僕は雑念や邪念が多くてどうもいけない。
雑念邪念を振り払って、もっとすっきりきれいな人生を送れないものか、なんてことを考えるのであるが、そんなことを考えているのもほんのちょっとで、すぐにあれが食べたいとか、あれが飲みたいとかあれが欲しいなどという雑念邪念に侵されていってしまう。
うーん、悟りを開く、とまではいかないにしても(もっとも開けるわけないけど)、”なんかもっと、短時間でもいいから、雑念邪念を消すことってできないのかな”、みたいなことをずいぶん前から考えていた。
瞑想などを日々行えば、そういう心境に至ることもできるかもしれない、とは頭では理解しているが、そこは生来の面倒くさがり屋なので、もっと短期間でなんとかならないか、なんてことを考えてはや数年、とっとと瞑想しておけばとっくに素晴らしい境地に至っていたかもしれないが、なにも変わらずグダグダのまま。まあ、今頃そんなことを言ってもしょうがない。
先日、あるきっかけで、そんなに長い時間ではないが除草作業をすることになった。
別の言い方をすると、草むしりである。
地面にしゃがみこんで草を抜く、あれである。
僕はマンションに住んでいるのであるが、なぜ戸建てではなくマンションなのかというと、除草作業が死ぬほど嫌だからである。
30年ほど前であるが、数年、戸建てに住んでいたことがあるが、時に夏などの草の伸び方といったら、誰に対してなのかよくわからないが、ちょっと殺意を覚えるほどである。
そんな僕が草むしりをすることになった。
もう暑くなってきたし、足腰が痛くなるだろうし、嫌だなあ、などと心の中でぶつぶつ悪態をつきながら草むしりを始めた。
その日は雨上がりということもあり、草は簡単に抜くことができた。
”案外楽しいかも”
みたいなことを考えながらも頭の中は、”次の休みはあれが食べたい”とか、”あの映画観たい”みたいなことを考え出して、相変わらず雑念邪念にまみれていくのであったが、ふと気づくと、”あれ?今、なにも考えてなかった?”ということを考えた。
ごく短い時間ではあったが、僕はなにも考えていない状態になったようである。
つまり、草むしりに集中したことにより、雑念や邪念から一瞬開放された、ということではないだろうか。
これはちょっと気持ちいい。
そうか、草むしりをすることで、意識がなんかよくわからないが作業に集中し、雑念邪念を払うことができるのか。
僕はちょっと嬉しくなった。
でも、足腰の痛みもひどい。だから、草むしりはもういいかな。
こんなだから、いつまでたっても雑念邪念に捉われているのである。
ミュウやシャケは、なんの雑念や邪念もなくひたすら寝ているようである。