ロシア旅行もいよいよ最終日。午前の便で日本に帰ります。とは言っても名残り惜しいデンカは早起きしてホテルの周囲を散歩してみました。
目の前は大河、振り返れば壮麗な教会!
まず始めに行ったのがアムール河沿いにあるムラヴィヨフ・アムールスキー公園。初日に脇を通ったものの、そのときは暗くて中に入れなかった(というより怖くて入りたくなかった)んです。
でも、朝イチに行けばこんな感じ。
さわやかな川風が吹き抜けていきます。広いなぁ~! このあたりの川幅は約1.5キロ。この20キロ程先が中国との国境です。で、振り返ると……
ウスペンスキー教会! 階段と教会の位置を考えて造ったんでしょうね。まるで絵画のようです。ちなみにこの教会、夜になるとライトアップもするんですよ。(初日に撮影)
青いライトで上部だけ照らすというセンスが素敵です。周囲に高い建物がないので、ひと際目だって見えます。
郷土博物館で見つけた意外なもの
お次はハバロフスク郷土博物館です。こちら、残念なことに飛行機の搭乗時間が早くて見学する余裕がありませんでした(T_T) ですが、最後はここで〆たかったんです。だって、そもそもこの旅の発端は映画『デルス・ウザーラ』に惹かれたから。実は、北方少数民族のデルスに出会って共に旅したロシアの軍人、アルセニエフは、のちにこのハバロフスク郷土博物館の館長になっているんです。というわけで、やっぱり最後はデルスゆかりのもので終わらせたい!
で、こちらが博物館の入り口です。(もしかしたら裏口かも?w)
赤いレンガが街路樹の緑に映えます。おや? 壁には歴代館長の写真と経歴らしきものが……。アルセニエフはいるのかな? そんなことを思いつつ、建物に沿って歩いていくと、こんなものを見つけました。
亀石! 奈良の田んぼで見たやつを思い出します。いや、でもどちらかというと松江にある月照寺の大亀……?(⇒月照寺の大亀:亀好きな松平家の藩主が亡くなったので、彼を忍んで大亀の石像をつくった。ところが、この石像が夜な夜な動き出し、人を食うようになってしまった。そこで亡くなった藩主の功績を石碑に彫り、その碑を亀の上に置くと動かなくなったという話)
そういえばカンチュガさんが、著書『ビキン川のほとりで』の中で「大学時代、ハバロフスクの博物館前で亀の像を見た」と言ってたなぁ……。それってもしかしてこれ? カンチュガさんが大学生だったのは1950年代前半。となれば、この亀も半世紀以上はここにいることになります。
それから……この亀の奥にも気がつきましたか?
猿です! 考える人ならぬ考える猿。おまけに亀石が隣に……て、ここ、ひょっとしてやっぱり奈良?w(←しつこい)まぁ、このお猿さん、奈良の猿石よりも精巧ですが。
そういえば、日本の猿石とそっくりなものが韓国の弥勒寺跡にもありますよね。奈良の都は石大好きな韓国(百済)の影響を受け、おまけに百済の地名が残っちゃうほど帰化人がいたのですが、極東ロシアも韓国とは縁が深く、旅の途中で立ち寄った総合スーパーの肉屋さんが韓国系(チマチョゴリを着た人形が飾ってあった)だったりしました。
ということは、この亀石と猿石も百済の石文化の影響が少しはあるのかな……? そんな軽い気持ちで帰国後この石を調べたら、ものすごくおもしろいことを発見してしまいました。ただ、話が長くなってしまうので、それはまた後日改めて記事にしたいと思います。
ついに見つけた! アルセニエフの碑
さて、さらに博物館の壁沿いに進んでいくと、やっと見つけました! これです!
V.K.アルセニエフ。ロシアの言葉だとVがBになってますね。キリル文字が相変わらずわからなくて泣けてきます。この博物館で館長をしていたのが1910~1918年。デルスはすでに亡くなっています。(1908年没)
1917年にはロシア革命が起き、ロシアは混迷の時代へ。アルセニエフは1930年に亡くなっていますが、残された家族は革命の渦に巻き込まれていきます。
子どものころは空想冒険小説が大好きで、長じては探検記に魅せられ、探検家になるため軍人になったアルセニエフ。彼は極東ロシアのタイガで「純粋無垢なありのままの人間」と形容すべきデルスに出会います。
――あなたの魅力的な体験記のせいで私はここまで来ちゃったんですよ!
実際に自分の足でタイガに入り、ウデヘの人々の生活を垣間見せてもらえたことは、私の人生において大きな糧となったのでした。