自分の中のグレーな気持ちを、
笑って流してしまっておく
それなのに、なんだかモヤモヤするときありますよね?
謎の罪悪感でモヤモヤしたときに
お気に入りの紅茶やお菓子を買い込んで、家から一歩も出ずに一人で本を読んだり映画を観たりして過ごす休日が、好きです。なのですが、夜中にうっかりSNSで「今日はランチで仕事の打ち合わせからの、話題の作品を映画館で観てからの、夜は飲み会!」みたいな投稿を見てしまうと、謎の罪悪感が芽生えてきてしまうのも事実……。
そんな中、最近読んだ小説で「うーん、これは」と考えさせられた作品がありました。田辺聖子さんの『孤独な夜のココア』という短編集に入っている、『石のアイツ』という作品です。
主人公の千田サンは、シナリオ学校で出会った裕二という男と5年前まで同棲をしていました。しかし裕二は、仕事はせず無職で、家事をやってくれるわけでもなく、小遣いをもらい、さらに実は浮気までしている。誰がどう見たってダメ男なので、千田サンの友達である多枝子・純子も、「いいかげんにしなさいよ」と主人公を諭します。ずるずると裕二にお金を渡していた千田サンもそこで目が覚め、最終的には怒鳴って裕二を家から追い出します。
しばらくは恋人との別れを悲しむことになっても、厄介なダメ男がいなくなったわけなので、通常ならここで「悪い男から解放されてよかった!」と思うところでしょう。ですが、千田サンはそうは考えません。裕二に半分だまされるような形でお金を渡し続けていたときも、自分自身はまったく嫌ではなく、むしろ友達に諭されるまでは彼との生活を幸福だとすら思っていた。そして裕二と別れて5年経った今も、その幸福だったと思う気持ちは変わらず、ただそれは石のように固まってしまったというのです。
友達の多枝子・純子が悪者というのではありません。むしろ彼女たちは本気で千田サンのことを心配して、裕二を追い払おうとしてくれました。
普通に考えれば、家事もしないで浮気をしているヒモの裕二が悪いので、千田サンを説得した多枝子・純子のほうが圧倒的に正しい。そして、自分をぞんざいに扱う恋人より自分を心配してくれる友達の言葉を信じた千田サンもまた、圧倒的に正しい。
「世俗の風が舞い込んだとき、その幸福は石になったのだ。五年たってやっとわかった」。小説はこんな一文で終わっています。
白黒つけられない「グレー」な気持ちを
保存しておく
デートでお金を払わされるなんて不幸。浮気をされるなんて不幸。恋人と長続きしないなんて不幸。彼が無職なんて不幸。仕事が充実していないなんて不幸。友達がいないなんて不幸。介護などの事情があるわけでもないのに実家で暮らしている独身なんて不幸。
世の中にはそんな「いわゆる不幸」のイメージが溢れかえっていて、しかもそれは多くの場合あからさまに否定できないというか、「まあ、そうかも」とこちらを思わせるある種の正しさを持っています。
だけど、そんな正しさに押し殺されることなく、自分自身の意志を貫く──というのもまた普通の人間には難しいし、やっぱり小遣いをせびってパチンコに行くようなヒモに寄生されている生活が、そう長く続くとも思えません。
したがって、このあたりはバランス感覚が要求されるでしょうが、「世俗の風」を無理して跳ね返すでもなく、しかし完全に飲まれて自らの向く方向を変えてしまうでもなく。
小説の中の千田サンが考えたように、「間違いだらけだったかもしれないけど、あれはあれでけっこう幸せだったんだよな」という気持ちを、石みたいに固めて保存しておく。正しいとも間違っているとも言わずに、そこは苦笑いでノーコメントにしてしまって、そっと胸のうちにしまっておく。
そんなことがもしできたら、自分自身が救われるのはもちろんだけど、他人に対しても少し寛容になれる気がします。
また不毛な恋愛してるよとか、また上司の愚痴言ってるよとか、自分にも他人にもいろいろ思うことはあるけれど、人間そんなにはっきり白黒つけられません。自分の中のグレーな部分をこっそりしまっておいて、普段は流しておいて、いざというときだけパカっと蓋をあけてあげる。なんかババくさいし卑怯な気もしますが、強くなるってそういうことなのかもしれません。
というわけで私も、家から一歩も出ずに朝から晩まで読書している自分を、あまり責めないであげようと思います。ああでも、あったかくなって来たし、たまには友達とランチにでも行こうかな。
『孤独な夜のココア』は、そんなグレーな気持ちがたくさん詰まった短編集なので、気になる方はぜひ手にとってみてください。
Text/ チェコ好き
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