死ぬのをやめたあの日から、私の第二の人生が始まった。
辛いことは色々とあるけれど、自他を信じて前向きに生きてみようと決意したあの日から、自分は不幸だと思うのはやめた。
その後、何度も立ち上がろうとしては倒れる姿を、ずっと見てくれていた人と結婚した。
結婚して、子どもを産んで、子育ての難しさを知った。
親へ抱いていた自分の毒に、自分が苦しめられた末、和解することを決めた。
死ぬのをやめた時から、どんどん幸せな出来事が増えていった。
そのことを知っているから、きっと私はこれからも生きていけるんだと思う。
幸せになろうとすればするほど、誤解をされることも増えていった。
前向きに生きる人というのは、はたから見ると恵まれていて、何の苦労もしていないように見えるらしい。
「どうせ、その程度だったってことで、たいしたことなかったんでしょ。」
わたしの何十年間の悩みや、苦しみや、叫びや、怒りや、努力が、見知らぬ誰かによって「たいしたことがないこと」だと認定される。
苦しんでいる真っ最中の人間は、自分が世界で一番、苦しいんだと思いたがる。
苦しんでいたい気分の時、幸せそうな人間を見つけると、自分よりも悩みが大したことがないからだと理由をつけたがる。
私もそういうところがあったし、私が恵まれているのは事実で、確かにそうなのかもしれないとも思う。
それを夫に話したところ、「今の環境は、志乃が頑張った結果だよ」と笑っていた。
頑張らないと居場所がないという切なさ。
そして、居場所がない人が、頑張っていないということでもない。
本当は居場所がちゃんとあるのに、視界に入っていないということもある。
5歳の娘が大きくなるまでに、私に何ができるだろう。
この窮屈な現代社会を、この子はどう生き抜いていくんだろう。
自己肯定感さえ身に着けていれば、しなやかに生きられる。
そう信じて育てているけれど、育児書通りにはいかないことだらけ。
「毒親」の被害者側の視点として「親が幼少期にやってはいけない」知識をたくさん持っている。
その知識を持っていても、そうならないように努力することを誓っても、
怒鳴ってしまう時もあるし、まっすぐ向き合えない日もある。
「母は強し」なんて言われても、そんなに急に強くはなれなくて
自分の血液で出来た母乳を、文字通り身を削って与えながら
加害者にならないよう、もがいているうちにもう5歳。
「ちゃんと愛する」ってなんだべな。
母性って、なんだべな。
疲れ切って、愛も母性もひとかけらも絞り出せない時、じゃあ私は母ではない何かなのだろうか。
何をどうしても泣き止まない子どもを前に
もっと泣いてしまうと分かっている言葉を浴びせてしまったり。
いつかどこかで読んだ「毒親」の知識に、今、自分が苦しめられている。
「絶対わたしはこんなことしない」と誓ったはずのことを、気づいたらやっている。
ママが大好きだと言われるたび、「ありがとう、ママもだよ」と笑って抱きしめながら、本当はそんなふうに愛される資格なんてないんだよと、辛くなる時もあった。
母親は孤独だね。
思っていた以上に子育ては大変で、多くの場合、報われない。
それもよしと割り切って、子どもの将来を考える。
自分のことよりも子どものことを、気づいたらいつも考えている自分がいて。
子どものことよりも自分のことを、気づいたら考えてしまう日もあって。
「母親の資格」なんてものを他人や世間から与えられても与えられなくても、
5年前からずっと母親をやっている。
母を見ていると、成人したって母親業は終わらないんだなと悟る。
どちらかの命が尽きるまで、いや尽きた後も、もう一生、わたしは母親であり続ける。
いつか「ママは毒親だ」と責められる日がきたら、甘んじて受けようと思う。
そうならないように努力はするけれど、それはきっと、私の母も同じだっただろうと思う。
わたしも通ってきた道だと微笑んで、その後でお母さんに御礼を伝えよう。
辛いことだらけで、向いていないことだらけで
今すぐ自由になりたいと思うことばかりで
自分の弱さとズルさに叫び出したくなることばかりで
自分のことを知れば知るほど、どれだけのことを周りから許されてきたのかを察した。
自分がどれだけ多くの人に助けられてきたかを知った。
わたしがどれだけ母親失格だとしても、娘もいつか誰かの力を借りて
この同じ風景に辿り着いてくれますように。
平井堅さんの話題の新曲をかけながら