羊の夜をビールで洗う

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羊の夜をビールで洗う

シングルファーザーなプログラマーのワンオペ育児&暮らしのブログ。

人生でもっとも記憶力のよかった時期

前から記憶力に特に自信のある方ではなかったのだけど、最近ではそれに輪を掛けてもの覚えに自信がなくなってきた。

 

例えば、シャワーを浴びているときや、子どもを保育園に送り出して最寄り駅に向かって自転車を漕いでいるときに、いい感じのブログネタが思い浮かんでも、そこからものの五分と覚えていられる自信がない。シャワーを浴びているときはさすがに無理だけど、自転車のときはわざわざ路肩に自転車を止めて、短期記憶が消失しないうちにiPhoneのメモ帳にメモったりすることもある(そして大概それは後で読み返すとたいしたネタではない)。

 

会社のパソコンのデスクトップ画面はソフトウェアで描かれたデジタルな付箋で覆い尽くされているし、iPhoneのTODOリストはいつも終わったタスクを削除し忘れるので、完了と未完了のタスクがごちゃ混ぜになって分からなくなっている(これは別の問題か)。

 

一体いつからこんなに物覚えが悪くなったかな〜、と悲嘆に暮れて、これまでで最も記憶力が良かった時期はいつだっけ?と思い返してみる。

 

理系のくせによせばいいのに、覚える量の多い世界史をセンター試験の科目に選択して、本番では9割確保するのがギリギリ精一杯だった大学受験のとき?

 

それとも名詞が男性と女性に分かれているうえに、時制のパターンも一気に増えて、オシャレそうだからという不純な理由で、第二外国語にフランス語を選択したことを早くも後悔した、大学入学したての頃か?

 

いやいや、そうではない。たぶん、自分が人生でもっとも記憶力がよかったのは、小学校の二年生の頃だ。と、私は息子くんに絵本の読み聞かせをしている最中で思い出した。

 

私が小学校二年生のときの担任の女性教師は、そのとき小学校に在籍していた先生方の中でも最も厳しい指導をすることで有名で、私たちのクラスは国語の教科書に載っているお話を一語一句違わぬよう暗唱する練習を、繰り返しさせられていたのだ。私が今息子くんに(もちろん文を見ながら)読んでいるこの絵本も、あの小学二年の自分なら楽々と暗唱できていた。

 

小学校二年生の国語の教科書に出てくるなかで、もっとも長いお話は、私の記憶が間違っていなければ確か「ごんぎつね」であった。あの「ゴン、お前だったのか。」のごんぎつねである。

 

 

その長い物語を全文記憶するために、子どもの私はまず教科書の本文をマス目のノートに全て書き写し、そのあと少しづつ暗唱できる箇所を増やしながら、何度も朗読を繰り返していた。あの頃の自分は、確かに記憶力を向上させるべく、けなげに努力研鑽していた。

 

後の人生で、あの一語一句違わず記憶する暗唱の訓練は、どこまで意味があったのかなぁと疑問に思うこともあったけれど、一つ一つのてにおはやディテールを見逃さずに、丁寧に朗読することで、名作と呼ばれる作品が持つ日本語の美しさやリズムを噛みしめるように味わう愉しみは、あの時の先生が教えてくれたものだなぁと今では分かる気がする。

 

今となってはそれらの物語をそらで語りきることはできないけれど、記憶力だけでなく滑舌も悪くて、仕事では「もっとハッキリ喋ってくれ」と指摘されることの多い私が、読み聞かせの時だけはゆっくりと、自分の声を確認しながら絵本を読むことを楽しめているのは、あの人生でもっとも記憶力がよかった時期の賜物なのであった。

 

補足

教科書の暗唱というのが、小学校の授業でどこまで一般的なのかよく分からなかったのですが、分からないままに一つの思い出として書いてみました。「それ、どこでもやってる当たり前の授業だよ!」というものであっても、まぁ気にしないで下さい。

 

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