連続企業爆破事件 大道寺将司死刑囚が拘置所で病死

連続企業爆破事件 大道寺将司死刑囚が拘置所で病死
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昭和49年から翌年にかけて三菱重工の本社などが相次いで爆破された事件で、殺人などの罪に問われた大道寺将司死刑囚が24日午前、多発性骨髄腫のため東京拘置所で死亡しました。
昭和49年から翌年にかけて三菱重工や間組の本社などが相次いで爆破された事件では、最も被害が大きかった三菱重工ビルの事件で8人が死亡し165人が重軽傷を負いました。

一連の事件で東アジア反日武装戦線の大道寺将司死刑囚(68)は殺人などの罪に問われ、昭和62年に最高裁判所で死刑が確定しました。大道寺死刑囚は「爆弾に人が死ぬほどの威力があるとは思わなかった」として再審=裁判のやり直しを求めましたが、平成20年に最高裁判所が認めない判断を示したため、改めて東京地方裁判所に再審を求めていました。

法務省によりますと、大道寺死刑囚は7年前に多発性骨髄腫と診断され治療を受けていましたが24日午前、収容されていた東京拘置所で死亡したということです。これにより全国の拘置所にいる死刑囚は127人となりました。

連続企業爆破事件とは

連続企業爆破事件は、昭和49年から50年にかけて過激派の「東アジア反日武装戦線」が起こしたものです。三菱重工や三井物産、それに間組など海外に進出していた企業が標的にされ12件の爆弾事件が相次ぎました。

このうち昭和49年8月の三菱重工ビル爆破事件は、白昼、東京・丸の内のオフィス街で起き、昼休み中のサラリーマンら8人が死亡、165人が重軽傷を負いました。

合わせて8人が起訴され、大道寺将司死刑囚と益永利明、旧姓・片岡利明死刑囚が死刑判決を受け、確定しました。しかし8人のうち3人は、日本赤軍が海外で大使館占拠事件やハイジャック事件を起こした際に超法規的措置によって釈放されました。その後、1人は逮捕され有罪が確定しましたが、残り2人は現在も国際手配されています。