スコットランド住民投票からの五つの教訓
Ryan McMaken, Five Lessons Learned from the Scottish Referendum, http://mises.org/daily/6888/Five-Lessons-Learned-from-the-Scottish-Referendum
イギリス連合王国の政府当局は脱退へのイエス・キャンペーンが約55パーセント対45パーセントの票差で失敗したと布告した。けれども、たとえ脱退への多数派の投票がなかったとしても、連合王国からの分離のためのキャンペーンは脱退運動の将来と現状を擁護する人々についてのたくさんの洞察を与えてくれた。
- 教訓1:グローバル・エリートは脱退と分権を大いに恐れる
- 教訓2:脱退運動は投票を必要するだろう
- 教訓3:脱退に関するアメリカ人の観念は不洗練であり田舎っぽい
- 教訓4:脱退は上手い交渉方法である
- 教訓5:集権は経済的成功に不必要である
- 結論
教訓1:グローバル・エリートは脱退と分権を大いに恐れる
グローバル・エリートの制度、およびそこのゴールドマン・サックスとアラン・グリーンスパンとデイヴィッド・キャメロンを含む個人たち、およびいくつかの大銀行は、独立に対する恐怖をできるかぎり植えつけるために努力した。グローバル銀行家はもしも独立が宣言されたらスコットランドから出て行ってやると宣告することでスコットランドを罰するものと誓約した。
によると:
ドイツ銀行レポートは1920年代の金本位制に回帰する決定とそれを比べて、それが少なくとも境界の北部で大恐慌の再現を引き起こすかもしれないと言った。
経済的な運命の予言に関してはそれほどヒステリックにはならない。……なる者はなるが。たとえばデイヴィッド・キャメロンは独立に投票しないようスコットたちに懇願しがてらもうほとんど突然泣き出しかけた。
脱退に抵抗するエリートの猛攻には少なくとも二つの戦略が取られた。一つめは脅迫と「あなた自身のためになる」ご高説に関わる。脱退の場合スコットランドでは物事がうまくいかないだろう、と世界銀行のロバート・ゼリック“Robert Zoellick”は単調な調子で唱えた。ジョン・マケイン“John McCain”はスコットランド独立がテロリストにとって都合良いだろうと仄めかした。第二の戦略は嘆願と懇願に関わり、もちろんこれは西側支配階級にとって脱退がいかに心から恐ろしいかを曝け出した。
キャメロンは「この家族をばらばらに」しないでだのとお涙頂戴くさいアピールとノスタルジーに基づいたお芝居にくわえて、さらなる金、さらなる自治、王国内でのさらなる権力でもって、スコットランドの投票者を買収しようと試みた(これはどうやら上出来だった。)
スコットランド金融システムの将来に焦点を当てた脅威はとりわけ効き目がある。ロンドンやブリュッセルやワシントンDCの政府がもっともまみえたくないものは西洋の既成の国が金融システムから脱退し秩序ある仕方で他のシステムに加わることだ。彼らにとって政治的脱退は十分に悪く、そして、いつの日か脱出オプションのない永久の連合として自身を確立しようと明らかに望んでいるEUの側では脱退は悩みの種なのである。たとえ後に欧州経済通貨同盟に加わるとしても、主要世界通貨からの上出来な撤退とはEMUによる併合された卸売り業務以外の通貨オプションが諸国にあることを含意するだろう。
教訓2:脱退運動は投票を必要するだろう
連合王国のエリートがスコットランド住民投票の失敗をご覧じたくてたまらなかった一方で、スコット人にはこの問題に投票する権利が無いと論じる数人の人がいた。幾人かは連合王国の皆がこれに投票すべきだと論じたが、ほとんどの観察者は連合王国でのスコットランドの地位について自分たちで投票する資格がスコット人たちにあることを簡単に受け入れているようだった。
民主制の伝統が表面上しっかりと伝えられているが集権を好むよう操られているところのアメリカとヨーロッパにある多くの政権にとってこれは悪いニュースだ。たとえばアメリカ合衆国政府は、中央政府に承認されなければ脱退は起こりえず、ほとんどのアメリカ人は忠実にして脱退主義投票のどんな試みも反逆だと公然と非難するだろうという考えに固執する。しかしヨーロッパでは中央政府が独立の地方投票を無視したり禁止したりすることの正統性に対して、スコットランド住民投票が存在したというだけのことで疑義が差し挟まれる。さて、イタリア政府はヴェネツィア住民投票の存在を認めることさえ事実上拒絶したし、マドリードのスペイン政府はすでに近日行われるカタルーニャ投票の結果を無視するだろうと繰り言している。
エリートの現状を脅かすときにそのような民主的結果を無視する人々が、自分たちの集権目的に相応しいときあるいは対外戦争を正当化するのに使うときに民主制の美徳を激賞する人々と同じであることは気づかれずに済まないだろう。
投票を否定したり脱退投票の認知を拒絶したりするこれらの政権は時が経つにつれてますます後退してゆくだろう。後退の多くは脱退についての地方投票を行うためのほとんど問題にされないスコットランド特権のおかげだろう。
いくつかの政権は脱退についての全国的な投票を要求することでこれを回避しようと試みるかもしれない。それでヴェネツィアの場合、ヴェネツィアが脱退できるか否かをローマの政府がイタリア全土に投票させる状況を考えることはとても容易い。そのような状況下で成功することは到底ありそうにないから、そのような投票なら中央政権の視座からは安全だろう。南部イタリア人はヴェネツィア政権から搾り取った税収から利益を得る。同じように、カタルーニャ人はスペインでもっと生産的な地域の一つであり、全国投票はもっと生産性が低いスペイン人のおかげでほぼ確実にカタルーニャを搾取し続ける方に傾くだろう。
幾人かの観察者はそのような地方と当該中央政府の関係性が「結婚」に似ており脱退が「離婚」に似ていると強弁してきた。もっとマシな類推は、もちろん、安全な家を求めて関係性から逃れようとしている虐待された配偶者のそれである。完全な国民的選挙権を与えることは虐待配偶者に離婚を拒否する権力を与えるようなものだ。
しかしながらスコットランドが連合王国の富裕地区ではないという点でヴェネトやカタルーニャと同じ立場にはないことを記すのは関心を呼ぶ。実際、(貨幣的要素を無視すれば)予算と税収の観点からはスコットランドの出発がイギリスに多くの否定的な影響を経験させるということはないだろう。物事が異なれば、我々は住民投票に向けてヴェネトとカタルーニャと同じ受け入れ態度を目にしていたかもしれない。それでもやはり前例は打ち立てられた。
教訓3:脱退に関するアメリカ人の観念は不洗練であり田舎っぽい
とても多くのアメリカ人にとって脱退の概念はアメリカ内戦の文脈以外では意味がない。アメリカ革命がイギリス帝国からのアメリカ脱退の結果だったことには都合よくも決して言及されないから、アメリカ人たちは南部連合と奴隷制以外の文脈においては歴史上の他のどんな脱退運動のことも実質的に知りやしない。一定世代のアメリカ人は脱退と聞くと1990年代のユーゴスラヴィア戦争を連想し、戦争とは脱退で引き起こされるものであり、しかも集権化した共産主義的支配の数十年によって引き起こされるのではない、と間違って考えている。
それで、ほとんどのアメリカ人は脱退の質問の出くわしたときただ二つ応答しかしない:(1)あなたは脱退を欲しているなら「バルカン化」を欲しているに違いない。これにより、脱退が民族浄化と血なまぐさい内戦に等しいものであると意味させられる。(2)「あなたは脱退を欲しているならレイシストに違いない。」というのはもちろん、脱退は奴隷制の蔓延以外の目的には仕えないからだ、と。
スコットランドの質問が明らかにしたのは、世界の残りでは教養のあるほとんどの人が脱退とは広くさまざまな歴史的かつ政治的な文脈で用いられているものだと理解していることだ。奴隷制は明らかにケベックやスコットランドやヴェネトやカタルーニャの脱退運動とまったく関係がない。
そのうえ、「それが法だ」という定型句を繰り返すことでどんな不正な状態をも正当化する権威主義者の典型的なあり方をするアメリカ人は、あたかも地方自治と独立の問題が1865年の内戦で一旦全部けりづけられたかのような振る舞いをする。どうやらこれらの人々にとって幾人かの人々が――そのうち全員はもうとっくの昔に死んでいるが――それについて戦争したから、問題は末代“the End of Time”までには決着していたらしい。1世紀半ほど他の人がしていた何かのせいで何か政治的なものが永遠に決着すると考えるためには実に恐るべき水準の無教養さを要求する。しかしもっと合理的で分別ある人間の集団内では政治的な環境と忠誠が常に変わることが認識されている。
同時に、脱退の合法性の証明として教条的に1787年の合衆国憲法を引き合いに出すアメリカの脱退主義者は転向者を勝ち取ることに失敗し続けるだろう。憲法を書いた人々の心に描かれたものとしての憲法は死んでおり、少なくとも1世紀は埋もれている。古い解釈はいずれにせよ非常に制限的であり、完全な合衆国の諸州にしか適用されず、そして諸州の部分には適用されない。
教訓4:脱退は上手い交渉方法である
我々がスコットランドの経験から学んだこととして、集権者は脱退を適切にも恐れており、彼らは脱退主義者を従わせようとしてたくさんの餌を撒く。もちろん純税領収者であるスコットランドの場合これらの約束は多くの国家福祉を含む。ヴェネトの場合は事情が違ってくるだろう。いずれにせよ、脅迫的な脱退は追加的な自治を得る際に使える戦術である。そのうえ、常に、中央政府をその正統性の住民投票に服従させるよう強いる助けになる。これはスコット人たちがやったような一回限りの選挙でされるべきではなく、むしろ政治的過程の定期的な特集とされるべきである。
しかし究極的には政権にとって本当に問題になるのは貨幣供給をインフレートし金融システムを支配する能力だ。中央政府からの政治家は本意にも多くの権力を手放すだろうが、しかし、インフレートをし銀行を支配する権力は決して軽々しく諦めないだろう。
教訓5:集権は経済的成功に不必要である
マーチン・ファン・クレフェルトとその他の観察者のホストが国家正統性の潮流を予言したとおり、世界の政治的秩序の中心的事実としての国家の地位は地元自治と国際的同盟に賛成して古い秩序を破りつつあるもっと小さな民族集団と経済的地域とともに落ちぶれ続けてゆく。スコットランド脱退の努力は近頃の多くの例のうちの一つにすぎない。住民投票での短期的敗北はこの潮流をほとんど変えないだろう。
くわえて、資本と労働が常に移動する現代世界の経済的現実は経済的ナショナリズムの観念とナショナルな経済の自給自足が得られるという神話を大いに当てにしてきた現代ネーション国家を蝕んでゆくだろう。
巨大な国際市場と労働力と国際的に貿易する本意があるネーション間貿易の急増はただ国民国家だけが市場と強圧的権力と経済成長に必要な国際勢力を提供できるという古いナショナルな主張を打ち破ってきた。実際、スコット人とヴェネツィア人とカタルーニャ人は国際市場へのアクセスのことを、彼らが現在恩義を受けている中央国家というおまけの手荷物なしでも非常によく到達できる何かとして理解している。ヴェネツィアは中国と貿易するためにローマが要るのか? とても要りそうにない。
ピーター“Peter St. Onge”が指摘したとおり、小さなネーションの経済的パフォーマンスは非常にうまくいくのであり、どうみても小ささには問題がない。でかいほど良いというこの断定はいつでも簡単にその誤りを立証できるわりに幾世紀もかけて通俗的なままだった。しかしスコットランドが国際的に競争できるだろうというスコットランド脱退主義者の主張は古い神話の優勢が崩れ続けていくことを示した。
結論
イギリスのいくつかの新聞はスコットランド脱退への「夢が潰えた」と宣告した。新聞紙が「潰えた」で「これから20年、30年間は無い」を意味してでもいないかぎり、それはとてもありそうにないように思われる。全ヨーロッパ規模ではさらなる地方の独立と自治への原動力が、経済停滞の間にも、そしてブルッセルやローマやマドリードからのエリートが自分たちの知っている最善を維持し続ける間にも成長し続ける。最終的には集権者の約束は不自由ではない耳には届かなくなるだろう。
(出典: mises.org)