フリーズドライ(凍結乾燥)されて地球の周囲を9カ月間周回し、強い放射線をはじめ、厳しい宇宙環境にさらされた「宇宙精子」から、健康なマウスの子が誕生したことが明らかとなった。
医療の専門家にとってはさほど驚くことではないが、いつか人類の地球外での生殖が可能になったときに、未来のスペースベイビーの誕生を助ける技術につながる結果かもしれない。この結果は、5月22日付けの「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」オンライン版に発表された。(参考記事:「火星移住―赤い惑星に人類が降り立つ日」)
宇宙で実際にセックスができるかどうかは、単純にニュートン物理学的な問題だ。その答えはまだ明らかになってはいないが(実際に試した人がいたとしても、まだ名乗り出てはいない)、子を残すうえで厄介なのは、性行為ができるかどうかよりも、人間や動物が宇宙で低重力と高エネルギーの放射線にさらされ、遺伝物質が損傷を受ける恐れがあることだ。(参考記事:「火星旅行に大量被曝のリスク」)
米ジョージ・ワシントン大学の医師で緊急医療と極限環境での医療が専門のクリス・レーンハート氏は、精子と卵子が無事に受精卵となって成長する過程が、そのような状況にどう対応するのかは、最初から最後まで全くの謎だという。
「人間の生殖が宇宙でも可能である、または安全であると言う前に、知らなければならないことが何ひとつわかっていないのです。これに関して、詳しい研究はなされてきませんでした」
今回のマウス実験は、精子が宇宙でも生存できることを示しただけでなく、今後の生殖医療にもいくつかの洞察をもたらすものだ。
「丁寧にデザインされた良い研究だと思います」と、米カンザス大学医療センターのジョー・タシュ氏は言う。しかし、遠くの宇宙へ出て行く宇宙飛行士はこれよりもさらに強力な放射線環境に身を置かなければならない。それは研究結果を解釈する際に考慮すべき重要な点である。
放射線のレベルはおよそ100倍
地球上では、全ての生命は重力の枠組みの中で進化し、宇宙空間を飛び交う放射線からは地球の磁場によって守られている。だが、月や火星の重力ははるかに弱く、放射線はずっと強い。
これまで、ラットや魚、イモリ、ウニなど一握りの生物で宇宙繁殖が研究されてきたが、その結果はまちまちだった。1979年にソ連の人工衛星コスモス1129号が行った実験で、ラットは全く子どもを産まなかった。ウニの実験結果も芳しくなかったが、魚、ミバエ、線虫は繁殖に成功した。(参考記事:「次はペルシャネコ? 宇宙へ行った動物」、「【動画】潜入ルポ、ソ連のスペースシャトル」)
これらの結果を踏まえて、山梨大学の発生生物学者である若山照彦教授は、マウスを使って宇宙時代の生殖補助技術を調べる実験に乗り出した。
宇宙飛行士になるのが夢だったという若山氏は、「宇宙での哺乳類の生殖に関する研究がとても少ないことを知ったのですが、そのほとんどでは、マウスやラットを宇宙へ連れて行くのが難しいために明確な結果が得られていませんでした」と話す。
若山氏の専門分野のひとつは人工繁殖技術で、以前にも地球上で凍結乾燥したマウスの精子から正常なマウスを誕生させている。しかし、人工微小重力環境に保存していた精子からは、期待していたほどの数のマウスが誕生しなかった。(参考記事:「宇宙飛行士の視覚障害の謎解明か、障害は不可避?」)
「本物の宇宙実験をやってみたいと思いました」という氏は、「Space Pup」と名付けた実験プロジェクトを立ちあげ、実際の宇宙旅行がマウスの精子に与える影響を調べることにした。