2017年5月9日、韓国大統領選が実施された。即日開票され、「共に民主党」の文在寅氏が13,423,800票(得票率41.1%)を獲得して当選。翌10日に第19代韓国大統領に就任した。
この選挙に合わせて、講談社/講談社ビーシーは対談本、『だまされないための「韓国」―あの国を理解する「困難」と「重み」』を同5月9日に発売。本書では、韓国政治を専門とする政治学者2名、浅羽祐樹・新潟県立大学教授と木村幹・神戸大学教授が、「韓国」という国から届くニュースをどう読み解くべきか、そして日本政府と日本人はどう対処すべきかを語り合った。
本来であれば分析と研究が本分である政治学者2名が、未来予測(対談収録は2017年2月半ば)を含む韓国情勢の紹介や解説、果ては提言に挑むのは異例だが、それでもあえて敢行したのは、現在の日本における「韓国という国に対する理解」があまりに偏っているからだ。
「いまは、国内外で乱世の時代。解くべき問題を自ら見定めて、新しい渦を生み出していく“暴れん坊”が求められている」とは、本書の序文にあたる「はじめに」での浅羽教授の言葉である。
本企画は、そんな大統領選前に収録された『だまされないための「韓国」』の(本書に収録された7つの章に続く)「第8章」に位置づけられる対談(5月12日に収録)となる。
「進歩派」である文在寅政権が誕生したことで、韓国はこの先どのような方向へ進むのか? 今回の選挙の意味は? そして日本はどうすべきか? ぜひともお楽しみいただきたい。(講談社ビーシー編集部)
「文在寅が勝った」というより反対派が負けた選挙
――まずは今回の韓国大統領選の結果分析からお伺いします。
浅羽 今回の選挙の投票率が77.2%で文在寅の(相対)得票率が41.1%にとどまったということは、全有権者に占める「絶対得票率」は31.7%ということです。つまり約7割の国民からは支持されていない。これは、与党の「共に民主党」が国会で過半数に達していないことに加えて、今後の政権運営をむしろ「落ち着かせる」可能性があります。他方、選挙期間中、伸びもしなかったけれど落ちもしなかったコアの支持層は「妥協を許さない」傾向が強い。政権移行期を経ることなく就任した文在寅大統領はただちにこの狭間に立たされているわけですが、「統治」モードへの切り替えに成功するかどうかが最大のポイントですね。
こういう状況なのに、日本では相変わらず「文在寅圧勝!」という報じ方をするわけで、私としては「うーん、圧勝……ときたか」と思うところです。
木村 まあでも「2位との差が開いた」という意味では「圧勝」と言っていいんじゃないですか。もちろん浅羽先生のおっしゃっているようなところはあると思いますけれども。ただ僕は「文在寅が圧倒的に勝った」というよりは、「安哲秀がコケた」という分析のほうが正しいと思っています。
というのも、文在寅は当初から「30%はとれる」と言われていたわけです。そして結果を見れば、浅羽先生のおっしゃるように、絶対得票率で約30%をとって勝った。それは逆に「30%しか取れなかった」ことで、選挙中によく言われていたように「反対派がまとまれば反対派が勝てる」という状況だったことを意味している。たとえば(得票が2位だった)洪準杓と(選挙前は対抗馬と言われていたが結果的に3位だった)安哲秀の票を足せば、文在寅よりも獲得票数が上回るし、もっと言えば(4位の)劉承旼の票を足せば50%を超える得票率だった。でも、文在寅の反対陣営はまとまれなかったわけです。
これは(選挙前には第二勢力として期待の集まった)安哲秀陣営の戦略ミスとも言えるのですが、さらに敷衍して言えば「今の韓国において、『中道』ってなんなんだろう」という問いに答えを出すのは難しかったんだな、という話でもあります。安哲秀は「保守でもないし進歩でもない」という、いわば何も明確にしない戦略をとったわけですが、それが「中身がないじゃないか」と叩かれてしまった。これが選挙戦そのものの展開ですね。
もう一点、(2位だった)洪準杓が、途中から露骨な「文在寅叩き」をした。「文在寅は従北だ」、「けしからんヤツだ」と言い倒した。その結果が、彼を第2位にまで押し上げて、約24%も票が集まった。国会でも自由韓国党は100議席を超える第二党ですから、与党は彼らにも国会運営の協力を求めなければならない。そうなると文在寅政権は、保守勢力とも協力しなければならないという足かせもあるわけです。
――文在寅の「30%はとれる」という支持層は、いわゆる「左派」、革新勢力だと考えていいんでしょうか?
浅羽 これはいい機会なのではっきり述べておきますと、韓国における「左派」「革新」「進歩」というのは、日本ではメディアによってワーディングが違うのですが、文脈が異なれば当然、意味するところが異なります。日韓は漢字語を共有している分、よくよく気をつけたいところです。
たとえば韓国では「左翼」という用語は使えません。やはりそれは共産主義を連想させるからです。「革新」も同様ですね。だからこそ文在寅のような政治家は、「進歩派」と呼ばれています。対立項は「保守派」です。
用語はともかく、そもそも左右の対立軸がどのように形成されるは、国や時代によって異なります。分断国家の韓国では、「北朝鮮に対してどう向き合うか」をめぐる違いが第一軸になります。つまり、朝鮮半島問題の解決において「コリア・ファースト」と「国際協調路線」のどちらを重視するのか。「韓国」第一主義というよりも「コリア(韓民族)」としての主導権、「外勢」からのオートノミー(自律性、自立性)を強調するのが「進歩派」であるのに対して、「保守派」は「大韓民国」の正統性や、同盟国のアメリカなどとの国際協調を重視します。
実は日本国内でも、「左右」と「保革」では理解にズレがあるし、同じ「革新」という用語でも世代によってイメージするものが異なります。まして、文脈がまったく異なる他国だとなおさらなのに、理解の仕方があまりに雑なんですよね。問われているのは、まさに「我々の知的営みのほう」ですよ。
――木村先生が「おわりに」で読者に投げかけた点ですね。
浅羽 もちろん、我々は何らかのラベル(レッテル)を貼らないと物事を理解できないところがあります。それが、認知の近道になって、理解を助けてくれる。他方、同時に、そこにはズレや漏れが常にあるのに、「アレはこういうことよね」といちど短絡してしまうと、なかなか「別様に」見ることができなくなる。それで本当に「理解している」ことになるのか、というわけです。
特に、韓国のように漢字語を共有している場合、自分たちに馴染みの文脈にそのまま位置づけて、なんとなくわかったつもりになりがちです。しかし、それこそが「落とし穴」だし、情勢分析や異文化理解の妨げにしかなりません。
――なるほど。「文在寅は左派」と言われるとパッとわかった気分になるので、便利な言葉づかいなんですよね。だからつい使ってしまうけれど、実際には「左派(進歩)/右派(保守)」という考え方自体が、日本と韓国では違うという。
韓国における「政治家としての『正しい』パフォーマンス」
木村 さきほど述べたように、今回は「文在寅という本命候補に対して、反対派は安哲秀でまとまれば勝てるし、まとまらなければ負ける」という選挙でもあったわけです。そして結果的に反対派はまとまらなかった。この「まとまるかもしれない」ということで動く浮動票が20%近くもあったわけで、この「選挙中の候補者の言動で20%が動く」というのは、世界の選挙を見回しても、なかなかない。ダイナミックに20%がバーッと動く。これは安哲秀が「文在寅の対抗馬として台頭してきた時」も同じで、この浮動票に乗ってきた。言い換えるなら、2週間で生まれた期待だから、2週間でしぼむ可能性は最初からあった。もちろん「そのまま伸びていく可能性」もあったわけですが、そうはならなかったわけですね。
安哲秀の選挙戦での、政治家としてのパフォーマンスも悪かった。これは誰の目にも明らかだったですね。
浅羽 その点について木村先生に突っ込んで伺いたいのですが、韓国の政治家にとって、「正しい」パフォーマンスとはどういうものなのですか。そして安哲秀はその観点からどう評価できますか。
木村 安哲秀は「保守派の票」をとらなくてはいけなかった。そこで彼はたとえば形から作った。もともとの彼は前髪を下ろしたりして、ソフトでマイルドなイメージを持つ政治家だったんですけども、選挙戦に入って突然七三分けにしたりした。地味な感じにして、「保守派の人が考える、旧くて強いリーダー」を演じようとした。しかし彼は本来「そういう政治家」ではないんです。タイプでいえば真逆。弱々しいけれど、その代わりにみんなの話に耳を傾けてくれる優しいおじさん、というタイプだった。それが無理やり「旧くて強いリーダー」を演じさせられたものだから、可哀想な仮装をさせられている人みたいになってしまった。当然、それは「弱く」映る。
そしてそういう姿にガッカリしたからこそ、安哲秀から保守的な票は離れていったし、まさに「旧くて強いリーダー」を演じた洪準杓に2位の座まで奪われてしまった、ということです。
浅羽 まさに「行為遂行」という意味でのパフォーマンスというわけですね。たしかに、安哲秀は当初、若者とのトークショーで脚光を浴び、一気にスターダムへと駆け上がったイメージが強く、選挙に入ってからの姿とは、ズレというか、ブレを感じさせました。
木村 配役が悪かったということです。それは最初の討論会ですぐにわかってしまい、それから支持率が急落してしまった。
イメージの話で言えば、今回実は文在寅も旧いイメージで選挙を戦いました。カチッとしたスーツを着て、真面目な人柄を前面に出しました。文在寅も「優しくてみんなの話を聞いてくれるおじさん」というイメージでは戦えない、という判断をしたということでしょう。印象論ですが、今の韓国ではもう「そういう(優しい)イメージだけの政治家では、リーダーにはなれない」ということなのかな、とも感じましたね。
浅羽 逆に、洪準杓は「おれはストロングマンになる!」とポジショニングがハッキリしていました。だからこそ、一定の支持を固めることができた。
木村 ええ。彼は気づいたんでしょう。「真ん中に寄せていってもどうせ勝てないんだから、保守派としてもっと右に寄せよう」という戦略をとって、結果的に2位になることができた。「過激なことを言うので四分の一」というポジションに収まったわけです。もちろんそういう「過激な本音を言う人」が四分の一もの人に支持されるというのは、あまりいいことではないなとは思いますけれども。
浅羽 まさにそうで、韓国における保守派というのは、大統領選が始まる前は壊滅ギリギリとも言われる有り様だった。朴槿恵が罷免されて、「(李明博も含めて)保守派が政権に就いていた9年間はダメな韓国だった、それを正そう」というくらいの勢いでした。選挙戦の序盤では、洪準杓の支持率はひとケタでした。しかし終わってみれば洪準杓は24%の得票で、安哲秀を抜いて2位。自由韓国党の議席数も、弾劾の過程で分裂した「正しい政党」から出戻り組があって100議席を超えた。定数300の国会で憲法改正案を可決し国民投票に付すには2/3以上の賛成が必要です。つまり、1/3を占める自由韓国党は、来年6月の統一地方選に合わせて憲法改正の国民投票を実施するという文在寅政権に対して、「拒否権」を有しているというわけです。
つまりですね、韓国の保守勢力は壊滅を免れるどころか、大いに踏みとどまったんですが、中長期的にこれでよかったのかどうか…。
「保守するためには自ら変わらなければならない」という格言がありますが、自由韓国党は「何も変わらなくても構わないのだ」と「学習」した可能性がある。つまり、「親北」というレッテル貼りは効く。労組は経済成長の「足枷」だ。同性愛は「悪」だ。こうしたパッケージがまだ通用するのだ、と。
他方、こういうのは「守旧」にすぎず、「正しい保守」は別にあると示そうとしたのが「正しい政党」の劉承旼です。韓国(語)において「正しい」がどう用いられるのか、よく示しています。
木村 政党や勢力が弱体化していくパターンはいくつかあるんですけど、日本人にとって一番わかりやすいのは「社民党」ですよね。本来の支持層を確保するために、言うことややることが極端化していくパターンです。社民党はもともと女性やマイノリティからの支持があったわけですが、そこに集約した結果、それ以外の政策が目立たなくなった。結果、選挙のたびに小さくなっていって、イデオロギーも純化していった。社民党は日本の「左派」政党で、自由韓国党は韓国の「右派」という違いはありますが、状況としては似ている。右の政党が右側の支持だけを守ったゆえにこの先苦しくなる、というのはありうる展開だと思います。
そして、これは実は「韓国の保守派」だけの問題ではない。少なくとも「韓国の進歩派」も、自分たちが何を大切にしていて何を推し進めていくために集まっているのか、というのが、実はよくわからなくなりつつあるからです。
――どういうことでしょうか?
木村 「日本における保守派」も最近はちょっと定義が曖昧になってきて、「安倍首相を支持しているから保守だ」みたいな考え方も出るくらいにいい加減な概念になっているわけですが、実はこれは「韓国における進歩派」も一緒です。
今回はとりあえず「文在寅を支持する勢力」としてまとまったわけですし、選挙には確実に行こう、保守勢力の再執権を許すな、というスローガンで結集しよう、ということで勝利もした。しかしその結果、進歩派としてのカラーは薄まってしまった。「具体的に何をするの?」、「何を大切にするの?」という話は選挙戦でもあまり出てこなかった。
就任演説にしてもそうです。「国民の統合のための大統領だ」という言葉を使い、自分は進歩派だけの大統領ではない、という立場を表明しました。それは国民や国会への対策としてはいいんでしょうけど、その分何を大事にするのかという部分は不明確になりました。
もっと端的に言えば、今回の文在寅は「敵のエラー」で政権をとったわけです。約10年間野党の座にあり、ブルペンで肩を温めていた進歩派がついに登板することになった。経験もある。ただ目玉とする政策があるわけではないし、「これだけはやる」という「こだわり」も今のところはよく見えない。
浅羽 なかなか含みのある話で、たぶん木村先生は日本の政治状況も念頭においているんですよね。
木村 さあ、どうだろう。ははは。【次ページにつづく】