源頼清

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源 頼清(みなもと の よりきよ)


源頼清 (平安時代中期)[編集]

源 頼清(みなもと の よりきよ、長徳元年(995年) - 延久5年7月18日1073年8月23日))は、平安時代中期の武士官人清和源氏源頼信の次男。母は修理命婦で源頼義の同母弟。源頼季・源頼任・源義政らの兄。室に権大納言藤原斉信女らがおり、子に仲宗・兼宗・清宗・永源・家宗・季宗・憲宗・基宗らがいた。

従四位下に上り中務少輔安芸守・肥後守・陸奥守などを歴任する一方、藤原頼通家の侍所別当も務めた。『後拾遺和歌集』(歌番号474)には、陸奥守から肥後守に転任する頼清に贈った相模の和歌がある。また『今昔物語』(巻12ノ36)には、貧乏暮らしをする左京大夫として登場する。

子孫は信濃国北部に勢力を扶植し、村上氏波多氏と称して繁栄している。

関連[編集]