ヒッグズ、ホップ、および国家循環

原題:Higgs, Hoppe, and the Cycle of the State
原著:ダン・サンチェス“Dan Sanchez”
日付:2014/7/7

ギリシャ神話において、シジフォスはハデスに罰せされた。彼は丘の頂に玉を押し上げなければならないが、何回やっても玉は転がり落ちてまた始めからやり直さなければならない。これは国家の革命や改善に関する絶望の適切な描写であり、二人の偉大なリバタリアン無政府主義的学者たちの洞察が一緒にもたらされることで明らかにできる。

内容

  1. 危機とリバイアサン
  2. 帝国主義のパラドクス
  3. ヒッグズがホップに会う:国家の循環

危機とリバイアサン

国家の分析の最もしかるべく名高い貢献の一つとして、ロバート・ヒッグズは、いかに公的緊急事態が、わけても戦争関連の緊急事態が、専制的国内権力の巨大な拡張を弁明するため国家に容易く使われるかを詳述し、経験的に例証した。

危機が去った後に「緊急権力」が下げられたとしても、ほぼ決して危機以前の水準にまでは下がらない。ゆえに、すべての過ぎ去った危機とともに、国家はかつてより権力を蓄積する。ヒッグズはこれを「ラチェット効果」と呼んだ。

したがって国家は、もっと好戦的かつ帝国主義的(外的に専制的)であるほど、そしてそれゆえに緊急事態をもっと誘発するほど、もっと内的に専制的になる傾向がある。この主題に関するヒッグズの決定的な本は『危機とリバイアサン』と題名付けられた。この洞察を危機とリバイアサンのテーゼ(CLT)と呼ぼう。

たとえば、特に世界戦争と対テロ戦争が、いかに合衆国連邦権力の莫大な国内的拡張およびアメリカの自由の抑制を導いたかを見よ。

このテーゼは論理的にその換質命題を含意する:非好戦的な国家ほど、少なくしか緊急事態に会わない傾向があるだろう。そして、国家は緊急事態がもっと少ないほど国内的に膨張できにくいだろうし、縮小さえするかもしれない。

たとえば、モスクワが帝国を手放して冷戦を脱落した後、(アメリカ合衆国もNATOも決して実際には報いていないけれど、)いかにロシア経済が自由化し成長することができたかを見よ。

このテーゼに関する複雑さは交戦中の国家がまたその好戦性で標的化した土地に「危機」を輸出することにある。標的化された国家はそのような好戦性から生じる慢性的な危機状態をば、民衆間のバンカー・メンタリティ“bunker mentality”を易々と刺激するために、そしてそれゆえに自己権力を支援し培養するために用いることができる。たとえば、アメリカによる恒常的な脅威と制裁の下でのロシア、キューバ、北朝鮮の恐ろしく圧政的な共産主義政権の、あるいは見かけ上奇妙なほどの長命を見よ。特に、共産主義的な中国とベトナムの、アメリカがこれらの国々に対する敵対的かつ殺人的な政策を緩めた後の、急速な改善と対照して見よ。ロシアがその共産主義的政権を捨てたのが、レーガンの初期の武力的威嚇の段階ではなく、よく忘れられているが、レーガンとサッチャーのときに始められたアメリカとロシアのデタントが実施された後だったのはおそらく偶然ではない。

帝国主義のパラドクス

ヒッグズのテーゼほど有名ではないが等しく真であるテーゼはハンス=ハーマン・ホップの洞察であり、彼は、いかに国内的に(内的に)わりと専制的ではない国家が一層好戦的かつ帝国主義的になる傾向があるかを詳述し、経験的に例証した。これは、高い程度の自由をもつ民衆の非常に巨大な生産性が、一人当たりの巨額な税収と、国家の非常な豊かさに向かうからである。したがって、そのような国家には海外に権力を投射するためのはるかに多くの能力がある。ホップはこれを帝国主義のパラドクスと称した。これを帝国主義のパラドクスのテーゼ(PIT)と呼ぼう。

たとえば、「自由の土地」(英米)がまた「不適切に勇敢な(好戦的な)者たちの家」になるのはいかに典型的なことかを見よ。言い換えれば、彼ら英米はその絶頂期に、もっとも強大な、もっとも拡張主義的な帝国であってきた。ディリジスト[訳注:経済体制の一種であり、国家が規制だけでなく投資への指導的役割をも強力に担う。主流派の訳語は「国家計画統制経済的」。“dirigiste”]なナチスさえ、自由化された産業主義的な年月で築き上げた富と人的資源を支出することで侵害を支持したのだった。

この換質命題も同じく真である。国内的に(内的に)もっと専制的な国家は、対外拡張主義の余裕を持てなかったり、これを十分に請け負えなかったりする、経済的無能である傾向がある。たとえば、ディリジストなソビエト連合が冷戦を通していかにアメリカより遅れを取っていたかを見よ。国家権力自体に関する国民のイデオロギーが唯一他の国家権力への主制約であるから、かつ人々は主に自分の苦境を心配し、外人の苦境をほとんど心配しないから、対外的好戦性を本気で制限するのは一般的にただ破産だけだ。これは歴史で有り余るほど例証されてきた。経済的に繁栄した帝国が自発的に縮小した最後の例はいつだ? ブリテン帝国の「栄光ある孤立」の時期でさえ、拡張主義をせいぜい減速させはしたが、縮小はしなかった。

帝国主義のパラドクスはミナキズムの神話の偽りを暴く。涙の道[訳注:北アメリカ先住民族チェロキーの強制移住]を行くチェロキーの女性に、またアヘン戦争の最中で出血している中国の男性に、アメリカやブリテンの「制限政府の時代」を尋ねてみろ。国家のせいでいつも水の泡だ。あなたは、二十年間のジェノサイド・キャンペーンでイラク人を代わる代わる(制裁で)大量餓死させたり大量虐殺したりする比較的自由なアメリカ人になるか、イラク人を放っておいて北朝鮮人を奴隷化するアメリカ人かのどちらかになる傾向がある。悪魔は自分の取り分を取る傾向があり、取り分に或る場所か他の場所を取る。

ヒッグズがホップに出会う:国家の循環

ヒッグズ(CLT)とホップ(PIT)のテーゼは、もしも受け入れられて結び付けられれば、国家循環を含意する。軽い内的国家主義は重い外的国家主義に向かい(PIT)、重い外的国家主義は重い内的国家主義に向かい(CLT)、重い内的国家主義は軽い外的国家主義に向かい(PIT換質)、軽い外的国家主義は軽い内的国家主義に向かう(CLT換質)。我々は巡ってゆく。

ところで、これは国家進化の「鉄の法則」の類ではない。ヒッグズとホップのテーゼはただ他の物事が等しい場合の法則を扱うにすぎない。他の要素がつねに役割を担っており、これらの傾向性を打ち消すかもしれない。しかし傾向性は推論上のインセンティブ分析を通して認知可能でありかつ現実的である。

国家循環は国家の革命や改善のシジフォス的な絶望を示す。イデオロギー的変化は国家を内的に改善できるが、しかし内的改善は国家の外的好戦性を培う傾向があり、それは一般的にいえば、いずれにせよ改善を最終的に後退させるだろう。そして国家は無分別にもその人的家畜に強力かつ過酷であるとき自分に課する不足によって強いられないかぎり、ほぼ決して好戦的であることを免れない。

革命と改善を通して国家を制限する戦いに安定的な勝利はありえない。したがって、国家は、既存の政権にせよ、革命後の新たな政権にせよ、進歩的に改善されることはできない。国家に反対する唯一の勝利運動は、国家のゲームで遊ぶことではない。国家循環を破る唯一の方法は、国家から脱退することである。その仕方は完全に他のエッセーの問題ではあるが、とにかく福祉や他の種類の侵害を含まない。

シジフォスになるな。玉を下ろして、丘を脱して、ハデスから立ち去れ。

(出典: mises.org)

ダン・サンチェス