとか。 このように、海外の大物映画人から絶大な支持を受けてきた黒澤監督ですが、海外の一般的な映画ファンは、黒澤作品をどのように受け止めているのでしょうか?以前、レビュー翻訳した「七人の侍」は高評価でしたが、今回の「生きる」は、ご覧になった方はご存知の通り、なかなか一般受けしにくそうなテーマを扱った作品です。
まだご覧になっていない方のために、ごく簡単にあらすじを紹介しますと、主人公は市役所に勤める初老の男性。彼は、自らがガンに冒されおり、余命わずかである事を知ります。絶望し、これまでの無為な暮らしを後悔する主人公。しかし、部下だった女性の言葉をきっかけに、彼は残りの人生を捧げるものを見つける…、という内容です。 さて、海外の人々は、「生きる」を観て、何を感じたのでしょう?今回は、映画レビューサイトIMDbに投稿された「生きる」のレビューを翻訳しました。
※ IMDbの採点は、満点が星10個となります。また、ネタバレを含んでますので、作品未見の方はご注意下さい。
↓では、レビュー翻訳をどうぞ。 翻訳元: IMDb
● 「傑作だ!」 シンガポール 評価:★★★★★★★★★★
主人公のカンジ・ワタナベ(タカシ・シムラ)は、第二次大戦後の日本で、市役所の課長を務めている。彼は、自らの身体が末期ガンに冒されている事を知った。死が目前に迫ることで生命の意味に気づいた彼は、残り数ヶ月の命を、貧しい地域に公園を作る事に捧げ、その実現に向けて戦うことを決意する。
「生きる」は非の打ち所のない傑作だ。ストーリーは少々説教じみた部分もあるが、クロサワは決して使い古された方法は採らない。そして、途方もない作品を生み出した。この映画には見事なシーンがいくつかあるが、その中の一つを取り上げてみたい。

ワタナベは、その時、自分に残された日々をどう過ごすべきか、まだ途方にくれているところだった。しかし、その思いをかつての部下にぶつけることで、彼は、僅かな余命をどう使うべきかの方向性を、ついに見つけることができた。私が注目したのは、その時の背景描写だ。それはレストランでの場面だったのだが、その店は階段を上がった所に客席がある。手前の客席にはワタナベと元部下の女性が座っており、画面奥の席には、何かを楽しみに待っている別の若者グループがいた。
手前と奥では、対照的なグループがいたわけだ。そして、ついに自分の求めていた答えを得たワタナベは、ぎこちない笑みを浮かべながら長い階段を下りていった。その時、奥にいたグループがバースデーソングを歌い出す。彼らは、ワタナベと入れ違いに階段を上ってきた女性の誕生日を祝うために集まっていたのだ。
これを、映画における最も崇高なシーンと評しないわけにはいかないだろう。もちろん、このバースデーソングは、人生の意味に気づき、生まれ変わったワタナベを象徴的に祝うためのものだ。クロサワは、人生において重要なことは、いかに長く生きたかではない。短くとも、その人なりに何を為したかが最も重要であると語っていたのだ。私は、ここで涙を流した。
そして、クロサワはストーリーテラーとしても達人だ。この見事なシーンの後に、胸が張り裂けるような展開にして盛り上げることは、クロサワにとって簡単だったはずだ。しかし、彼は抑制を効かせる。物語はそれから数ヶ月後、ワタナベの通夜のシーンに切り替わってしまうのだ。突如として、ワタナベの目覚めは、結局、全てが無駄だったのかと感じさせられる。まさか、これで終わりなのか? しかし、映画の終盤は、典型的な役人でいることに抗ったワタナベの最期の日々を、第三者の視点から振り返る形で、深く見ることができるようになる。

ワタナベは自らのためではなく、貧しい人々のために努力していた。通夜の席で様々な人々がワタナベの遺影に向かって語った彼の物語を、私は決して忘れることができない。私にとっては人生の教訓と同じだった。ワタナベは、最後に自らの存在した証を残した。しかし、彼は決して自分の遺産を残すことを意図したわけではない。彼の意図したことは実にシンプルで、ただ、人々のために公園を作りたかっただけなのだ。 彼の成したことを馬鹿げている見なす人もいるだろう。あまりにちっぽけだと感じた人もいるかもしれない。しかし、私にとって、人生とは、そこに価値があると自分が認めた仕事を懸命にやり遂げることに他ならない。自らの信念をそこに乗せない限り、人生とは、結局、無意味なものだと思う。 この作品を観て学んだのは、どんな些細な事であれ、自らの関わることにベストを尽くすのが、人間として、あるべき姿だということだ。だからこそ、私も、このささやかなレビューで自分の考えや思いを伝えようと、頑張って書いたわけだ。この作品こそが傑作だ!

● 「明日は無いのだから…。」 スコットランド 評価:★★★★★★☆☆☆☆
カンジ・ワタナベは、引退を間近に控えた市役所の課長だ。彼は自分がガンに冒されており、もはや長くは生きられないことを知らされる。束の間の贅沢な暮らしと内省を経た後、彼は、残された貴重な時間を意味のあることに使おうと決意するのだ。基本的なプロットは、トルストイの小説「イワン・イリッチの死」をベースにしているが、恐らく、他の作品の要素も山のように入っていることだろう。
この作品を際立ったものにしているのは、主人公ワタナベの描き方だ。クロサワはワタナベを、これといって特徴のない普通の人物、私たちと同じような人物として描いている。それによって、この作品は、今なお、意味を持つものになっているのだ。 死の恐怖を目の前に突きつけられた彼は、自分自身の人生を振り返る。仕事、家族、社会への貢献…、しかし、彼は、自分が何もしてこなかったことに気づいてしまう。彼は、ずっと寝ていたのと同じだった。身をひそめて目立たないようにし、最も安易な道を選び、何かを成し遂げられる可能性にも関心を払わなかった。
タカシ・シムラは主役として、注目に値する演技を見せてくれた。苦境の重みで彼の体は曲がり、目には恐れと後悔の色を浮かべつつ、冷酷な世界の中で真実を見出そうとしている。彼が「ゴンドラの唄」を歌うシーンがある。周りにいた人々は、怖がって、彼から遠ざかってしまうのだが、世の中から見捨てられた彼の状況を、見事に象徴している場面だった。 しかし、クロサワは、彼を憐れむように誘導したりはしない。クロサワは、こう言っているのだ。我々はこの男と同じだ、我々が仕事や暮らしの中で行うことも、彼と何ら変わりない、そして、我々の回りにいる人々も、やっぱり同じなのだと。我々も、いずれかの段階で、自らが死ぬという運命に直面せざるを得ない。そして、自らの過去の行為に対して、どのような説明ができるのか、深く考えざるをえないのだ。
最も皮肉なのは、長い通夜のシーンだろう。最初、同僚たちはワタナベが公園の建設で果たした役割を軽視していた。しかし、徐々に彼に対する尊敬の念を告白し始める。次に、自分たちもワタナベを見習って行動することを誓う。しかし、それも、よく考えずに発せられた言葉に過ぎず、結局は、彼らもかつてのワタナベと同じ過ちを繰り返す運命に陥ってしまうのだ。
この作品には素晴らしいショットも豊富だ。自分の病を知り、強いショックを受けたワタナベには、混雑した道路でも音が聞こえないシーン、ワタナベと元部下の女性の間で、その場に似つかわしくないおもちゃのウサギが飛び跳ねるシーン、ワタナベが建設現場で倒れ、水を飲んだ後の表情など、他にもたくさんある。これらのシーンは、どれもワタナベの苦境を際立たせてくれた。フミオ・ハヤサカの音楽も同様に効果的なものだった。
この映画の脚本は、シノブ・ハシモト、ヒデオ・オグニ、そしてクロサワが共同で書き上げたものだ、この素晴らしいチームは15本の脚本を書き、ほぼ全てが日本映画の名作になっている。
「生きる」は、人間らしさとは何かという事を示してくれる見事な映画だ。単純化し過ぎることも、感傷的になり過ぎることもなく、希望というものの姿を描き出してくれた。そして、この世界においては、周囲に合わせて何もしないことこそが最大の罪だということも。クロサワは、私たちにも何かが出来るということを示してくれている。これから先、どんな人生を撰ぶかは、私たち次第ということだ。

● 「死に直面するまで人生の美しさに気づかないとは、なんと悲劇的な事なのだろう」 アメリカ 評価:★★★★★★★★★★
この4月に、傑作「七人の侍」を観た私は、別のクロサワ作品を観たくてたまらなくなった。そして、以前から観たい映画リストに入れていた「生きる」を、今回、ようやく観ることができたのだ。作品を観終えた今、私に言えるのは、「この映画は私を壊した。しかし、最良のやり方で壊してくれた。」ということだ。
「生きる」は、痛ましくも、強烈なメッセージを含んだ力強い作品だ。1950年代に作られた映画であることを考えれば、さらに強いインパクトを受けるだろう。これは、あなたに、自分の人生をもう一度振り返りたい気持ちにさせてくれる映画なのだ。
私にとって、クロサワは、じわじわとではあるが、最も敬愛する監督になりつつある。カメラワーク、メッセージの伝え方、見事な演技などは、「生きる」を名作にした要素の中の、ごく一部に過ぎない。そして、これはガンと診断された男の絶望と苦悩を、正確に描いただけの作品でもない。クロサワが最も影響力のある映画監督と言われる理由を、見事に見せてくれた。私は、まだ彼の映画を2本観ただけだが、すでに恋に落ちてしまった。彼のスタイルは実に印象的だが、それを言葉で表現するのは非常に難しい。あえて言うなら、クロサワこそが映画そのものだ、ということになるだろう。
主役を演じたタカシ・シムラは非常に生々しく記憶に残る演技を見せてくれた。見る者が彼に手を差し伸べたくなるような演技、彼を抱き締めたくなるような演技だ。私がこれまでに観た役者の中でも最高レベルだったと思う。彼以外の役者だったら、ここまで私の気持ちが強く揺さぶられることはなかっただろう。 例えば、自分の死が間近に迫っていることを知った主人公が、酒に酔いながら自分の大好きな歌を口ずさむシーンがある。悲しみや後悔の言葉を口にしなくとも、目つきや表情だけで、その内面は完璧に伝わってきた。シムラが浮かべた悲しみの表情は、私の頭の中に深く刻み込まれている。レビューを書いている今でも、その表情をハッキリ思い出せるほどだ。彼が七人の侍でリーダーを演じたことは、キレイに私の意識から消えていた。それほど素晴らしい演技だったということだ。死に向かい合った人間なら、誰もがああなるだろうと思える、実に正直な姿だった。こうした痛切なシーンを映像化できたことも、この作品を偉大なものにした要素の一つだろう。

主人公ワタナベ(タカシ・シムラ)が、雪の降る公園でブランコを漕ぎながら ”命短し恋せよ乙女…”と、「ゴンドラの唄」の歌詞を口ずさむ印象的なシーンがある。このシーンに関して、興味深いことを読んだ。クロサワはシムラに対して「自分が、この世界の誰からも存在を意識されない他人であるかのように感じながら歌ってくれ」と指導したというのだ。なんという指示だろう。クロサワは、まさに天才だ。彼の仕事に畏敬の念を抱かずにはいられない。 「生きる」は、誰もが観るべき映画だと思う。生命の危機に直面したことのある人には、特に深く心に響く映画になるはずだ。これは観る者に絶望を感じさせ、同時に強い励ましを与える作品なのだから。

● 「力強い」アメリカ 評価:★★★★★★★★★★
なぜ、この日本映画は、これほどまでに印象的なのか?メロドラマとして印象的なのではない。曖昧なセンチメンタリズムによるものでもない。革新的作品でありながら、奇をてらったものではなく、実質を伴うものになっているからだ。この作品からは、クロサワの持つ、人間性への優れた洞察力を感じる。それは、映画の最初のカットを見るだけで観客に伝わる。これは、背筋を伸ばして観るべきだという気分にさせる作品なのだ。
クロサワがこの作品に込めた風刺的な要素、あるいは象徴的、叙情的な要素は、全てが確固たるリアリズムの中で表現されている。もちろん、「生きる」で賞賛されるべきなのはリアリズムそのものではなく、この傑作がたどり着いた芸術としての到達点の高さだ。この作品には、至上のインスピレーション、深くて正確な先見性、そして心の琴線に触れる驚くほどの力がある。 この到達点をさらに高めてくれるのが、クロサワが持つ、人間の普遍性を見つけ出す独自の能力だ。彼は、普通なら見逃されてしまいがちな人間の本質をつかみとり、定義づける。そして、彼は、その中から自分の目的にあったものを、賢明かつ実用的に選び取りながら作品を作る。そして、その目的とは、人間を人間たらしめているものを明らかにすることなのだ。こうした過程無しに彼の芸術は存在し得ない。人間の本質を深く理解しているクロサワの手にかかれば、芸術はその限界を超えてしまうのだ。実際、「生きる」を鑑賞した後の深い満足感は見事なものだった。 見事な印象を残す場面の中に、主人公のお通夜のシーンがある。集まった人々は酒を飲み、料理を食べ、ゼスチャーを交えて会話をしている。ほとんどの人々は、主人公のことを評価していない。ここから、どうやって彼らに生前の主人公の真価を認めさせる展開に持ち込むのだろうか? クロサワは、しばらく待って成り行きを見守ろうじゃないかと、観客に促す。
実際、クロサワのやり方は非常に賢明で力強かった。彼は怒りを使って状況を変えるのではなく、人々の内面に潜む善意に訴えることで状況をコントロールしたのだ。会話の流れの中で、参列者が自発的に発した誠実な言葉、これがきっかけとなって他の参列者は、亡くなった主人公の価値を認めざるを得なくなる。実に素晴らしく驚くべきやり方だった。
他にも、内面の描写においては実に豊かで、見当違いのものは何も見当たらない。主人公の元部下である若い女性が感じた喜び、彼女の残酷さ、通夜参列者たちの多様な思いなどの描写は、いずれも根源的で深いものを感じる。他にも、一般的な常識とのバランスの取り方、テーマに対するアプローチの正確さ、広い意味での独創性など、優れた点は多い。さらには、社会風刺からメロドラマ、胸に迫るメロディまでをカバーし、もはやフランスの伝統的作品に近いのではないかと思える大衆性すら獲得しているのだ。
「生きる」は、身震いさせる程の興味を惹く作品であり、なおかつ美しい作品だ。そして、映画狂への贈り物でもあり、素晴らしく豊かでエレガントな瞑想のようでもある。私は、「生きる」を傑作だと思う。どのクロサワ作品が最も素晴らしいか、といった議論に参加するつもりはないが、彼がこの作品の後に撮った「七人の侍」のような歴史映画よりも、彼が「生きる」の中に込めて手渡してくれたものの方が、私にとっては、はるかに素晴らしいものだと感じられた。

● 「人生の達人になれる方法を教えてくれる名作」 カナダ トロント 評価:★★★★★★★★★★
私は最近、教会が発行する雑誌に、この作品についての記事を書きました。「生きる」は、クロサワの他の名作とはタイプの違ったものです。中世日本ではなく、現代の日常的な生活が描かれています。非常に心に残る作品で、自分の人生を見つめ直すよう、迫られた作品でもあります。前半は実に素晴らしかったのですが、後半については、最初、退屈に思えました。しかし、深く内省した結果、後半も、やはり傑作だと感じられるようになりました。
この作品は、単に官僚主義を批判するものではありません。この作品が私たちに教えてくれるのは、人間の生きがいとは、周囲の人々から賞賛されることや価値を認められることで得られるものではないということです。ワタナベの成し遂げた事と志を、本当に理解していた同僚は、一人しかいませんでした。しかし、ワタナベにとって、それはどうでも良いことだったのです。誰からの理解も得られなかったとしても、彼は深い達成感と喜びを味わっていました。
私たちは、何か素晴らしい仕事を達成した時、つい、他人から褒め称えられることを望んでしまいがちです。しかし、「生きる」は逆のことを教えてくれます。その相手が一個人であるか、小さな共同体であるかに関係なく、他者を豊かにした時、我々は本当の充足感を得られるということなのです。クロサワは私たちに、個人の栄光を追い求めることなく、無私無欲で人々に奉仕することを求めています。一方で、官僚機構が多くの人々を飲み込み、これからも、お役所仕事が続いていくであろうということも、忘れずに描いています。
「生きる」が、生と死についての作品であるとは思っていません。むしろ、日々の「生」を、いかにして意義深いものにするかを論じた作品だと思っています。主人公のワタナベは、末期ガンをきっかけにして、生きる意味を見つけ出しました。我々も、この作品をきっかけにして、死を迎えること以外の、人生のゴールを見つけ出したいものです。
「生きる」は黒澤作品の中でも名作と言えるものですが、他のすべての作品の中でも、やはり名作に値するものだと思います。この作品のことを考える度に、涙が溢れてきます。私はレンタルで観た後、購入しました。今では、コレクションの中で、最も気に入った作品の一つになっています。

(翻訳終わり)
管理人より:コメントでご意見をお寄せ下さった皆さん、ありがとうございました。参考にさせて頂きますね。次回の更新は6月2日(金)になります。
なお、過去の映像作品レビュー翻訳記事を、以下に一部ご紹介します。よかったら御覧ください。
・ 「七人の侍」を海外の人々はどう観たか? ・ 海外の人々は「エヴァンゲリオン」をどう観た? ・ 「千と千尋の神隠し」 米アマゾン・レビュー翻訳
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