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それはただのテキストではないのだから
上の記事にもあるけれど,この問題の論点は要するに「サンプルに対する「名付け」が作者やその仲間(業界)にとって不快で,作品・作者に対して失礼である」ということだと思う。
ただ一方で,実験のように直接人間や動物を対象としたのではなく,書かれたものが対象になっていることがややこの問題を微妙なものにしている。というのも,通常人間を対象とする実験だと,参加者が意思表示すれば実験を中断したり,データの公開を拒否できる。アンケートだって,比較的初学者向けの本にこう書かれている。
石黒圭(2012)『この1冊できちんと書ける!論文・レポートの基本』p.47
アンケート調査で念頭に置いてほしいことは,アンケート調査に協力してくれる調査協力者に迷惑がかかるということです。ですから,調査協力者の迷惑をどのようにして減らすかをまず考えてください。/謝金などを支払わず,先方の厚意に頼る場合はもとより,謝金を支払う場合でも,調査協力者の都合や希望は最大限配慮するようにしてください。また,調査協力者の個人情報を保護することはもちろん,どこまで調査の結果を公開してよいかという調査シートを作成して説明し,記入してもらうことも研究倫理上必要なことです。/また,調査協力者が希望する場合,調査結果をフィードバックすることも大切です。現在,調査協力者への配慮が不足した調査が横行した結果,調査お断りという個人や団体が増えてきています。今後の調査者のためにも,くれぐれも誠意ある対応と感謝の気持ちを忘れないでください。
アンケートのような調査を行わない文学のような作品研究や作家研究だと,たとえ作者が存命中であっても「相手が不快に思うか」という視点はないと思う。そんな視点を入れたら文学研究は成り立たないだろうし。でも,今回問題になったのはサンプルとして使っているもので,記事にもあるようにむしろフィールドワークによる研究(参与観察など)に近いだろう。これらの研究では参加者(協力者)と良好な関係を築くようにするのは基本中の基本で,それができず「フィールドを荒らす人」は正直調査先でも学界でも嫌われることになる。それを考えると,そもそも今回は作品の著者が自分の書いたものがデータになっていることは知らされないままだったのだから,その意味では学会の判断で論文の公開をやめたのは悪い判断ではないと思う。
なお言語学系では「
日本語書き言葉コーパス(BCCWJ)」という新聞や雑誌だけでなくウェブ(ヤフー知恵袋やブログ)などから膨大なデータを取ったコーパスがあるのだけど,これは「著作権の所属が明瞭でないテキスト(インターネット掲示板やブログ)の場合は,プロバイダ(Yahoo! Japan)の協力を得て,研究目的でデータを外部提供する可能性をネット上で告知した上で,告知の翌日以降に書き込まれたデータを提供してもらった」(前川喜久雄「
『現代日本語書き言葉均衡コーパス』入門」p.7) とあるようにその点を配慮してかなり慎重に構築している。サンプルを集めるならやはりこれぐらいの慎重さはあってもよかったんじゃないかな。
ちなみに人工知能学会は倫理指針を作っていてまさに今回の大会で公開討論が行われている模様。
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「人工知能学会 倫理指針」についてただしこれはデータの収集法のようなことよりも,人工知能の利用法のようなところに軸足が置かれているように読み取れるし,「編集プロセスで投稿論文が倫理指針にあっているかをチェックする,あるいは特定の人工知能研究がこの倫理指針に合致するかをチェックするなどの体制づくりを進めたい,進めるというような意図はありません」とあるように,研究発表について制約を課すものではないから,今回のようなケースにどこまで対応できるかは不明かな。
○○大の問題ではないと思う
あと,本題からずれるのだけど,大学が組織として主体的に行った事業などではないのだから,今回の件を「○○大問題」のように大学名を冠するのは正直よくないことだと思う。もちろん大学からの研究費がいくらか使われているのだろうから,その意味では大学も関係するけど,それを言い始めたらどんどん「○○大」の部分は大きい言葉になっていくし,そもそも建設的な批判を生まないただの暴力になってしまう。また,変な「再発防止策」を産んで生産性を下げてしまうばかりで,結局ただの悪口の増幅にしかなっていないし,極端な話,「ただのクレーマー」扱いされてしまいかねない(作者たちはそれを望んでいないよね?)。