今年の特別講師は〜〜〜〜!!!
2017.05.15 Monday
こんにちは。チアフルマークスタッフ(嫁)です。
晴天の鹿児島からこんにちは。
昨日は美山の朝マルシェへの出店と、お店では今週末のウォークインフェスの徒歩圏キッズの練習でにぎやかな一日でした。
そして母の日。
全国のすべてのお母さんたち、いつもありがとう。
そして、今年も硫黄島合宿には
おなじみ健さん、里美さん、チアフル店主
に加えて、特別講師が参加してくれることが決定しました!!!
昨年は、奄美大島から 奄美の天然記念人物こと
山北のりひこさんに参加していただき、あの陽気で純粋なのりさんのおかげで
本当に例年以上に楽しい合宿になりました!
今年はまた一味違った合宿になるでしょう!
そう!今年の特別講師は、なんとこの方!
じゃじゃん!
山北のりひこさんです(笑)
(おもしろくなくてすいません。)
昨年はみんなで名曲「つちのうえ」をえんそうしましたが
今年は何の曲になるでしょうか。
楽しみです。
もうのりさんを思い出しただけで微笑みが止まりません。
それくらい素敵な人です。
そんなノリさんが合宿より一足はやく鹿児島にやってきます!
その名も、「ニシカタ ノリノリ ナイト」
ノリさんと、ベノアによるユニットがにしかた食堂にやってきます!
たくさんの方に来てほしいです!ぜひぜひお待ちしております!
聞かなきゃ もったいね〜よ!
ーチアフルよしえー
ボーイズ&ガールズ
2017.05.10 Wednesday
チアフルマークスタッフ(嫁)です。
昨日と、今日と雨の鹿児島からこんにちは。
今日は我が家の小5男子は、バス遠足にルンルンで出かけて行きました。
何やらファームランド的な所でカップケーキを作るようです。
そんなまだまだ、カップケーキに浮かれているような男子ですが、
ジャンベも叩いたりしてます。
さてさて硫黄島合宿ですが、小学生・中学生・高校生の参加者が毎年おります。
もうすでに常連キッズも数名いたりして、
会うたびに体の成長と心の成長とジャンベの成長を感じます。
前まで恥ずかしがり屋だった子が堂々と人前でできるようになっていたりして、
本当に(一人勝手に)感動しています。
(キッズ代表だったゆうとはこの春高校を卒業して、専門学生に。
こんな変化を感じられるのもある意味この年齢ならではかもしれませんね。)
みんなお手伝いも進んでしてくれて、調理班も助かっています。
毎年メンバーは変わりますが、誰に言われるでもなく、
なんとなく一番年上の子がしっかりと空気を作ってくれて
彼らなりに一致団結しています。
そしてまだまだ可愛い面も持ち合わせていて微笑ましいかれらも
チアフル合宿には欠かせないムードメーカーです。
ジャンベに触れたことがない子でも、興味があれば全然OKです!
今年もそんな思春期ボーイズ&ガールズのご参加も心よりお待ちしております!
お問い合わせはどうぞお気軽に。
硫黄島について
2017.05.07 Sunday
こんにちは!チアフルマークスタッフ(嫁)です。
硫黄島ジャンベ合宿の参加者募集が始まってから5日ほどで
あちらこちらからお申込みをいただいております。
ありがとうございます。
最近は硫黄島もテレビなどで取り上げられることも多く
聞いたことのある方が増えてきたんじゃないかと思いますが
どんな島なのか、まだまだ知らない人もたくさんいらっしゃるかと思います。
まずは、ざっくりと私(wikipedia)程度の知識で申し訳ないですが、
硫黄島とはそもそもどんな島なのか!について簡単にご紹介します。
結構だらだらしちゃったので、ぜひ、電車の中などお暇な時間にお読みくださーい!
素人知識ですので訂正箇所をご存じでしたらご一報ください。
地理:
鹿児島県薩摩半島からフェリーで約4時間ほど。薩南諸島の北部に位置する、三島村の一島。
(*薩南諸島:種子島から南は与論島までの鹿児島県に属する部分の島々を指す総称。)
(*三島村:薩摩半島南端から南南西約40kmの位置にあり、竹島、硫黄島、黒島の有人島と、新硫黄島、デン島の無人島から成り立つ。
全域が三島村・鬼界カルデラジオパーク。周囲14.5km、面積11.65km2
鬼界カルデラとはこのエリア自体が直径約20kmの巨大なカルデラで硫黄島竹島はその外輪の山だと言われています。何でも約6300年前にこの島を含むエリアでものすごい大爆発が起こり、山を流れ下った火砕流は一気に海を越えて屋久島まで到達し森林を焼き払ったとか。
鉱山:
古くは平家物語に硫黄岳の山頂で、硫黄の採取がなされていたことが記載されている。薩摩藩の時代には重要な貿易品で、1868年に本格的な採掘が始まってから、1964年まで山頂付近で硫黄が採掘されていた。
1973年10月、ヤマハリゾートによる海洋リゾート整備の一環として、滑走路600mの飛行場が建設された。その翌年の4月には同社のリゾートホテルがオープン、リゾートブームの一時代を画したが、1983年4月閉鎖した。その後、1994年4月、村は同社から飛行場を取得し日本初の村営飛行場として開港し、主に枕崎空港からのチャーター便が飛来していた。このときにヤマハが持ち込んだ孔雀が野生化し、島のいたるところで見ることができる。
人口:
1960年代は600人ほどいた人口は現在は100人ほど。
島には中学校までしかないので、中学校を卒業すると鹿児島市内の高校に入るために一度島を出なければなりません。
ジャンベスクールについて(以下三島村HPより抜粋)
1994年夏、三島村は遠く西アフリカからやってきた伝統打楽器「ジャンベ」のリズムに包まれました。
「日本の小さな村の子どもたちと交流したい」との思いだけではるばるやって来たのは、ギニア共和国の国立舞踊団でトップ奏者として活躍していたジャンベフォラ(ジャンベの神様)のママディ・ケイタとそのグループ″セワ・カン″のメンバーでした。初めて触れる異国の太鼓に19人のみしまっ子たちは戸惑い、しかし陽気なリズムと、ママディたちの「うまく叩く必要はないんだよ。楽しんで叩くことができれば、聞いているみんなも幸せになれるんだよ」という言葉に励まされ、演奏する喜びを感じるようになっていきました。練習を積んだ19人の子どもたちは、その夏、ママディと共に広島、岡山、奄美大島と演奏旅行に出かけ、拍手喝采を浴びました。
こうして三島村とジャンベ、ママディ・ケイタは出会い、以来毎夏、三島村にはママディと子どもたちの楽しい歌声とジャンベのリズムが響いています。これが縁で、みしまっ子たちはギニア共和国を訪問し、ヨーロッパ公演を行うなど、活躍の場を世界に広げています。さらに2004年には、ママディプロデュースの「みしまジャンベスクール」が開校し、アジア初のジャンベ講師も誕生しました。2005年に開催された「愛・地球博」の「ギニア・ナショナルデー」では、ギニア共和国から訪れた奏者らとみしまっ子のセッションも行われ、会場を沸かせました。
今や三島村は、ギニア共和国の伝統芸能を真摯に継承する国内唯一の村として、ギニア共和国との友好的な関係を築き上げています。
俊寛(像):
島の港を見下ろすように俊寛像が立っています。
俊寛とは平安時代後期の僧で、後白河法皇の側近。1177年、平氏打倒の陰謀に加わった罪で硫黄島に配流された。
(俊寛の配流地については諸説あるようです。)
いろいろ(気になる方はぜひWikipediaでどうぞ。)あって、後に自害。
硫黄島は桜島同様、火山の島なのですが、
火山があれば温泉がある!ってことでオーシャンビューの野天温泉があります。
みんなで入りますので、ぜひ水着をお持ちください!
島にはとてもハッピーなジャンベチーム
あ・ぼ〜ら も存在します。
合宿2年目からはあぼーらにご協力いただき、夜に演奏会もさせてもらっています。
(今年は2泊3日のためどんなスケジュールになるか、現在調整中です。)
とってもパワフルで優しいトロピカルなタケさんを中心に力強くハッピーな演奏です。
ちょっとまとまり悪いですが、ちょこちょこと硫黄島ジャンベ合宿関連の情報を小出しにしていきますので、
よろしくお願いいたします。